月光聖女~月の乙女は半身を求める~

月光聖女~月の乙女は半身を求める~

last update최신 업데이트 : 2026-01-15
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「天の羽衣」×「人魚姫」。本来なら出会うはずのない、言葉が通じない異世界男女のすれ違い王道純愛ラブストーリー。 マテアは月光界で平和に暮らしていた。 月誕祭に両思いの青年ラヤと結ばれるのだ。 しかしマテアは地上界で出会った男に大切なリアフを奪われてしまう。 マテアは奴隷商人のキャラバンに囚われる。 奴隷として彼女が売買された相手は、あの男だった。 レンジュは奴隷商人のキャラバンにいる彼女を見て驚く。 「リアフを返して! この盗人!」 マテアはレンジュにくってかかる。しかし月光界の言葉は地上人には通じない。 「愛してくれなくていい。ただ、そばにいてくれ。俺の命が尽きるまで」 レンジュは彼女のために生きることを決める。

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1화

オープニング

脳腫瘍と診断された後、白石紗季(しらいし さき)は二つの事実を知ることになった。

一つは黒川隼人(くろかわ はやと)との婚姻届が偽物だったこと。もう一つは実の息子――黒川陽向(くろかわ ひなた)もその事実を知っており、他人を母親として望んでいたこと。

この時紗季は自分の家族を捨て、全てを彼らに捧げた七年間が、まるで茶番だったことを悟った。

そこで紗季は三つのことを実行し、この薄情な父子の前から完全に姿を消すことにした。

一つ目は、一ヶ月前に予約していた結婚七周年記念のキャンドルディナーをキャンセルし、陽向の幼稚園のクラスLINEグループと、父子の健康のために入っていた数十の健康関連のグループから退会すること。

二つ目は、医師からストレステストを受け、特効薬を処方してもらい、海外まで移動できる体調を確保すること。

三つ目は、七年間連絡を絶っていた兄の白石隆之(しらいし たかゆき)に電話をかけ、遠くへ嫁いだことを後悔して、帰りたいと告げること。

――

「紗季さん、がん細胞が脳神経を圧迫しています。早急な決断が必要です」

消毒液の匂いが漂う病院の廊下で、医師の言葉が今も紗季の耳に響いていた。

全身を震わせながら、しわくちゃになった検査結果の用紙を握りしめた。

最近頭痛や嘔吐に悩まされ、時々鼻血も出ていた。

寝不足による単なる体調不良だと思っていたのに、検査結果は恐ろしい事実を突きつけてきた。

医師は治療方針を選択する必要があると言った。

手術をして五十パーセントの生存確率に賭けるか。

それとも保守的な治療を選び、投薬と化学療法で髪の毛は抜け落ちるが、あと数年の命を繋ぐか。

紗季はその五十パーセントという確率に賭けることが怖かった。

幼い頃から注射さえ怖がっていた彼女にとって、冷たい手術台の上で生死を分ける選択をすることは想像もできないほど怖かった。

しかし手術をしなければ、脳の腫瘍は大きくなり、苦しみながら死んでいくという残酷な現実が待っている。

紗季は目を閉じ、隼人のことを考えた。

彼女は隼人と結婚してもう七年になる。彼女は彼を愛していて、まだ長い間一緒に生活したいと思っている。

そして何より、二人は頭がよく、優秀な息子――陽向を一緒に育てている。

人生で最も大切な二人のことを考えると、勇気が湧いてきた。

彼女は立ち上がり、医師の診察室のドアを開けた。

「先生、決心しました。開頭手術の予約をお願いします」

医師は厳かな表情で言った。

「五十パーセントの確率です。怖くないのですか?」

紗季は微笑んだ。「怖くありません。夫と子供が私の側にいてくれると信じています。二人がいれば、何も怖くありません」

医師はゆっくり頷いた。

「分かりました。一ヶ月後の手術を予約しておきます」

紗季は病院を出て、急いで帰宅した。夫と子供の慰めと支えが欲しかった。

家政婦は隼人が会社に行ったと告げた。

紗季は急いで黒川グループへ向かい、社長室の前まで来た。

中に入る前に、男性の声が聞こえてきた。

「隼人、紗季にお前が美琴を秘書にしたことを知られたら、怒るんじゃないか?」

紗季は凍りつき、ドアの隙間から隼人の親友――青山翔太(あおやま しょうた)の姿をはっきりと見た。

美琴?

