Masuk「でもそれ最近はよく聞くし、珍しくないんじゃない? 近代的っていうか禁断的っていうか……俺は偏見ないよ」
夕都は無表情で壁を見つめながら何か言っている。
俊紀は何とも言えない気持ちにさせられた。ある意味、社会人になってから一番困った事態に陥っていた。
「大丈夫だよ、人の目なんか気にしないで! 俊紀さんの更なるご活躍を祈って、俺はバイト行ってきます」
「待てこら」
流れに乗じて抜け出そうとした夕都だったが、寸での所で引き止めることができた。
「ちょっ離してよ。心配しなくても誰にも言わないって」
「もう完全に同性愛者であること前提で話進めてんじゃんか。俺も今は恋愛自体しないっての!」
「今は?」
すかさず夕都は反復した。
やばっバカした……。
墓穴を掘った俊紀は絶望的な状況に陥り、目眩が起きそうだった。もう言い訳は通用しないだろう。
しかし夕都は特に変わった様子も見せず、スマホの画面を見て嘆息をもらした。
「あぁもう、バスの時間過ぎちゃったよ。俊紀さんが素直に認めてれば済む話だったのに」
夕都は鞄を床に置き、リビングへと引き返した。俊紀もそれに続いて部屋に戻る。
「大体、何の話してたんだっけ。俊紀さんの性癖について……?」
「ぶっ飛ばすぞ。お前の学校の話」
「それだ。俺、定時制に移る。その方が色々と都合がいいから」
「親御さんは了承してんのか?」
俊紀は冷蔵庫から飲み物を取り出し、夕都にも手渡した。
「だから親はいないって。兄貴が管理してくれてるから兄貴に話す」
夕都は一気にジュースを飲み干した。
本当に興味がないのか、俊紀の眼には夕都が他人の話をしている様に見えた。
「お兄さんがいたんだな。今別々で暮らしてるって事は、結婚してんのか」
「いや、してないよ。多分一生できないと思う」
「おいおい、それは分かんないだろ」
「分かる」
確信してるような夕都の物言いに少し引っかかるものを感じたが、そこは突っ込まないでおいた。
というか、絶対に干渉させないという態度が露になっていたから。
「ねぇ、それはそうと……」
夕都は急に真剣な面持ちになり、話を切り出した。
あまり見たことのない彼の真面目な雰囲気に、こっちも思わず緊張してしまう。
何を言い出す気だ……?
彼のことだから、また突拍子もないことを言うかもしれない。そう予想して、大抵のことは動揺しないで答えられるよう俊紀は身構えた。
同性愛の話になっても大丈夫なように。
「……何」
「彼氏が欲しいなら、俺と付き合おうよ」
喉に通りかけていた飲み物が逆流して、激しく咳き込んでしまった。
「何でそうなるんだよ!!」
「あれ。俺に気があるんじゃないの?」
こればかりは予想外だった。あと、凄まじい勘違いだ。話が突飛すぎて、どう返せばいいかも分からない。
「いつ誰がそんなこと言ったよ。全く、最近の若者は冗談がキツいんだからな……」
「俊紀さんも若者じゃん」
ぬれた口元を拭いて、あくまで冷静に切り返した。
「お前はいつも遊びでしか付き合わないんだろ? そんなんじゃ相手が女の子じゃなくて、男だとしても気の毒だよ」
しかし夕都は首を振り、強い語調で否定した。
「ううん、だからこそ今度は真剣に恋愛してみたいんだ。それに俺、俊紀さんならマジでイケそう」
「俺は無理」
「そっか。でも付き合ってれば同居してても問題ないし」
「無理だって」
「バイトも学校もこっからのが近いしなぁ……よし、決まりだね。付き合おう」
日本語が通じない。
呆然としている間に、夕都は一人で話を始めた。
「じゃ今日からよろしく! いやぁ、俺彼氏できたの初めてだからワクワクするなぁ」
自分勝手に話を進める夕都に、さすがに我慢も限界を迎えた。
「人の話を聴け! 俺は絶対無理だし、そもそも一週間って約束だろ! だから泊まらせてやってんのに!」
