LOGIN息子が突然、白血病だと告げた。一番の願いは、杏奈お姉ちゃんが一度でいいからウェディングドレスを着る姿を見ることだ、と。 夫もそれに同調した。「杏奈と一度、形だけの結婚をする。息子の治療が落ち着いたら、また君と籍を戻すから」 私はその申し出をにこやかに受け入れ、夫と離婚した。 しばらくして、私は息子のSNSで、彼が元気いっぱいに夫とその幼馴染の結婚式に出席している姿を見つけた。 そこには、こんな言葉が添えられていた。 【パパの幸せを見届けた。今日も楽しい一日でした】 私は静かに笑い、携帯の電源を切った。 そして、隣にいる人の手を握り、雲見市へ向かう飛行機に乗り込んだ。
View More彼女は俺が疑いすぎだと言った。彼女の上司とは、ただの上司と部下の関係だと。俺も男だ。あの上司の考えが分からないわけがない。彼女は同意しなかった。あの頃の彼女は、俺よりも仕事を大事にしていた。俺は彼女を「しつける」ため、半月以上も冷戦状態を続けた。わざと杏奈に、思わせぶりなメッセージを送ったりもした。俺は心の底では杏奈が好きだったんだ。彼女にそんなメッセージを送ったからって、クズ呼ばわりされる筋合いはないだろ?ある晩、杏奈が酔って、会って話したいと連絡してきた。ちょうどそのメッセージを、沙織に見られた。彼女は泣きながら、俺と杏奈はどういう関係なのかと問い詰めてきた。俺はまだ、彼女が仕事を辞めないことに腹を立てていた。だから、彼女を無視し続けた。彼女がとうとう泣き崩れるまで。彼女は泣きながら、上司とは何もないと言った。もちろん、何もないことくらい知っていた。俺はただ、俺を脅かす可能性のある男が、俺の女の周りをうろつくのが嫌だっただけだ。俺は彼女に、辞めるか、さもなければ別れるか、と迫った。彼女は、同意した。あの件を境に、彼女は随分と扱いやすくなった気がする。同棲して一年、沙織が俺の子を身ごもった。あの頃、俺はまだ満足のいく仕事に就けていなかった。だから、彼女には子供を堕ろしてもらった。子供を失った彼女は、来る日も来る日も泣いてばかりいた。正直、うんざりしていた。だが、心のどこかにある責任感が、彼女を許容しろと俺に命じていた。その年、俺を認めてくれる上司に出会った。キャリアは順調に上がり、約束通り、沙織との結婚式も挙げた。結婚式の日、司会者が俺に愛を誓うか尋ねた時、来賓席にいる杏奈が見えた。心がひどく乱れた。何とも言えない気分だった。その日、杏奈はひどく酔っていて、泣きながら俺が好きだと告白してきた。俺の心は、さらにかき乱された。どうして、もっと早く言ってくれなかったんだ。もし早く知っていたら、沙織と結婚することはなかった。だが、すべてが手遅れだった……その後、俺と沙織の間には息子が生まれた。息子は俺によく懐き、よく話をした。時が経つにつれ、あいつも俺の心の未練に気づいたようだった。俺は息子のママには言うなと口止めした。だが、
彰人番外編俺と沙織の話は、少し長くなる。初めて彼女に会ったのは、大学の文芸発表会だった。彼女は服飾デザイン専攻で、その時のステージで行われたファッションショーは、モデルが着ている服がすべて彼女のデザインだと聞いた。才能豊かな女で、学内でも有名だったし、言い寄る男も多かった。初めて会った時から、俺は彼女のことが好きだった。ただ、その「好き」は、どちらかというと「憧れ」に近いものだった。当時、俺の心にはまだ忘れられない人間がいた。幼馴染の杏奈だ。俺と杏奈は、物心ついた時から一緒だった。彼女は天真爛漫で可愛らしく、俺によく懐いていた。だが、俺たちは互いに本心を打ち明けられずにいた。杏奈は、俺のことなんて愛していないんだと……そう思っていた。大学二年の時、杏奈のSNSで、誰かと手を繋いでいる写真を見てしまったんだ。その瞬間、俺の心は、完全に死んだ。そして、同じ年に、俺は沙織への猛アタックを開始した。沙織は、見た目ほどクールなわけじゃなかった。最初は俺の誘いを拒んでいたが、俺が諦めずにアプローチを続けるうちに、少しずつ態度を軟化させてくれた。もうずいぶん杏奈とは連絡を取っていなかった。そんなある日、突然彼女から連絡が来て、どうして連絡をくれないのかと聞かれた。俺はあの手繋ぎ写真のことを思い出し、胸が苦しくなるのを抑えきれなかった。忙しくて話す時間がない、と嘘をついた。彼女は、怒ったようだった。SNSまで非公開にされてしまった。その日はひどく落ち込んでいたんだが、なんと沙織の方から俺を誘ってくれたんだ。彼女は、恋愛経験がほとんどなかったらしい。一緒に食事をするだけで、顔を真っ赤にしていた。あの日、俺は意図的に酒を頼んだ。すぐに俺たちは酔いが回り、近くのホテルで一夜を過ごした。俺は、彼女の初めてを奪った。こうなったからには責任を取らなければ、と思った。女の子にとって、初めてはやはり大切なものだ。だが、杏奈のことを思うと、どうしても心に未練が残った。でも、自分が愛する人間よりも、自分を愛してくれる人間を選ぶ方がいい。沙織は俺によく尽くしてくれた。生活のあらゆる面で、俺を完璧にサポートしてくれた。俺たちは、卒業を待たずに同棲を始めた。彼女と一緒にいると、生活面での面倒事