美琴!

この名前は彼女にとってあまりにも馴染みがあった。隼人が十年もの間、心の奥底に秘めていた初恋の人だった。

机に向かって座る隼人は目を伏せ、袖をまくり上げた。黒いシャツの襟元は少し開いていて、どこか冷たい既婚者の雰囲気を醸し出していた。

彼はいらだって言った。

「会社のことに口を出すな」

翔太は首をすくめ、苦い顔をした。

「まあね、俺はこの何年もお前の面子を立てて、紗季のことを奥さんって呼んできたけど、周りの人はみんな、お前たちが偽装結婚だって知ってるよ。それに婚姻届は俺が偽造したんだ。ハハハハ!」

これを聞いた紗季は、顔が真っ白になり、その場で凍りついた。

彼女は......何を聞いたのだろう?

隼人との結婚は......偽装だったの?

隼人はオフィスのドアに背を向けて座り、ドアの外に人が立っていることに全く気付いていなかった。

翔太は好奇心に駆られて尋ねた。

「隼人、なんで黙ってるの?今美琴が戻ってきたんだから、早く紗季と別れればいいじゃん?当時紗季がしつこく迫って、お前が酔っ払ってた時に誘惑して妊娠したから、子供の戸籍のために仕方なく偽装結婚したんだろ。その結果、美琴が傷ついて出て行って、今やっと戻ってきたわけだし」

紗季は息を飲んだ。

激しい頭痛が襲ってきて、紗季は口を押さえ、必死に吐き気をこらえた。

あの夜、バーに翔太も確かにいたはずなのに!

自分は隼人にお酒を勧めてなどいなかったのに、隼人はビジネスライバルに薬を盛られていた。翔太はそれを分かっていたはずだ。

自ら「解毒剤」になろうとして、隼人とホテルへ行ったのだ。

なぜすべての責任を自分一人に押し付けるのか?

翔太は軽く笑い、からかうような口調で言った。

「お前はいつ美琴と結婚するつもりだ?当時彼女は重い心臓病にかかって、お前の足手纏いになるのを恐れて去った。紗季にその隙を突かれたんだろう?美琴はもともとお前の妻になるはずだったのに!」