「わかってるよ。わかってます。俺も最初はそのつもりだったんだけど、気が変わったんだ。けっこう、いや真面目に俊紀さんのこと好き」
夕都は立ち上がり、俊紀と息が当たりそうな距離まで顔を近づけ、呟いた。
「一週間だけって、それは俺がただの同居人だったらの話でしょ。俺が俊紀さんの恋人になれたら話は変わってくるよね?」
ありえない。
ありえない事の連続で、どうしたらいいか分からない。
それでも夕都は俊紀の前でにこやかに笑っていた。
「そうだ、もう少し落ち着いたら俊紀さんが俺の家に住むってのもアリかも!」
「だから誰もまだ付き合うなんて……んっ!」
一瞬の出来事だった。
まだ話してる最中だというのに……夕都は俊紀の唇を塞ぎ、壁に押し付けた。
会ったばっかりの高校生にキスされてる。俊紀は混乱した。夕都は煽ってるのか、わざと激しく口付けを交わし、淫らな音を立てている。
「……っ!」
その最中に夕都は腰に手を当て、俊紀のベルトを外そうとした。
「痛っ!」
しかし、俊紀は寸前で夕都の鳩尾を手加減ゼロで殴り、事なきを得た。夕都は膝をついてうずくまる。自業自得だとは思ったが、俊紀はすぐに屈んで彼を抱き起こした。
「悪い、大丈夫か?」
「あんまり大丈夫じゃない……」
夕都は涙目になりながら俊紀に抱き起こされた。
「すまん、全然手加減しなかった」
「いや……手加減ていうか」
「ん?」
夕都はブレザーをめくると、殴られただろう部分を押さえて呟いた。
「傷口をピンポイントで殴ってきたからツラいんだけど……」
そう言われてハッとした。
彼が刃物で刺された傷口はようやく塞がりかけてきていたのに、どうやらそこを殴ってしまったようだ。
「ごめんな、すっかり忘れてた……! あまり痛かったら病院行くか?」
予想外の展開にさっきから完全に混乱している。
けど夕都は少し深呼吸をして、優しく笑いかけた。
「大丈夫だよ。でもできたら立たしてくんないかな」
「あ、あぁ」
俊紀は言う通りに、夕都の手を引いて起こそうとした。……が、
「んっ!」
お互いの顔が近くなった時に、またしても夕都はキスをしてきた。ほんとに懲りない。
怒りが頂点に達し、俊紀は夕都をはたいた。もちろん、今度は頭部を。
「俊紀さん。痛い」
「さっきの痛がりようは演技か?」
低い声で尋ねると、ようやく夕都は申し訳なさそうに俯いた。
「痛かったのは本当です……」
そのあとはしばらく、彼の謝罪を聞いたけど。
夕都は思っていたよりずっと危険で、変態で、扱いづらい人間だということを知った日になった。
「よしっじゃあこうしよう。俺がちゃんと学校行った日は、俊紀さん家に泊まっていいっていうルール。それなら俺も頑張って行ける気がする!」
「…………」
夕都の提案は、また悪い意味で裏切ってくれた。どうしてこうも上手にこちらの理想を裏切ってくれるのか不思議でしょうがない。もはや尊敬の域だ。
「ね、同居すれば俺も学校行けるしもっと俊紀さんのこと知れるし、一石二鳥でしょ」
お前だけな……。
「よし、今日はバイト休も。誰か代わってくれるよう電話」
夕都は電話をかけようとしたけど、慌ててそれを取り上げる。このタイミングを逃したらまずい。
「ちょっと待った。学校に行くのはいいけど、俺ん家に泊まっていいかどうかってのは俺が決めることだ」
「うん」
「とても俺の意見を尊重してくれるようには見えないけど……?」
ペースを狂わされっぱなしで、いつしかこっちの方が疲れていた。口論ではあまり意味がないし、何より朝から揉めるのは疲れる。
「心配しないで! 俊紀さんの気持ちは分かるよ。俺と付き合うには、知らない事が多すぎる。特に好きでもない高校生なんかと暮らすなんて異常だって」
