狐の記憶に触れるたび、私はあなたに恋をした

狐の記憶に触れるたび、私はあなたに恋をした

last updateLast Updated : 2025-09-05
By:  釜瑪秋摩Completed
Language: Japanese
goodnovel4goodnovel
Not enough ratings
77Chapters
2.2Kviews
Read
Add to library

Share:  

Report
Overview
Catalog
SCAN CODE TO READ ON APP

人と妖(あやかし)が共に暮らす、文明開化の影に妖しが息づく帝都、椿京。 貧しい書生の娘・時雨 鈴凪(しぐれ すずな)は、ある日突然、九つの尾を持つ妖にして政財界の実力者・朝霞 理玖(あさか りく)のもとへ嫁ぐことになる。 それは表向きの結婚、実際は「契約による花嫁」――ただの取引のはずだった。 しかし、鈴凪は「鈴の娘」と呼ばれる特異な存在。 彼女の鈴は、妖たちの心の声と共鳴し、封じられた記憶を呼び覚ます力を秘めていた。 そして九尾・理玖が心を寄せていたのは、かつての契約者――今はもういない女性。 これは、亡き人への想いに縛られた狐と、決して「代わり」ではないことを願う少女の、百年越しに重なる恋の物語。

View More

Chapter 1

第1話 プロローグ

시벨

무슨 일이 일어난 걸까, 내가 어떻게 여기서 다른 소녀들과 함께 사슬에 묶여 이 비위생적인 감방에 갇히게 된 걸까?

안드레아, 내 친구는 어디 있지?

· 안드레아, 안드레아?

· 나 여기 있어, 시벨

그녀는 나와 같은 감방에 있지만, 바로 뒤에 있다. 그녀는 자신의 움직임을 방해하는 사슬을 끌고 내 품으로 뛰어든다.

그녀는 울기 시작하고 나도 함께 운다.

· 괜찮아?

· 무슨 일이 일어난 거야?

· 우리 납치당했어.

· 흑, 흑, 흑, 우리한테 무슨 일이 일어날까?

· 진정해, 우리 빠져나갈 수 있어.

· 어떻게? 우리 모두 묶여 있는데, 여기서 누가 우리를 구해준다는 거야?

우리는 무장한 남성들이 오는 소리를 듣는다. 그들은 감방 문을 열고 들어와 우리를 끌어내고 감방 밖으로 내던진다.

· 똑바로 앞으로 나가

우리는 앞으로 나아간다. 우리는 대략 스무 명 정도 된다. 나는 내 근처에 있는 소녀에게 묻는다:

· 당신은 여기 온 지 얼마나 됐어요? 나는 시벨이라고 해요, 당신은요?

· 내 이름은 루피타야, 나는 여기 온 지 3일 됐어. 나는 일주일 동안 있었던 다른 사람들을 찾았어. 대화에 따르면, 그들은 경매를 위해 우리가 많아지기를 기다리고 있었어.

뭐라고? 우리를 판다고? 과달루페 성모님, 우리를 도와주소서.

· 저기, 조용히 해! 조용히 앞으로 나가! 처녀인 사람은 오른쪽으로, 그렇지 않은 사람은 왼쪽으로 가! 우리가 확인할 테니까.

대략 16세에서 27세 사이의 금발 머리 소녀가 나와 함께 줄에서 나온다. 다른 사람들은 반대편으로 간다. 나는 안드레아와 헤어지고, 우리는 눈물을 머금은 채 서로를 바라본다.

· 괜찮을 거야, 시벨. 우리 빠져나갈 수 있어. 좋아, 널 꼭 다시 찾을 거야.

