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愛も、復讐さえも、置いていくことにした
愛も、復讐さえも、置いていくことにした
Author: コーヒーミルク

第1話

Author: コーヒーミルク
鋭い耳鳴りが、唐突に頭に響いた。医師の言葉が、また耳の奥で蘇る。

「破片が神経を圧迫しています。記憶障害は、今後も進行していくでしょう」

彼女は目を閉じ、込み上げる鋭い痛みをこらえ、冷酷な事実を飲み込んだ。

その沈黙は、和久の目には無言の抵抗と映ったらしい。彼は吸い殻を揉み消し、苛立ちの滲んだ声で言う。

「何度言わせるんだ。麗子とは何もない。あの晩、あいつは高熱を出して一人で寝込んでいた。だから、少しそばにいただけだ。

そもそも、お前が我儘を言って飛び出さなければ、俺たちがあの連中に出くわすこともなかった。お前が撃たれることもなかったんだ」

彼は立ち上がり、その影が江津子を覆い隠した。

「近いうちに、麗子に謝っておけ」

謝る?

無数の氷の針を心臓に突き刺されたように、痺れるほど痛んだ。

銃弾で死にかけた自分が、よりにもよってこの「事故」のきっかけを作った女に頭を下げろというのか。

激しい頭痛が、江津子の言い返す最後の気力さえ奪い去っていく。残るのは、果てしない疲労だけだった。

「……わかった」

自分の声が、やけに空ろに聞こえた。

和久は眉をひそめた。いつから、こんなに従順になったのだろう。まるで別人のようにさえ感じられた。

考え込む間もなく、彼のそばに置かれた、麗子との連絡用にしている電話が鳴り響いた。

麗子との連絡のためだけに使われているその電話は、静まり返った部屋の中でひときわ耳障りだった。

彼は急いで受話器を取る。受話器の向こうの声は小さかったが、すぐそばに立っていた江津子の耳にははっきりと届いた。

「和久さん、ひどくめまいがするの。また熱が上がってきたみたい」

「行ってあげたら?」

彼が口を開くより先に、江津子はもう背を向けていた。

和久は一瞬固まり、何か言いかけたようだったが、彼女はすでに寝室へ入り、扉を閉めてしまっていた。

扉越しにも、彼がすぐさま上着を羽織る気配と、これまで見せたことのないような焦りが伝わってきた。

「今すぐ行く。腹減ってないか?食堂で何か食べやすいもの、買っていくよ」

慌ただしい足音が、遠ざかっていく。

和久が出ていってすぐ、家の電話がまた鳴った。同僚医師である高橋久美(たかはし くみ)の声は、心配を隠しきれていなかった。

「江津子、西京市の大学病院の専門医による診察と手術の日程が決まったわ。来月よ。でも、もう一度だけ言わせて。脳の中枢近くのあの破片を取り出すのは、かなりの危険を伴うわ。手術中に命を落とす可能性だってある。本当に、和久さんには黙っているつもり?」

江津子は窓の外へ目をやった。官舎の明かりが点々と灯っているのに、帰るべき温かい場所は、どこにも見当たらなかった。

長い沈黙のあと、彼女は口を開いた。声は感情の起伏がない、淡々としたものだった。

「……言わないわ。

もうすぐ、あの人は私と何の関係もなくなるんだから」

……

和久は、機動隊史上最年少にして屈指の実力者と謳われる隊長であり、冷静沈着を通り越して、ほとんど薄情とさえ言われる、隊内でも憧れの的だった。

よりにもよってそんな男が、5年前、執念とも呼べる勢いで、当時まだ総合病院の一勤務医だった彼女に猛アタックしてきた。

彼は郊外の空き地で、かなりの金をつぎ込んで一晩中花火を打ち上げてくれた。官舎でもしばらく話題になるほど盛大な結婚式を挙げてくれて、周囲の女性隊員たちを大いに羨ましがらせた。

けれど、同じ彼が、新婚の夜を境に、彼女をまる5年、一人きりの寝室に置き去りにした張本人でもあった。

彼女はかつて、彼がただ無口で冷淡なだけで、表現が不器用なのだと思い込んでいた。

だからありったけの情熱を注ぎ込み、頑なな心の氷を、なんとか溶かそうとした。

梅野麗子(うめの れいこ)が総合病院へ異動してくるまでは。

彼が幼いころから一緒に育ったという、あの「妹分」。

彼女は、彼が病院の倉庫で麗子と言い争いながらもつれ合っているところを目撃した。

麗子の涙ひとつで、彼が我を忘れるほど取り乱すのを見た。

麗子が町でチンピラに絡まれたとき、彼は逆上して相手を殴り飛ばした。やがて和久の同僚から、妻である江津子の職場にまで連絡が入った。

駆けつけた彼女が目にしたのは、処置室のベッドに横たわるそのチンピラが、カーテン越しに、血まみれの顔で嘲笑を浮かべる姿だった。

「馬鹿な女だ。あいつがお前を愛してるとでも思ってるのか。お前はただ、あいつが世間の目を欺いて、本当に好きな女を守るための隠れ蓑にされてるだけだ。

須賀家はとっくに言い渡していたんだよ。ちゃんとした家柄の女を嫁にもらわなきゃ、麗子を異動させるってな。お前は、あいつが選んだその『体裁を保つための飾り』ってわけさ」

彼女は家に帰り、半狂乱になって彼を問い詰めた。返ってきたのは、彼がマグカップを叩き割った後に見せた、いっそう冷え切った嫌悪の眼差しだった。

「江津子、お前、いつからそんなに意地を張るようになったんだ。麗子は妹みたいなもんだろ。少しくらい面倒見てやってもいいじゃないか。そんなに目くじら立てることか?」

その夜、彼女は初めて家を飛び出した。

そして間もなくして起こったのが、あの突然の拳銃強盗事件だった。

病院からの緊急連絡を受け、彼女は気が狂ったように現場へ駆けつけた。目に映ったのは、麗子が震えながら和久の腕の中で縮こまり、黒々とした銃口が彼の背中に向けられている光景だった。

体が、意識より先に動いていた。

銃声が響いた瞬間、こめかみのあたりに衝撃が走り、すぐに果てしない暗闇に呑み込まれた。

再び目を覚ましたとき、世界はすでに砕け散っていた。

皮肉なことに、彼女が手術室で生死の境をさまよっていたころ、彼は麗子が保護した犬の誕生日祝いに付き合っていたという。

記憶は指の間からこぼれ落ちる砂のように、握りしめようとしてもこぼれ落ちていく。

それでいい。

彼女はぼんやりと思った。

これこそ、彼が望んでいたことではないか。もう騒がず、もう問い詰めず、もう愛情を求めない、完璧な人形。

彼の望みどおりだ。

電話を切ると、彼女は電話帳を開き、法律事務所に勤める昔の同級生の名前を探し出し、電話をした。

「お願いがあります。離婚協議書の作成を手伝っていただきたいんです。離婚の原因は彼にあるので」

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