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身代わりの恋が終わるとき

身代わりの恋が終わるとき

作家:  言野朝子完了
言語: Japanese
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概要

ひいき/自己中

妻を取り戻す修羅場

不倫

スカッと

スカッと

逆転

切ない恋

身代わり

四島智之(ししま ともゆき)には、身代わりへの執着がある。 智之の亡き初恋の人によく似ているから、私・道田亜紀(みちだ あき)は彼に甘やかされ、わがまま放題に振る舞うようになった。 身の程知らずな女が私に絡んでこようものなら、たとえ午前3時だろうと家まで押しかけ、何十発もビンタを食らわせてやる。 智之は、一度だって私をきつく叱ったことがない。ただ黙って、後始末をしてくれるだけだ。 そんなある日、彼の初恋の人に私以上に似ている女が現れた。 竹永千絵美(たけなが ちえみ)だ。 私を見たその瞬間、千絵美はいきなり私の前に跪いた。 涙目になりながら言った。 「道田さんは人を殴るのがすごく得意だって聞きました。私、痛いのが怖いんです。お願いですから、殴らないでください」 背後にいる智之が、くすりと笑い、彼女を立たせた。 そして私の前に立ちはだかると、千絵美に言い聞かせるように告げた。 「千絵美、今日からはやりたい放題にしていい。 俺に監視をつけてもいいし、他の女を殴ってもいい」 そう言って、ちらりと私を見て、指差した。 「こいつが今までやってきたことは、全部やっていい。こいつより上に立っていい」 智之は私の目を見つめ、そこにどんな感情が隠されているかを探ろうとしている。 けれど私は、ふいに笑った。 智之は知らない。 私にも、身代わりへの執着がある。 彼は、私が見つけた最初の身代わりだった。 そしてたった今、次の身代わりを探しに行くことに決めたのだ。

