百田藍里は転校先で幼馴染の清太郎と再会したのだがタイミングが悪かった。 なぜなら母親が連れてきた恋人で料理上手で面倒見良い、時雨に恋をしたからだ。 そっけないけど彼女を見守る清太郎と優しくて面倒見の良いけど母の恋人である時雨の間で揺れ動く藍里。 時雨や、清太郎もそれぞれ何か悩みがあるようで? しかし彼女は両親の面前DVにより心の傷を負っていた。 そんな彼女はどちらに頼ればいいのか揺れ動く。
Voir plus朝の教室、制服を着た生徒達がざわつく。もうすぐ担任が来るというのに。それはいつものことだろうが、少し何か違う。
窓際で本を読みながら級長の宮部清太郎はそれを感じ取っていた。というか知っていた。担任から今日は転校生が来ると。 神奈川県から引っ越してきて、以前清太郎と同じ故郷に住んでいたと。級長としてだけではなく、他にも訳があってクラスに馴染めるようサポートしてくれないかと言われたのである。 名前を聞いて清太郎はハッとした。そしてこの日を少し心待ちにしていたとは周りには言えなかった。 「ねぇ、なんかみんな騒がしいけどなんでなんで」 転校生が来ることを知らない一部の生徒。 「もしかして橘綾人と尊タケルのダブル主演BLドラマの話のこと?」 「それは朝のワイドショーやってたから誰でも知ってるから違う。今日転校生が来るんだって……ねぇ、宮部くん」 と、急に振られて清太郎は頷く。転校生が来ると知っていた数名、そして声のでかい女子生徒が「転校生」と言うキーワードを発したらさらに教室はざわつく。 転校生が誰かを知ってるのは級長で同郷である清太郎だけだったから。 「ねぇ、どんな人? イケメン?」 「いや、男とは言わんだろ、ほら……宮部の横の席空いてるから女の子だろ」 「えー、なんで宮部くんしか知らないの。ずるーい。さらに口硬いから一切教えてくれないし!」 詰め寄られる清太郎は読んでいた本、中山七里の殺人鬼カエル男を顔で覆う。朝から似つかわしい本を読むものだと思うが。 でも自分が言わなくてもすぐわかるだろうと言わなかっただけでもある。 「おい、お前ら席につけ!」 チャイムと共に大きな声の担任が入ってきた。まだその転校生は入ってきていない。生徒達は慌てて自分の席に着く。高校2年生ともあり、内申点を気にしてか教師のことは従わなくてはという生徒もいるのだろう。 清太郎はため息をついて本に栞を挟んで席に戻って 「起立、礼」 と声を出す。 「おはようございます」 教室に声が響く。 清太郎は声がでなかった。なぜかというと扉の向こうに立っていた転校生の女子生徒、藍里と目があったからだ。 清太郎と藍里は中学を上がる前に離れ離れになった。急にだ。 子供の頃からずっと仲良かった、バイバイといえば次の日も会える、と思ってたのに。 この数年間、なぜ会えなかったのか。もう会うこともできないのかと。 高校2年生の夏休み明けにこのような形で再会して2人はずっと見つめ合っていた。 「宮部くん、どうしたのずっと立ってて……てかあんたが着席って言わないとみんな着席しないんだけど」 前の席の女子に言われ清太郎は慌てて 「着席っ!!!」 と、言うと教室は大爆笑。藍里も笑っていた。 「実は宮部と百田さんは同郷……幼馴染らしい」 余計なことを言うなよ、と清太郎は頭をかくが藍里は彼を見ている。 「はじめまして、神奈川からきました百田藍里です。先生がご紹介してくださった通り私は隣の岐阜県で生まれました。訳あって中学前に母と神奈川に行き、また隣の県ですが愛知県に戻ってきました。この辺りはよくわかりませんが、早く慣れて遊びに行きたいです」 藍里は緊張しつつもサラサラと話すそのそぶりを見てクラスメイト達はハッとする。 姿勢も良く、容姿も整った藍里にクラスメイトたちは惚れ惚れする。 そして変に清太郎と藍里を茶化すことはしなかった。 そして藍里が清太郎の横の席に座る。 「……久しぶりやな、藍里。てか苗字は……」 「まぁ色々あってさ」 「……色々」 清太郎は担任の目を気にして喋りかけるのはやめた。藍里の横顔を見て最後に見たあの時の姿と比べる。 