LOGIN夜が明けきらない空の下、王都の外れに馬車だけが置き去りにされていた。
御者台には誰もいない。戸板は開いたまま、冷たい風が布張りの座席を撫でていく。石の街道に靴底を下ろすと、薄霧が足首のあたりでほどけた。 (ゲームでは、ここで“死亡エンド”だった。 けれど私は、終わらせない) 門の方を振り返らない。振り返れば、きっと弱くなる。 街道は北へ延び、畑はまだ眠っている。鳥の声はなく、遠くで誰かが薪を割る音が一度だけした。私はフードをかぶり、歩き出す。靴音だけが、世界の音になった。 やがて、雨が落ちてきた。最初の一滴は不意打ちだったが、すぐに粒が増え、薄墨色の朝を細かく刺す。私は並木の一本、太い根の陰に身を寄せる。濡れた樹皮の匂い。指先がかじかむ。胸の内のどこかが、遅れてきしんだ。 (泣く相手は選ぶものよ――そう言ったくせに、私は、誰のために泣いたの?) 父の横顔が脳裏に差し込む。灰色の瞳は泳ぎ、沈黙は石のように重かった。 印章を押す手――あのとき、確かに震えていた。 家を守るために娘を切る、その理屈が正しいと信じたい父の手が。 それでも、紙は濡れず、判は俯く私の最後を押し固めた。 (責めない。責めない代わりに、二度と頼らない) 雨脚が強くなる。裾が冷え、その冷えが骨に入る。 視界が少し滲んだ。涙か、雨か、自分でも判然としない。 私は膝を抱えて座り込み、額を腕に預けた。 前世の断片が、雨粒の間に割って入る。 ――長机の上には、案件のファイルが積み上がっていた。 「今回はエリカさんの落ち度ということで。みんなのために、ね」 笑っている上司。 私は笑って頷いた。皆が助かるなら、と。 夜の社内で、蛍光灯の音だけが響いていた。 帰り道、コンビニのガラスに映った顔は、知らない人みたいに白かった。 (あの頃と同じ。逃げたくても逃げられない“役割”。 ――なら、私が役を選ぶ) 私はゆっくり立ち上がった。濡れたドレスが重い。けれど足は、もう前を向いている。 呼吸を整えて、ひとつ吐く。 「逃げない。もう、逃げる物語なんて要らない」 雨は少し弱まった。枝葉から雫が落ちる音が規則正しく続く。 その規則に、ふい、と異物が混ざった。 からん。 鈴のような、金属でも氷でもない、澄んだ音が、遠くで一度だけ鳴った。 顔を上げる。霧が濃い。並木の向こう、見慣れた田畑の輪郭が薄紙の向こう側みたいにぼやける。 (今の、なに?) 耳を澄ます。雨音、呼吸、心拍――そして。 からん、からん。 今度は二度。一定の間を置いて、霧の奥から、こちらをたしかめるように。 私は並木を抜け、畔道に足を踏み入れた。泥が靴底に粘り、冷たさが踵に上がってくる。 それでも歩く。 道の先の霧が、内側から微かに明るい。 光の粒が浮いている。蝶の形を真似たような、けれど羽ばたかず、呼吸するみたいに膨らんでは縮む光。 一ひらがこちらへ漂い、私の足元すぐで、淡く弾けた。 足跡のわきに、小さな光の水溜まり。そこだけ雨が優しかった。 「……誰?」 声が霧に吸い込まれ、返事は来ない。代わりに、耳の近くで風が揺れる。 風は寒くない。頬に当たった瞬間、緊張がほどける種類の温度。 囁きがそこに乗った。 ――こちらへ。 女でも男でもない声。 命令でも救済でもなく、招く響き。 私は片手でフードを押さえ、もう一度周囲を見回した。 畑の奥、立て札が朽ちている。古い黒塗りの文字が、雨に滲みながら読めた。 《禁域 北の境 立入るなかれ》 (禁域の森。ゲームのルートでは、ここに足を踏み入れた者は戻らない。 戻らないほうが、王都にとって都合が良いから) 足の泥が重く、心は不思議と軽い。 