ログイン同僚で婚約者の颯(はやて)を母に紹介する日だった夜、彼は私に電話で別れを告げてきた。そして、翌日出社すると同僚の七條璃子は身分を隠していたが、実は社長の孫娘だと判明。近々結婚するため公にしたが、その相手と言うのは昨夜別れたばかりの颯だった。四年間、彼に尽くし結婚の約束までした矢先の出来事に動揺するが、彼は今まで見せたことのない冷酷な表情で私にこう言い放った。「お前には飽きたんだよ。璃子と一緒になれば俺は会社の跡継ぎだ。璃子は何でも分け与えてくれる」 私は怒りと屈辱で彼の隣を去る決意をした―――
もっと見る佐奈side「佐奈さんと結婚させてください。お願いします―――――」両親への挨拶を済ませ、正式に婚約を交わしてから数か月が経った。窓から差し込む陽光は春の瑞々しさを通り越し、肌を焼くような夏の力強さを帯び始めている。街には入道雲が湧き上がり、太陽の熱がアスファルトを照り返し、人々はハンカチで汗を拭いながらも、夏祭りや休暇の計画に胸を躍らせ活気に満ちていた。私はMURAKIの次期リーダー候補として、夏の商戦に向けたプロジェクトの最終局面に追われていた。颯もまた自身が立ち上げに携わった新規事業の本格始動を目前に控え、以前にも増して多忙を極める毎日だ。「……よし、これで準備完了。あとは冷やすだけね」日曜日の午後。珍しく二人揃って休みが取れた私たちは、少し早めの夕食の支度をしていた。リビングの花瓶には、あの日に璃子からもらったブーケの代わりに、今はミニひまわりが太陽を映したような黄色い大輪を咲かせている。「佐奈、このところ残業続きで大変だったんじゃない?野菜を切るの代わろうか?」「大丈夫よ。颯こそ昨日は深夜までプレゼン資料を作って疲れているんじゃない? 椅子に座ってていいよ」「大丈夫だよ。それなら俺、お皿とか用意しておくから佐奈はサラダ
佐奈side「結婚おめでとう。無事にみんなに認められて、本当に良かったですね」「本当に、本当にありがとうございます。これもすべて松田さんのおかげです。松田さんがいてくれたから、僕たちは今日という日を迎えられました……」高砂へ行き、颯が二人に声を掛けると、玲央はすぐさま立ち上がって颯の手を強く握りしめた。その瞳はすでに潤んでおり、今にも大粒の涙がこぼれ落ちそうだ。「俺がやったのは、途中までだ。ここまで来れたのは、本郷さんの力があってこそですよ」「ちょっと、二人とも! 私を忘れないでよ。私だって頑張ったんだからね!」「……そうだな。二人で築き上げた努力の賜物だよ」璃子がわざとらしく頬を膨らませて颯を睨みつけると、颯は苦笑しながら言葉を訂正した。「みなさんいいですねーお写真撮らせてもらえますか? はい、並んでくださいー」式場のカメラマンが私たちの空気に気づいて声を掛けてくる。椅子に座る新郎新婦の後ろに私たちが立ち、四人で集合写真を撮った。新郎新婦と、新婦の元婚約者。そ
玲央side桜舞い散る季節、初めて璃子に会ったのは都内の料亭だった。「初めまして、七條璃子です」中学からずっと男子校という環境で育ってきた僕にとって、目の前に現れた璃子はあまりにも衝撃的だった。透き通るような肌に潤んだ瞳と唇。清楚な雰囲気を纏いながらも圧倒的美人のオーラを放つ璃子は、僕のこれまでの生活には存在し得ない異質の輝きを放っていた。その輝きに気圧されるあまり、嫌われないように、失礼のないようにと慎重に振る舞いすぎた結果、僕は彼女に「冷たく距離を置いている」という誤解を与えてしまった。「私がいない方が良かったんでしょ?」庭園を一緒に歩いていると、璃子がふてくされたように怒ったように尋ねてきた。距離感が分からずに困っていたと慌てて本音を吐露した次の瞬間だった。「……良かった」肩の力が抜けるようにそう呟き、ふわりと頬を緩ませた璃子を見たとき、僕の胸の中で恋の蕾が一気に花開いたような感覚に陥った。視界が急激に彩度を増し、世界が明るくなる。(ああ、この子の側にいたい。ずっと見ていたい)
璃子side「璃子、紹介するわ。私の大学の先輩の本郷さんよ。隣にいらっしゃるのは奥様の美幸さんと、息子の玲央君。玲央君は璃子と同い年で、春から同じ大学に進学するんですって。これからキャンパスで顔を合わせることも多くなるかもしれないわね」大学受験という長い戦いが終わって肩の荷が下りた三月の終わり。新生活への期待と不安が入り混じる中、私は初めて玲央と出会った。桜の蕾が今にも弾けそうな都内の老舗料亭で通された個室の畳の上で私を待っていたのは、透き通るような白い肌と長いまつ毛に縁取られた大きな瞳を持つ驚くほど綺麗な顔立ちの男の子だった。「初めまして、七條璃子です」「……初めまして、本郷玲央です」意気揚々と話をする私の母とは対照的に、玲央はどこか他人行儀で消え入りそうなほど小さな声で挨拶をした。その素っ気なさに私は、この場で「社交的で明るい優等生」を取り繕う必要はないのだと感じ、少しだけ心の毒が抜けるような解放感を覚えた。高校三年間、内申点と周囲の評価のために完璧な「いい子」を演じ続けてきた。受験から解放された今この瞬間だけは、誰のためでもない、ありのままの自分でいたかった。母の声がいつもより弾んで聞こえるのは、娘の受験が終わった喜びと久々の豪華な食事のせいだと思っていた。……高揚の裏に隠された真実を知ることになるのは、もっとずっと後のことだ。
佐奈side翌朝、カーテンの隙間から差し込む朝日を感じながら身体を起こすと、寝ぼけながら隣に手を伸ばすと、蓮の姿はなく玄関のドアが閉まる音で遠くから聞こえた。(あれ、蓮もう起きたの?着替えるために戻ったとしてもいつもより早いな……)
佐奈side「婚約破棄したとか言ってるけれど、璃子に捨てられただけじゃないの? それで、会社にも居づらくなって困って私のところに縋ってきたんじゃないの?」蓮から連絡が来ないことの苛立ちを颯にぶつけるように、自分でも質が悪いと思いながらも、つい意地悪な言葉を投げかけてしまっている。
佐奈side「ごめん。佐奈や会社の将来のことをずっと考えていたんだ。今すぐの結婚は認められなくても、ほとぼりが冷めてから入籍すればいい。俺たちは事件の当事者じゃないんだから、誰に咎められる筋合いもない。そう言って、何度も父さんを説得しようとしたんだ」蓮は必死に弁明を続けている。けれど、蓮が言葉を重ねれば重ねるほど、私の心に鋭い破片が突き刺さる。もう「別れ」という結末が見えている私たちにとって、弁解や相手への深い愛や想いを吐露することは、傷口を無理やり広げるような残酷な行為でしかない。「だけど、横から母さんが言ったんだ。『そのほとぼりが冷めるまでに一体何年かかると思っているの。あなたももう
佐奈side日曜日の昼前、蓮が家の前まで迎えに来てくれた。せっかくの休みだというのに、今すぐ激しい雨が降りそうな黒く重そうな雨雲をチラリと見て、助手席に乗り込む。木曜日の昼に送った会いたいというメールの返信が届いたのは、金曜日の夜だった。以前なら数