こんなに美しくなったのか、と。 藍里も清太郎の目線が黒板に移った同時に彼を見る。あの頃は自分よりも小さかった彼も自分よりも背が高いであろう、そして喉仏。子供っぽさが抜けて大人の男に近づいた横顔にドキッとする。 しかし、彼女は少し苦い顔をしている。 「なんでこのタイミングで?」「えっ、愛知……」 「うん。三ヶ月後にはここ退去して、愛知の支社のオーナーの住むマンションに入れてもらえるらしいの」 「そうなんだ……かなり猶予もらったね」 藍里は穏やかに笑った。子どもっぽい甘えを見せることもあるけれど、わがままを言わない子だ。いや、もしかしたら、私の勝手に振り回されてきたから、我慢を覚えただけなのかもしれない――そんな風に思うと胸が詰まる。 「あんたの高校のこともあって猶予もらえたのよ」 「高校は愛知の……?」 「今、編入できるところを探してて、一校だけ返事待ち。シングルで途中からってなると、なかなか見つからないのよ」 私は努めて平静を装いながらも、胸の奥には重い塊がある。もちろん娘には私の今の仕事のことは言えない。他の仕事も探せばあるだろうが、今の収入の額を知ったら、もう後戻りできないのも事実だった。 「私、高校辞めて仕事してもいいんだよ。バイトももっといいとこ探して……」 「ダメよ。今学校辞めたら。せめて大学は出てほしいから、ママは一生懸命働いているの」 「……」 「なんかオーナーさんが言うには、一階にファミレスがあるから、そこでバイトもできるみたいよ」 「……うん、そこならいいかもね」 「今返事待ちしてる高校にも近いから。できれば二年生になってすぐがいいんだけどね……」 「いいよ、いい。無理しなくていいよ」 彼女の小さな声がやさしい。 でもその「やさしさ」が、私をさらに追い詰めることもある。 ――と、その時。 外の窓ガラスに、ぽつり、ぽつりと水滴があたりはじめた。 最初は小さな音だったのに、すぐにそれが連続したリズムになり、やがてザーッという大きな雨音が天井の上から響いてくる。 「……雨」 声が震えてきた。
今思えば、あの頃の私はまだ何も知らない、小さな世界で生きている女だった。 今ではもう、目の前の画面に映るものを「ただの映像」として処理できるようになったし、見たくもないものに対しても心の奥に無理やり鉄のシャッターを下ろす術を覚えた。相手を観察して、声のトーンを合わせ、時には軽口を叩いて彼らを楽しませる。そんな器用なふるまいをしている自分を、時折、別の誰かのように感じることすらある。 でもあの頃は――まだうぶだった。画面越しに突然さらされる男たちの生々しいものに驚き、戸惑い、逃げ出したくなった。けれど今は、その一つ一つを冷静に眺め、笑顔を貼りつけて値踏みするくらいの余裕すらある。慣れた、というのは恐ろしいことだ。人はここまで順応できてしまうのかと、自分に戦慄する瞬間もある。 ただ、それでも救いのような時間もあった。 中には何も求めず、ただ世間話をしたがるだけの男性たちもいた。「最近寒いですね」「今日の仕事、疲れたな」――そんな、近所のコンビニ店員と交わすような軽い会話に、彼らは安心し、私もまたほっとすることがあった。女子校育ちで、元彼は数人、夫以外の男をよく知らなかった私には、それはむしろ社会勉強になった。 世の中にはこんなに色々な男の人がいるんだな、と知る時間。それが、私をかろうじて人間らしく保ってくれていた。 最初は肌を露出するだけでも頬が火照ったのに、今では一糸纏わぬ姿を晒すのも仕事の一部になった。羞恥心はいつのまにか溶けて消えた。 それが悲しいことなのか、強いことなのかはわからない。 でも――じゃないと、私たちは生きていけなかった。 「最初はほんのお小遣い稼ぎのつもりだったのに」 そう、最初は軽い気持ちだった。ほんの数時間だけの仕事で、欲しいものを買えるくらい稼げたら――それだけだった。 でも次第に、私はどっぷりとそこに浸かっていくことになる。その背景には、明確な理由があった。 ――夫だ。 もともと私は大学を出て地元でOLをしながら、小劇団で舞台に立っていた。決して華やかな劇場ではないけれど、そこで息をするように台本を覚え、誰かの人生を演じていた時間は、私にとって何よりも大切だった。 そんな私に声をかけてきたのが、劇団の先輩、橘綾人だった。舞台の上では王子様のように輝く彼に惹かれた――というよりも、当時の私は親の過干渉に疲れ果て
