LOGIN東京の大病院で働く明里は、苦労の末にずっと想いを寄せていた不動産会社の社長、月ノ宮成也と結婚する。 だが、夢見ていた幸せな結婚生活とは程遠い日々を過ごす。 そんな中、妊娠が発覚。これで夫との関係も良好になると思って帰宅すると、成也は別の女性といて……。
View More「おめでとうございます。ご懐妊です」
眼の前に座る女医は、心の底から祝福するように、明里に優しい笑みを浮かべた。「ご懐妊」の意味を理解するのに数秒かかり、幸せがじわじわと湧き水のように込み上げてくる。
「本当ですか……!?」
「はい。見てください。これがあなたの赤ちゃんですよ」
女医は腹部エコーでモニターに映った小さな命を指差す。まだ人らしい形はしていないが、小さなそれは確かに動いている。そう、自分の中で。
まだ形すらなしていない我が子に、愛しさで胸がいっぱいになる。これが母性。私は母親になるのだと、明里は幸せを噛みしめる。
「次の検査は来週ですね。なにかあったらすぐに電話してください」
「はい、ありがとうございます」
「あとで旦那さんと一緒にいらしてくださいね。それと、安定期はまだ先ですので、安静に」
「はい」
明里は女医に何度も頭を下げ、熱くなる目頭を押さえて診察室から出ると、待合室へ行く。幸い受付前の席が空いていたのでそこに座ると、お腹を擦った。自然と口角が上がっていく。
(もしかしたら、この子がきっかけで、成也さんとうまくいくかも……)
頭では可能性の話だと思っていても、気持ち的には100%うまくいくと思い込む。
明里は外科医として働いており、不動産会社の社長である月ノ宮成也と結婚している。交際期間は幸せそのものだったが、結婚して家に入ると、地獄が待ち受けていた。
釣った魚に餌はやらないと言わんばかりに、冷たい態度の夫。女なのに外科医の明里が気に食わない義両親。そして夫の生命の恩人でもあるという、幼馴染の榎本ミア。
成也の実家はこの4人で完成しているように感じて、明里の居場所はどこにもなかった。特に、花瓶事件が置きてからは……。
頻繁に月ノ宮家に出入りしているミアが、花瓶を運んでいる明里を背後から押して怪我をさせた。すぐに駆け寄った義母に説明しようとしたが、ミアが大声で喚いて邪魔をしたのだ。その上、明里がわざと花瓶を割ったと嘘をついた。
花瓶は義母のお気に入り。義母は明里が真実を訴えても聞く耳を持たずに、ミアの言葉だけを信じた。それから月ノ宮家では「明里はミアに濡れ衣を着せようとした最低女」と認識され、ずっと冷たい態度を取られてきた。
(でも、それも今日でおしまい)
ドキドキしながら家のドアを開けると、信じがたい光景が広がっていた。玄関で成也とミアがキスをしていたのだ。それも、ミアが明里の服とエプロンを身に着けて。
「あらぁ、帰ってきたの?」
「何、してるの……。その服は、私の……」
「違うわ。月ノ宮家の嫁の服よ」
外出準備を済ませた義母が、会話に割って入る。彼女は明里をてっぺんから爪先まで舐め回すように見ると、鼻で笑う。
「仕事してる女って、色気も可愛げもなくていやね。ねぇ、ミアちゃん」
「本当ね。仕事が恋人の女って、負け組よねぇ」
「まったくだわ。それじゃ、ミアちゃん。あとはよろしくね」
義母はミアに笑いかけ、明里を押しのけて家を出た。
「成也さん、あなたは私と結婚してるんでしょ? なんでそんなことを……」
「戸籍上なんて、無意味な話はよすんだ」
成也はうんざりしたような顔をして、ため息をつく。その顔には、面倒事を起こすなと書いてあるような気がして、明里の気持ちはどんどん暗くなっていく。
(前はこんな人じゃなかったのに)
うつむき、昔のことを思い出す。