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第1話

第1話

私が笑ったのを見て、千絵美は怯えたように、何歩も後ずさった。そのまま智之の胸の中へ逃げ込んだ。

声を震わせながら言った。

「道田さんが急に笑う時は、暴れ出す合図だって聞いた。智之、私、怖い……」

智之は眉を上げ、からかうように私を見た。

「亜紀も有名人になったな。みんな、すっかり怖がってるぞ」

ソファにだらりと腰を下ろし、腕の中の女をぎゅっと抱き寄せた。

「千絵美はお前を怖がりすぎてる。M町の家へ引っ越せ。時間が空いたら会いに行く」

見慣れた智之の顔は、私がずっと想い続けてきたあの人にそっくりだ。

智之がその顔で、今、私を追い出している。

私は笑みを浮かべ、二人の前まで歩いていった。

そして手を伸ばし、千絵美の頬に触れるふりをした。

彼女は血の気が引いた。

智之が勢いよく私の手首をつかみ、その表情が冷ややかになった。

「亜紀。これまではお前を甘やかして、好き放題させてきた。けれど、これからはそうさせない。まだわからないのか?」

その声は凍るように冷たい。

「もう、亜紀を甘やかすつもりはない。この家から出ていけ。

千絵美は他の女とは違う。亜紀が好き勝手に手を出していい相手じゃない」

私は手を引っ込め、くすっと笑った。

そして青ざめた千絵美の頬を、ぽんぽんと軽く叩いた。

「こんな顔、殴って台無しにするわけないでしょ?私以上にあの人に似てる女なんて、そうそういないものね」

智之にウインクして、弾むような声で言った。

「じゃあ、お邪魔しないでおくね」

そう言って、背を向けた。

けれど智之は立ち上がり、私の手首をつかんだ。

「また何を企んでる?いい子ぶるつもりか?」

私は手を振りほどき、完璧な笑みを浮かべた。

「二人の幸せを心から祈ってるわ。理想的な身代わりを見つけるのがどれほど難しいか、私には痛いほど分かってるもの!」

今日までの智之は、あまりにも理想的な身代わりだった。

体つきも、顔立ちも、声も、その性格さえ。

亡くなった元夫・赤羽大和(あかば やまと)と、ほとんど見分けがつかないほどそっくりだった。

私がどれだけわがままを言っても、どれだけ騒いでも、大和と同じように、限りなく甘やかしてくれた。

夢中になっていたのは、ただ甘やかされる感覚だった。

けれど今、新しい女が現れた。

智之は、もう私を甘やかさない。

それなら、もう私にとって立派な身代わりではない。

智之の顔色が、ますます険しくなった。

声を低くして言った。

「千絵美に手を出すな。彼女に何かあったら、必ずお前に責任を取らせる」

私は一瞬、言葉を失った。

かつて彼が私を庇っていたときも、みんなに向かって、同じように言っていた。

「誰だろうと亜紀に手を出すな。俺が許さない」

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第1話
私が笑ったのを見て、千絵美は怯えたように、何歩も後ずさった。そのまま智之の胸の中へ逃げ込んだ。声を震わせながら言った。「道田さんが急に笑う時は、暴れ出す合図だって聞いた。智之、私、怖い……」智之は眉を上げ、からかうように私を見た。「亜紀も有名人になったな。みんな、すっかり怖がってるぞ」ソファにだらりと腰を下ろし、腕の中の女をぎゅっと抱き寄せた。「千絵美はお前を怖がりすぎてる。M町の家へ引っ越せ。時間が空いたら会いに行く」見慣れた智之の顔は、私がずっと想い続けてきたあの人にそっくりだ。智之がその顔で、今、私を追い出している。私は笑みを浮かべ、二人の前まで歩いていった。そして手を伸ばし、千絵美の頬に触れるふりをした。彼女は血の気が引いた。智之が勢いよく私の手首をつかみ、その表情が冷ややかになった。「亜紀。これまではお前を甘やかして、好き放題させてきた。けれど、これからはそうさせない。まだわからないのか?」その声は凍るように冷たい。「もう、亜紀を甘やかすつもりはない。この家から出ていけ。千絵美は他の女とは違う。亜紀が好き勝手に手を出していい相手じゃない」私は手を引っ込め、くすっと笑った。そして青ざめた千絵美の頬を、ぽんぽんと軽く叩いた。「こんな顔、殴って台無しにするわけないでしょ?私以上にあの人に似てる女なんて、そうそういないものね」智之にウインクして、弾むような声で言った。「じゃあ、お邪魔しないでおくね」そう言って、背を向けた。けれど智之は立ち上がり、私の手首をつかんだ。「また何を企んでる?いい子ぶるつもりか?」私は手を振りほどき、完璧な笑みを浮かべた。「二人の幸せを心から祈ってるわ。理想的な身代わりを見つけるのがどれほど難しいか、私には痛いほど分かってるもの!」今日までの智之は、あまりにも理想的な身代わりだった。体つきも、顔立ちも、声も、その性格さえ。亡くなった元夫・赤羽大和(あかば やまと)と、ほとんど見分けがつかないほどそっくりだった。私がどれだけわがままを言っても、どれだけ騒いでも、大和と同じように、限りなく甘やかしてくれた。夢中になっていたのは、ただ甘やかされる感覚だった。けれど今、新しい女が現れた。智之は、もう私を甘やかさない。
