LOGIN誕生日当日の夜明け前。 私は、藤堂清貴(とうどう きよたか)が用意してくれた会場にこっそり指輪を忍ばせ、彼を驚かせてやろうとしていた。 思いがけず、扉の向こうでは、まだ明かりがついていた。 床いっぱいに散らばった色とりどりの風船。 その中心で、清貴は何事もなかったように、ひとつ、またひとつと風船を結んでいる。 「別れるどころか、桃花まで呼んで誕生日会の準備をさせるなんて。お前、本気かよ?」 誰かの声がした。 清貴は退屈そうに煙草の火をもみ消した。 「あいつ、すぐ傷つくからな。別れるのも面倒なんだよ」 伸ばしかけた私の手が、扉の前で止まる。 隣にいた佐伯桃花(さえき ももか)が、くすりと笑った。 「私たち、賭けてるの。十二星座の恋人を先に全員そろえたほうが勝ち。負けたほうは、相手の願いを一つ聞くって。 清貴にとっては、あの子がもう十一人目よ。今さらやめるわけないじゃない」 扉一枚を隔てて、彼の声はあまりにもはっきり聞こえた。 「当然だろ。次の相手なら、もう見つけてある」 扉の隙間から見えた清貴の横顔。 冷たくて、知らない人みたいな顔だった。 指輪を外し、父に頭を下げて用意してもらったプロジェクト契約書と一緒に、近くのゴミ箱へ捨てた。 それきり、私はもう二度と振り返らなかった。 背後で、誰かが聞いた。 「で、あの子は何座なんだっけ?」 「さそり座」 ねえ、清貴。 さそり座の女が、いちばん執念深いって知らなかった?
View More「あなたは、自分の過去に囚われていた。だから、自分だけが不幸でいることに耐えられなかった。みんな自分と同じように、惨めな場所で這いつくばっていればいい。そう思っていた。でもね、あなたが不幸だったことは、最初から誰のせいでもないわ」この数日で集めた決定的な証拠を、清貴の前に突きつけた。かつて藤堂宗一郎は、激昂した拍子に、清貴へ「お前は、遥臣の足元にも及ばない」と言い放った。たったその一言で、清貴は宗一郎を階段から突き落とした。それが致命傷となり、宗一郎は命を落とした。母親は、そんな息子を庇い、最後まで口を閉ざした。けれど清貴は、遥臣の妻の宝石を母親の持ち物に紛れ込ませ、彼女に盗みの濡れ衣を着せた。その結果、彼女は藤堂家を追われ、海外へ追いやられた。彼女は今も、自分が命がけで庇った息子に陥れられたとは知らない。遥臣に対しても、清貴は同じように手を下していた。遥臣は、生まれつき子どもができない身体だったわけではない。長年にわたって清貴に薬を飲まされていたのだ。こうして見ると、清貴は幼い頃から、自分の利益のためなら手段を選ばない人間だったのだ。そこまで突き止めた時、背筋が凍った。あの夜、私を助けてくれたことさえ、今となっては本当に善意だったのか分からない。会場中が騒然となる中、遥臣は清貴に駆け寄って我を忘れたように殴りかかり、やがて力尽きたようにその場に崩れ落ちた。ライブ配信の視聴者数は、すでに十万人を超えていた。【エグすぎる……実の父親と兄だぞ……】【遥臣も清貴をそこまで追い詰めたわけじゃないだろ。人生ごと潰すとかヤバすぎ】【警察ちゃんと動いて。これ、普通に事件でしょ】……清貴はただ、無言で立ち尽くしていた。やがて自嘲するように小さく笑い、何かを諦めたようにぽつりと呟いた。「若菜。お前は俺とは違う。でも、お前が俺じゃなくて、本当によかった」清貴が不意に身をかがめると、女性たちがさっと私の前に立ちはだかり、警戒した目で彼を睨んだ。私が思わず身を引くと、伸ばしかけた清貴の手が行き場を失ったように止まる。しばらくして、彼は何も言わないまま、床に落ちていたウェディングドレスの切れ端を拾い上げ、そのまま出口へ向かった。ざわめく人波が、自然と左右に割れる。遠ざか
がらんとした式場には、まばらに人が座っているだけだった。その中で、清貴はすぐに私を見つけた。目にぱっと光が宿る。私がウェディングドレスを着ていることに気づくと、その顔が、あからさまに明るくなった。「若菜……許してくれるんだな?」背後の桃花のことなど忘れたように、清貴は大股でこちらへ向かってくる。桃花も血相を変えて、その後を追った。「あんた、そんな格好で来て、何のつもり!?」私は一歩横へずれ、軽く手を上げた。同行させていたカメラマンが、式場の一角にライブ配信用の機材を手早く設置する。私の登場を見て、様子見をしていた財界の関係者たちも、次々と席につき始めた。空席だらけだった式場は、あっという間に人で埋まっていく。私はマイクを手に取った。「配信をご覧の皆様。この度はお騒がせしております。本来であれば、今回の件について、これ以上申し上げるつもりはありませんでした。ですが、藤堂さんおよび佐伯さんの支持者を名乗る方々から、私のSNSに多数の誹謗中傷のメッセージやコメントが寄せられております。前にも申し上げましたが、私、やられたことは忘れない性格ですので。本日は、その件についてお話しするために参りました」合図とともに、この数日で届いた中傷メッセージやコメントのスクリーンショットが、背後のスクリーンに次々と映し出された。「これらはすべて、証拠として保存しております。現在、水瀬グループ法務部にて法的措置の準備を進めております。証拠はすべて保存済みですので、今さら削除しても無駄だとお考えください。それから……その一部については、IPアドレスが藤堂グループ本社の回線と一致していることも確認済みです。藤堂さん、この偶然について、ぜひ合理的にご説明いただけますか」清貴の表情から、わずかに余裕が消えた。数秒の沈黙のあと、彼は忌々しげに息を吐いた。「……そこまで調べていたのか。若菜。お前は、自分が水瀬家の令嬢だなんて一言も俺に言わなかった。俺たちがここまでこじれたのは、お前が先に全部壊したからだろ」「そうかしら?」冷たく笑い返し、アシスタントから差し出されたはさみを受け取った。純白のウェディングドレスの裾に、迷いなくはさみを入れる。ジョキリ、ジョキリ。清貴との過去が、音を立てて
