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第4話

Author: 一緒にトマトを食べよう
しかし礼人は気にしなかった。ただ私を抱き上げ、そのまま急診室へ駆け込んだ。

スピードと浮遊感で、私は速いのか遅いのかすら分からなかった。

覚えているのは、彼の険しい表情が、私たちの子を失った日の彼とまったく同じだったことだ。

ただ今回は、彼にはついに子どもができたのだ。

喜ぶべきことなのだろう。

どれほど時間が経ったのか、点滴の滴る音が私の耳元でだんだん鮮明になっていった。

私はゆっくりと目を開け、礼人がリンゴの皮をむいている姿を見つけた。

私が目を覚ましたのに気づいた彼は、手を止め、慌てて布団をかけ直してくれた。

その声は、気遣いと同時に不満も混ざっていた。

「起きたのか?

いつになったら自分のことをちゃんと見られるんだ?熱が出ても気づかないなんて」

そうだ。私は、自分のことすら満足に世話できないほど愚かなんだ。

だから私たちの子どもを失った。

だから私の夫も失った。

しかし今の私には、もう失うものなんて残っていないのかもしれない……

私の唇がかすかに開いて閉じて、ついにその言葉を口にしていた。

「礼人、私たち……離婚しよう」

彼の手は一瞬止まったが、私の方を見ることはなかった。

「何を言ってる?もう離婚しただろ。

そんなに復縁したいなら、何日か早めてやってもいい」

彼の話すスピードはとても速かった。

これまで彼がこういうことを話すときは、いつもゆっくりと落ち着いて、余裕たっぷりな様子だった。

私はため息をつき、苦く笑った。

「いいわ。前の予定のままで」

どうせ私は、もう復縁しないのだから。

新しい病と、元々の持病のせいか、私は二週間ほど入院していた。

礼人は数回だけ見舞いに来た。

だが、それ以上でも以下でもなかった。

私はもう彼に何も期待していない。見舞いに来るかどうかも、もうどうでもよかった。

退院の日、本当は礼人が迎えに来ると言っていた。

しかし、私が朝に荷物を片付け終えたとき、彼からまた電話がかかってきて、急用ができて来られないと言った。

彼が何をしに行ったのか、私はもう聞こうともしなかった。

私とは関係のないことだから。

私は荷物を持って退院手続きを済ませた。

エレベーターに向かおうとした時、ひとりの若い女性が嬉しそうに走り抜け、私にぶつかった。

彼女の手には一枚の報告書があった。

彼女は目の前の男性に満面の笑顔で言った。

「ねえ見て!先生が、赤ちゃんはとても元気だって!」

男性は驚きと喜びで顔を輝かせ、彼女を腕の中に強く抱きしめた。

まるで自分の宝物を抱くようだ。

私は昔の自分を見た気がした。

ただ違うのは、彼女は私ではない……

彼女の前にいる彼は、かつての礼人だ。

私は帽子を深くかぶり、彼らの横をさっと通り過ぎた。もう彼らと関わりたくなかった。

家に帰ると、私は自分の物を全部片付けた。

二十年の知り合いであり、八年の結婚生活を経たが、結局のところ、持ち物はたった二つのスーツケースに収まるだけだ。

私は彼を愛すべきではなかったのだろうかと考えた。

しかし、誰を愛しても同じだったのかもしれない。

男は、永遠に満足しない生き物なのだから。

そしてようやく、若かった頃の夢が覚めた。

ただ、長く檻に閉じ込められていた鳥が突然自由を得ても、どこへ飛べば良いのか分からないものだ。

予約していた航空券を見て、私は出発時刻を翌朝に変更した。

復縁予定日まであと十日ほどだ。

礼人は父になる喜びに浸っていて、私のことなど思い出しもしないだろう。

だから、私は自由に旅立てる。

翌朝、私はスーツケースを引きながら空港行きの車に乗った。

車が走り出した瞬間、普段は見ないはずのマイバッハが家の前を猛スピードで通り抜けた。

運転席の男は、半分だけ下げられた車の窓越しに、ちょうど私の横顔を見ることができた、キーッという耳障りなブレーキ音の後、スーツ姿の男は信じられない様子で車から降り、私に向かって必死に走りながら、大声で叫んだ。

「彩葉、どこへ行くんだ?」

私は穏やかに笑い、運転手に言った。

「すみません、急いでください。時間がないので」
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