Expand
Next Chapter
Download

Latest chapter

More Chapters
No Comments
77 Chapters
第1話 プロローグ
 椿京──東と西が交錯する近代都市。白漆喰の町屋が並び、軒先では狐面が風に揺れ、通りには人力車と馬車がすれ違っていく。文明開化の光が射す一方で、どこか古めかしい静寂が都市の底に息づいていた。 鈴凪は、竹籠の入った風呂敷を抱えて、その異質な豪邸の前で足を止めた。 門の前に立つと、不思議な空気が肌に触れる。ひやりとした風が髪をすくい、音が遠ざかっていく。まるで、世界が一枚絹を隔てているかのような感覚──それが、朝霞邸の印象だった。 門の上には銀の紋が刻まれていた。薄の穂が左右から寄り添い、根元で結ばれている文様。「……本当に、契約結婚の話なんてあったのね」 小さく息を吐き、言葉にしたのは自身への確認だった。  私がここへ嫁ぐ――?  一年間だけ、形式的な妻として。  それが自分の人生の分岐になるとは、この時の鈴凪はまだ思っていなかった。  鈴凪がその話を耳にしたのは、借金取りに追われて家から逃げていた時だった。村を出てから、数カ月。母を病で亡くし、父もその後を追うようにして逝った。家は父の借金で没落し、書生として働いていた日々も遠くなった。  あちこちの村や町を渡り歩き、辿り着いた都下の小さな村の片隅。古書店で昼の手伝いをしながら、鈴凪は必死に働いていた。「時雨さん、椿京にある朝霞邸って知っています?」 ふと店主がそう言った。「豪商の御屋敷でね。そこの旦那が、契約で妻になる女性を探しているって噂があるのだよ。奇妙な話だよね」 ただの噂話だろう、と鈴凪は思った。信じるには突飛すぎる話。もしかすると、貴族の政略結婚のようなものだろうか?  きっと、そうであろうに違いない、と思いながら、店主に問いかけた。「その契約って、形式だけのものなのですか? 政略結婚とは違うのですか?」「さあねえ。詳しいことは聞いていないけれど、かなり条件が良いらしいよ」「条件……」 店主は曖昧に言葉を濁すと煙草をくゆらせた。その手の中にある煙管は、美しい狐とすすきの蒔絵が施されている。以前、それとなしに店主と話していた時、その煙管は妖の意匠だと言っていた。古い友人が人の世界で暮らす妖たちと懇意にしていて、譲り受けたものだと。 この国の首都に近い椿京には、昔から人と妖が共存
Read more
第2話 ことのはじめ
 そして、今――。 朝霞邸の門前。  昨夜、受け取った書状を手に、鈴凪は成り行きで、ここに立っている。 門が静かに軋んだ音を立て、独特な気配が、扉の奥から滲み出てきた。「あなたが時雨鈴凪さん、ですか」  呼びかけられて鈴凪は顔を上げた。目の前には、黒羽織の青年が立っていた。 ──美しい、と思った。 それが初めての感想だった。  ただ、その美しさは、普通の人とはどこか違う気がした。  彼の瞳は琥珀色で、獣のような冷たさを帯びていた。銀の指輪が左手に光り、立ち姿はまるで絵巻の登場人物のように見える。「はい。時雨鈴凪です。朝霞様……ですね」 言葉が喉の奥で震えるのを押さえて問いかけた。彼が静かに頷くと、後ろに控えていた使用人たちに促され、鈴凪は屋敷の居間に通された。「あの……それで、契約による婚姻というのは……」「先ずは簡単にご説明します。これから一年間、形式上の妻であること。書面上の婚姻関係を結び、朝霞邸に暮らす。あなたの自由はある程度、制限されます。外出は許可制。契約の秘密は漏らしてはならない。この契約について、外部では黙っておくこと──以上が条件となります」「契約については秘密……ですか?」 鈴凪は耳を疑った。既に古書店の店主も知っているほど噂になっているようなのに、今さら、秘密にしなければならないのはなぜなのだろう。  理玖の瞳はまっすぐ鈴凪を見つめている。