私は右足を一歩、掲げる。雨粒が睫毛から滑ちる。 (誰もいないなら、私が歩く。 誰も許さないなら、私が守る) 口に出すと、言葉は思っていたよりも暖かかった。 喉の奥の冷たい塊が、少し溶ける。 「誰もいないなら、私が歩く。誰も許さないなら、私が守る」 光の粒が増えた。足元から道が描かれていく。 草についた露が線になる。霧が左右へ分かれ、木々の影が奥へ奥へと繋がる。 薄暗いのに、怖くない。 呼ばれているのだと、無根拠にわかる。 歩み出すと、靴裏の泥がはがれ、土が柔らかく沈んだ。 背中の雨が薄くなっていく。枝葉の上で最後の雫が震え、落ちる前に光に変わった。 空気が変わる。湿った石の匂いから、白い樹液の甘さへ。 遠くで、また鈴が鳴る。今度は三度。合図みたいに。 私は一度だけ立ち止まり、王都の方角を振り返る。霧が景色を隠し、何も見えない。 だから目を前に戻す。 (ここからだ。私の物語は、ここから始まる) 指先はまだ震えている。泥は落ちきらず、裾は重い。 それでも、笑えた。 ――そして私は、物語の外へ歩き出した。聖具庫は静かだった。金具は冷たく、紐は乾いている。割れた鈴は、鳴らないまま、低く脈を打つ。「高さ、このまま」リオンが紐を指の腹で支える。結び目は動かさない。棚の瓶の水面が、半拍遅れて落ち着く。ルシフェルは鈴片の接ぎ目を目だけで追った。胸に手は置かない。呼吸は一定だ。扉の内側で、二人の息がそろう。木目の温度が、指の腹に移る。「……保て」ルシフェルが短く言う。声を強くしない。喉の力を上げずに、場を支える。外の空気は薄い。輪の唸りは遠くに下がって、草の先で止まる。「聞こえる?」私は扉に額を寄せず、口形と息だけで落とす。舌先を湿らせて、音を乗せない。脈が、わずかに返事をした。耳ではなく、指先でわかるくらいの強さ。「……エリカ」内から私の名が落ちる。ためらいはない。息がぶつからない。「うん。ここにいるよ」私は小さく答える。声は立てない。それでも、届く。棚の瓶の皺が一つ消えた。逆鐘は鳴らずに、脈だけを刻む。「名で行こう」リオンが紐を持ち替え、顎で合図する。紐は引かない。支えるだけ。私は喉を使わず、唇の形だけで置く。「ルシフェル」扉の木目が、指先で温かい。間を半拍だけ置いて、内側の声が返る。「……ここに」壁の灯が一つ、白く点いた。小さく、一定。すぐ揺れをやめる。同時に、輪の縁の圧がひと目盛りだけ下がった。私は息を吸い直す。深くは吸わない。肩で止める。「もう一度」間を短くして促す。「エリカ」今度はまっすぐに来る。怖さは混じらない。輪の縁が薄くしぼみ、靴裏のぐらつきが消えた。前のめりの重心が、自然に後ろへ戻る。外の列で、肩が連鎖的に落ちる。柄から指が外れ、戻らない。「隊長、どうします」兵の声は上がらない。距離を崩さず、息だけ問う。「上げない。耳、休めて」ミレイユの声は柔らかい。顔は見せない。剣に手は行かない。「命令は進攻で」「だから、休めるうちに。倒れる前に下がるの」短く、そこで止める。列の重心が、わずかに後ろへ下がった。扉は静かに立っている。私は掌を木目から外さず、熱を確かめる。「前、見て。半拍、落として」内側からリオンの合図。紐はそのまま。圧は上げない。私は名をもう一度、口形で置く。「ルシフェル」「ここに」内側の呼気は乱れな