図星だった。
というより、そこまで分かってるなら素直に引き下がってほしいんだけど。
「でも俺は、俊紀さんが好きになっちゃったんだ。俺は思い立ったら即行動する人間だから止まれない」
「それでよく失敗しないか?」
「するよ。でも俺が決めたことだし、後悔はしない。絶対に」
大したポリシーだなぁ……。
それはともかく、同居を許すかどうかは心の問題だ。素性が分からないのも勿論だが、本音としてはプライベートな空間にズカズカ入ってきてほしくない。
「でも……最終的な判断は、俊紀さんに任せるよ」
夕都も椅子に座り、穏やかな口調で告げた。
「俺をここに住まわせてくれるならそれでいいし、駄目なら俊紀さんが俺の家に住めばいいだけだ」
「どっちにしても同居は免れないのかよ」
それはあまりに一辺倒で、自己中な物の考え方だ。
まずこんな提案を持ち出してくる時点で頭おかし……いや、そこは広い心で、彼の人間性という事にしておこう。
「やっぱり……駄目?」
夕都は以前のように、上目遣いで頼んできた。
それは普通に困っている少年の態度だった。
「……」
俺は彼のこういう表情に弱いんだって、ここでようやく気付いた。
思わず大きな声を出してしまった。俊紀は恐る恐るリビングを覗き、秀一に聞こえていないことを確認する。そして流暢に構えている夕都に詰め寄った。「おおおお前、恋人に会わせるって言って家に連れてきて、そこに男しか居ないって状況は……」「なるほど。だから微妙な空気なんだ!」その瞬間、俊紀は夕都の頭をはたいた。「馬鹿かお前は! そういうことを言うのは! もっと段階踏んで、準備を進めてからだろ!?」そもそも夕都は未成年だ。そんな彼と関係を持ち、部屋に住まわせてること自体犯罪的。相手の受け取り方によっては警察沙汰。絶対、軽率に明かしてはいけないのだ。身内なら尚さら……しかし若い夕都にそれを理解しろというのは無理があったか。俊紀が内省してることなど知らない夕都は、涙目で頭を押さえた。「俺だって、関係バラす相手は選ぶよ! 兄貴以外にいきなり連れてこようとは思わない!」しかし彼に限ってただ悲しむなんてことはなく、すぐに燃えるような怒りに変わる。夕都はキッと睨んできた。しかし相手を選ぶと言うなら、一番やっちゃいけない人を連れてきたと思う。「な、殴ったのはごめん。でもしょうがないだろ、普通取り乱すわ」「……まぁいいや。とにかく心配ないんだよ、だって俺の兄貴は」「俺が、何?」第三者の声に、俊紀も夕都もその場で飛び跳ねてしまうほど驚いた。夕都の真後ろにはいつの間にか、不審そうにこちらを見つめる秀一が立っていたのだから。やっっっ……ばい。どこから聞かれてた?それによって謝罪のレベルが変わってくる。俊紀は固唾を飲んだ。「兄貴、どうしたの?」「俺もなにか手伝おうかと思って。それはそうと、何の話をしてたんだ?」やばい。頼むから下手なことを口走るな。という俊紀の悲壮感たっぷりの視線に気付いたのか、夕都は次に出す言葉を悩んでいる様子だった。しかし特に良い言葉が思いつかなかったようで、「別に。三人もいたら狭いから向こうでテレビでも見ててよ!」完全に邪魔者扱いをして、秀一さんを手加減なくリビングの方へ突き飛ばした。「はぐっ」という叫び声が聞こえた気がしたけど、聞かなかったことにしよう。夕都は舌打ちしてキッチンへと戻ってきた。「暴力はお前も人のこと言えないな」「家族はノーカウントだよ、喧嘩しない兄弟なんていないだろ。親しき中にも乱闘あり」しれっとした態度