私の仕事は、俗に言う風俗だ。 ――といっても、いわゆるお店に出て客を取るタイプではない。 私は個室の中で、ただパソコンの画面越しに男の人たちと話す。それだけ。 ……本当に「それだけ」なのかは、今となっては疑わしいが。 思えば、あの日の軽率なクリックが始まりだった。 前の結婚生活では専業主婦だった私。 家事と育児だけで一日が過ぎ、誰かと話すことも、鏡を見ることすら少なくなっていた。 そんなある日、何気なくスマホを眺めていたときに目に留まった広告――「こっそり副収入」「完全在宅」「顔出しなし」 鮮やかなピンク色のバナーに小さく書かれたその言葉に、指が止まった。 お小遣いが少し増えたら、自分の欲しいものが買える。 美容室に行って、服も買って……。 夫には秘密で、こっそりやればいい。 ――そんな甘い考えが胸をよぎり、私は迷わず広告をタップした。 指定された登録会場は、駅から少し離れた雑居ビルの一角だった。 エレベーターを降りて案内された事務所は、思った以上に明るく清潔感があった。 もっとこう、裏社会の匂いがするような空間を想像していた私は、肩透かしを食った気分で受付に座った。「こちらで登録会を行いますね。お名前と簡単なプロフィールを……」 柔らかい物腰の女性スタッフに誘導されるまま、個室の並ぶ廊下を進む。 廊下の壁には白いペンキが塗られ、ほんのりアロマの香りが漂っていた。 ドアにはそれぞれ番号が振られており、小さな撮影スタジオのようにも見える。「お仕事の内容はですね、パソコンの前に座って男性とオンラインでお話ししていただきます。顔は出さなくても大丈夫ですよ」「……話すだけ、ですか?」「はい。それだけです。服装やメイクは自由ですし、ウィッグやコスプレもあります。お顔を見せない方も多いですよ」 話すだけ――そう言われても、どこか腑に落ちなかった。 けれど、スタッフの女性はにこやかに微笑み、「さぁ、どうぞ」と部屋を案内してくれた。 案内されたのは、まるで女の子の部屋のような可愛らしい内装の個室だった。 淡いピンクの壁紙、フリルのついたクッション、丸テーブルの上には造花が置かれている。 そこだけ異世界のようで、現実感が薄れる。「うーん……でも、さくらさんはもっと大人っぽい雰囲気の方が似合うかもしれませんね。こっちの和室を
私は雨が嫌いだ。 濡れたり、傘を差したり、予定がキャンセルになったり。 雨の日は頭が痛くなったり、身体が重くなったり、気持ちまで沈む。 ――でも、そんなことはどうでもいい。 本当の理由は、自分でもよくわかっている。 雨はいつだって、私の人生の転機に降っていた。 嫌な知らせも、別れも、決意の瞬間も。 だから私は、空を見上げて「降らなくていいのに」と呟くのだ。 ※※※「えっ、愛知に?」「……はい」「こっちではもう働かないんですか?」「スタッフと話し合って、愛知の支店で働いてもらった方がさくらさんのお給料も上がるかなぁと」 会議室の白い蛍光灯が妙に眩しくて、言葉が耳に入ってこない。 今ここは神奈川のとあるビルの一角にあるオフィス。 娘はもうすぐ高校二年生になる。 私たち母娘はもともと岐阜に住んでいたが、いろんな事情から神奈川に移り住んで、もう五年近くが経とうとしていた。 知らない土地、知らない人ばかりの中で、会社の寮に住んで。 やっと生活に慣れたはずなのに――いや、本当は慣れたふりをしていただけかもしれない。 そんな場所から、また別の土地へ。 愛知の支店への異動を命じられたのは、ほんの数分前のことだ。 胸の奥が重くなる。 ああ、こういうときはきっとまた、雨が降るのだろう。