「不服ですか? 秘密を守ることもできないほど、口が軽いようでは困るのですが」 棘のある言い方に、鈴凪は驚いた。初対面であるのに少し失礼なのではないか……そんな風に感じていた。観察しているような、様子を窺っているような、そんな理玖の視線も気になった。「え……いえ、不服だなんて、そんなことはありません」「私は昔、ある人と約束を交わしています。いつか時雨家に何かあったら助けてやってほしい、と――。今、この契約を機にその手助けができるかと」「ある人……?」 ある人とは誰だろう?  鈴凪には身内と呼ばれるような親戚などいないし、過去に誰かが何かを頼んでいるとしたら、父か母しか思い浮かばない。けれど、父や母なら、『ある人』などと曖昧な言いかたをするはずがない。「……それでも、この婚姻は契約ですよね。助けていただくのは有難く思いますが、私は道具ではありませんので、契約以上のこ
Read more
第3話 朝霞邸
 夕刻の空が茜色に染まる頃、私――時雨鈴凪は、人生で最も大きな分岐点の前に立っていた。「こちらが朝霞様のお屋敷でございます」 人力車の車夫が振り返って言った言葉に、私は小さく頷いた。目の前にそびえ立つのは、これまで見たこともないほど立派な屋敷だ。洋館の重厚さと日本家屋の優美さが不思議に調和した建物は、まるで異国の物語から抜け出してきたかのように幻想的で、私のような庶民には場違いな場所だと感じる。それなのに――。 先日、訪ねてきた時にも感じたけれど、どこか懐かしいような感覚が胸をよぎる。「ありがとうございました」 震え声にならないよう気をつけながら車夫に礼を言い、小さな竹籠の入った風呂敷包み一つを抱えて車を降りる。これが私の全財産だった。父の死後、家財道具はほとんど借金の形に取られてしまったのだから。 門の前で立ち止まり、私は深く息を吸った。 朝霞邸――。 椿京でも有数の大企業、朝霞開発の代表を務める朝霞理玖氏の邸宅。そして今日から一年間、私がその「妻」として暮らすことになる場所。 契約結婚。そんな現実離れした話が私の元に舞い込んできたのは、ほんの一週間前のことだった。「本当にこれでよかったのだろうか」 心の中で呟きながら、私は重厚な門扉を見上げた。黒塗りの木材に施された金の装飾が、夕日を受けて鈍く光っている。門柱には「朝霞」の文字が刻まれた表札があり、その下には見慣れない家紋――すすきの穂が左右から寄り添い、根元で結ばれた優美な意匠が彫り込まれていた。「お嬢様、時雨様でございますね」 突然声をかけられて、私は背筋がピンと伸びた。いつの間にか門番の老人が現れていたのだ。白髪を丁寧に撫でつけた、品のある初老の男性だった。「は、はい。時雨鈴凪と申します」「ご足労をおかけいたしました。旦那様がお待ちでございます。どうぞこちらへ」 老人の敬語は丁寧すぎるほど丁寧で、まるで私が本当に身分の高い令嬢であるかのように響いた。それがかえって居心地の悪さを増していく。 ――私には身分なんてないようなものなのに。 門をくぐると、玉砂利の敷かれた前庭が広がっていた。手入れの行き届いた植木や、季節外れなのに美しく咲いている彼岸花が目に入る。  彼岸花は秋の花のはずなのに、なぜ今の季節に?  そんな疑
Read more
第4話 お屋敷の中
「それでは、奥様のお部屋からご案内させていただきます」 華に導かれて足を踏み入れた屋敷の内部は、外観以上に息を呑むほど美しかった。玄関から続く廊下には、洋風の絨毯が敷かれているにも関わらず、天井には和風の格子が組まれている。ガス灯と提灯が共存し、西洋の油絵と日本画が同じ壁に飾られていた。「珍しい造りでございましょう?」 華が私の様子を見て微笑んだ。「旦那様のご趣味で、東西の美を調和させた設計になっております」「とても素敵です」 私は率直な感想を口にした。なにもかもが珍しく見えて目が離せない。