月日が流れるのは速い。まばたきしてる間に数メートル先に進んでるみたいだ。それを意識させるのは環境の変化。けど自分の成長を感じさせるには少しばかり物足りない。「お疲れ様でしたー!」今ではすっかり慣れた、居酒屋のバイト。制服に着替えた夕都がキッチンに向かって叫ぶと、副店長の女性が手を振って微笑んだ。「お疲れ、梁瀬くん。気をつけてね」「ありがとうございます! お先に失礼します!」春は新入社員の歓迎会があるため、団体客が多く忙しかい。ひとまず賑やかな店を出て、一息ついた。何だかんだでもう一年も働いている。飽きっぽい自分にしては頑張ったと思う。一年はあっという間だ。夕都も高校三年生となり、身の回りの環境も少しずつ色を変えていた。大好きな恋人とも、もう一年近く付き合ったことになる。会いたいな。早く帰ろ。そう思って歩き出すと、スマホの通知音が聞こえた。宣伝広告を含めた五、六件のメッセージ。何となく確認しようと思っただけなのだが、一件の名前を見て手が止まった。開いてみると、たった一行。今どこにいる? ……というもの。「……」嫌な予感がする。久しぶりに重たい何かが肩にのし掛かった。これ以上外にいるのは危険と判断し、早足で駅の方へ向かう。しかしその瞬間、誰かに肩を掴まれ引き止められた。「ひっ!」恐怖がマックスだったせいか、本当に情けない声を上げてしまった。案の定、現れた人物は腑に落ちない表情を浮かべる。「なんだ。やっぱり夕都じゃないか」そこに立っていたのは黒いロングコートを着た、長身の青年。「兄貴……!」自分にとって唯一の家族、梁瀬秀一。彼のことは、それは嫌というほど知っている。「な、なんだはこっちの台詞だよ。何でここにいんの?」「お前なぁ。一年近くも家出してその言い草はないだろ。メッセージも返さないし……心配して会いに来たっていうのに」彼は呆れながらため息をつく。が、それにはつい言い返してしまった。「……家出はどっちだよ……」反発したものの、視線を逸らした。久しぶりに会えて嬉しいのは確かなんだけど。久しぶり過ぎて反応に困る、というのも本音。恐恐見上げると、彼も気まずそうにに頬を掻いた。「……そうだな。俺も家を空けてばっかだったから……ひとりにして悪かった。だから今日は久しぶりに、二人で過ごそうと思って帰って来たんだ」
「そう考えたら悪いことばかりじゃない。本当に……」壁に背を預けて、夕都は顔に貼ったシップをなぞるように指で触れた。「俊紀さん。俺に思ってること、またちょっと変わった?」「?」「尚太から全部聞いたんだろ。今回のことは、俺があいつを巻き込んだんだ。でも俺、俊紀さんにはずっと話せなくて」それは夕都が俊紀に交際を迫る前からで、近々の話ではなかった。それでも確実に、自らの傷を庇うように隠していた。自分が可愛いから、と捉えられても仕方ないほどに。そしてそんな汚い心理を彼に知られてしまうことを、夕都は一番恐れていた。「……見損なったよな」絞り出した声は弱々しく、相手に届いたかも分からない。しかし言葉より先に、その答えは夕都に返ってきた。「……っ!」全身を包む温もりと、唇に当たった感触。あ。忘れていた。この人はいつも───俺が不安になってる時、こうしてくれたんだっけ。俊紀は優しく夕都の額にも口付けを残し、微笑んだ。「仮に見損なっても、見限る理由にはならなかったな。そんなことで嫌いになるほど、軽い気持ちで好きになったりしてない」夕都の身体を更に引き寄せて、俊紀は甘く囁いた。「お前がいなくなることの方がずっと、俺は怖かった。むしろ俺の方が、お前に捨てられんじゃないかって思うこともあった。未だにお互い知らないことばかりだし」「捨てるって、俺が? そんなわけ……」夕都は驚いて俊紀の顔を見返す。しかしその表情は苦しげに歪んでいた為、口を噤んだ。「目を離したらすぐに居なくなりそうだからさ、お前。でも好きだよ。どんなに離れても、どんなに経っても……お前が好きだ」「俊紀さん……」もう泣かないって決めたのに。気付いた時には、涙が溢れていた。