隼人は鋭い視線で翔太を見つめた。

その目は氷のように冷たく、警告が伝わってくる。

「俺と紗季には陽向がいるんだ......」

紗季は全身を激しく震わせ、立っているのがやっとだった。

彼女は彼らの会話に吐き気を催した。聞き続けられなくなり、そのままトイレに駆け込んだ。

そのため隼人が言いかけていた言葉を聞き逃してしまった。

紗季は洗面所で激しく嘔吐した。

残酷な真実に吐き気を催したのか、脳腫瘍による生理反応なのか分からなかった。

女性社員が入ってきて驚き、急いでティッシュを差し出した。

紗季は目を赤くしてティッシュを受け取り、泣くよりも醜い笑顔を作って言った。

「ありがとうございます......隼人には私が来たことを言わないでください」

彼女は振り返り、よろめく足取りで会社を出て、まるで生ける屍のように街をさまよった。頭の中では、隼人との初めての出会いが思い返されていた。

7年前、彼女は海外でも有名なデザイナーで、兄――隆之のジュエリー会社で重要なポジションを担っていた。その頃、隼人とは何の接点もなかった。

ある出張の際、紗季がホテルを出たところで突然スカートが裂けてしまったのだ。

彼女が露出してしまいそうになり、ひどく恥ずかしく慌てていた時、隼人が高級車から降りてきて、彼女の前に歩み寄り、スーツの上着を差し出した。

「腰に巻いてください」

適切な援助が、見知らぬ環境での彼女の窮地と不安を一瞬で解消した。

彼女は顔を上げると、かっこいい顔に一目惚れした。

それ以来紗季は彼のことが忘れられず、隆之を通じてコネを作り、あらゆる手段を尽くして隼人との仕事上の接点を作り、積極的に追いかけた。

隼人の心の中に忘れられない初恋相手がいることを知りながらも、彼女は決して諦めなかった。

その後、酒の席で偶然会ったことがきっかけとなって二人は親しくなった。紗季が妊娠したことで、自然な流れで結婚することになったのだ。

紗季は新婚初夜のことを覚えていた。彼女は隼人に尋ねた。

「私は責任を取れとは言わなかったのに、なぜ私と結婚してくれたの?」

いつも冷淡な隼人が、初めてあんなに真剣に彼女を見つめ、ゆっくりと答えた。

「お前に、そして俺たちの子供に、家族を与えたいんだ」

この一言のために、紗季はこの結婚に全てを捧げた。彼女は隆之の強い反対を押し切って自身のキャリアを捨て、国内に留まり、妻として母として全力を尽くした。

しかし今、彼女が全てを捧げた結婚は最初から最後まで偽りだったのだ!

隼人は最初から彼女を本当の妻とは見ていなかった!この7年間、彼の心には別の女性がいて、彼女とは夫婦のふりをしていただけだった!

紗季の心はまるで血を流すように痛んだ。最初から最後まで完全な笑い物だったことを痛感した。

彼女は決心した。

一ヶ月後、もし手術が成功して生き延びたら陽向を連れて出て行こう。

隼人は陽向のことを遠慮する必要はない。好きな人と結婚すればいい!

子供のことを考えると、紗季に少し力が戻ってきたような気がした。

彼女は家に駆け戻り、階段の入り口まで来たところで、陽向が執事――森下玲(もりした れい)と話しているのが聞こえた。

「パパとママの婚姻届が授与されてないって、ママが知ったらどうなると思う?」

陽向の幼い声が聞こえてきた。

紗季は目を見開き、その場に立ち尽くした。

玲は優しく笑って答えた。

「仕方がないですよ、坊ちゃま。ご主人様は奥様のことをお好きではないですからね、それはご存知でしょう」

陽向は子供らしく鼻を鳴らした。

「実は僕もママのこと、あんまり好きじゃないんだ。僕は美琴さんの方が好き!すっごく優しいんだよ。ママが僕をパパの会社に連れて行くたびに、美琴さんはいっぱいおいしいものとか、面白いものをくれるんだ。ママみたいに、お菓子を食べ過ぎちゃダメだとか、勉強しなさいとか言わないし。うるさくないんだよ!美琴さんがパパと結婚できたらいいのにな!」