陽翔番外編僕は、ママが僕を捨てるなんて、一度も信じたことがなかった。だから、杏奈お姉ちゃんの結婚式で、ママがもうパパとは籍を戻さないって言った時も、僕はそれほど怖くなかった。ママたちが会場を出た後、僕とパパは招待客の対応に追われた。みんなから、奇妙な視線を向けられた。僕はなんだか惨めになって、家に帰ったらママになんて言おうか、そればかり考えていた。「ママのせいで、みんなの前で恥をかいちゃったじゃないか」僕がそう言ったら、ママは申し訳なさそうな顔をして、もしかしたら得意な栄養食だって作ってくれるかもしれない。そんな想像をしていた。でも、その幻想は、家に帰った瞬間にすべて消え去った。ママは、荷物と一緒に、家からいなくなっていた。前は家族写真が掛かっていた、あの真っ白な壁を見つめて、僕は、今回のママが本気なんだってことを悟った。パパを見ると、その瞳に、狼狽えている僕の顔が映っていた。ママがどこへ行ったのか、分からない。僕とパパは、夢中でママを探した。そして、瑠璃お姉ちゃんの家まで行った。彼女は、箒を持って僕たちを追い返そうとした。小さい頃、ママに連れられて瑠璃お姉ちゃんの家に来るたび、彼女はいつも一番美味しいお菓子をくれた。にこにこしながら僕の頭を撫でて、「可愛いね」って褒めてくれた。なのに今は、カンカンに怒って、パパに向かって叫んだ。「よくも沙織がどこかなんて聞きに来れたわね!こっちが聞きたいくらいよ。沙織があんたにどれだけ尽くしてきたか、自分でも分かってるでしょう。あの子は、あんたに何一つ悪いことなんてしてない。あの子がどこにいるかなんて、絶対に教えてやらないから!」瑠璃お姉ちゃんの言葉を聞いて、パパは顔を真っ白にしていた。「それから、あんたもよ!」彼女は僕を指さした。「この恩知らず!あんたのママ、難産だったんだから、あの時あんたを諦めればよかったのよ。丸一日苦しんでやっとあんたを産んだのに。あんたときたら、赤の他人のために、実の母親を騙すなんて」僕は、罪悪感でうつむいた。瑠璃お姉ちゃんの言葉が、僕をさらに混乱させた。どうしよう。もしママが本当に僕をいらないって言ったら、どうしよう。僕は、ママがいない子になっちゃうんだ。杏奈お姉ちゃんが僕を慰
「私たちの結婚の、まさにその始まりから、杏奈は存在していたわ。ずっと不思議だったの。杏奈がそんなに素晴らしいなら、どうして最初から杏奈と結婚しなかったの?」彰人は唇を震わせた。「俺が愛していたのは、君だ」傍にいた杏奈がその言葉を聞いて、瞳に傷ついたような色を浮かべた。私は冷たく笑った。「愛?笑わせないで。私を愛してる、と言いながら、杏奈とだらしない関係を続けて。私を愛してる、と言いながら、その一方で杏奈と結婚するために息子まで巻き込んで私を騙した。彰人、あなたの愛って、あまりにも安っぽすぎない?」和也はそれを聞くと、私の肩を抱き、低い声で言った。「あの時、お前が沙織にこんな仕打ちをするとわかっていたら、俺は何をしてでも沙織を奪い返していた。彰人、お前はそれでも男か」その言葉に、彰人たちは返す言葉もないようだった。和也は彼らの目の前で、指輪がはめられた私の右手を、見せつけるように持ち上げた。民宿に戻ると、和也がいてもたってもいられない様子で、私の部屋のドアをノックした。ドアを開けた途端、私は彼の切迫したようなオーラに包まれた。和也は私を強く抱きしめた。彼は、何度も何度も呟いていた。「沙織、沙織。彰人の口車に、また乗せられたんじゃないだろうな」彼の体から、強い不安が伝わってくる。私は彼の背中を叩き、優しくなだめた。「大丈夫よ。同じことで、二度も失敗したりしないわ」その夜、私と和也は強く抱き合ったまま、お互いがそばにいなかった、この長い年月の出来事を語り合った。翌朝早く、日の出を見ようと民宿を出ると、彰人が寂しげな様子で中庭に立っているのが見えた。私に気づくと、彼の体はふらつき、まるで力を失ったかのようにその場に膝から崩れ落ちた。私はそれを冷ややかに一瞥し、彼のそばを通り過ぎた。「沙織、俺たちは、もう本当に終わりなのか?」彼は私の背中に問いかけた。私は答えなかった。沈黙こそが、最良の答えだと信じて。海辺まで歩くと、和也が先に着いて待っていた。私を見ると、彼は微笑んだ。その目元に、私はかつてのあの少年の面影を見た。「来たか」私は頷き、彼と強く抱き合った。背後で、まばゆい朝日が昇り始める。もう、私の心に陰りはない。