「夕都。泣いてるのか?」「うん。何でかな……って、俊紀さんも若干きてない?」「だな。……また会えて嬉しいから……かもな」夕都はただ、今の幸せを表現する術が見付からずに。俊紀もまた、そんな彼を大事に抱いて瞼を擦った。静かな朝だ。静寂を破らぬよう、時針だけ進んでいる。「何か飲むか?」俊紀は椅子に腰かけて、ベッドで横たわっている夕都に問いかけた。「うん」もう太陽は完全に昇っていたが、カーテンを閉めきっている為活力が湧かない。それに何より、もう丸二日起きている。体力なんてとっくに尽きている。けど頭が冴
「寒い……!!」指先は悴んで完全に感覚がない。俊紀達の動向を知る由もなく、圭司は弱々しく白い息を吐いた。「あいつら、戻ってくる気配ないな。これはマジで朝まで放置パターンじゃないか」なんて彼のぼやきを聞いた夕都は悲観的になりそうなのをグッとこらえた。これ以上ネガティブにはなりたくない。寒さと空腹だけでもうこりごりだった。 「まぁ、今度こそ何されるか分かったもんじゃないし。それぐらいなら戻って来ない方がいいっていうか」「いやでも戻って来なかったら餓死する」餓死も嫌だが、リンチにあうなら同じだろう。永遠に帰れない。結局八方塞がりだ。でもずっとこのままなんて……。一体前世で俺はどんな悪行をしたんだ、と圭司は考えていた。こんな事なら常日頃から遺書を用意しとけば良かった、なんて想いまで頭によぎる。しかし二十分後、その考えは断ち切れた。「兄貴! やっぱりここだったんだ……!」部屋に反響する透き通った声。この聞き慣れた声は────、「尚太!」小走りで駆け寄ってきた少年は幻ではなく、本物の弟だった。「お前、よくここが分かったな」「まぁね。……色々ごめん。さっ、早く出よう」尚太は圭司の手を縛るロープをほどきにかかる。「梁瀬を捜してたんだろ。何で俺も一緒にいるのか聞かないのか?」「……聞かないよ。兄貴が先輩に絡む理由なんて、どうせ俺の為だろうし」尚太の物言いにムッとして言い返そうとしたが、その前にロープは解けた。「でも、先輩は良い人なんだよ。兄貴と同じで口は悪いけど、俺のことを助けてくれた……だから俺は今ピンピンしたられるんだ」尚太は、圭司の袖を震えるほど強く握った。「わかってる。やっとわかったよ。……遅すぎだけど」二人は可笑しそうに笑い、手を取り合った。「本当にごめん。俺、これからはちゃんと学校行くから。早く家に帰ろう」……良かった。仲直りできたみたいだ。丸く収まった様子の二人を廊下から眺めて、すぐに俊紀は隣の部屋へ向かった。「夕都、待たせたな。生きてるか?」夕都は、部屋の一番奥に座り込んでいた。「生きてるけど、今にも死にそう」「大丈夫そうだな。待ってろ、すぐに解いてやる」色褪せたロープは雁字搦めに結ばれていたが、力押しで強引に緩めて解いた。「痛いところは?」「体勢がずっと同じだったからそこら中痛いけど……大した
その後は、退屈ではなくなった。代わりに幼稚な苛立ちが増していった。学校も家も居心地が悪い。だからか、やはり俺は壊れていく仲間達の元へ足を運び続けてしまった。そしてその結果は、わりと早く俺自身に返ってきた。『尚太。クスリ買う気ないならせめて、俺の言うこと聞いてくんね?』ある夜更け、一層暗くなった溜まり場へ行くと、染谷先輩は開口一番にそう言った。というか、やっぱり買う気がないって見抜かれてたみたいだ。『ほら、そこにいる奴、何回か来てるから顔は知ってるだろ』染谷先輩が指差す先を見る。そこには、ひとりの少年が倒れていた。一体どれだけ殴られたか分からないほど、顔面が腫れ上がった状態で。『ちょっ……大丈夫なんですか? その人』『あいつ、俺の女とヤッたんだよ。吸ってる最中に妄想入って襲ったんだと』年は俺らと同じぐらいだろうか。 