LOGIN颯side
「璃子、少し声が大きいよ。周りの人が何事かと思ってこちらを見ている。あまり騒がない方がいい」
俺は、遠慮しつつもチラチラとこちらの様子を伺っている周囲の視線に気がついて、璃子の手を取り耳元で小さく呟いた。この場でこれ以上騒ぎを起こすのは、問題しか生まれない。
「そうね、ごめんなさい……」
我に返るように、璃子は俺の方に顔を向けて謝ったが、顔を前に戻すと驚愕した表情で固まっていた。その視線は玲央よりももっと遠くの人混みの中に向けられている。俺も璃子の視線に合わせるように顔を向けると、心臓が飛び跳ねるくらいの衝撃を受けた。
「木村さん……?」
「佐奈?」
そこに立っていたのは、俺が別れを告げ会社を去ったはずの木村佐奈だった。俺と璃子は、声にならないような声で佐奈の名前を呟くことしかできなかった。
佐奈は、華やかなグリーンのドレスを身に纏い、俺たちの言い争いに気がついてじっと視線を投げかけていた。その表情は、悲しむでもなく、怒るでもなく、ただ冷静に状況を見極めているようだった。
(佐奈がなぜこのパーティーにいるんだ―――!?)
俺の頭
佐奈sideエメラルドグリーンの華やかなドレスに身を包み、私は父と一緒に都内のホテルで開かれるパーティーに参加していた。今日の参加者は、日本を代表する企業の経営者やその親族が集まる。二十代の子どもを持つ経営者にとっては、自分の子どもの縁談相手を見繕うためのある種の婚活の場だった。婚活と言っても動くのは本人ではなくあくまで親で、子どもの私たちは簡単な自己紹介をしてニコニコと笑っていることを求められる。(大手商社に勤めて颯からプロポーズされて、この親同士の婚活に自分が関わることはないと思っていたんだけどな……。)一通りの挨拶を済ませて、やっと父から解放された矢先の事だった。シャンパンを片手に持ちながら会場の後方で目立たぬように静かに周囲を見渡していると数メートル先が何やら騒がしくなっていた。関わるつもりはなかったが、シャンパンを貰うためにカウンターへ行こうと視線を少しだけ向けると、よく知っている人物たちがいてその場に立ち尽くしていた。視界に移ったのは、私がかつて四年間付き合った恋人で婚約していた颯と、颯の新しい婚約者で社長の孫娘である七條璃子だった。璃子は颯の腕をガッチリと掴みながら、同い年くらいの男性に何か喋っている。「――――私は、玲央のところになんか絶対戻らないから」璃子が声を少し張って叫ぶように言うと、颯は璃子の手を取り耳元で何か囁いている。璃子も、颯の方
颯side「璃子、少し声が大きいよ。周りの人が何事かと思ってこちらを見ている。あまり騒がない方がいい」俺は、遠慮しつつもチラチラとこちらの様子を伺っている周囲の視線に気がついて、璃子の手を取り耳元で小さく呟いた。この場でこれ以上騒ぎを起こすのは、問題しか生まれない。「そうね、ごめんなさい……」我に返るように、璃子は俺の方に顔を向けて謝ったが、顔を前に戻すと驚愕した表情で固まっていた。その視線は玲央よりももっと遠くの人混みの中に向けられている。俺も璃子の視線に合わせるように顔を向けると、心臓が飛び跳ねるくらいの衝撃を受けた。「木村さん……?」「佐奈?」そこに立っていたのは、俺が別れを告げ会社を去ったはずの木村佐奈だった。俺と璃子は、声にならないような声で佐奈の名前を呟くことしかできなかった。佐奈は、華やかなグリーンのドレスを身に纏い、俺たちの言い争いに気がついてじっと視線を投げかけていた。その表情は、悲しむでもなく、怒るでもなく、ただ冷静に状況を見極めているようだった。(佐奈がなぜこのパーティーにいるんだ―――!?)俺の頭