ファミレスでの食事が終わると、デパートで買い物をしてから帰った。ただでさえ入院で体力が落ちているのに、はしゃぎまわったせいで、小雪は帰りの車で熟睡してしまった。涼は小雪を部屋に運んで寝かせると、明里の部屋を訪ねた。「小雪のこと、ありがとう」「ええって。明里も退院明けで、疲れとるやろ?」「うん、正直、デパートで買い物してる途中、ちょっとバテちゃった。兄さんが水を買ってきてくれなかったら、危なかったかも」「家族サービスもええけど、自分のこと大事にせなあかんよ。無理して倒れたら、小雪が悲しむんやから」「そうね……」 涼はうつむく明里の横顔をじっと見る。やはり、元気がないのは疲れだけが原因ではないのだろう。無理もない。娘を何者かに突き落とされたのだから。「なぁ、明里」「なに、兄さん」「俺としては、明里に今すぐにでもゆっくりしてもらいたいんやけど、どうしても話しておかなあかんことがあるんや」「なに?」「あの後、事件性もあるさかい、警察の対処もしとったんやけど。ま、明里のところにも来たから知っとるよな」「ええ。明らかに誰かに落とされたのに、監視カメラにちゃんと映ってなかったって……」「せや。レジャーシートで隠されとったって。せやから、計画的な犯行や思う。前の方なら、濡れないようにレジャーシート持ってても、怪しまれへんしな」「そうね……」「なぁ、犯人に心当たりがあるんと違う?」 涼の言葉に、明里は目を丸くする。心当たりは確かにあるが、そんなこと、誰にも言ったことない。独り言でさえ。「やっぱしな。言うてみ」「けど、確信はあっても、証拠がないの」「女やろ? ツリ目に厚化粧の」 ミアの特徴を言われ、ドキッとする。やはり、病院でふたりが見たのもミアなのではないかと不安が膨らんでいく。「車ん中でこの話した時、様子おかしかったもんな。更に詳しく言うと、露出度高くて、上目遣いをしたり、胸を押し付けたり、典型的なハニートラップするような女やったで」「怪我をしたふり……」 ぼそっと呟くような明里の言葉に、今度は涼が目を丸くする。「なんで知っとるん?」「榎本ミアの常套手段だから」 明里は意を決して、榎本ミアや、結婚生活について話し始めた。浮気をされたり、義家族から不当な扱いを受けていることは知っているようだが、詳しく話したことはなかった。 榎
親子が再会を果たしたのは、2日後のこと。病院の駐車場に涼の車が停まっており、小雪は一足先に乗っていた。明里は退院手続きを済ませ、後から合流する。「ママ!」「小雪! よかった、元気そうで」 後部座席で抱き合う親子を、運転席の涼と助手席の花蓮が、微笑ましく眺めている。「ママ、会いたかった」「ママも会いたかったよ」 顔を見ようと体を離すと、小雪のリュックに見慣れない雪だるまのマスコットが増えていることに気づく。「小雪。これどうしたの?」「え? あぁ、これね。方向音痴のお姉さんに、トイレの場所を教えたらもらったの」 可愛いでしょと自慢する小雪に、頭を抱える。子供というのはいつもそうだ。知らない人からなにかをもらってはいけないと口酸っぱく言っても、相手が優しそうだったからと言って、受け取ってしまう。「もう、知らない人からものをもらっちゃいけないって、いつも言ってるでしょ」「だってー、いいことしたお礼だったんだもん」「まぁまぁ。せっかく会えたんやし、今日は大目に見たってや。それに、変な食べ物でもないんやし」「そうね。次からはダメだからね」 涼になだめられた明里は、ため息をつくと小雪の頭を撫でた。彼の言う通り、せっかく再会したというのに、小言を言いたくない。「はーい」「ほな、行こか。お祝いにどこかで美味いモン食べよ。小雪、何が食べたい?」「お子様ランチ!」「よっしゃ、ファミレス行こか」 涼は車を走らせ、ファミレスに向かう。「そういや、俺も会うたな、方向音痴のお姉さん。同じ人かもしれへん」「おじさんも会ったの?」「ふたりが入院した日にな」「どんな人だったの?」「綺麗なお姉さんだったよ」 明里の問いに、小雪が元気よく答え、車内は和やかな雰囲気になる。「確かに、綺麗やったな。ちょっとツリ目で、化粧が濃かったけど」 涼の言い方には、どこか棘があった。(ツリ目に厚化粧……。まさかね……) ツリ目に厚化粧の女性など、掃いて捨てるほどいる。それでもミアなのではないかと、不安になる。「ママ、どうしたの?」「お嬢様、もしかしてまだ、体調が優れませんか?」「え? あぁ、違う。なんでもない。大丈夫」 我に返り、ごまかす明里を、涼はバックミラー越しに見ていた。「ほら、ついたで。美味しいモン、ぎょうさん食べよな」 ファミレスに着くと