夕方には東京に着き、バス停で待っていた清太郎が笑顔で手を振る。藍里は駆け寄り、その胸に飛び込んだ。 ――時雨の言った通り、生身の方がいい。確かにそうだ、と藍里は思った。 清太郎の部屋に着くと、もう一度ハグをして、今度はキスをした。まだ遠距離恋愛生活は一年目だ。 最初の頃は毎週会いに行ったが、今は毎日のメールやビデオ通話が当たり前になり、会う頻度も落ち着いてきた。 この日の夜ご飯はポトフだ。肉よりもウインナーが好きな清太郎のために。 キッチンで鍋をかき混ぜながら、藍里はさっきの話をした。 「ねぇ、時雨くん、地元に帰ってお見合いするって」 「……あぁ、今の時代にお見合いね」 「お見合いというか紹介で……みたいな。なんだかね、寂しいな」 「きっと、止めてほしかったんじゃない?」 「なんでよ。もうママとも別れたんだし、会ってもいないのに」 「そうじゃなくて……」 清太郎が穏やかな声で言う。 「時雨くんは藍里ちゃんのこと、好きだったんだよ」 「えっ……」 「多分、さくらさんよりも本当は藍里ちゃんが好きだったんだ」 藍里の手が止まった。胸の奥で何かが小さくざわめく。 ――もしタイミングが違っていたら? そんな考えがよぎった瞬間、心臓がきゅっと痛んだ。 ダメだダメだ、と頭を振る。今、自分の隣には清太郎がいる。 でも鍋の中を必要以上にかき混ぜてしまう手は止まらなかった。 「……藍里?」 清太郎が心配そうに声をかける。 「そんなことないよ。絶対」 「ふうん……でも、藍里も時雨くんのこと、嫌いじゃなかったんでしょ?」 「デリカシーなさすぎ! 清太郎のバカ!」 「ごめん、ごめん!」 「ばーか、ばかばかばか!」 「ほんとにごめん、藍里ー!」 清太郎は彼女を抱きしめた。 藍里は笑いながらも涙を流していた。清太郎はその涙をそっと拭い、火を止めてからもう一度抱きしめる。 ――こうして、夜は静かに更けていった。現代版 終次回はこの物語の過去の話を……。
「さくらさん、最近どうかな」 「……まぁ、ぼちぼちだよ。まだ気にしてくれてるんだね」 賄いを食べながら時雨に聞かれると、藍里は少し笑った。 「そりゃ、一度は好きになった人だもん。それに……こんなこと言うのもあれだけど、情は残ってるよ。俺は」 その言葉に藍里は、母の元カレたちのことを思い出す。 お金や愛はなくても情だけは残っていて、母を助けてくれる――そんな話を思い出すと、さくらという女性がますます謎めいて見えた。自分の知らないところで、母は自分の知らない顔を持っているのだろう。 羨ましい気持ちもあったが、同時に「そうでもないのかもしれない」とも思った。 「清太郎くんのところ、また行くの?」 「うん」 「月2回の高速バスで遠距離恋愛かぁ。青春だねぇ」 「そうかな。今はネットですぐ話せちゃうしさ」 「便利になったもんだ」 「だから会うのは月2回に減らしたんだ」 「えええっ? ネットと生身は違うだろうに……」 「だよね」 二人で笑い合う。いつもと変わらない、ささやかな日常。 食器を片付けながら、時雨が少し声を落とした。 「……俺さ、今度お見合いの話があるんだ」 「お見合い?」 「そう。もう年齢も年齢だしね。地元の子で、三十歳くらいの女性」 「へぇ……」 藍里は思わず振り返った。 「写真見せてもらったら、すごく聡明そうで綺麗な人だったよ」 「……地元ってことは、仕事は?」 「その人の実家が喫茶店でね。そこの調理担当の人が若い人に代わってほしいって話で……」 「じゃあ、条件が良ければ地元に帰っちゃうんだ」 「……」 時雨は何も言わない。 沈黙の中、鳩時計が鳴り響いた。 「藍里ちゃん、そろそろ時間だ。今から出ないとバス間に合わないよ」 「あ、うん」 無理に明るく振る舞い、時雨は藍里の荷物を手渡した。 「……時雨くん、もう私たち親子のことは気にしなくていいんだよ。時雨くんも35歳でしょ。自分の人生を歩んでほしい」 藍里は時雨の右手をそっと握り、すぐに離した。 その手をもう一度握り返そうとした時雨だったが、藍里の表情に「もういい」という意志を感じ取り、力を抜いた。 「……うん、わかった」
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