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第三十四話

Author: 麻木香豆
last update Last Updated: 2025-08-03 09:06:40

 藍里は2日後、病院で経過観察を受けて特に以上もなく休んだおかげもあってか学校に行けるようになった。

 時雨に抱きしめてもらったのはあの時だけだった。そのあと時雨とさくらが愛し合った声を聞いていた藍里はしばらく自室にこもっていた。

 そんな彼女に時雨は3食美味しいご飯を用意した。さくらはまた仕事に行ったものの藍里がリビングに来ないのを心配する。

 そして学校に行く日の朝。

「藍里ちゃん、お弁当作ったよ。無理しないでね。なんなら車で送るよ」

「ありがとう、たぶん宮部くん外で待ってるから」

 時雨は少しフゥンと言ったが笑顔で藍里を見送った。さくらもこの日は仕事に行っている。

 下に降りると清太郎が待っていた。

「おはよう、藍里」

「おはよう、迎えに来てくれてありがとう」

「当たり前やん……行くぞ。ゆっくりでいい」

「うん」

 時折歩幅が大きくなる清太郎だが藍里に気を遣ってゆっくり歩く。藍里はそれに気づいて嬉しくなる。

 特に言葉は交わすことはなかったがすごく幸せな時間なんだ、と。

 教室に行くと藍里はクラスメイトたちに出迎えられた。

「久しぶり! 無理しないでね」

「百田さん……いや、藍里! 困ったことあったら私たちがなんとかするわ」

「仲良くしましょうね、藍里!」

 アキ、優香、なつみが藍里を囲む。藍里は戸惑って清太郎を見ると

「俺が伝えたらこの3人が真っ先に喜んだ。同性同士、男の俺に言いにくいことあったら彼女たちに……なっ」

 清太郎は頭をかく。藍里はしばらく友達はできなかった。清太郎がそういうなら、と信じようと思った。

 他のクラスメイトにも声をかけられた。こんなに優しくしてもらったことはない。

「藍里?」

 清太郎にそう声をかけられた藍里の目から涙が出ていた。

「藍里、泣かないで……」

 優香がハンカチで藍里の涙を拭う。

「何で泣いちゃったのかな……ごめん。そうだ、みんなノートありがとう」

「大丈夫よ。あ、ノートわかった? アキがめっちゃ字が汚いし」

「うるさいなー、ギャル文字のなつみには言われたくないわ!」

 藍里が笑うとみんなは笑う。その姿を見て清太郎もホッとした。

 担任が朝のホームルームにやってきた。藍里が登校しているのを確認すると

「よかったな、無理すんなよ」

 と声をかけられると藍里は頷いた。こんなふうに多くの人に心配されたり声をかけられることもな
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