私は和也の手を放し、振り返った。そこには彰人と陽翔、そして杏奈がいた。杏奈は和也をちらりと見ると、その視線は彼の手首にあるヴァシュロン・コンスタンタンから、なかなか離れないようだ。やがて彼女は私に向かって言った。「沙織、私たち、あなたを必死で探したのよ。彰人は周りの友達みんなに聞き回って、まさかあなたが、こんな所で他の男の人と……」彰人は土気色の顔で言った。「沙織、やっぱり和也と一緒だったのか。よりを戻してないなんて、よく言えたもんだ」和也が、鼻で笑うように言い返した。「お前に思い出させる必要があるか?昔、お前がどうやって彼女を俺から奪ったか」彰人は息を飲み、何かを思い出したようだった。「それがどうした。彼女は俺の妻だ」「もう違うだろう。忘れたのか、お前たちは離婚したんだ。それも、お前が仕組んだ嘘で、沙織を騙して離婚させたんじゃないか」その言葉に、彰人の顔は土気色から真っ青に変わった。唇を震わせながら、どうにか弁解する。「一時的なものだ。沙織、君が騙されたことで怒ってるのは分かる。俺も陽翔も、もう反省してるんだ。今日は陽翔を連れて、君に謝りに来た」そう言って、陽翔の背中を押した。彼は唇を噛みしめながら私のそばに来て、一束のカーネーションを差し出した。「僕が馬鹿だった。ママを騙して、ごめんなさい。許してよ」陽翔は、私がお腹を痛めて産んだ子だ。血の繋がりがある以上、情はある。小さい頃は、私のために皿洗いや床掃除を進んでやってくれた。母の日には、拙い筆遣いで描いたカードをくれた。いつから変わってしまったんだろう。いつからか、彼は私に懐かなくなった。勉強のことで厳しく叱るたびに、彼は杏奈がいかに素晴らしいかを口にした。「杏奈お姉ちゃんなら、こんな風に怒らない」「杏奈お姉ちゃんなら、ポテトフライを買ってくれる」「杏奈お姉ちゃんが……」そして、ある日のこと。一度の口論で、彼は私に向かって叫んだ。その声には、強烈な不満と私への憎しみがこもっていた。「どうしてママが僕のママなの?」「どうして杏奈お姉ちゃんが僕のママじゃないの!」私は凍りついた。子供を愛する母親にとって、その言葉は、この世のどんな武器よりも鋭かった。私と陽翔は長い冷戦状態に入り、最後は彰
なのに、私は疑ってしまった。目の前で期待に満ちた目で見つめる和也を、私はまっすぐに信じることができなかった。真っ先に浮かんだのは、彼への疑いだった。彰人だって、結婚前はあんなに優しかった。でも、その後はどうだった?和也も、第二の彰人になるんじゃないか。私には、確信が持てなかった。何しろ、私にはもう、賭けに出られるような次の十年なんて残っていないのだから。「ごめん……」最後まで言い終える前に、和也が私の言葉を遮った。彼は懐から、一通の書類を取り出した。受け取って見ると、それは財産譲渡の合意書だった。そこには、もし結婚すれば、私が和也の全財産の三分の二を受け取ることが明記されていた。私は愕然として顔を上げた。「あなた、正気なの?」和也の声は震えていたが、そこには切実な響きがあった。「正気だよ。むしろ、自分が何をしているか、これ以上ないくらい分かってる。財産を分けるのは、君を縛り付けたいからじゃない。俺の覚悟を示したいんだ。俺と一緒にいてくれたら、生涯君とは別れない。でも、もし君が離婚したいと言ったら。その時は、君がこれを持って、何不自由なく暮らしていけるように」彼の言いたいことは分かった。瑠璃から、彼が今どれほどの財産と地位を持っているかは聞いていた。それを差し出すという事実が、彼の覚悟を物語っていた。「でも……」和也は言葉を続けた。「君が恋愛で深く傷ついて、もう誰も信じられなくなってるのは分かってる。だけど、沙織。俺たちは若い頃に一度すれ違った。今また、すれ違いを繰り返すのか?」その言葉に、私は黙り込んだ。目の前の和也も、もう若くはない。けれど、重ねてきた歳月を経って、彼の顔が老けないどころか、むしろ深い味わいを加えていた。そうよ。和也と別れて、こうして再会するまでに、人生の半分近くが過ぎてしまった。私がためらっている、その一瞬で。和也は素早く私の薬指に指輪をはめた。彼は立ち上がり、私に深く口づけた。そして私の手を握りしめて言った。「俺を信じてくれ。絶対に、君を幸せにする」周りの人たちから歓声が上がり、和也は私を抱きしめた。けれど、その幸せな空気を打ち破る、聞き覚えのある声が響いた。「ママ……」
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