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第2話
胸の奥にかすかに浮かんだ痛みを押し込めた。私はへらへら笑って言った。「まさか。今すぐ出ていくよ」西の田舎にあるM町は、私と智之が出会った場所だった。初めて顔を合わせたときのことは、今思い出しても笑えてしまう。二人ともその場に立ち尽くし、互いの顔を食い入るように見つめていた。あの日、彼はM町で家を買ってくれた。そして私を囲い込み、ひたすら甘やかしてくれた。M町の家に着き、ベッドに横たわりながら、私は2日後の航空券を取った。故郷へ帰り、大和の墓参りをすることにしたのだ。次の瞬間、家全体が突然停電した。あたり一面を、押し寄せるような闇が覆う。大和が亡くなってから、私は暗闇がひどく怖くなった。震えが止まらなくなるほど、息もできなくなるほど怖い。思わず智之へ電話をかけた。暗闇の中で、コール音が何度も何度も響き渡る。一回鳴るたびに、私の心臓も激しく跳ね上がった。何度かけたか数えきれないところで、ようやく電話がつながった。すぐに口を開いた。「智之、M町の家、電気が落ちたの。早く誰か呼んで見てもらって……」焦る気持ちでいっぱいだった私の耳に返ってきたのは、千絵美の声だ。まるで私が何のために電話したのかわかっているかのように、静かな声で言った。「智之なら、お風呂に入ってる。どうして停電したのか知りたい?私が道田を怖がりすぎてるから、智之がわざとブレーカーを落としたんだよ。道田に頼みに来させて、惨めな姿を私に見せるんだって。そうしたら、私も少しは怖がらなくなるだろうって」彼女はくすっと笑った。昼間、あれほど私を怖がっていた様子は、もうどこにもない。「道田、私にお願いしなよ。頭を下げてくれたら、電気をつけてあげる」闇が私を包み込んでいる。思い出すだけで胸が引き裂かれそうになる光景が、少しずつ私の中へ入り込んでくる。全身に冷や汗が噴き出し、まるで誰かに首を絞められているみたいだ。智之は、私が暗闇を怖がっていると知ってから、一度も私を闇の中に置かなかった。私がいる場所は、必ず明かりで満たしてくれた。一度、偶然の停電で、私が息も絶え絶えになっている姿を目にしたからだ。それなのに今、彼は自分の手で私を闇の中へ突き落とした。私は震える手で電話を切った。目を閉じ、何
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第3話
「お前らしくないな。いつものお前なら、大騒ぎして大勢を巻き込んででも暴れまわるはずだ。こんなふうにあっさり受け入れるなんて」私は無理やり笑みをつくった。「こんな私を見て、智之は嬉しいはずでしょ?」彼が一瞬固まったそのとき、電話の着信音が鳴った。向こうから、千絵美が泣きながら言った。「智之、私、怖い夢を見たの。夢の中で、道田さんに殴り殺されそうになって、それだけじゃなく、みんなの前であなたの服を全部脱いでやるって言われて……」智之の目元がやわらぎ、宥めるような声をかけた。「怖がらなくていい。すぐ戻って、一緒にいてやる。俺がいる限り、誰にも千絵美を傷つけさせない」千絵美は、しゃくり上げながら言葉を続けた。「ずっと言えなかったんだけど、道田さん、男を何人か使ってネットで私に嫌がらせしてきたの。それに、私のプライベート写真を合成して……もう本当に耐えられない。もし道田さんが、私が智之を奪ったからって恨んでるなら、お願いだから別れよう。本当に道田さんを相手にするなんてできない……」ひとつひとつの言葉が、あまりにも真実っぽく聞こえた。その瞬間、私は表では身を引き、裏では陰湿な女として仕立て上げられた。智之は私を見下ろし、一言一言を噛みしだくように吐き捨てた。「つまり、亜紀が冷静を装ってたのも、ただの駆け引きだったわけだ」冷たく落とされたその声が、胸の奥を深くえぐった。「もっと早く気づくべきだった。お前は、生まれつき性根が腐ってる」その目は、凍るほど冷たい。言葉のひとつひとつが、胸に突き刺さってくる。愛されていたときは、わがままで可愛い女。愛されなくなれば、生まれつき性悪な女。突然、もうこれ以上智之と絡み合っていたくない。智之は声を潜めて千絵美に言った。「千絵美、俺から離れようなんて考えるな。これからはもう、あいつが千絵美の前に現れることはない」そう言って電話を切り、私のスマホを取り上げた。「この家がお気に入りなんだろ?ここで大人しくしてろ。俺の許しがない限り、一歩も外へ出るな」私はとっさに立ち上がり、スマホを取り返そうと手を伸ばしたが、あっさりかわされてしまった。そのスマホの中には、大和との小さな思い出が、ひとつひとつ詰まっている。大和が私に残してくれたボイスメッ
