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愛は風に消えて、帰る日はいない
愛は風に消えて、帰る日はいない
Auteur: 安田徹

第1話

Auteur: 安田徹
産婦人科の外来。

長野夕月(ながの ゆづき)が今日最後に診た妊婦は、妊娠九ヶ月の女性だった。

若くて美しく、二十歳そこそこの、まだ大学生のような出で立ちをしている。

「横になってください。検査します」

女性は素直に横になり、膨らんだお腹に手を当て、幸せそうに微笑んでいる。

「先生、実は先週も検診を受けたんです。ただその……夫とさっきしたばかりで、ちょっと激しいから、少し気分が悪くなった。夫が心配して、どうしても診てもらえって」

「津田青音(つだ あおね)さん、ですね」

夕月は視線を落としてカルテを確認する。家族欄に目が止まった瞬間、指先がぴたりと止まる。

夫の氏名欄には、平松樹(ひらまつ いつき)と書いてある。

奇妙な偶然だ。自分の夫も同じ名前だ。

「先生、どうかしましたか?」

「いえ、何でもありません」

夕月は首を振り、そのまま検査を続ける。

同姓同名なだけのはずだ。樹はあんなに自分を愛しているのだから、裏切るなんてあり得ない。

結婚して五年、彼はありったけの偏愛を夕月に注いできた。

仕事で出張に行くたびに、真っ先にプレゼントを買ってきてくれる。

車に宝石、バッグ、服。部屋が埋まるほどに増えていった。

不動産でさえ、すべて彼女の名義にしている。

ある年のドライブ旅行では落石に遭い、彼は迷わず夕月を庇って下敷きになった。

震え上がる彼女を死に物狂いで抱きしめ、大丈夫だ、絶対に守ると励ましてくれた。

その後、彼は重傷でICUに運ばれたが、彼女はかすり傷で済んだ。

去年、彼女は妊娠した。だが子宮外妊娠だった。

痛みに耐えて手術を受けた後、同僚からは今後妊娠は難しいかもしれないと言われた。

産婦人科医でありながら、自分はもう子どもを持てないかもしれない。その事実は、何よりも重くのしかかる。

絶望の底にいたとき、樹の母親は彼に離婚を迫った。それでも彼は言い切った。「母さん、俺の妻は一生夕月だけだ。彼女と別れるくらいなら死んだ方がいい」

それ以来、彼の母親が離婚や出産のことで口を出すことはなくなった。

子どもが欲しくて、体外受精も何度も試した。けれど結果はいつも同じだった。

樹は彼女の体を気遣い、もう子どもはいらないとまで言った。

こんなにも彼女を愛している男が、浮気などするはずがない。

検査を終え、夕月は手袋を外してゴミ箱に捨てる。

「特に問題はありません。次もきちんと検診を受けてください。妊娠後期ですから、少しは気をつけて。夫婦生活も控えめに」

若い二人は、ずいぶん激しいようだ。

妊娠後期だというのに、この女性の体には愛し合った跡がいくつも残っている。

自分と樹のことを思い出す。体外受精で体を痛めて以来、彼は彼女に無理をさせたくないと言い、二人は長い間そういう関係から遠ざかっている。

青音は頬を赤らめて笑う。「全部、夫のせいです。私を見ると我慢できないって言うんです。最近は毎日で、今日の午後も……でも妊娠前よりは優しくなりましたよ。妊娠前はもっと回数も多くて、激しかったんです」

「そうですか」

夕月は軽く微笑む。「それから少し貧血気味ですね。鉄剤を出しておきます。お一人ですか。それともご主人を呼びますか」

「外で待ってます。検診のときは毎回一緒なんです。先生が妊娠したら、ご主人もきっと同じくらい心配してくれますよ」

夕月は一瞬言葉に詰まる。数日前、彼女は病院で体外受精を受けたばかりだ。

樹は付き添うと言っていたが、急な出張が入ったとかで、いまだに姿を見せていない。

そのとき、スマホが震えた。画面を見ると、樹からのメッセージ。

【夕月、今日は迎えに行けそうにない。まだ出張中で、仕事が終わったらすぐに帰る。愛してるよ】

胸の奥のわずかな寂しさを押し込め、夕月は画面を閉じた。

「では、ご主人を呼んでください」

青音は外に向かって声を上げる。「あなた、入ってきて。ちょっとふらつくの」

ドアが開き、逆光の中から、高くて見覚えのある影が入ってくる。

「ごめん、次はもう少し優しくするから」

男は部屋に入るなり、慣れた手つきで女性を抱き寄せた。

夕月が顔を上げると、男もまた彼女の方を見つめている。

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