FAZER LOGIN前に、麻美が車で立ち去る際、美穗と病院で交わした会話の録音をネットに流した。当初はその録音も大して話題にならなかった。麻美のSNSアカウントはフォロワーが少なく、宣伝に金をかけていなかったからだ。しかし、夏美がそのアカウントをフォローしていたことが、事態を動かした。知っての通り、夏美は美穗を心底憎んでいる。自分の手で引きずり降ろしたいほど、憎悪は深かった。美穗の決定的な弱みを握った以上、この好機を見逃すはずがなかった。夏美は膨大な資金を投入し、その録音をネット中で拡散した。録音は瞬く間に大炎上し、一夜で数千万回再生を記録した。渉がすぐに気づいていれば金を払って火消しもできたのだが、彼は麻美の行方を追うのに必死で、ネットのニュースなど目に入っていなかった。噂は収まるどころか急速で広がり、数千億もの再生数に達した。杉本グループの株価にまで悪影響が出始めたほどだ。史緒は激怒し、血眼になって渉を捜し回ったが、影も形も掴めない。当時、渉は車に乗って、月面探索プロジェクトの基地にまで遠征していたからだ。仕方なく、史緒は自ら動かざるを得なかった。グループの力を総動員して、ネット上の批判記事を一つ残らず削除させたのだ。それでも「杉本社長が愛人のために実子を殺した」という悪評は、もはや誰もが知る公然の事実となっていた。ここまで噂が広がれば、いくら史緒でも渉を庇い続けることは不可能だった。「渉、何度も警告したはずだ。美穗なんて愚か者に関われば身を滅ぼすと」史緒は冷たく告げた。「あいつの流した噂のせいで、お前の社会的信用は地に落ちた。今更どんな釈明を並べようが、誰も信じないぞ。杉本グループを守るためには、お前を社長の座から退かざるを得ない。今日から経営は弟の翔平(しょうへい)が引き継ぐ。お前は裏方に徹しろ」渉は怒りで気が狂いそうだった。美穗と手を切ろうと考えていた矢先に、まさか美穂の方から裏切られるとは思いもしなかったのだ。この一撃で、渉はすべてを失った。名声も、次期当主としての立場も、全て消え失せた。怒りが頂点に達した渉は、鉄の棒を片手に、監禁室の美穗のもとへと向かった。半死状態の重傷を負わせ、両目を潰し、両手も使い物にならなくした。最後に美穗を僻地の村へと売り払い、見知らぬ男の所有物として送ったのだ。
言いたいことは全部言った。麻美は、もう渉と言い争う気力もなかった。彼女は冷たく言い放つ。「渉、結婚して5年。私は妻としての義務をすべて果たしたわ。あなたに負い目なんて一つもない。だから、今すぐ出て行って。二度と私の前に顔を見せないで」渉には、麻美に許しを請う資格などもうないことは分かっていた。それでも諦めきれない。これまで心から愛したのは二人だけ。自分が作り上げた理想像の美穗、そして麻美だった。理想像としての美穗など最初から存在しないが、麻美は今もそこにいる。諦められるはずがなかった。「麻美、嫌われてるのは承知の上だ。でも、もう追い詰められてどうしようもないんだ。嫌いたいなら嫌えばいい」渉は歯を食いしばりながら言った。「お前が側にいてくれるなら、嫌われてたって構わない」そう言いながら、渉はスマホを取り出し、ある一枚の写真を麻美に見せた。その写真を見た瞬間、麻美は凍りついた。それは、聡の墓石の写真だった。麻美が我に返る間もなく、渉は詰め寄り、二人しか聞こえない距離でささやいた。「麻美、猶予は3日だ。上層部に月面探索プロジェクトから脱退するよう申請しろ。さもなくば、聡の墓を壊してやる。死してなお、安らかに眠らせはしない」麻美は怒りで瞳が裂けんばかりだった。「渉、あなた人間なの?聡はあなたの血を分けた子供でしょ!」「人間じゃなくなってもお前が戻ってくるなら、それでいい」渉は自嘲気味に笑った。「頼む、もう一度チャンスをくれ。お前がいないと、俺は本当におかしくなりそうなんだ」そう言い捨て、渉は麻美にそっと口づけをしてから、微笑んで体を離した。「司令官、基地の見学は終了しました、外まで送ってください。安心してください、約束した資金も期限通りに寄付します。国の建設を支援するためですから」その後、渉は基地を後にした。彼は晴れやかな表情で去っていったが、一方で麻美は3日間、一睡もできなかった。死んでも杉本家になんて戻りたくない。でも、聡がまだそこにいる……幼くして逝ってしまった我が子に対し、母親としてずっと申し訳なさを感じてきた。そんな麻美が、聡の遺骨が汚されるのを黙って見ていられるはずがない。悩み抜いた末の3日間を経て、結局、退職願を出した。上層部が認めるはずがない。国家レベルの極秘プロジェ