聖具庫の前はひんやりしていた。金具は指の腹で冷たい。紐は乾いていて、少しざらつく。割れた鈴は、口を閉じたまま黙っている。「ここで合わせよう」リオンが棚の奥から薄い紙を抜いた。角が擦れて、文字はところどころ薄い。“逆”の字だけが、はっきり残っていた。「鳴らすんじゃない」ルシフェルは目を細める。扉の向こうの息が整うのを待って、短く続けた。「黙ってるほうを……揺らす」「うん。じゃあ、俺が紐。君は欠片を」リオンが結び目を一度ほどき、指で撫でて柔らかさを戻す。紐のきしみが小さく逃げる。私は鈴の欠片をそっと持ち上げた。重さはあるのに、冷えは薄い。「待て」ルシフェルの指が私の手首に触れる。脈は乱れていない、という合図。私は顎だけで返す。回廊の灯は二つのまま。聖具庫の奥には古い布と瓶。赤い果実の匂いが、どこかにまだ残っている。「向き、合う?」リオンが言う。私は欠片の縁を、元の鈴の割れ目に並べる。ぴたり、とまではいかない。それでも、口が閉じた形に近づく。「今」ルシフェルの声は短い。三人の呼気が、同じ高さに落ちる。リオンが紐をわずかに引く。私は欠片を、重ねるだけで押さえない。鳴らない。ただ、耳の奥の圧が少しほどけた。棚の瓶の中で水が静かに落ち着く。金具の冷えが、痛くない。「来てる」リオンが低く言う。私はうなずかない。目で受け取る。ルシフェルは鈴から視線を外さず、呼気を浅く切り替えた。「もう一度、合わせる」リオンが合図する。私は欠片の角をほんの少しだけずらす。紐は引かない。維持する。保ったまま、次の呼気まで耐える。空気が一枚、軽くなった。輪の縁に目に見えない段差ができ、息がそこをまたいで流れた。誰も声を出さない。それでも、聖堂全体が小さく息を返した気配だけがある。「道、できた」ルシフェルの目が細くなる。痛みは来ない。彼の肩が、半分だけ落ちる。扉のほうで、木目が静かに温かい。叩かない扉は、そのまま立っている。リオンは掌を一度だけ開閉して、指先の血の通いを確かめた。外は輪の唸り。押し出す音はないのに、言葉は剥がされていく。それでも、今はわずかに通り道がある。「ねえ」私は扉へ近づかず、呼気だけ揃える。「大きな声はいらないよ。ここで、息を合わせよう」外にいる私は、唇を
扉は叩かない。木目は静かに温かい。金具は指先で冷たい。「無事……で、よかった」リオンが低く言う。息は短く区切られている。「そっちこそ。鎧、重くない?」私は笑いに寄せる。声を上げすぎない。ルシフェルは扉の縁に目を置いたまま、私の手首へ指を乗せる。脈は落ち着いている。彼は視線だけで合図した。「離れるな」「離れない。……今は」一瞬だけ、肩が触れた。抱きしめるほどではない。それでも体温は渡る。外気がわずかに揺れて、草の先が伏せた。封声の輪は門の前で薄く唸り、音を剥いでいく。息の音さえ、すぐに浅くなる。「輪を、半歩だけ下げて」リオンが顎で示す。兵の肩が一段下がる。輪は土の上で小さく軋み、位置を譲った。場が整う。誰も座らないのに、席ができた。扉は真ん中に、息の通り道のように立っている。「ねえ……誰も傷つけないで」私は扉の木目を見たまま言う。言い切らずに止める。「私が出るから。……静かに来て」輪の縁から、柔らかい声が届く。姿は見えない。距離は守られている。「声は止めるだけ。痛くしない」女の声だ。落ち着いていて、急がない。「それが一番、痛い時もある」リオンが低く返す。目は前だけを見ている。ルシフェルの指が脈を一度押す。軽い強さだ。止めというより、合図。「待て」私はうなずかない。目で答える。胸の奥で息を折りたたむ。輪の内側で、兵の誰かが柄へ指をかけた。金具がかすかに鳴る。前へ出る筋肉の動きが、空気に混じった。リオンが顎をわずかに落とし、視線だけで前を切る。半拍、落ちる。指が柄から離れる。肩の力が流れた。足音は生まれない。土は柔らかく受ける準備だけをしている。「叩かなくていいよ」私は扉に額を寄せないまま言う。「ここで、呼吸を合わせよう」「壊す前に、読む」輪の向こうで女が小さく言った。紙片を揃えるような、平らな音が一つだけ続く。剣に手は行かない。赤い果実の匂いが、扉の陰でまだ薄く残っている。昨日の灯が、空気の奥で冷めないまま座っている感じ。私は舌の奥で甘さを探さない。「私が行く。……すぐ戻る」「約束」ルシフェルが目を逸らさず言う。手首の脈に触れた指は離れない。「うん。嘘じゃない」扉の木目は温かいまま。輪は半歩後ろで薄く唸り、息を剥いでいる。空