夕方の病院待合室。ひとり取り残されたミアは、イライラしていた。自販機が並ぶ粗末なカフェスペースに行って炭酸ジュースを買うと、一気に飲み干す。げっぷが出てもお構いなしだ。ここには誰もいないのだから。「はぁ、ムカつくムカつく……!」 ぎりりと親指の爪を噛む。ミアの悪癖だ。「なんなの、あの男。ホモなんじゃないの」 先程の涼とのやり取りを思い返し、舌打ちする。ミアが色目を使えば、大抵の男が落ちていく。その時は断っても、下心が見え隠れし、2,3回声をかければ思い通りになる。だが涼はどうだ? 上目遣いをしても、胸を押し付けても、鼻の下を伸ばすどころか、冷たく突っ放した。今まで様々な男を落としてきたミアにとっては、考えられない出来事だった。「あの男もだけど、あの女、どうして神宮寺に……?」 1番気になるのは、やはり明里のことだった。成也と明里が結婚した後、ミアは粗探しのために明里の身辺調査をした。出てきたのは意地汚い養父だけで、それ以外やましいものや、特筆すべき過去は出ていない。「まったく、どんな取り入れ方したんだか。地味な女のくせに、金持ちに取り入る才能だけはあるみたいね」 明里のことを思い出すだけでイライラする。あんな地味な女には、成也も神宮寺涼も似合わない。せいぜい冴えない紐とくっついて、苦労すればいい。「どこまでも目障りな女……。今に見てなさい、私の気分を害した罪は重いんだから」 ぎり、ぎりり――。 1歩間違えれば深爪するところまで噛みちぎる。「どんな手を使ってでも、地べたに這いつくばらせてやる」 悪魔のような笑みを浮かべ、低い声でくつくつ笑う。 ミアは昔から、自分の思い通りにならないと気がすまなかった。学生時代、仲のいい子と別のクラスになれば暴れ、誕生日プレゼントで欲しくないものを贈られれば、押し返して返品させ、別のものを買わせた。 座りたい席に座れないだけでも癇癪を起こすものだから、誰もがミアを腫れ物扱いした。当の本人は、それを特別扱いと勘違いし続けているが。 ミアにとって、成也はお気に入りだった。顔も家柄も申し分ない。何より小さい頃から自分に懐いている。成也やいずれ、自分と結婚するものだと思っていた。それなのに、明里なんてぽっと出の地味女に取られてしまった。 戸籍ばかりは、ミアひとりでどうにもならない。だから成也の両親に明里の
「ママは元気やから、安心しぃ。きっと、明日になったら会えんで」「うん……」「ほれ、チョコの花束や。ほしい子どーこや?」 元気がない小雪を見てられず、涼はチョコの花束を出して小雪に見せた。棒付きキャンディのように棒の先端にチョコがついており、色とりどりの包装紙にくるまり、花束のようになっているチョコレートだ。小雪は目を輝かせ、元気よく手を挙げる。「はーい!」「ええ子の小雪ちゃんに、もうひとつプレゼント」 涼はチョコの花束を渡すと、ポケットから飴玉をいくつか取り出し、小雪に手渡す。 元々スモーカーだったが、明里の妊娠を知ってすぐ、煙草を捨てた。それ以来、口さみしくなった時のために飴玉を持ち歩いている。小雪が産まれてからは、いつでも渡せるように可愛らしく色鮮やかな飴玉に変わっていった。「ありがとう、おじさん」「お礼なら、退院した後にデートしてや」「うん! 行こー」「はぁ、小雪はママに似て、ほんまかわええなぁ」 小雪の頭をわちゃわちゃ撫でて額におやすみのキスをすると、病室を後にした。 病院の長い廊下を歩きながら、考える。明里は明らかに嘘をついている。小雪が水槽に落ちたのは、事故ではないはずだ。ふたりが行った水族館には、涼も行ったことがある。あの頃と同じ柵と過程して、小雪がなにかの弾みで落ちることなどありえない。 1番の問題は明里だ。何か知ってて、涼に隠している。それがなにかは分からないが、今回の事件に関することだろう。(なんで隠すん? まだ俺のこと、信頼しきれへんのやろか?)「きゃっ」 考え事をしていると、誰かにぶつかってしまった。涼は慌てて倒れた女性を抱き起こす。「すんません、考え事しとって……」「いえ、私も前を見てませんでしたから。あの、お恥ずかしいんですけど……」 女性はもじもじして、上目遣いで涼を見つめる。考え事に戻りたい涼は、少し苛ついた。「私、方向音痴で……。ここ、どこですか?」 女性の言葉に、涼は吹き出す。イライラもどこかに行ってしまった。「なんや、おねーさん。迷子かいな」「はい。私、極度の方向音痴で……」「ここは小児病棟やで」「えー……。なんで私、小児病棟に来ちゃったんだろう……。帰りたかっただけなのに」「お見舞いの帰り?」「はい、そうです。もしよかったら、出入り口まで案内してくれませんか?」「ええ