その瞬間、渉の心はまるで引き裂かれるように痛んだ。麻美の言う通りだ。渉は心のどこかで、美穗のことを少し見下していた。自分は天才として育った。知能が高く、才能にも恵まれている。3歳で7か国語を学び始め、10歳で杉本グループの小さな案件を任されるほどだった。人並み外れたスタートを切り、どんな本でも一度読めば覚え、何事も容易に習得してきた。それに比べると美穗はまるで知能が遅れているかのようで、何一つとして身につかなかった。幼い頃の渉は、美穗を疎ましくさえ思っていた。彼女は本当に愚かだった。3歳になっても10まで数えるのが精一杯で、詩の暗唱もできなければ、外国語も話せない。渉は何度も思ったものだ。「この出来損ないが、本当に自分の妹なのか?」と。嫌ってはいたが、やはり妹だ。それに、美穗は幼い頃からずっと自分にべったりで、次第に渉もその愚かな妹の存在に慣れていった。美穗の世界はとても単純で、おいしいお菓子と大好きな兄しかなかったのだ。人の複雑さにうんざりしていた渉は、ふと思った。このおバカな妹こそ、この世で最もかけがえのない宝物ではないか、と。だが、神様は残酷だ。渉が妹の愚かさを完全に受け入れた矢先、夏美がDNA鑑定書を持って現れたのだ。あの出来損ないの妹が、自分とは血の繋がりがない他人だったなんて。「うう、お兄ちゃん、どうしよう。私、お兄ちゃんの妹じゃなかった」美穗が目を赤くして泣き崩れる。その助けを求める姿を見て、渉は抑えがたい庇護欲を覚えた。その瞬間から、渉の美穗への感情は完全に変質した。幼い頃から守り抜いてきた妹だ。美穗は自分のものだ。どうしても手に入れたい。強い執着心。しかし、誇り高い自分は認めたくなかった。美穗のような愚かで何の役にも立たない女に、自分が恋をしているだなんて。これほど優秀な自分には、麻美のような知性的な女性こそがお似合いであり、それこそが世間でいう才色兼備だと考えていたからだ。それに、美穗は妹だ。血縁こそなくても18年間同じ家で暮らしてきたのだ。妹同然に接してきた美穗を、愛するなんてできるはずがない。禁断の感情。その葛藤が、渉に「自分は美穗に恋をしていない」と言い聞かせ続けていた。だから頑なにそれを兄妹愛だと言い張り、ひたすら美穗を甘やかした。「ただ妹を大切にしているだけだ。愛情では
動画が流れると、周りは瞬時に騒然となった。「本当に浮気してたんですか?さっきの真面目な顔、全部本当の話かと思ってました」「私も。ずっと谷口博士の方が勘違いしてるのかと思ってました。まさかあの深い告白まで演技だったなんて……本当にただのクズ男ですね!」「ちょっと整理を……その美穗って人は杉本社長の義理の妹でしょう?それなのに……信じられなません。最低じゃないですか?」「要するにね、血の繋がっていない相手を妹扱いする男なんて信じちゃだめってことですよ。『妹』なんて都合のいい言い訳は、浮気相手を隠すための常套句なんですから」さっきまで「許してあげて」と騒いでいた連中は、掌を返したように渉へのバッシングを始めた。その動画を見た瞬間、渉の表情は凍りついた。「どこでこれを手に入れた?」渉は怒りに震えながら怒鳴った。「麻美、誰かを雇って俺を尾行させたのか?」それを受けて、麻美は冷ややかな笑みを浮かべた。「勘違いしないで。以前の私はあなたを愛していたけど、ストーカーするほどの狂気はなかったわ。これは1ヶ月前、美穗本人が私に送りつけてきた動画よ」渉は言葉を失い、思考が止まった。麻美が俺を騙し離婚届にサインをさせたのは、ちょうど1ヶ月前のことだった。「それじゃあ、その動画を見て、離婚を決意したのか?」渉はかすれる声で尋ねた。「それだけじゃないわ」麻美は穏やかな声で答えた。「実は随分前から離婚したいと思ってた。でも気持ちの整理がつかなくて……この動画を見た時、やっと決心したの。たぶん、それが美穗の狙いだったんでしょね。私が潔癖症で、男女の営みに関しては妥協できないことを知っていたから、動画を見せつけて追い出そうとしたのよ。一番の皮肉はね、その頃には私はもうあなたの元を去る決意ができていたのに、準備が終わるまで1ヶ月かかるということ。美穗は私がなかなか消えないから、刺激が足りないと思ったみたい。それでエスカレートしたの……そして、1週間前、わざと聡を連れて海に行って、死に追いやったのよ」渉は息を呑んだ。麻美の言葉を聞いて、自分の中に毒蛇が這い入ってきたような戦慄を覚えた。その毒蛇とは、他でもない美穗のことだ。美穗はただ、純粋でか弱く、自分がいなければ何もできない……そんな小動物のような女だと思っていた。一切の危害を加える力など