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第4話
私は一歩、また一歩と近づいていく。「いつも私に殴られるのを怖がるふりをしてるよね?じゃあ、どんな気分か、実際に味わってみれば?」大和が生きていた頃、私は彼のそばで少しだけ空手を習っていた。千絵美みたいなか弱い女を相手にするくらい、余裕だ。髪をつかんだだけで、彼女は悲鳴を上げ始めた。「どうしてわざわざ怒らせに来るの?こっちはずっと我慢してたんだから」何度もビンタを浴びせていると、そのとき。智之が勢いよく扉を開け、顔色を失って立ち尽くしている。千絵美は涙をぽろぽろこぼしながら、その胸へ飛び込んだ。私は手首を回し、少しも怯まず智之を見つめた。これまで何度も、彼に後始末をしてもらった。でももう、彼を必要としていない。智之は床に転がったスマホを見て、すべてを察した。声はひどく冷たい。「そのボロいスマホがそんなに大事なのか?壊れたって大したことないだろ。新しいのをいくらでも買ってやるから」彼は視線を落とし、痛ましそうに千絵美の髪を耳にかけてやった。千絵美は、目を真っ赤にして泣いている。「ただ、うっかり道田さんのスマホを落としちゃっただけなの。本当は逃がしてあげるつもりだったのに、急に殴られて……」智之はわずかに眉を寄せ、思わず問いかけた。「千絵美があんなに亜紀を怖がってただろ?それなのに、どうして急にここまで来たんだ?」千絵美は、何も言わなかった。ただ目を赤くしたまま、涙で潤んだ瞳で智之を見た。智之は、長いあいだその顔を見つめている。まるで、その顔の奥に潜む別の誰かを見ているようだ。やがて、低い声で言った。「その目がある限り、千絵美に少しでも辛い思いをさせるなんて、絶対に許さない」そして振り返り、私を見た。「謝れ。さもなければ、千絵美と同じ目に遭わせる」その目には、少しの温もりもない。なるほど。千絵美のほうが私より少し似ているだけで、智之はそんな彼女をどこまでも許してしまう。昔もそうだった。何かあれば私の前に立ち、私が何をしても、ただ笑って、何も言わずに片づけてくれた。私は顔を上げ、一言一言区切るように言った。「どうして謝らなきゃいけないの?こいつが死なずに済んだだけでも、私が手加減してやったってことでしょ。私のスマホの中身がどれだけ大切か、智之には……」
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第5話
智之が千絵美を連れて家に戻ったとき、心臓が不意にドクンと激しく脈打った。この感覚は、小檜山かほ(こひやま かほ)が死んだあの日と、まったく同じだ。かほは、彼の幼なじみであり、初恋の相手でもあった。彼女が不慮の死を遂げたあの日、彼の世界はまるごと崩れ落ちたようだった。何を見ても面白くない。何を食べても味がしない。そんな彼の前に、ある日亜紀が現れた。その顔も、表情も、声も、かほにあまりにもよく似ていた。彼は、この顔にどうしようもなく惹かれていった。彼女が何をしても、甘やかしてやり、尻拭いまでしてやった。けれど、ときどきその顔の奥に映っていたのは、かほではなかった。ただ、亜紀自身だった。彼はなぜか、その感覚を怖いと思うようになった。まるで自分のやったことが、かほへの裏切りであるかのように。だから千絵美が現れたとき、彼は迷うことなく千絵美を選んだ。亜紀を遠くへ追いやってしまえば、自分の心は変わっていないことになる。そう思ったのだ。けれど頭の中には、さっきの亜紀の目ばかりが浮かんでくる。引き留める気配もなく、名残惜しむ様子もない。ただかすかに、もう彼から離れていく気配だけがある。智之は、心臓がぎゅっと掴まれたように苦しくなった。隣にいる千絵美が、彼の腕を揺すった。彼は我に返り、自分に言い聞かせた。亜紀があれほど自分を頼りにしているのだから、離れていくはずがない、と。口角を上げ、やさしい声で言った。「どうした?千絵美」千絵美はまだ目を真っ赤にしたまま、自分の頬を押さえて甘えるように言った。「智之、頬がすごく痛いの……優しくさすってほしい」智之は、赤く腫れた彼女の頬を見つめた。こんなにも似ているのに、まったくときめかない。まるでただ、やるべきことをやっているだけのようだ。ついさっきM町で千絵美の顔を見たときでさえ、彼の頭に浮かんだのは亜紀だった。智之は眉間を押さえ、自分はどうかしてしまったのではないかと思った。千絵美の頬に触れ、あやすように言った。「先に寝ててくれ。俺は会社に行かなきゃならない」千絵美は頷き、気遣うように言った。「うん。私は大丈夫だから、早く帰ってきてね」まるで何かに取り憑かれたように、智之の頭にはまたしても亜紀の姿が浮か
