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第1025話

Author: 楽恩
結局のところ、大半の結婚は利害関係によるものだった。

結婚当初は感情など希薄で、家同士の結びつきが強まる中で、ようやく「子を持て」という話が出てくる。

そうして少しずつ、愛情が育っていく――

彼が間違ったのは、あの三年間の冷遇だった。

彼女が困っているのを知りながら、何一つ手を差し伸べなかった。

それは、彼女に自分への想いを忘れさせるためだった。

けれど、本当に彼女が自分を忘れてしまった時、痛みは想像以上だった。

「……俺は、怖い」

「怖い」という言葉を清孝の口から聞くのは、鷹にとっても初めてだった。

藤屋家は名門中の名門。他人が必死で働いていた頃には、すでに海運業をほぼ独占し、他業種への進出も進んでいた。

清孝は長男として生まれ、誰よりも愛され、誰よりも重い責任を背負って育ってきた。

感情を露にせず、どんな策謀にも動じない――

まるで、常に平坦な道を歩いてきたような男だった。

銃口を向けられても、まばたき一つせずにいられる人間。

そんな彼が、「怖い」と?

鷹は気だるげに言った。

「珍しいな」

清孝自身も、この感情が自分から出てきたことに戸惑っていた。

自ら彼女を突き放しておきながら、戻ってこないことに怯える。

鷹は酒を一本開けさせ、グラスに注いで差し出した。

「ずっと気を張りっぱなしだったろ。一度、泥酔してでも考えろ」

清孝は滅多に酒を飲まない。この地位に就いてからは、酒など必要なかった。

接待の席でも、彼は茶を飲み、部下が酒を飲んだ。

だが今夜は違った。すべての予定をキャンセルして、酔い潰れても構わなかった。

一方、紀香が料理を注文し終えた頃、清孝と鷹が既に飲み始めているのを目にした。

小声で南に尋ねた。

「南さん、服部社長と清孝って、こんなに仲良かったっけ?海人さんの縁で知り合っただけじゃないの?」

南は苦笑して答えた。

「鷹はね、仲良くなろうと思ったら誰とでも早いのよ」

まさに社交の猛者。

紀香はくすりと笑って言った。

「よく娘は父親に似るって言うけど、ほんとだね」

彼女は安ちゃんを知っている。

あの小さな女の子は、まるで人見知りなんて知らないかのように、誰にでも懐く。

「社交が得意でも、誰かに騙されたりしない?」

南は首を振った。

「それは大丈夫」

あの子はね、鷹にそっくりなの。誰が
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