紗季は掌を強く握りしめたが、気を失いそうになった。

育てた実の子供までもが、隼人と同じように、彼女にこれほど冷たく無情だとは予想していなかった。

紗季は過去の「母子の愛」「夫婦の睦まじさ」という温かな情景を思い出したが、今となってはそれが全て夢だったと感じた。

これは甘美に見えて、実は恐ろしい悪夢だった。

当時、隆之が結婚のことに強く反対したのは、彼女が苦労することを心配してのことだった。彼女は隆之の言葉に耳を傾けるべきだったのだ。

もし隆之が隼人のしたことと陽向の態度を知ったら、きっと怒り狂って刃物を持って殺しに来るだろう。

紗季は胸の痛みで目を瞬かせ、黙って階段を降りた。

彼女は夫と子供のために死を恐れずに、手術台に横たわることを決意したが、今ではその支えとなっていた希望も完全に粉々に砕けてしまった。

彼女はリビングに来て、電話をかけた。

「お兄ちゃん、隼人と離婚したい。家に帰ってもいいかな?」
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オープニング
 あれは何? 闇の中、どことも知れぬ山道を走りながら、マテアはそれだけを繰り返していた。 あれは何? 人の通りの絶えて久しい、獣道と称していいほど荒れた小道を、左右の枝葉が複雑にからみあうことで天蓋と化した木々の合間からさしこむ細い月明かりだけを頼りに走り続ける。見開かれた青銀の瞳は、まるで彼女の無茶を諌めるように前をふさいだ枝々の姿を映してはいたが、心に届いていなかった。 わたしに触れると痛いよ。その清らかな肌が切れる。尊い血が流れてしまう。転ぶと危ないから、走るのはもうおやめ。 両側に連なる木々が、己の意志では動けぬ身ながらもなんとかして彼女を傷つけまいと枝の先端を揺らし、さわさわと、葉をこすりあわせてはその耳元へ囁きかけるけれど、彼女の心には届かない。薄衣をからませた両手を胸のところで固く握りあわせ、押しつぶさんばかりに奥歯を噛みあわせることで、どうにか正気を保ち続けようとする――それだけで精一杯の彼女には、木々の囁きを聞きとるだけの余裕はなかったのだ。 そして木々の忠告通り、小道へと伸びた枝々がピシピシと彼女を打ち、肌のいたるところを浅く傷つける。いくつも、いくつも。鞭のようにしなった枝の最初の一振りで、彼女を保護するはずの薄衣はたやすく裂けたというのに、それでも彼女は走ることをやめようとしない。小石や木の根に足をとられ、割れた爪に血がにじんでも。枝に弾かれた頬から血が流れても。その痛みすら、彼女の足をとめることはできなかった。 胸が、痛い……! 握りあわせた手の力をさらに強める。 これほどの恐れを、自分は知らない。 自分という卑小な器では受けとめきれない、器をはるかに凌駕する巨大な恐怖が支配しようとしている。それは、一片の慈悲もみせず、すべてを破壊してしまうに違いなかった。 なんておそろしい。できるものなら気を遠ざけてしまいたかった。それがどれほどたやすく、またもっとも己を楽にするに効果的な手段であるか、彼女は知っている。けれどもそれを選べば後に何が待っているのかも、彼女は知っていたのだ。 意識を手放すのは簡単だ。ほんの少し、力をゆるめればいい。それだけで意識は途切れ、この苦しみから解放されるだろう。しかし、そうしたならばきっと、自分は狂ってしまう。目を覚ましたところで正気には返れない。 とまれない。あまりに恐ろしくて
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月の乙女は月誕祭を待ちわびる 4
 ぐっと言葉につまった者たちを尻目にサナンはマテアの方へ向き直った。はたしてその仮借ない真実の口で何を言われるのか――身を固くして顎をひいた彼女にサナンは顔を近付け、その耳元にやんわりと囁いた。「いいわね、マテア。こぉんなに役立たずの友人が大勢いて。現実から目をそらして夢ばかり見るには、とっても都合がいいわね。根拠のない楽観的意見でいいように解釈してもらえて、とっても嬉しいでしょう。だって本当に友達ならを強めることこそあなたに勧めるはずだものね。わたしならそうするわ。 彼女たちはあなたに言ってるんじゃないの。自分を納得させるために口にしてるのよ。