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第6話
千絵美の声には、得意げな様子がありありとにじみ出ている。いつもの姿とはまるで違う一面をさらけ出している。自分の背後に危険が迫っていることなど、まるで気づいていなかった。智之の顔は、見たこともないほど冷たい。「一人じゃ怖すぎて眠れないんじゃなかったのか?」彼は不意に口を開いた。その声には、冷気がにじみ出るかのようだ。千絵美は驚いて飛び上がり、顔から一気に血の気が引いた。こんな恐ろしい顔をした智之を、今まで一度も見たことがない。声まで震えて言った。「お……お帰り!すごく怖かったから、友達に電話して気を紛らわせてただけ!さっきのは全部、でたらめなの!」智之の表情は変わらない。ただ軽い調子で言った。「そっか」その短い返事を聞いて、千絵美の心は冷え切った。この間、丹念に作り上げてきた自分のキャラが、この瞬間、完全に崩れ落ちた。彼女は手を強く握りしめ、頭の中で必死に逃げ道を探す。けれど智之は、もう一歩ずつ彼女との距離を詰めている。千絵美は一歩、また一歩と後ずさりし、ついには壁際まで追い詰められた。「亜紀を追い出せると思ったのか?ずいぶん自信があるんだな。確かにお前の顔が気に入った。でも、顔が似てるだけで、お前にどうしようもなく夢中になると思ったのか?少しは面白い女だと思ってたが、こうして見ると、呆れるほど馬鹿だな」彼は千絵美を見下ろすように眺めた。彼女はもう震えが止まらない。何も怖がらず、いつもふんぞり返っている亜紀の姿とはまるで違う。智之は鼻で笑った。「お前は亜紀には遠く及ばない。その顔以外は、何から何まであいつに劣ってる。残念だが、その顔ももう何の役にも立たない。お前は失格だ」彼は何でもないことのようにソファへ腰を下ろし、短く言った。「出ていけ」智之がもっとも嫌うのは、表と中身が違う女だ。千絵美はぽろぽろと涙をこぼしながら、か細い声で懇願した。「智之、追い出さないで……私のこの顔、一番好きなんでしょ?いつも私の顔を見て、ぼうっとしてたじゃない。もう一度、ちゃんと見て。そうしたら、やっぱり残したくなるかもしれないでしょ?」智之はネクタイを緩め、まじまじと彼女の顔を見つめた。長いあいだ見つめたあと、首を横に振り、ふいに笑った。千絵美はわけがわからず、彼
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第7話
故郷に降り立つと、私はすっかり落ち着いた気がした。この町にいるだけで自由を感じられる。それに、大和の気配まで残っているようだ。彼の名前を口にする人は、もう何年もいない。墓に着くと、そこはすでに埃だらけになっている。長いあいだ、誰も手入れをしていない。私は黙ったまま、ハンカチを取り出して丁寧に墓石を拭き始めた。終わると、その場にどっかりと座り込んだ。言葉より先に、涙が出てきた。「大和が残してくれたボイスメッセージ、なくしちゃった。もう一生、大和の声が聞けないんだ。知ってるの?この何年か、大和にすごく似た人を探して、まるで大和がまだそばにいてくれるみたいに思おうとした。でも今になってわかった。あの人、大和とは全然似てない。大和はあんなふうに私を傷つけたりしない。私のこと、あんなに大事にしてくれてたもの」目を閉じると、痩せ細って骨ばかりになり、言葉すらまともに口にできなくなった大和の姿が、また頭の中へ入り込んできた。忘れられない。どうしても、忘れられない。亡くなる前、彼は私を連れて離婚の手続きをしに行った。それが、彼が初めて私に逆らったことだった。私がどれだけ泣きわめいても、彼は離婚すると言い張った。私を若い未亡人にさせたくないと、自分がいなくてもちゃんと新しい人生を歩んでほしいと。16歳のとき、私たちは誰にも知られないように、そっと手をつないだ。22歳で結婚し、愛し合ってさえいれば、どんな困難だって乗り越えられると思っていた。25歳で、彼は不治の病に倒れた。26歳で、私たちの小さな家で亡くなった。あれは、星ひとつない真っ暗な夜だった。彼は私の目の前で、静かに目を閉じ、そのまま二度と目を覚まさなかった。それ以来、私は暗闇に耐えられなくなった。震える手で、あの壊れたスマホを取り出した。諦めきれず、何度も何度も電源を入れようとした。もう駄目だと思った、そのとき。奇跡みたいに、電源が入った。涙があふれ出す中、大和のボイスメッセージを再生した。彼は私に一度も怒鳴ったことがなく、いつだって優しかった。残してくれたボイスメッセージも当然そうだった。「亜紀、毎日ちゃんとご飯を食べてくれ。胃が弱いだろ。僕がいないときは、ちゃんと自分のことを大事にしろ」彼がいたころ、私は