颯side「玲央……」玲央は、俺たち二人に一歩、また一歩と近づいてきた。その目には、俺への明確な敵意が宿っている。「璃子、今日は松田さんと一緒に来ていたのか。僕がいるんだから一緒に回ればいいじゃないか」玲央は優しく微笑み璃子に話しかけるが、璃子は俺の腕をギュッと握り警戒心を露わにしていた。「いやよ、私の婚約者は颯よ。あなたは関係ない」「そんなこと言うけれど璃子には僕が必要だ。それは璃子も分かっているんじゃないかな?」「何言ってるの?玲央の独りよがりよ。あなたがいなくても私は大丈夫だから」普段、俺の前では猫のように甘い撫で声で話しかけてくる璃子からは想像できないくらい冷たくてハッキリ断言する口調に、こんな一面もあるのかと俺は驚いていた。その反面で、佐奈に見せていた俺の素顔を璃子にはまだ見せられていないように、璃子も玲央には素の自分が出せる存在だったのではと思うと、二人の関係の濃さを認めざるを得なかった。「それは璃子が素直になっていないだけだよ。璃子は僕から離れられない。いや、きっと璃子の方から僕を求めてくるよ」
土曜日。社長に命じられたパーティーに璃子と参加した。会場である都内の高級ホテルの大宴会場はシャンデリアの光に満たされ、男性陣はみな仕立ての良いスーツで、女性はドレスや着物、フォーマルなワンピースなどで普段よりも遥かに着飾り、誰も彼もが眩しいほどに綺麗な格好をしている。初めて足を踏み入れた雰囲気に、俺は心臓の鼓動が早くなるのを感じ、緊張しきっていた。「颯、大丈夫?私が側にいるから安心して」璃子はそう言うと、俺の腕にそっと手を添えて微笑んでくる。璃子が隣にいてくれることが、今は頼もしかった。「あー松田君、璃子。もう来ていたんだね」会場に入り、社長に挨拶しに行くとにこやかに手を挙げて微笑んでいる。いつもより少しカジュアルなスーツで、胸元の桜色の淡いネクタイと胸元にブランドのロゴがデザインされたピンをさりげなくつけており、その装いは洗練されている。「今日は場の雰囲気に慣れるだけでいいから。楽しみなさい」社長はそう言って去って行ったが、その言葉は俺に対する配慮なのか、それともまだ璃子の婚約者として紹介するほどではないと釘を刺しているのか分からなかった。社長から与えられた立場は脆い。婚約してから今になっても、状況によってはすぐに切られる可能性もあることを俺は常に警戒をしていた。パ
颯side「松田君、璃子と参加して欲しいパーティーがある。璃子は何度か出席しているから詳細は璃子に聞いてくれ」「はい、承知しました」木曜日、社長室で仕事の資料の説明をした後に社長にそう言われた。璃子と婚約してから、仕事の合間に俺と二人きりになると璃子のことを聞いてきて、祖父の一面も見せるようになってきて、少しやりづらくなっていた。(璃子とパーティーか、この前の玲央のこともあって気乗りしないけれど仕方がない。仕事だ……)そう言い聞かせてから、目の前にある仕事に集中することにした。「ただいま―――」「おかえりなさい」璃子は、俺が帰ってくると必ず玄関まで迎えに来て抱き着いてくる。最初は戸惑っていたが、俺のことを大事にしてくれているのだと思う。リビングに入り、ネクタイを緩めながら璃子にパーティーの件を聞いた。「そう言えば、社長から璃子とパーティーに出席するように言われたんだけれど。詳細は璃子が知っているからって聞いていないんだ」璃子は、少し肩をビクンとさせたが、何事もなかったかのように微笑んだ。
佐奈side「佐奈、今度の土曜日は空けておきなさい。連れていきたいところがある。」「分かりました。準備しておきます」夕食後、リビングでくつろいでいた私に父が静かに言ってきた。私は嫌な予感がしたが。静かに返事をする。時代は令和だというのに、我が家では父の言うことは絶対だ。本当は一人暮らしも許されなかったけれど、大学の就活を頑張って名の知れた大手商社に採用されたことを理由に、父は渋々承諾をしてくれた。そして今、その大手商社を退職して実家に戻ったということは、再び父が絶対の世界になるということである。父のことは尊敬しているし、いずれは父のようになりたいと思っているので嫌いではない。だが、家に戻るのなら今回のような理由ではなく、歓迎されて戻ってきたかったというのが本音だった。(父が連れていきたいところなんて、どうせ決まっている。)気分転換にリビングの隅にあるグランドピアノに向かう。母はピアノの講師をしていて、小さい頃は、長い椅子に二人で座って連弾をしたものだ。大人になった今では一番端まで指が届くようになり、鍵盤が少し小さく感じながら、ショパンの幻想即興曲を奏でた。激しく、そして情熱的に鍵盤を叩くことで、心に溜まった鬱憤を吐き出す。新しい職場にはまだ