あなたがどうなろうと、しょせん他人事なの」 おかしくてたまらないと言いたげにくすくす笑いながら遠ざかる彼女の背に向かい、誰もが非難を浴びせかけたが、サナンはそよ風ほどにも感じないとでも言うように、毅然とした歩みで去って行った。「マテア、マテア、気にすることないわ」「そうよ、サナンはあなたを羨んでるだけよ。彼女は昔からラヤが目当てなの。知ってるでしょ? あなたにとられるのが悔しくて、あんなこと言ってるだけなの」「あなたとラヤが好きあってるのは周知の事実だもの。それに、許しが必要といっても、今まで一対になることを許されなかったのはほんのわずかで、千組に一回あるかないかなのよ? 百年前のときも、二百年前のときも、それ以前だってずっとなかったそうじゃない。――そりゃ、まったくなかったってわけじゃないけど……」「ばかっ」 無言のマテアに気弱になったイリアに、こそっと脇からサリアルの肘打ちが出る。「大丈夫よ、マテア。あなたたちに限ってそんなこと、ありえないわ」 懸命に励まし、力づけようとしてくる彼女たちに、マテアは「そうね」と言葉を返した。返すしかなかった……。
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禁忌は甘い香りと棘を持っている。薔薇のように 1
 月が真上に登ると月光聖女たちは神殿の中での内役に服す。神殿内の月光力を補うため、祭事用とは別に摘んである光雫華の蕾を要所要所に配置し、神殿最奥の宮で眠りながらも月光界を守護する力を放出しているという月光母に祈りをささげ、祭で使う布や小物類を造る作業にとりかかったり、あるいは月風の窓と呼ばれるスリガラスでできた窓の前に立って、風が運んでくる月光界の人々の願いや訴えに耳を傾け処置を講じたりするのである。 マテアもまた、いつものように針に色硝子の小さな玉を通して、月光神の祭儀用マントに刺繍をほどこしながら、同じ部屋で作業に順じている聖女たちと雑談をしていたが、その胸の奥底では朝のサナンの言葉について考え続けていた。『<魂>は同等のものでない限り融合してはくれない』 その不安は、いつも心のどこかにあった。皆のようにラヤとの約束を口に出せずにいたのは、それがひっかかっていたからだ。(ありえないわ) そう思い、無理やり納得していた。納得することで、ごまかそうとしていた。合一を申しこまれたとき、<魂>の差に、どうしても悲観的にしかなれなかった自分に、ラヤも気にすることはないと言ってくれたし、彼に見つめられ、そう言われると、なんだか本当に些細な事でしかないように思えてきて……そのときの彼を思い出すことで、強引に融合できなかった場合に通じる考えを断ち切っていた。『それはあくまであなたたちの『期待』でしかないんでしょ。現実の前では、個々の希望が常に叶うとは限らないっていうのは、多々あるわ』 サナンの言葉は真実だ。どんなに目をそむけ、考えないようにしていても、変わらない。 でも……! なら、どうすればいいというのか。自分の<魂>が脆弱なのは知っている。ラヤどころかイリアにも、エノマにだってかなわないかもしれない。そんな自分が、到底サナンに太刀打ちできるはずがない!「つっ……」 刺繍針が指を突いた痛みに、我に返って声を上げた。血がついたら大変と、素早く布の下にあてがっ
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禁忌は甘い香りと棘を持っている。薔薇のように 2
「――今? あとにできない? ちょうどニの村からの一団が到着したところなんだけど」 「おねがい」 サナンはすぐまた何か、彼女のわがままを諌めるような言葉を口にしかけたのだが、息をつめてじっと自分を見つめているマテアの頑なな表情に、ふうと息をついた。「……しかたないわね。自分でまいた種でもあるし」 下を向き、マテアにも聞こえない小さな声で独り言を呟いてから、サナンは先までいた高台をふり仰ぎ、そこにいて、彼女が話を終えて仕事に戻ってくるのを待っている月光聖女に向かい、休憩にすると言った。「きて。こっちよ」 休憩の伝令があちこちでとびかう中、サナンが顎で奥の方を示す。そこはすでに整理済みの札がついた荷物が山積みされた場所で、人目にはつきそうにない場所だった。