井戸の縁まで戻った。冷えは薄い。手のひらの温度で、石が静かに落ち着く。「言葉、置いていくね。……願いだけ」私が囁くと、ルシフェルは頷き、脈に触れた。指先が軽い。落ち着いてる、という合図だけが伝わる。小さな机から赤い果実を一つとる。爪で浅く入れて、半分に割る。においは甘いのに、喉は乾かない。「半分だけ、落とす」「待て。戻れない感触が来たら、すぐ手を」「うん」片割れを、井戸の面にそっと触れさせる。落ちる音はしない。吸われる。面が、息をひとつだけしたみたいに薄く動いた。赤が灯に変わる。井戸の底から、細い帯が立ち上がる。天の穴へ向かって伸びる。音はないのに、胸の奥が少しあたたかい。「……行った、と思う」「脈、問題ない。ここで止める」彼は果実のもう半分を私の手の中に戻させ、井戸から半歩離した。帯は途切れない。薄く、上へだけ進む。床のひびが静かに呼吸している。私は深く吸わない。肩の高さで止める。「ことば、いらなかったね」「今は、そのほうがいい」天窓の向こうで、細い光が一度だけ瞬(まばた)きをした。街の夕方は、ちょうど灯が入るころだった。露店の上の角灯が揃って、ごく短く明滅する。誰も理由を言わない。けれど、顔が上がる。「今、光……」子どもの声に、親の手が止まる。「風かも。……でも、きれい」笑い声が小さくこぼれて、すぐ戻る。通りはいつもどおりなのに、目の奥だけが明るい。森の縁では、封声の輪の下で列が息を合わせていた。輪は音を剥がし続けている。それでも、空のほうから細い帯が降りてきて、重なりの間に狭い道を作る。「前を見て。半拍、落として」リオンは顎で合図し、目で数える。先頭の兵の足が石に噛んで、膝がわずかに揺れた。握っていた柄が、すべり落ちる。肩の力が抜ける。「今なら……」看視役の騎士が、誰にも聞こえないくらいの声で言う。リオンは目だけで返す。「借りる。戻す時は静かに」輪の内側で、光の細い帯が道になる。音のない道。誰も喋らないのに、進む場所だけがはっきりする。廃聖堂の井戸は、まだ薄く灯っていた。赤い帯は、呼吸に合わせてわずかにゆれるだけで、荒れない。「もう一度は、しない」「うん。半分で十分」果実の片割れは机に戻した。皿が小さく鳴る。私は手のひらを見た。果汁はすでに乾き始めていて、匂いだけが
回廊は冷えていた。壁は浅く磨り減って、指でなぞると粉の匂いがした。床に落ちる息が、静かに戻ってくる。「少し、歩こ。……触るだけで、何か起きる気がする」私が言うと、ルシフェルは短くうなずいた。視線だけを先にやって、足はゆっくり。壁の刻印は、羽と蔓と、雨の滴みたいな小さな線。私は羽に指を置く。ほんのわずかに、空気が揺れる。泡が、ひとつだけ、遠くで割れる音がした気がした。「呼んでみるね。……短く」「待て。脈、速い」手首を取られて、息をひとつ整える。私は目で合図した。「だいじょうぶ。今は」「半歩、離れて」言われたとおりに下がる。壁の冷たさが、指先から少し抜けた。「……じゃあ、呼ぶよ」「来い、じゃない。名を」「うん」私は正面を見て、息の端だけを残す。「ルシフェル」彼は目だけでこちらを見た。喉が動く。声は小さいのに、よく届いた。