LOGIN海外での体外受精が成功したその日、代々ひとり息子として家を継いできた御曹司の恋人・高橋颯真(たかはし そうま)が、ついに私との結婚を承諾した。 けれど、十時間かけて帰国した私を待っていたのは、会社の前で大勢の報道陣に囲まれ、秘書・藤崎寧々(ふじさき ねね)と幸せそうに結婚を発表する彼の姿だった。 秘書は婚姻届の受理証明書をカメラの前に掲げ、嬉しそうに微笑む。 「皆さま、ご安心ください。これから先は私が高橋社長をしっかり支えて、きちんと働いていただきますので」 その場にいた記者たちは私に気づくと、一斉にカメラを向けてきた。修羅場になるのを期待していたのだろう。 けれど私は、ただ微笑んで、誰よりも先に二人を祝福した。 「高橋社長と藤崎さんはまさにお似合いのお二人です。どうか末永くお幸せに暮らされ、幸せなご家庭を築いてください」 その一言に、場は騒然となった。 まさか、颯真と九年付き合ってきた恋人である私が、ここまであっさり祝福するなんて、誰も思っていなかったのだ。 私はそのまま背を向けた。すると颯真が慌てて追いかけてきて、眉をひそめながら弁解した。 「寧々は会社の海外プロジェクトのために、この半年、寝る間もなく俺と一緒に働いてきたんだ。報酬もボーナスもいらない代わりに、夢の結婚式をしてみたいって言っただけで…… それに、プロジェクトが軌道に乗ったら離婚する約束だ。そのときは必ず、お前にもっと盛大で、一生忘れられない結婚式をしてやる。お腹の中の子どものこともあるんだ。だから、頼むからわかってくれ」 私は笑みを浮かべたまま、彼の手をそっと振り払った。 どうして、私のお腹の子があなたの子だなんて思ってるの?
View More「こいつは外の人間と手を組んで、高橋家を食いものにするつもりなんだ!早く俺の役職を戻せ!そしてこいつを高橋グループから追い出せ!」母はうんざりしたように手を振った。「いいから早く、この子を外へ放り出してちょうだい」颯真が屋敷の外へ追い出された、そのちょうどときだった。智也が車から降りてきたのだ。二人が鉢合わせた瞬間、颯真は拘束を振りほどき、智也に殴りかかろうとした。けれど智也は体格でも力でも彼を上回っていた。軽くかわした次の瞬間、拳が颯真の顔面を正面からとらえ、そのまま地面へ叩き倒す。颯真は無様に倒れ込み、うめき声を漏らした。それでも、誰一人として彼に目を向けようとはしなかった。そんな小さな騒ぎなど、そのあとの団らんには何の影響もなかった。颯真の両親は、A市きっての資産家の御曹司である智也のことを以前から知っていた。彼が私に想いを寄せていると知っても、二人は私たちの仲を妨げるどころか、むしろ智也の肩を持った。「私たちは、乃愛さんにちゃんと幸せな家庭を持ってほしいの。智也さんはいい人よ。颯真なんかより、ずっと誠実で頼りになるわ。本当に一緒になるなら、私たちも安心できる。それに、陽菜ちゃんともすっかり仲がいいでしょう。家庭のことでも仕事のことでも、きっと乃愛さんの力になってくれるわ」そう言われて、智也は目に見えて顔を赤くした。私のほうを見ることもできず、ただ黙々と娘のために海老の殻をむいている。私が何も答えないでいると、娘のほうが先にしびれを切らした。小さな指で私をつつきながら、必死に言う。「ママ、パパにいいよって言ってあげて」それでも私が黙ったままだったせいで、食卓には少し気まずい空気が流れた。すると智也が慌てて場を取りなした。「結婚は人生の大事なことですから。乃愛さんが、もう少し時間をかけて考えたいと思うのは当然です」実のところ、私は智也の好意そのものを拒んでいたわけではなかった。ただ、もう一度結婚というものに踏み出す覚悟が、自分の中でまだ決まりきっていなかっただけだ。智也は思慮深く、相手との距離をきちんとわきまえる人だった。私が答えを出さないと見ると、それ以上は迫らず、自然に話題を変えた。「明後日の遊園地のチケットを二枚……いや、三枚かな。取ってあるんです。明日はゆっくり休んで
彼の母は娘をたいそう可愛がり、しょっちゅう家だの宝石だのを贈ろうとしてきた。けれど、そのたびに私がどうにか止めていた。娘が生後一か月を迎えた頃、ようやく名前も決まった。名前は朝倉陽菜(あさくら ひな)と名づけた。明るく、輝きに満ちた未来を歩んでほしい――そんな願いを込めて。高橋家の両親も、その名前を心から気に入ってくれた。陽菜が三歳になった年、私は娘を連れて国へ戻ることを決めた。二人はずっと、私が子どもを連れて帰ってくる日を心待ちにしていたらしい。本宅の三階は、ずいぶん前から私と娘のためだけの空間に作り替えられていた。帰国したその日も、高橋家の両親はまだ会社の仕事で戻っておらず、私は娘を連れてタクシーで本宅へ向かった。車に乗り込んだ途端、聞き覚えのある声がした。「行き先は……」私は思わず顔を上げた。バックミラー越しに映ったのは、颯真だった。目が合った瞬間、彼もすぐに私だと気づいた。「乃愛……!」私は何も答えなかった。すると隣の娘が、不思議そうに首をかしげる。「ママ、このおじさん、ママの知り合いなの?」颯真の視線が、私のそばでおとなしく座っている娘へ移った。その瞬間、彼の目がはっきりと輝いた。「……お前の娘か?何歳だ?」娘が素直に答える。「二歳だよ、おじさん」「二歳……!?」颯真は大きく目を見開いた。声まで震えている。「俺の娘なのか……?