「……馬車?」
午後のティータイムを楽しみにしている私の元に、ホイットニーがやって来た。
彼女は普段とは少し雰囲気が違う、質素な格好をしている。町娘風という感じの?えっと。なんだっけ……馬車?
何か出かける所あったかな?「あそこに出かけるのは久しぶりですね。
お召し物を変えますか? 準備ができたら行きましょう。」 「あそこってどこ?ホイットニー…!」「もう、うふふ、アデリナ様ったら。
お忘れですか?あの少年ですよ、あ、の。」相変わらずアデリナ様は忘れたフリがお上手なんですから〜とホイットニーにお上品に笑われてしまったけど。
……分かんないなー!どの少年かな!? 身支度を済ませた私と一緒に、ホイットニーもなぜか地味な感じの馬車に乗り込む。 これはよく、アデリナがお忍びの時に使う馬車らしい。 いつもは付き添う護衛の兵もいない。 「アデリナ…って……一体何したの? 少年って何?」「うふふ、着いたらすぐ思い出しますよ。」
私と向き合う形で台座に座っているホイットニーが、上品に笑う。
「教えてよー、記憶全くないんだから。
本当に私はアデリナじゃないんだって。」
私がリジー毒殺未遂の犯人扱いされた時、話も聞かずにあんな風に溜息を吐いたくせに。 心底呆れたって顔をして、私を北棟に閉じ込めるように言ったくせに。 それから一度も会いに来なかったくせに。 リジーが目を覚ましたからと、寝室に呼びつけといて。 中にはすでにリジーを呼んでいたなんて。 事前なのか事後なのかは知らないけど、無事にヒロインと恋に落ちました。 ハッピーエンドですって見せつけたのは、貴方でしょ? どうしてヴァレンティンが産まれるまで待ってくれなかったのよ……… 「アデリナ……」 「来ないで………!」 「アデリナ……違っ、話を」 「来るなって言ってんでしょーが! このっ……最低の浮気クズ野郎が!!」 弱々しく近づいて来るローランドにブチ切れる。 周囲の兵達は困惑を隠し切れない。 また、隣のレェーヴはなぜか……肩を震わし笑っていた。……おいっ! 「何しに来たのよ?ローランド。 もう私に用はないはず。 私達はきれいさっぱり離婚したんだから。」 腕を組んでローランドを睨みつけてやる。 「離婚……? ああ、あの紙切れの事か? 残念ながらあの紙切れは破り捨てた。」 「え………?」 「アデリナ。お前と私の婚姻関係は今も継続中だ。知らなかったのか?」 「し……知るはずないでしょ! 何で?ローランドにはもうリジーがいるじゃない!」 だって貴方にはリジーがいればいいんでしょ? だって貴方はそういう人だもんね? 結局は原作通りにアデリナとヴァレンティンを
「おーい、火事だ!」 「向こうで火事だぞ!」 「大勢の人達が閉じ込められてる!」 ライリーを筆頭に、精鋭部隊訓練生の少年達が、兵達の前で一斉に叫び始めた。 中にはラシャドの姿も。目が合ったラシャドは笑顔で、私に目で軽く合図した。 「アデリナ様。ここは俺達にお任せ下さい。」 口パクでそう言っている。 ラシャド……!ありがとう!! 火事だと言いながら向こう側に走っていく彼らを、兵達は戸惑いながら追う。 後尾にいたライリーもまた、逃げる瞬間に私に目線で合図をしてきた。今です!と。 さすがはライリー!私の第二の推し……! 皆、本当にありがとう………!! 私とホイットニーはライリー達が注目を引きつけてくれている間に、レェーヴが働いている自警団に向かった。 その日はたまたまレェーヴが会社にいてくれて本当にラッキーだった。 成り行きを説明すると、レェーヴがすぐにヴァレンティンを抱き上げた。 「ならさっさとここから逃げるぜ。」 「ええ……!」 ここにいたら間違いなく、ローランドに捕まってしまう。 戦争もなくなり、愛するヒロインとも一緒になれたローランドが、今さら私を追ってくる理由はただ一つ。 ヴァレンティンだ……!! 悪いけど絶対、ヴァレンティンだけは貴方には渡さない!! 死んでも我が子は守る!! 私達は国を出るため、港に向かって走り始めた。 だけど追っ手が……… そしてついに私達はクブルクの兵達に取り囲まれてしまった。 その中に彼が。 ローランドがいた。 「アデリナ…………」 数ヶ月ぶりに会うローランドはなぜか凄く窶れ