「まるで夢の中にいるようです」「そのお言葉、旦那様がお聞きになったら喜ばれるでしょう」 廊下を歩きながら、私は何とも言えない違和感を覚えていた。この屋敷には多くの使用人がいるはずなのに、人の気配が薄いのだ。時折、廊下の向こうを誰かが通り過ぎるのが見えるのだが、足音が全く聞こえない。「あの……」 私は遠慮がちに声をかけた。「こちらにはたくさんの方がお勤めなのでしょうか?」「はい。この屋敷には二十人ほどの使用人がおります」 華は振り返って答えた。「皆、長年この家にお仕えしている者ばかりです。奥様のことも、きっと大切にお守りするでしょう」 大切にお守りする――その言葉に込められた響きが、単なる主人への敬意以上のものに聞こえた。まるで私を何かから守らなければならない事情があるかのように。「華さん」 私は思い切って尋ねた。「もしかして、私のことをご存知だったのでしょうか? 先ほどから、初対面とは思えないようなお顔をなさっていて……」 華の足が止まった。振り返った彼女の表情には、明らかな動揺があった。「いえ、そのような……」 華は言葉を濁し、それから僅かに俯くと、深く息を吐いた。「申し訳ございません。実は、奥様の曾祖母様のちよ様を存じ上げておりまして」「曾祖母を?」 私は驚いて声を上げた。「はい。ちよ様には、若い頃この屋敷でお世話になったことがございます。奥様のお顔立ちが、ちよ様にそっくりでいらしたもので……」 曾祖母のちよが朝霞家と関わりがあった――。それは初耳だった。理玖が私を見つけ出せたのも、そういう縁があったからなのだろうか。「そうだったのですね」 私は華の表情を見つめた。彼女の目には、懐かしさと同時に、何か言えない秘密を抱え
Read more
第5話 夕食の時間
 柱時計から夕刻の七時を告げる鐘が鳴ると、若い女中が私を迎えに来た。「奥様、お食事のご用意ができております」 彼女もまた、足音をほとんど立てずに歩いた。廊下を進みながら、私は改めてこの屋敷の静寂さに驚いていた。二十人もの使用人がいるというのに、まるで誰もいないかのように静かなのだ。 案内された食堂は、屋敷の他の部屋と同様に和洋折衷の美しい空間だった。長いテーブルには西洋風の椅子が並び、その上には繊細な和食器が美しく配置されている。部屋の四隅には提灯が下がり、壁には風景画が掛けられていた。  そしてテーブルの上座に、理玖が座っていた。「お疲れ様でした」 理玖が立ち上がって私を迎える。「お部屋はいかがでしたか?」「とても素敵なお部屋をありがとうございます」 私は丁寧に頭を下げた。「華さんにも大変よくしていただいて……」「それは良かった。華は長年この家に仕える古株ですから、何でも相談してください」 理玖は私のために椅子を引いてくれた。そのさりげない仕草は完璧に紳士的で、作法に一点の曇りもない。「ありがとうございます」 席に着くと、すぐに料理が運ばれてきた。季節の野菜を使った煮物、新鮮な刺身、上品に味付けされた焼き魚。どれも料亭で出されるような見事な品々だった。「口に合いますでしょうか?」「はい、どれもとても美味しいです」 理玖に問われ、私は正直に答えた。「こんなに豪華なお食事をいただいて、恐縮してしまいます」「妻が遠慮する必要はありません」 理玖は静かに微笑むけれど、その笑顔は、どこか表面的に見える。「これからは、ここがあなたの家なのですから」 妻、という言葉に私の頬が熱くなる。例え契約上のことだとしても、まだ慣れない響きにいちいち戸惑う。食事の間、理玖は完璧すぎるほど優雅だった。箸の持ち方、食べ物を口に運ぶ所作、すべてが絵に描いたような美しさで、まるで舞台の上の役者を見ているようだった。「朝霞様」 私は意を決して口を開いた。「改めて、契約の内容を確認させていただけますでしょうか?」 理玖の手が一瞬止まった。それから彼は箸を置き、私を見つめた。「もちろんです。確認は大切ですから」 理玖の声は相変わらず穏やかだったが、その瞳には冷たい光があった。「まず、あなたには一年間、私の妻として振舞っていただきます。対外的には、