乃愛」私が答えるより早く、また娘が口を開いた。「おじさん、わたし、ちゃんとパパいるもん」それでも颯真は娘の言葉を信じようとせず、私だけをじっと見つめていた。自分が望む答えを、私の口から聞けるとでも思っているように。「あなたの子じゃないわ」私はきっぱり否定し、そのまま促した。「颯真、送る気がないなら、ここで降りて別の車を拾うわ」私の苛立ちを察したのか、颯真はそれ以上何も言わなかった。黙って車を走らせ、そのまま本宅まで送ってきた。けれど着いても、彼はなかなかその場を離れようとしなかった。「自分の親に会いに来るくらい、別に構わないだろ」私は相手にせず、娘の手を引いて中へ入った。すでに二人は会社から戻っていて、娘の姿を見るなり、二人そろって腕を広げた。抱き上げては頬ずりし、代わる代わる甘やかしてい
十日後、彼の母が自ら私をドイツまで送り届けてくれた。向こうでの暮らしの手配をひとつ残らず整えたあと、母は名残惜しそうに帰国していった。ドイツでの日々は、久しぶりに穏やかだった。毎日やることといえば、リハビリに励み、あとはドラマを観ること。それから、彼の母が逐一知らせてくれる、颯真と寧々の揉め事を聞くことくらいだった。そんなある日、彼の母から弾んだ声のメッセージが届いた。「乃愛さん、すごい知らせがあるの!颯真と藤崎さんが完全に仲たがいして、国内のニュースのトップにまで上がってるのよ。早く見てごらんなさい!」私はそのままSNSを開いた。すると確かに、一番上に颯真と寧々の名前が並んでいた。開いてみると、最初に表示されたのは、寧々が投稿した長文だった。画面を何度も送らなければ読み切れないほどの分量で、内容はどれも、颯真に捨てられたこと、結婚中に暴力を振るわれたこと、さらには金銭まで要求されたことへの告発だった。そこには、彼女が殴られたとされる写真まで何枚か添えられていた。床に倒れ込んだ寧々の目元は青く腫れ、唇には血がにじんでいる。見るからに痛々しく、ひどく哀れに映る写真だった。そのせいで、世間の同情は一気に彼女へ傾いた。ネット上では颯真と高橋グループへの批判が噴き上がり、さらにはグループ傘下の商品を自発的に買わない動きまで広がっていった。それを知った彼の父は、その夜のうちにグループの公式アカウントを通じて声明を出した。そこには、三か月も前の時点で、すでに颯真を経営から完全に切り離していたことが明記されていた。いま高橋グループと颯真をつなぐものは、名字に同じ「高橋」の字があることだけだ。それを見た颯真は、怒りのあまり倒れそうになったらしい。あのとき本宅で両親と決裂して以来、彼は高橋グループから完全に追い出されただけではなく、職務上の不正まで疑われ、両親から訴えられていた。そのうえ、持っていたカードもすべて凍結されていたという。金がなくなった彼が次に目をつけたのは、以前、自分が寧々に買い与えた宝石や家だった。もともと寧々には、彼の子を妊娠したと偽って結婚へ持ち込んだという負い目がある。そのことがどうしても許せなかった颯真は、離婚して贈った物も取り戻そうと考えたらしい。だが、いくら言っても寧々は首を縦
「このろくでなしが、うちの娘をいじめるんじゃない!」「何がうちの娘だよ!乃愛がいつ、娘になったんだ!」父の口から娘という言葉が出た瞬間、颯真は力ずくで二人の手を振りほどき、目を血走らせたままこちらへ詰め寄ってきた。まるで正気を失ったようなその様子に、両親は即座に動いた。一人は私の前に立ちはだかり、もう一人は私を抱き寄せて庇う。「あんたが藤崎さんをかばって、会社のアカウントまで使って世間に口を慎めと圧力をかけたくせに、その一方で乃愛さんに対する誹謗中傷は放置していた、あの日からよ!私たちはもともと乃愛さんのことが大好きだったの。あんたが乃愛さんと結婚してくれたら、この先ずっと本当の娘のように大事にしていけると思っていた。なのにあんたは、藤崎さんのために乃愛さんを手放した。私たちは、あんたのせいでこんなにいい子を失いたくなかったのよ。だから乃愛さんを娘として迎えたの!」あの日、彼の母は病院で意識を取り戻すなり、私を娘にしたいと言い出した。最初は断るつもりだった。けれど、両親を早くに亡くした私にとって、この数年、高橋家の両親がどれほどよくしてくれたかを思えば、簡単には断れなかった。いつも私を気にかけて、守ってくれて、颯真と口論になれば必ず私の側に立ってくれた。そんな二人の気持ちを思うと、私は真剣に考えようと思った。数日悩んだ末、私は最終的にその申し出を受け入れた。当初、二人は颯真の持っている株まで私に譲ると言ったけれど、それは断った。私が二人を親として受け入れようと思ったのは、財産目当てではなかったからだ。私が考えていたのは、何よりお腹の子のことだった。あれほど苦しい思いをして、ようやく授かった命だ。生まれてから先、彼を相手にごたごたを抱えるくらいなら、別の形でも高橋家とのつながりを持たせておいたほうがいい。そのほうが、この子にとってもよほど確かな支えになると思ったのだ。けれど私がいくら固辞しても、両親は諦めなかった。結局、いくつもの不動産を私名義に変更してくれた。それでもなお、私に黙ってかなりの株式まで譲渡していたのだから、さすがにそこまでは予想していなかった。事故のあと、二人は颯真が寧々のために私を見殺しにしたようなものだと知り、怒りを抑えきれなくなった。それでついに、社長の座から引きずり下ろした