「若菜」清貴が焦ったように私の手をつかんだ。「もう一度だけ、俺にチャンスをくれないか?俺は……お前のことを、ただの遊びだと思っていたわけじゃない」「清貴。私、言ったわよね。あなたの言葉なんて、もう二度と信じない」あの日のあと、私は退職の手続きのため、藤堂グループへ向かった。清貴は事あるごとに、私と付き合ってからの衣食住はすべて自分が面倒を見てきたと口にしていた。けれど、入社してわずか一か月の間に、私がチームをまとめて進めたプロジェクトは、藤堂グループに数億円もの利益をもたらしている。私が受け取ってきたものは、すべて正当な対価だった。私物をまとめてビルを出ると、私が来ていると聞いたらしい清貴が、息を切らして追いかけてきた。「若菜。俺が悪かった。本当に反省した。だから、せめて話だけ聞いてくれ。俺は、生まれた時から誰にも望まれてなかった。まともに愛されたこともない。だから、誰かが本気で俺を好きになるなんて、信じられなかったんだ。いつも余裕があるふりをして、人を試して、負けてないって証明しようとしてた。笑われる側には、二度と戻りたくなかった。お前と本気で別れるつもりなんてなかったんだよ。ただ、桃花との賭けを早く終わらせたかった。そうすれば、お前の父親と組むきっかけにもなると思ったんだ」容赦なく照りつける日差しに、視界が少し滲む。「あの夜、扉の向こうであなたたちが話していたことは、全部聞いていたわ。私はさそり座。あなたにとっては、星座をそろえるための十一人目でしかなかった。最初から、あなたたちの賭けの道具でしかなかったのよ。でもね、私、やられたことは忘れないの。今さらそんな言い訳を聞かされても、悪い冗談にしか聞こえない。もし私が水瀬家の娘じゃなかったら。あなたより強い父親がいなかったら。今日こうして、あなたの言う本気とやらを聞くことすらできなかったんじゃないの?私自身のためにも、あなたに傷つけられた女の子たちのためにも、絶対に許さない。水瀬グループのプロジェクトは、もう諦めなさい」彼の手を振りほどき、足早に車へ乗り込んだ。車が走り出すと、窓の外の清貴の姿はみるみる遠ざかっていく。やがて、人混みと街並みに紛れて見えなくなった。壊れたものは、もう二度と元には戻らない。
清貴の背筋がこわばった。弾かれたように顔を上げ、私を見つめる。宴会場にいた面々も、父が私の隣に並び立つまでを、ただ呆然と見守っていた。「会議が終わってすぐに来たが……来て正解だったようだな。嫌な思いをしたな」父はそっと、私の肩を軽く叩いた。そして私を庇うように一歩前へ出て、その場にいる一人ひとりの顔を見渡す。ただそれだけで、宴会場の空気が凍りついた。その背中を見て、目頭が熱くなる。最初に我に返ったのは清貴だった。「水瀬会長、実は……」「『権力を握る者こそが、ルールだ』と言っていたようだが……藤堂さんの目には、私はその権力を握っている人間に見えるのかな」父の言葉に、清貴の顔から血の気が引いた。「若菜さんとは少し行き違いがあったようです。後日、改めてお宅へ伺い、直接お詫びをさせてください」「うちみたいな貧乏人の家に、藤堂様をお迎えするわけにはいかないでしょう?」「若菜……」「若菜、今まで誤解してて、ごめんなさい……」「黙って」先ほどまでとは別人のような顔ですり寄る桃花を、私は冷ややかに一瞥した。「お金の有無でしか人の価値を測れない佐伯さんの見識には、心底呆れるわ。本日をもって、水瀬グループと佐伯家の提携は、すべて白紙に戻しましょう」「そんなの、できるわけないでしょう!」桃花が血相を変えて一歩前に出た。「うちだってそれなりの会社なのよ!私、あなたのためを思って言ったのに!」「今、ルールを決める側にいるのは、この私よ」「清貴、黙ってないで何か言ってよ!私、あなたのために言ったんじゃない!このプロジェクト、藤堂家だって喉から手が出るほど欲しかったんでしょう!?」「若菜……」桃花の声は、ほとんど悲鳴のような金切り声に変わっていた。袖をつかまれた清貴がもう一度口を開こうとした瞬間、私は低い声で遮った。清貴はまだ、私の目の前にいた。けれど、もう手を伸ばせば届く人ではなかった。一か月前の私は、それでも必死にこの男へ近づこうとしていた。今は違う。追いかけているのは、清貴のほうだった。「清貴。私だって、本気であなたを好きだった」ふと、窓の外へ視線を向けた。並木の下で、一人の少年がベンチに座り、ひどく寂しそうにうつむいていた。かつての清貴も、あ
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