Read more
第6話 夜、一人の時間
 部屋の襖を閉めた瞬間、私はようやく一人になれたことに安堵のため息をついた。 奥の寝室には既に布団が敷かれていて、すぐに休めるようになっている。布団は私がこれまで使っていたものと違って、ふかふかと厚みがあって柔らかそう。 床の間に飾られた花の甘い香りが疲れを癒してくれる気がした。箪笥や化粧台に触れてみると、温かい木のぬくもりが伝わってくる。 借金取りに追われていた数日前の生活とのあまりの落差に、現実感が湧かない。「本当に、これが私の部屋なの……」 呟きながら、私は持参した小さな竹籠の中から、形見の一つである手鏡を取り出した。銀の縁に繊細な菊の花の彫刻が施された小さな鏡は、曾祖母のちよが遺してくれた大切な宝物だった。 鏡面に映る自分の顔を見つめながら、私は今日一日の出来事を振り返った。 朝霞理玖という人は、確かに紳士的で礼儀正しい。容姿端麗で、言葉遣いも丁寧。けれど、どこか近寄りがたい雰囲気がある。まるで美しい氷の彫刻を見ているような、触れれば凍えてしまいそうな冷たさを感じるのだ。「あの方は、どうして私を選んだのかしら」 私は鏡に映る自分の顔を改めて見詰めた。特別美しいわけでもない。家柄も今では没落している。理玖ほどの男性であれば、もっと相応しい相手がいくらでもいるはずなのに。 夕食の席で交わした会話を思い出す。契約結婚の条件を淡々と説明する理玖の声には、感情の起伏が一切感じられなかった。まるで商談でもしているかのような、事務的な口調。曾祖母との約束だと言っていたけれど、曾祖母が亡くなって長い今、そんな約束など反故にされてもおかしくもない。「朝霞様の正体や仕事の詳細を詮索しない、か……」 その時の理玖の表情が妙に印象に残っている。一瞬、目の奥に何か暗いものが宿ったような気がしたのだ。正体、という言葉の使い方も気になった。普通なら「私生活」や「仕事の内容」と言うところではないだろうか。 私は鏡を大切にしまいながら、曾祖母に対する感傷に浸った。「曾祖母様、私は正しい選択をしたのでしょうか」
Read more
第7話 深夜の廊下
 眠りについてからどれほど経ったのだろう。私は喉の渇きを覚えて目を覚ました。 枕元に置いた懐中時計を見ると、針は午前二時を指している。静寂に包まれた屋敷の中で、時を刻む音だけが規則正しく響いていた。「お水を……」 私は小さく呟きながら布団から起き上がった。昼間、華に案内された時の記憶を辿りながら、台所への道筋を思い出す。確か廊下を右に進んで、階段を下りた先にあったはずだ。 部屋着の上に羽織を引っ掛けて、そっと扉を開ける。廊下は薄暗く、ところどころに置かれた行灯が仄かな明かりを灯していた。昼間見た時とは全く異なる、幻想的で静謐な雰囲気に包まれている。「静かね……」 足音を立てないよう気をつけながら廊下を歩いていると、大きな窓から月光が差し込んでいるのが見えた。今夜の月はとりわけ美しく、銀色の光が廊下全体を淡く照らし出している。 その時だった。「こんな夜中に、どうされたのですか?」 突然声をかけられ、私は驚いて振り返った。「あ……朝霞様」 そこには月光に照らされた理玖の姿があった。昼間の洋装とは違い、深い紺色の着物を纏った和装姿で、いつもと違った趣がある。月明かりの中で見る彼は、まるで絵画から抜け出してきたかのように美しく、思わず見惚れてしまう。「眠れませんか?」 理玖は穏やかな声で問いかけてきたが、私は違和感を覚えていた。昼間の彼よりもさらに所作が静かで、まるで音もなく現れたような――。「いえ、少し喉が渇いて……お水をいただこうと思いまして」「そうですか」 理玖は微かに頭を下げた。