「なかなか予定通りにいかなくてね。届くって言ってた物が届かなかったり、予定より早く着いちゃったり。後ろがつかえてて、本当ならさける時間なんてないんだけど、せっかくこんな離れまで足を運んでくれたことだし、あなたの希望通りにしてあげたわよ。でもあまりあげられないから、簡潔に、手早くね」 荷物の壁に背を預け、軽く両腕を組んだサナンは突き飛ばすような語気で言う。  ラヤが好きだと公言してはばからない彼女が自分に好意を持っていないことはマテアも知っていたが、その口調に、ますます言い出し辛さを感じながら切り出した。「あの……無茶なこと、訊くと思われるかもしれないけど、もしかして、あなたなら知ってるかも知れないと、思って……」 だってあなたはとても綺麗で力強い<魂>をしているし、きっと同代の聖女の中であなたほど立派な<魂>をまとっている者はないと思うし、などなど。自分の劣等意識をさらけ出さなくてはならない恥ずかしさと緊張から胸の動悸は激しさを増していく。今すぐ口をつぐんでしまいたくなる気持ちと戦いながら、もどかしげに上ずった声で言うマテアに、サナンは急ぎ制止の手を左右に振った。「ちょっとちょっと。待ってよ。  なんなの? それ。話がまるで見えないわ。先に言ったでしょ? あげられる時間は少ないの
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禁忌は甘い香りと棘を持っている。薔薇のように 3
 <魂>は強められるのだという、そんな考えがあることすら自分には目の覚める思いだったのだ。唯一の方法があったとして、それが自分に思いつけるはずがない。 慈悲を請い、すがりつく思いで両手をあわせた彼女を見て、サナンはやれやれと言いたげに両手を腰へあてた。「見かけによらず、あなたもけっこう欲が深かったのね。……ああ、べつに厭味や皮肉で言ってるわけじゃないのよ。たんなる感想。そうは見えてなかったってだけのこと。それに、それでいいとわたしは思うわ。生涯一度の大事でさえ、なんの努力もしないで『しかたない』の一言で諦めてしまうような人なんていたら、そっちの方がよっぽどわたしには理解不能で、それこそ気味が悪いもの。 でもね。もう一度考えてみて。あなたが望んでいる事がどれほど罪深いことなのか、ちゃんと理解してから訊いてるの?<魂>の質が個々で違うというのは誕生したばかりの聖女でも知ってること。わたしにはわたしの、あなたにはあなたの<魂>があって、違ってるのは当然だわ。それに不満を感じ、変えてしまおうだなんてことは、つまりわたしたちをわたしたちとしてこの世に生み出された両月光神の御心に不満を持つのと同じことなのよ?」 こればかりはどこにあるとも知れない聞き耳を気にして声をひそめたサナンの言葉に、自他ともに認める敬虔な聖女であるマテアが衝撃を受けないはずがなかった。 両月光神は、月光界の民であるなら崇拝せずにおれない存在だが、両月光神に仕えるために生まれてきた聖女にとって、その存在は他に増して重く、唯一無二の絶対神である。その御心に自分が逆らっているなど、考えたこともなかった。だが考えてみると、サナンの言うことは正しい。自分が今考えていること、つまり今現在の自分に不満を持つというのは、すなわちこうあるべくして生み出された月光神に、不満を持っていることの現れだ。「あらどうしたの? マテア。急に黙りこんだりして。顔色も悪いわよ。赤くなったり青くなったり、あなたって本当に忙しい人ねぇ」 自分のしている事の意味を悟り、愕然としているマテアを、サナンはここぞとばかりにくつくつ嗤う。
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禁忌は甘い香りと棘を持っている。薔薇のように 4