「ここに」回廊の灯が一つ、やわらかく立った。胸の圧が、指一本ぶんだけほどける。「今の、いいね」「増やさない。二語まで」彼は視線で釘を打つみたいに合図した。私は肩を落として、笑うだけにした。回廊の角に、小さな机があった。赤い果実が一つ、皿の上に静かに置かれている。触らない。見ているだけで、落ち着いた。「まだ、呼ぶ?」「……一度だけ。返事までで止めよ」私はうなずく。手首の脈を、彼の指が軽く押さえた。速くない。たぶん、大丈夫。「ルシフェル」「いる」二つ目の灯がついた。明るいわけじゃない。でも、足の力が、少し戻る。「……この感じ、覚えとく」「忘れないうちに、止める」彼は聖具庫のほうへ目線を送った。割れた鈴が、棚の上にそのままある。触れない。今はそれでいい。回廊の奥に、風が一度だけ通った。私たちは同時に息を吸って、そして離した。灯は二つのまま、揺れない。外の空気は、樹の匂いが濃い。森の縁を、封声の輪を掲げた隊列がゆっくり進む。金具は鳴らないのに、足音だけが地面に吸い込まれていく。「見る。前だけ。……半拍、落として」リオンが列の先に目をやり、顎で小さく合図した。先頭の兵の足が石に噛んで、膝がわずかに揺れた。若い兵が一度だけ息を詰め、柄から指を離す。歩調が、ほんの半拍だけ遅れる。列の端で握られた柄が離れ、肩の力がほどけた。「はい」輪が空気を
門の向こうは、思ったより暗くなかった。石の匂い。苔の湿り。床のひびから、淡い明かりがにじむ。「ここ、静かすぎて……息の音が大きいね」私が言うと、ルシフェルは壁に手を当てた。爪でひっかいたみたいな痕に、指をそっと重ねる。「……ここ、前にも」「思い出せそう?」「まだ」彼は首を振らず、ただ瞬きを一度。指先だけが、覚えているみたいに止まった。「無理は、しないで。ね」歩くたび、靴の裏がやわらかく鳴る。聖堂の中央に、浅い窪み。井戸みたいに丸い縁。私は縁に膝をつき、そっと覗いた。暗くない。音でもない。――小さな泡がぽつぽつ上がって、消える。「音じゃなくて……泡、みたい」ルシフェルも覗く。息が、わずかに浅くなる。縁に刻まれた古い“羽”の印へ、彼の指が吸い寄せられる。ぴたり、と重なる。「……眠れない、子……」「え?」「夜、寒い。胸、速い。——怖い。って」「昨夜の人たちと、同じ……」「これ、聞きすぎると、こっちが沈むね」「……だから、“待て”」井戸の面に、薄い赤が立った。赤い実の光と似ている。熱はないのに、胸があたたかくなる。「ねえ、これ、“祈り”じゃない。もっと、息に近い」「……吐いて、落ちる。誰かの中から」「うん。命令の言葉じゃない。お願いの……できそこない、みたいな」彼は小さく息を吐き、羽の刻印から指を離した。指の先だけ、まだ何かを掴んでいるみたいに震えている。「休む?」「大丈夫。——じゃ、ないか。……平気に“する”」「それ、逆。ちょっと座ろ」私は自分の外套を折って縁に敷いた。彼は素直に腰を下ろし、肩を壁へ預ける。呼吸がゆっくり整っていく。*その頃、森の外。封声の輪を掲げた小隊が、列を組んで進んでいた。金属は鳴らないのに、空気だけが硬い。「刃は抜かないで。今、抜くと……誰も話せない」リオンが列の脇に立ち、低く投げかける。若い修道騎士が眉を寄せる。「命令は……」「命令、守るなら。まず息。揃えよう」修道兵(柄に触れかけ)「……」リオン「手、離して。吸って——吐いて」兵の指が柄から滑り、歩調が半拍遅れる。彼は列を見渡し、顎で合図。二拍、間を作ってみせる。兵たちの肩が、少しずつ落ちる。歩みが半拍だけ遅くなる。修道騎士は視線だけで頷いた。輪は鳴らないまま、周りの音を一枚ずつ剥いでいく。*