その動作も、やはり音がしない。着物の裾が擦れる音すら聞こえないのだ。 月光が理玖の横顔を照らしている。彫刻のように美しい輪郭、長い睫毛、整った鼻筋。私は、その美しさの中に人間離れした雰囲気を感じて、無意識のうちに一歩下がってしまった。「この屋敷は古いので、慣れるまで時間が掛かるかもしれません」 理玖の声は優しかったが、なぜかその言葉に深い意味が込められているような気がする。まるで、慣れなければならないのは建物の古さだけではない、とでも言うように。「そう……ですね」 私が答えた時、理玖がゆっくりとこちらを向いた。 月光の下で見る理玖の瞳は、昼間よりもずっと深く、神秘的だった。そして――。「……!」 私は息を呑んだ。一瞬、理玖の瞳が縦に細くなった
Read more
第8話 翌朝の食卓
 朝の光が薄いカーテン越しに差し込み、私は自然と目を覚ました。 時計を見ると七時を少し回ったところ。昨夜の出来事が夢だったのかと思うほど、穏やかな朝だった。鳥のさえずりが聞こえ、庭からは爽やかな風が吹き込んでくる。「おはようございます、奥様」 身支度を整えて部屋を出ると、廊下で華が待っていた。昨夜見た薄暗い廊下とは打って変わって、朝の光に満ちた明るい空間になっている。「おはようございます、華さん」「お食事の準備ができております。旦那様もお待ちです」 華の案内で食堂に向かいながら、私は昨夜の記憶を辿った。あの不思議な出来事は本当にあったことなのだろうか。明るい朝の光の中では、全てが夢のように思えてくる。「失礼いたします」 食堂の扉を開けると、そこには昨夜とは全く違う理玖がいた。 明るいグレーのスーツに身を包み、新聞を読みながら優雅にコーヒーカップを傾けている。朝の光に照らされた横顔は穏やかで、昨夜感じた得体の知れない雰囲気は微塵も感じられない。「おはようございます」 理玖は新聞から目を上げると、完璧な笑顔で私を迎えた。その瞳は美しい琥珀色で、昨夜見た獣のような縦の瞳は影も形もない。「おはようございます、朝霞様」 私は軽く会釈をして、向かいの席に座った。テーブルには焼きたてのパンと、色とりどりの料理が並んでいる。「よくお眠りになれましたか?」「はい、ありがとうございます」 そう答えながらも、私の心は複雑だった。理玖の問いかけは自然で、まるで昨夜の出来事などなかったかのようだった。本当に、あれは夢だったのだろうか。「今日から本格的な新生活の始まりですね」 理玖はナプキンを膝に置きながら言った。その動作も、昨夜の音のない歩き方とは違って、普通に衣擦れの音がする。「何か困ったことがあれば華に相談してください。私は会社の仕事で出かけますが、夕方には戻ります」「ありがとうございます」 私はパンを一口食べながら、理玖の様子を観察した。朝食を取る姿
Read more
第9話 朝霞家の中庭
 庭に出ると、朝の陽光が美しい日本庭園を照らしていた。昨夜見た彼岸花は相変わらず季節外れに咲いているが、昼間見ると不気味さよりも美しさの方が際立っている。「美しいお庭ですね」「ありがとうございます。先代からずっと、この庭を守ってまいりました」 華の言葉に、私は振り返った。「先代というと……?」「旦那様のお父君でございます。もう随分前に亡くなられましたが」 理玖の家族について、私は何も聞いていなかった。そういえば、契約の話以外で彼の私的なことは一切話題に上がっていない。「そうなのですね……」 庭を歩きながら、私は様々なことに思いを巡らせた。この美しい庭園、立派な屋敷、そして謎めいた主人。全てが絡み合って、一つの大きな謎を形作っているような気がした。 池のほとりで立ち止まり、水面を見つめる。清らかな水に青空が映り、鯉がゆったりと泳いでいる。平和で美しい光景だった。  その水面に自分の顔が映った時、私は一瞬息を止めた。 またあの錯覚だった。