 夜がきた。 月光神がこの月光界とは異なる世界へ界渡りをし、その地に慈悲の光を投げかけている間のほんの十数時間、月光界は完全な暗闇に閉ざされてしまう。一日の四分の一にも満たない時間。それを『夜』と呼び、月光界の住人たちは休息の時間としているのだった。  そして、この月光神の守護が一番薄れる闇の中で活動する者は、ごくごくわずかな、選ばれた者たちだけである。 聖女たちが居室をかまえる青月の宮と民のための礼拝堂やその他の施設をかまえる紅月の宮との中央、ほぼ南よりにある主神殿の奥深くで眠りについている月光母や月光聖女の身辺警護のため、警邏する若者数十名と、そして異界にいる月光神にむかって祈りをささげる月光聖女が三交替制で一人ずつ。今夜は、マテアがそのうちの一人に入っていた。 マテアたち中堅の聖女には朝早くから光雫華の蕾を摘むという役目があり、本来この役目は年若い聖女が割当てられるのだが、頼みこみ、今夜だけ代わってもらったのである。 主神殿の祭壇で焚かれた炎に投げこむための香木と、祈りで渇いた喉を潤すためのはちみつ水の入った小さな甕、それから足元を照らすための光雫華を一輪手に、マテアは自室を出た。 もう夜半近く、明日の作業のため、誰もが床についている時刻である。どこもかしこもしんと静まりかえり、マテアが一歩進むたび、シュルシュルと鳴る衣擦れの音が廊下の隅々まで響く。主神殿に続く回廊に入り、青月の宮を出ても人の気配はどこにもない。この回廊は祈りをささげる聖女のみが歩くことを許されている回廊なのだから、これで当然なのだが、それでもマテアはどこかで誰かが見ているのではないか、ふいに柱の陰から現れ声をかけてきたりはしないだろうか、不安でたまらず、祈りの儀式用の着衣の上からかぶるようにしてまとった薄衣のベールの下で俯きかげんになりながら足早に進んでいた。 どきどきと、今この瞬間に破れておかしくないほど胸が鳴っている。喉までこみ上がってくる動悸に邪魔をされ、息も満足にできない。未だかつてない速度で全身をかけ巡る血が、強張った肌の下でこれ以上ないほど熱く燃えているのをマテアは実感していた。  これから自分がしようとしている事は、絶対の禁忌だ。決して行ってはならないとされ
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禁忌は甘い香りと棘を持っている。薔薇のように 5
 胸に突き刺さった針のような鋭い痛みに目を見開き、一瞬で意識を我が身へと収束したマテアは、無意識に祈りの言葉を紡ぎかけていた唇を諌めるように噛んだ。 彼が禁忌とした方法を行おうとしている自分は、その無償の愛を受けとる資格すら持ちえないのだ、と。 涙がこぼれおちそうだった。ぐい、と袖で熱くなった頬をこすったけれど、涙はかろうじてこぼれていない。まばたきもせず台を降り、レイリーアスの鏡に正面立った。 巨大な鏡である。鏡面よりも周りを囲った額縁の方が面積をとっていたが、それでも上の、鏡面と額縁の境は見上げるほどに高い。 誕生して三百年。ほぼ毎日この広間で祈りをささげてきた。当番も数えきれないほどこなしてきたが、触れたことはおろか、一度もここまで近付いたことはない。台より先に進むことを禁じられているということもあるが、おそれおおくて、触れたいなど考えたこともなかった。サナンばかりは違ったようだが、おそらく他の聖女も同じ考えでいるはずだ。 なぜなら、この鏡を用いて月光神は界渡りをしているのだから。『月光神の恩恵を受けているのはなにも月光界だけじゃないのよ、マテア』 自分の影で暗く陰った鏡面を見ているうちに、サナンの言葉が蘇った。『あなたも知ってるでしょう? 月光神に創造されたこの月光界があるのと同じように、太陽神に創造され太陽神を崇める世界や風神を崇める世界、大地母神を崇める世界だってあるの。その世界すべてに界渡りをして、月光神は月光を投げかけているわ。もちろん、わたしたちの世界の風や大地と同じように、この月光界ほどに御力が行き渡っているわけではないけれど、でも、中にはその月光がこの月光界に降りそそぐものよりはるかに強い力を持っているのもあるのよ』 本当だろうか。 サナンの言ったことは、本当にそうなのか。 マテアにはわからない。月光聖女で界渡りをした者はいないから。 サナンは、この事を以前衛士だった男から聞き出したと言った。 鏡をくぐるのは本来禁忌とされる行為だが、例外もあって、『月誕祭』の日、月光神の衛士として選ばれた数人の男たちが、次の『月誕祭』までの百年間、月光神とともに界渡りをする。け
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