何でクブルクの兵がこんな所に……? 穏やかないつもの午後。 休日だというホイットニーにヴァレンティンを預けて、私は夕食の材料を買いに町に来ていた。 そこでこの騒動。 中には王宮で何度か顔を合わせたクブルクの兵もいる。咄嗟に壁際に隠れてやり過ごした。 王宮の兵という事は、私達を探してるのは間違いなくローランドだ。 何で今さらローランドが私を探してるの? 私達はもう離婚したのよ? あの後ローランドは、リジーと幸せになったはずでしょ? なのに私とヴァレンティンを探してるって事は………やはり物語の強制力というやつで!? 本来なら私もヴァレンティンも死ぬはずだから、その未来通りに! ……逃げなきゃ! ヴァレンティンを守らなきゃ!! 何とか兵達に見つからずに無事に家までたどり着く。 ホイットニーに状況をうまく説明する間もなく、私は荷物をまとめ始めた。 「ホイットニー、悪いんだけど、今すぐ家を出る準備をして!」 「え?一体どうされたのですか? アデリナ様!?」 「ローランドが……私とヴァレンティンを探し回っているみたい。」 「え……ローランド様が?なぜ今さら? もうお二人は離婚なされたはずでは……」 「分からないけど…… もしかしてヴァレンティンの王位継承とかの問題をめぐって、殺すためかもしれない。」 下手したらリジーに子ができた可能性もある。 その為に邪魔なヴァレンティンを狙っているのかも。 「そんな……果たして本当にそうなのでしょうか?」 「分からないけど、今は確認してる暇はないの! とにかく必要な物だけまとめてくれる?」
初めは怒りに震えた。 けれどアオイの消息が不明のまま、時間だけが虚く過ぎていった。 後から後から、アオイにちゃんと説明した上で、愛してると伝えればよかったと後悔ばかりが募った。 言葉足らずだった自分を何度も悔いた。 私がリジーを愛するはずがないと。 あんな風に私のアオイを罠に嵌めた女など、誰が愛すると言うんだ。 あんなに性格の腐っている女を、私が愛することは一生ない。 私が生涯愛するのはアオイ。お前だけだ。 私を懸命に愛してくれて、私の子を身籠ってくれたお前だけなんだ。 幼い頃、体の弱かった私は両親に愛されず、寂しい思いをしながら過ごしてきた。 だが病気で寝込んだ私を何だかんだ言いながらも世話を焼く、アオイに何度も癒された。 人から優しくされるということを、人の温かさというものを、そして不器用ながらも愛というものを、アオイ。お前に教えて貰ったんだ。 やっと愛を知ったのに。 人を愛する事ができたのに…… アオイは実家にも戻ってないという。マレハユガ大帝国の皇帝に、娘を見つけなければ殺すと脅された。 あんなにアデリナを嫌っていた母上までも。 何やらアオイの素直さが気に入ったらしい。 しかもサディークのあの王太子までもが彼女の失踪の噂を聞きつけて、文句を言ってくる。 「我が国が和平条約を結んだのは王妃陛下です。 王妃が無事に戻らなければ……条約は破棄させて貰いますよ。」 うるさい。お前に言われなくても、必ず見つける。 だが、一体どこに消えてしまったんだ…… クブルクの大規模な軍を使い、アオイ達の捜索を開始してはいるが、一カ月経っても何の手掛かりも掴めなかった。 そこで神殿にも協力を依頼した。 「陛下。貴方がしっかり王妃陛下を捕まえておかないから」 呆れたようにイグナイトが溜息を吐いた。 「分かっ