鏡の中で見たのと同じように、自分の顔が一瞬、別人のように見えたのだ。私よりもずっと気品があって、美しい女性の顔に。「奥様?」 華の声で我に返る。水面を見ると、そこにはいつもの自分の顔があった。「すみません、ぼんやりしていました」「お疲れかと存じます。お部屋でお休みになっては?」「いえ、大丈夫です」 私は首を振った。まだ謎は何も解けていない。でも、焦ってはいけない。時間はまだたっぷりある。 一年間――。  この奇妙で美しい屋敷での生活を通じて、きっと全ての謎が明らかになるはず。 そして、もしかしたら……。 私は理玖が去っていった方角を見た。もしかしたら、彼との関係も変わっていくかもしれない。契約結婚として始まったこの生活が、どんな結末を迎えるのか。 それは、まだ誰にも分からないことだった。 風が吹いて、庭の木々がさわさわと音を立てる。その音に混じって、かすかに鈴の音が聞こえたような気
Read more
第11話 椿京の街
 ある日の朝、華が私の部屋を訪れた。「奥様、お時間はございますでしょうか? 日用品の買い出しにお付き合いいただければと思うのですが」 華の提案は渡りに船だった。契約書で明かされた謎めいた条項の数々が頭から離れず、気分転換を求めていたのだ。「ぜひお供させていただきます」「それでは、お支度をなさってください。椿京の街は初めてでいらっしゃいますね」 華の表情には、どこか安堵のような色があった。まるで、私を外に連れ出すことに、何かしらの意味があるかのように。支度を整えて玄関に向かうと、既に人力車が用意されていた。車夫の男性は、私たちを見るなり深々と頭を下げた。「朝霞の奥方様、本日はよろしくお願いいたします」「朝霞の奥方様」という呼び方に、まだ慣れない。けれど、車夫の丁寧すぎる態度に、理玖の影響力の大きさを感じ取った。 人力車に揺られながら、私は初めて椿京の街並みをゆっくりと眺めた。朝霞邸から街の中心部へと向かう道は、想像以上に美しく整備されていた。 洋風建築と和風建築が絶妙に調和している。煉瓦造りの銀行の隣に、伝統的な瓦屋根の商家が並ぶ。ガス灯と提灯が同じ通りを照らし、人力車と馬車が行き交う。まるで時代が混在しているような、不思議な街だった。「椿京は明治の初めに開発された新しい街なのですが、古いものと新しいものを大切に残している街でもあるのです」 隣の華が説明してくれる。「とても美しい街ですね」「ええ。旦那様が大変力を入れて開発なさった街ですから」 旦那様……つまり理玖が、街全体の開発に関わっているということだろうか。 人力車は商業区域で止まった。新区と呼ばれるこの一帯には、洋風の商店が軒を連ねている。華やかな看板、美しいショーウィンドウ、行き交う人々の装いも都会的だった。「まずはこちらで日用品を揃えましょう」 華に案内されて入った雑貨店で、店主の老婦人が私たちを見るなり、顔を輝かせた。「これは、朝霞の奥方様でいらっしゃいますね! お噂はかねがね伺っております」「噂を? 私の、ですか?」「ええ、ええ。旦那様がご結婚なさったと聞いて、街中が大変喜んでおります。旦那様にはいつもお世話になっておりますから」 店主の言葉に、私は戸惑った。理玖が街の人々にどれほど慕われているのか、その一端を垣間見た気がした。「朝霞様は、どのようなお世話を
Read more
Explore and read good novels for free
Free access to a vast number of good novels on GoodNovel app. Download the books you like and read anywhere & anytime.
Read books for free on the app
SCAN CODE TO READ ON APP
DMCA.com Protection Status