顔は知ってるだろ、と言われたが、面識があるかなんて分からない。ハッキリ言って原形が分からない。それだけ重体に見えた。 『そいつにトドメさしてくんない? そんでどっかに捨ててきてくれよ』『はっ?』我ながら馬鹿みたいな声を出してしまった。いや、だって何で憎い奴を俺に……。『大丈夫だって、捕まったりしねぇよ。俺ら皆協力してやるから』先輩がそう言うと、呆然とぽかんと口を開けてた連中もゲラゲラと笑い始めた。そこでようやく彼らの魂胆がわかった。罪を被せるのに丁度いい人間を探していたんだろう。カラン、と小気味いい金属音が響いた。『ほら、そいつで首もとかっ切ってやれ』先輩が投げた、鋭利な刃物が足下に落ちていた。それを拾いはしたが、……切りつけたりなんてできるわけがない。先輩からしたら殺したいぐらい憎い人物かもしれないけど、自分にとっては赤の他人だ。『できるだろ? ……赤沼』視線が痛かった。先輩だけじゃない、ここにいる全員がそれを望んでる。その圧迫感が半端じゃなかった。……っ。でもやっぱり、俺には無理だった。ナイフを持ったまま、膝が震えそうになるのを堪えるだけで精一杯だ。『それもできないなら……どうしてやろうかな』先輩は一歩ずつ俺に近づいてきた。けど、それを止める誰かの声が響いた。『おい! お前ら何やってんだよ!!』部屋に乗り込んできたのは夕都先輩だった。『お前って……あぁ、梁瀬か。やばい久しぶりだな』染
別に困っていたわけじゃない。ただこの生活に、差し障りの無い程度に刺激を足したかったのかもしれない。あの時の俺は……。「俊紀さん」尚太は少し咳払いして、息を整えた。「少しだけ聞いてほしいんです。俺らのこと」「え」「先輩達をさらった奴らが誰かは分かってます。俺らの昔の遊び仲間。それが理由じゃないけど、まだ警察には連絡しないでほしい」「どうして?」俊紀は話が飲み込めないまま小首を傾げた。「夕都先輩は、多分そう言うから」「……そういや、俺と会ったときもあいつはそう言ってたな。でも、その遊び仲間はどういう繋がりなんだ?」「元々俺は何の関係もなくて、夕都先輩の知り合いばっかなんです。ただ集まったら遊ぶだけの仲で……学校が好きじゃなかった俺を、先輩はよく誘ってくれてた。皆俺と同じで家も学校も嫌いだったから、楽しかったんだけど」毎日にウンザリしていた。学校はつまらない。家では優秀な兄と常に比較された。だから同じ気持ちの仲間と喋って、気が楽になった。いつからか、夕都先輩より俺の方がそのたまり場に顔を出すようになった。それは一時的な現実逃避で、ずっと続くわけない。馬鹿な自分でもわかっていた。けど。『尚太、これやるよ』ある日のこと。夕都先輩が来なくなってから、グループの中心になった染谷という先輩がいた。彼が持ち出した麻薬によって、明らかに自分の住む世界が変わった。『お前の為にも少し貰っといてやったからさ。結構高いんだぜ。今回だけは俺の奢りだから、次からは自分で買えよ』手渡された袋の中に入っていたのは、テレビや教科書の中でしか見たことない薬物だった。 『え。これ、本物ですか?』『あぁ。俺らも使ってる』息を飲んだ。俺が知らなかっただけで、皆気持ち良さそうにそれを使っていたらしいから。効果は確かによく聞くけど……。その後に地獄の苦しみが待ってるというのも、よく聞く。苛々が収まってく具合なら煙草とそんな変わりないんじゃないか、と何も分からない自分は思ってしまう。『あの、夕都先輩は?』『あいつは駄目だ、頭固いから。お前は信用してるからもらってきてやったんだよ』『……』生まれて初めて、“信用”という言葉に引っ掛かるものを感じた。手に嫌な汗をかきながら、彼の気分を害さないよう穏やかに笑う。『あ……ちょっと、また今度でもいいですか? 今日は…