赤い心型のベルベットのケースが弾け飛び、騒いでいた人々は一瞬にして静まり返った。そして片膝をついた渉は、あっけにとられて言葉を失った。今の麻美の発言は何だ?よりを戻すくらいなら死んだほうがましだと、そう言ったのか?「麻美、意地を張るにもほどがあるぞ」渉の顔色が曇る。「以前は俺が悪かったと謝罪したはずだ。お前に会うためだけに何兆円もの投資までしたんだぞ。会ってすぐに謝り、許してもらおうと必死になって、プロポーズまでしたのに……できることは全部やった。これ以上俺に何を望むんだ?」渉はエリートとして育った。子供の頃からチヤホヤされ、周りには何でもイエスと言う者ばかり。一度も誰かに謝罪などしたことがない人生だった。それなのに麻美を取り戻すために金を使い、へりくだり、必死に頭まで下げた。十分誠意を見せたはずなのに、なぜまだ許されないのかと納得がいかなかった。そんな渉の内心を読み取った麻美は、問い返した。「渉、謝ったからといって、どうして私が許さなきゃならないの?もし誰かを刺して、『ごめんね』と軽々しく言えば、刺された事実がなかったことになるわけ?」「麻美、そんな理屈は聞きたくない」渉はいらだたしげに言った。「以前欠けていたものは、これから全部埋め合わせていく。なぜそれを信じられないんだ?」麻美は渉を冷ややかな目で見下した。「それはあなたが今も、真実を言っていないからよ。渉、美穗とは妹としてしか見ていないって言葉、自分で信じているの?結婚した5年間の間、あなたたちが私の目の前で何をしていたか思い出させようか?私たちがお付き合いしていた時、美穗が実家にいられなくなって、あなたがかわいそうだと家に連れてきた。当時の私は、本当に妹として大切にしているだけだと信じて気にしなかった。でも、あなたは私のその信頼にどう応えたの?結婚した晩、私を置いて美穗の部屋に行き、雷が怖いと言った彼女を抱いて一晩中寄り添っていたわよね。その晩から美穗は、ホラー映画が怖い、悪夢を見たなどと言ってしょっちゅうあなたの部屋に通うようになった……しまいには理由すら言わず、一緒に寝たいと言うようになったわ。その時、あなたは美穗に何と言ったの?本来なら、自分の部屋に戻って寝なさいと叱るべきでしょ。それなのにあなたはため息をついて、『全く、お前は仕方が
麻美の言葉は、まるで鋭い刃のように、渉の心に深く突き刺さった。渉は息をするのさえ苦しくなった。反論したかったが、麻美が言うことはすべて事実だったからだ。交際から結婚まで、ずっと麻美が陰で自分を愛し、支えてくれていた。それなのに自分はどうだったか?聡を守ることもできず、麻美を守ることさえできなかった。それなのに自分は、嘘つきの美穗を守ることに必死だった。「麻美、分かっている。以前の俺が間違っていた」渉は後悔に打ちのめされながら言った。「でも誓うよ。美穗との間にあったのは兄妹のような情だけだ。手を出したこともなければ、それ以上の関係になったこともない。美穗の言いなりになっていたんだ。ずっと幼い頃から彼女を守ることが俺の習性になっていた。たとえ血のつながりがなくなったとしても、その癖を変えることができなかったんだ。美穗にいいように利用されて、一歩間違えたことで、何もかもがおかしくなってしまった」そこで渉は言葉を詰まらせた。その表情はこれ以上ないほど苦しそうだった。麻美は、その苦しみが本物であると理解した。だが、同情心は微塵も湧かなかった。すべて自業自得だ。同情に値する要素など、一つもない。「だが、麻美。美穗の本性には気づいた。二度とあいつの言葉には惑わされない」渉は麻美の冷淡な視線に気づいたのだろう。焦ったように麻美の手を掴み、情熱的に思いを打ち明けた。「今日から心の中にはお前しかいない。これからは、お前のことだけを大切にする。だからお願いだ。もう一度チャンスをくれないか?今度こそ、理想の夫になる」そう言って、渉は大勢が見ている前で麻美の手にキスし、片膝をついた。それは、プロポーズのようだった。渉は胸のポケットから、真っ赤なハート形のケースを取り出した。中では、ブルーダイヤが静かに光っていた。復縁するのなら、セレモニーは必要だ。今度こそ、麻美に悲しい思いはさせない。「麻美、また俺とやり直してくれるか?」渉はまっすぐに麻美を見つめて告白した。「命をかけて守ると誓うよ」渉がロマンチックな演出に長けていることは否めない。前妻に対して跪いて復縁を求めるこの光景は、初婚の時よりもドラマチックだ。その場にいた人々は感動で涙ぐんでいた。「谷口博士、どうか受け入れてあげてくださいよ!悪い男でも改心すれば、何者