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第8話
その顔を見て、私は一瞬だけぼうっとなった。けれど、もう何の感情も湧かなかった。ふっと笑い、少しだけ体をずらした。するとリビングの中央にある、巨大な結婚写真が智之の目に飛び込んだ。「ちゃんと見て。結婚写真に写ってるあの人が、私の愛した人。もう亡くなってる。たまたま、智之がすごく似てたの。そして私も、たまたま智之の初恋の人に似てた。それだけ」智之は一瞬その場で固まった。そして、抑えきれないように中へ入っていく。結婚写真の前まで歩み寄り、長いあいだ、ただじっと見つめている。私は、その大きな背中を見据えた。今この瞬間、彼と大和は、まるで別々の世界にいながら、互いを見つめ合っているようだ。智之は振り返り、目を赤くして私を見た。「じゃあ、今は?俺はまだ、あいつの身代わりを続けられるか?」私の心臓が一瞬、止まったかのようだ。彼の言っている意味がわからない。彼は私の前まで歩いてきて、真剣な顔で言った。「俺はずっと、自分が亜紀を好きになったことを認めなかった。ただの身代わりだって、自分に言い聞かせてた。だから千絵美が現れたとき、すぐに亜紀を突き放した。そうすれば、亜紀が本当にただの身代わりだったって証明できると思ったんだ。でも今になって、ようやくわかった。千絵美を見てたときに考えてたのは、亜紀だった。亜紀を見てたときに頭を占めてたのも、結局亜紀だけだった」彼は目を伏せ、低い声で続けた。「俺を身代わりだと思っても構わない。俺のもとに戻ってきてくれないか?昔みたいに。これからは、俺のそばに他の女は誰一人置かない。亜紀も、もう誰かの身代わりなんかじゃない」その言葉を聞いて、心が何も動かなかったと言えば嘘になる。それでも、ただ馬鹿馬鹿しいと思った。私はふいに笑った。そして彼の目をまっすぐ見つめ、心から告げた。「でも、私はずっと智之を身代わりとしてしか見てなかった。智之を見るたびに思い浮かべてたのは、結婚写真の中のあの人。智之じゃない。そっちから離れると決めた瞬間、智之はもう身代わりでいる資格をなくしたの。だって、智之はもう、彼とは少しも似てないから。彼は、絶対に私を傷つけたりしない」私は淡々と告げた。けれど智之は突然顔を上げ、信じられないものを見るように私を見た。「亜紀が本当に、一
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第9話
千絵美はその場に倒れ込み、目を真っ赤にして智之を見上げた。「今さら一途なふりして、何の意味があるの!智之は誰のことも愛してない。愛してるのは、自分だけ!最初に私があの女に似てるってわかったときは、『千絵美、千絵美』って、よくもまああんなに本気みたいな顔してたよね!なのに今はどう?見捨てると決めたら、あっさり見捨てたなんて……」彼女は我も忘れて、大声でわめき散らした。これまで必死に作り上げてきたキャラは、完全に崩れ落ちた。そして、なぜかふっと笑い出した。「もうどうでもいいわ。何だっていい!痛い目に遭わせてやる!あんたたちが苦しめば、それで満足なのよ!」智之は冷たい目で彼女を見た。もうこれ以上、ひと言だって話したくないようだ。私は眉をひそめ、扉を開けて中へ入り、そのままぴしゃりと閉めた。すぐに管理会社へ電話し、警備員を呼んだ。ほどなくして、千絵美は警備員に連れていかれた。去り際まで口汚くわめき散らした。「智之!私の気持ちで遊んだんだから、地獄に落ちなさい!それから道田!あんたたちはいつか絶対にバチが当たるから!」智之は、それでも家の扉の前に立っている。いつまで経っても動こうとしない。どれほど時間が過ぎたのかわからない。私が扉を開けると、彼はまだそこに立っている。私が扉を開けるのを待っているようにも見えたし、自分自身に罰を与えているようにも見えた。私は彼を淡々と見つめた。彼は低い声で言った。「悪かった。全部、俺が招いたことだ。亜紀の生活を乱してしまって、本当にすまない」私は首を横に振った。「智之、私たちはどっちもどっちでしょ。互いに欲しいものを得ただけ。私だって、決していい人じゃない。だから謝らなくていい。私たちがするべきなのは、きっぱり関係を断ち切って、この茶番劇を終わらせることだけよ」私の目に浮かぶ冷たさを見て、智之のまつ毛がかすかに震えた。「亜紀、本当にもう、やり直す道はないのか?言っただろ。これからも身代わりで構わない。俺が愛してるのは亜紀だけ……」私は彼の言葉を、ぴしゃりと遮った。「もういいわ!もっとはっきり言わなきゃわからないの?いい、今の智之には身代わりになる資格すらないの。竹永千絵美が現れたその日から、その資格を失ってたのよ。これでわかったでしょ
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