LOGIN大企業社長・東雲秋の偽りの才能と、それを支える秘書・春。嫉妬に燃える妻・夏花、春を守る冬――四人の心が交差し、季節のように愛と再生がめぐる物語。
View More数か月後。空はやわらかな陽光に包まれ、街には新しい芽吹きの香りが満ちていた。ビルの一角、小さなガラス張りのオフィス。その扉には、新しい社名が掲げられている。株式会社 四季コンサルティング― 代表取締役 西條 春《さいじょう はる》 ―机の上には、白いカーネーションの花が一輪、陽を受けて小さく揺れていた。「社長、そろそろクライアントとの打ち合わせの時間です。」落ち着いた声が背後から届く。冬だった。黒のスーツを少し緩め、いつものように穏やかに微笑んでいる。春は手帳を閉じ、顔を上げた。「ありがとう。準備はできてる?」「もちろん。あなたの完璧さに合わせようと努力してますから。」冗談めかした口調に、春は小さく笑った。「昔は“誰かの影”として完璧でいようとしてた。 でも今は――“自分のために完璧”でありたいの。」冬《ふゆ》は頷きながら、その瞳で春を見つめる。「あなたの“春”は、やっと咲いたんですね。」春は少し頬を染めて微笑んだ。「ええ。でも、これからが本番よ。」二人は並んで窓の外を見た。通りの桜並木が満開を迎え、風に舞う花びらが陽の光の中を踊る。「四季って、不思議ね。」春がぽつりと言った。「移ろうたびに寂しさを残していくのに、 それでも、次を信じさせてくれる。」冬はその言葉に微笑を深めた。「季節がめぐるように、人も変わっていく。 でも、君の春は――もう、奪われない。」春は静かに息を吸い、心の中でそっと呟いた。――ありがとう。 あの嵐を越えて、ここにいる自分へ。 そして、あの日、手を伸ばしてくれた人たちへ。外の風が、オフィスのカーテンを揺らす。花びらが一枚、窓の隙間から入り込み、彼女のデスクの上に、ふわりと落ちた。春はそれを指先でそっと摘み上げる。
夜明け前、まだ街が眠っている時間。東雲《しののめ》グループの本社ビルの屋上に、一人の女性が立っていた。白いワンピースが風に揺れ、髪が月光に透けて見える。南 夏花《みなみ なつか》。かつて社交界で“氷の華”と呼ばれた女。その姿は、いまや儚い影のようだった。手に持つスマートフォンの画面には、ひとつの送信ボタン。そこには、東雲家の不正会計を示す証拠と共に、彼女自身の告白文が添えられている。「これで、終わりね……」夏花は微笑んだ。「私が壊したものは、もう戻らない。 でも、せめて――愛した人の未来だけは残していきたい。」彼女はそっと風に顔を向けた。夜が明ける。その瞬間、彼女の頬を伝う涙が、光に照らされて消えた。⸻翌朝。ニュースは、南夏花の失踪と同時に、東雲グループの会計不正を告発する匿名情報を報じた。社内は混乱。だが、その中心で、東雲 秋《しののめ しゅう》は静かに立っていた。顔には疲労の影。だが、以前のような虚飾の笑顔はもうなかった。「……これが、俺の罪の形か。」秋はすべてを記者会見で語った。自分が経営の多くを秘書に頼りきり、能力を偽り、妻の孤独を見過ごしていたこと。会場に沈黙が落ちる。だが、誰かが拍手した。それは、一番後ろにいた一人の女性――西條 春《さいじょう はる》だった。⸻数日後。春は北宮グループのオフィスの窓辺に立っていた。季節は冬の始まり。吐く息が白く、街の灯りがやわらかく滲む。そこへ、冬が入ってくる。彼は無言でコーヒーを差し出した。「冷える夜ですね。」「……ええ。でも、嫌いじゃないです。」二人の間に、少しの沈黙。そして春が静かに言う。「私、あの会社を出てから、やっと気づいたんです。 “
夜、雨が降っていた。東雲《しののめ》邸の灯りは、いつもより強く揺れている。夏花《なつか》は、窓の外の雨を見つめていた。手にはワイングラス。中身はもう空で、指先に残る赤が血のように滲む。彼女の目は静かに笑っていた。「愛してるわ、秋《しゅう》。だから――全部壊してでも、私の方を見てほしかったの。」テーブルの上には、一枚の報告書。“内部調査報告書:南夏花によるシステム改ざんの疑い”。冬《ふゆ》の署名入りだった。夏花はゆっくりと紙を丸め、指で潰す。「あなたたちが……私の世界を、汚した。」⸻同じ夜。春は会社の会議室で、秋と向かい合っていた。デスクの上には資料も何もない。ただ、互いの沈黙だけがあった。「……ずっと、気づかないふりをしていた。」秋が口を開いた。「君がどれほど支えてくれていたかも、 妻が君にどんな視線を向けていたかも。 全部、わかっていたのに。」春は静かに首を振る。「私は社長のために働いてきただけです。 それ以上でも、それ以下でもありません。」「それが嘘だってことも、俺には分かる。」秋の声は、少し震えていた。「君が笑わなくなってから、会社の空気まで変わった。 ……俺は、君がいることで救われてたんだ。」春の喉が詰まる。「そんなこと……言わないでください。」「なぜだ?」「そんな言葉、今さら意味がない。」「ある。」秋が立ち上がり、机越しに一歩近づく。その瞳は、痛みを抱いたまま真っすぐだった。「俺は、君を――」その瞬間、ドアが勢いよく開かれた。「やめて。」夏花がそこに立っていた。濡れた髪、乱れた呼吸。手には一枚の写真。――春と冬が並んで歩いている写真だった。「あなた、本当に最低ね。」夏花の声は静かで
朝の光は灰色だった。ビルの窓に打ちつける雨が、いつもより重く感じる。春は出社してすぐ、周囲の視線に違和感を覚えた。挨拶をしても、返ってくる声がどこかよそよそしい。コピー機の横で、ひそひそと囁く声。「見た? あのメールの件……」「まさか春《はる》さんが、ね……」“あのメール”――何のことか分からなかった。だが、数分後。人事部からの呼び出しが届く。⸻応接室には秋《しゅう》がいた。そして隣には、夏花《なつか》。彼女は淡いグレーのスーツを着こなし、いつもよりも落ち着いた表情をしていた。「西條《さいじょう》さん。」秋の声は、どこか硬い。「機密資料の一部が外部に流出した件で、調査が入っている。」春は息を呑んだ。「……そんな、私は……」「あなたの端末から、外部送信が確認された。」「そんなはずありません!」「落ち着いて。」夏花がそっと声を差し挟む。「私、昨日あなたのデスクの近くで、USBを見かけたの。 誰のものか分からなくて……まさか、と思ったけど。」優しい声。だが、その言葉が刃のように刺さる。「ちがいます……私はそんなこと――」「調査が終わるまでは、自宅待機にしてもらう。」秋の表情は冷たくはなかった。けれど、どこか“信じ切れない”色があった。春の中で、何かが崩れた音がした。⸻デスクに戻ると、引き出しが開けられていた。中に入れていたはずの契約書控えは消えている。代わりに、小さなメモだけが残されていた。「形ある忠誠ほど脆いものはないわ。」文字は整っていて、あの女の筆跡だった。夏花。春は拳を握りしめ、震える指でスマホを掴む。けれど、秋に連絡を取ることはできなかった。信じてくれないかもしれない。それが一番怖かった。⸻雨の中