そうして私は心を鬼にし、アオイを北棟に閉じ込める様に言った。 アオイ……今は我慢してくれ。 お前に不便がないよう、部屋では快適に過ごせる様言っておくから…… 今その事をアオイに説明できない。 この状況だと、誰がアオイに危害を加えるか分からないからだ。 むしろ私がリジーに大人しく従ってると周囲に思わせておく方が、まだアオイは安全なはずだ。 悪いとは思ったが私を呼び止めるアオイを振り切り、毒に倒れたというリジーの元へ…… 彼女の自作自演の証拠を見つけに向かった。 一週間後、毒から回復したリジーが目を覚ました。 だがリジーが目覚めると同時に、私の方が疲労と熱で倒れてしまった。 早くリジーから自白を引き出し、アオイの無実を証明したいのに。 だからランドルフ達に頼み、容疑者としてリジーを招集するようにと命令しておいたのだ。 私の部屋ならあの女は必ず逃げずにやってくるだろう。 今回の件でアオイが犯人扱いされる決め手となった、アオイの髪飾り。 あれについてはリジーが私の部屋に来たあの夜に盗んだと思われる。 それにはやはりリジーの手垢が残っていた。 着色をつけた手形と、髪飾りに付いていた手垢が一致した。 それからリジーの部屋に用意されていた解毒薬の残った瓶。すでに使用されているのは、操られた侍医がリジーに飲ませたのだろう。 初めからリジーは死ぬ気などなかったのだ。 これらを叩きつけ、後はアオイから無実だと言わせれば…… だが、あの時どうやらリジーは部屋に入る直前にアオイに何かを吹き込んだらしい。 その場にアオイが来ていた事を知らないまま私達はリジーを徹底的に問い詰め、やっと自白させた。 それから仕事とリジーの件に忙殺されている間に、アオイがいなくなってしまったのだ。 離婚届と手紙を残して。 ……どうして
アオイを守るため、リジーが本性を現し、悪事を働いている決定的証拠を掴むまでわざと泳がせる事にしたのだが。 「ローランド様っ!」 看護師とは程遠い服を着たリジーは懲りずにアオイの目の前で私に抱き付き、しかもアオイに何かされたかの様に振る舞い始めた。 周囲は騒ぎ、衛兵や官僚達はリジーの弱々しい演技にコロッと騙されて、私の目の前でアオイの悪口を吐いた。 ランドルフは事の成り行きを、今は我慢の時ですと目で訴えて首を横に振った。 調査続行のために。 だがついに私の怒りは頂点に達し、アオイの前で悪口を言った奴らを叱り付けた。 すぐにでもリジーを城から追放したいほど怒りに震えていたが、アオイがリジーを罰する事は嫌がるだろうと思い、それ以上追及しなかった。 だが内心、私は荒れに荒れていた。 ……私のアオイに。私の妻を貶めようとするとはいい度胸だ。 リジー。お前の悪事の証拠を掴んだら、徹底的に追い詰め、このクブルク王宮に来た事を後悔させてやろう……!! そうして遂にあの事件が起きた————。 「陛下……!王妃陛下がリジー様に毒を… リジー様を暗殺しようとなさったと…!!」 ————やられた!!! 急いで駆けつけると、タウゼントフュースラー伯爵が勝手に兵を率いて、アオイを拘束していたのだ。 ————誰が勝手にアオイに触れてもいいと言った? 大臣と兵どもを切り刻んでやりたかったが、やはり彼らの目には生気がなく、どこか虚だった。 しかもその目はアオイに集中し、怒りに満ちていた。 このままでは本当にアオイと子供が危ない。 兵の側にいても危険なだけだ。 そうだ……被疑者という扱いにしておいてあの北棟に閉じ