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第1117話

Author: 楽恩
「……」

清孝は、本来なら喜ぶべきだった。

こうして穏やかに彼女と話せること。

彼女も彼との間に線を引くことなく、残って世話をしてくれている。

だが、なぜか胸の奥に綿が詰まったような感覚がしてならなかった。

酸素マスクの中の曇りが晴れてはまた曇っていく。

「紀香、誤解させるようなことはしないでくれ。さもないと俺は……」

紀香は彼の言葉を遮った。

「私のために怪我をしたんだから、看病するのは当然よ。深読みしないで。

あなたの恩はちゃんと覚えてる。ちゃんと返すつもり。でも、その恩を使って私と復縁しようなんて思わないで。他のことなら、何でも話して」

清孝は、恩を盾に彼女を脅すつもりなんて、毛頭なかった。

過去の失敗から、すでに学んだはずだ。

頭を使って彼女を取り戻そうとしなければ、きっともう取り戻せない。

「心配するな。君が恐れてるようなことは、絶対にしない。

俺が欲しいのは、君の心からの想いで、復縁することだ。

今はもう看病はいらない。帰ってくれ」

紀香も頑として引かなかった。こんなふうに去ったら、きっと心が痛む。

「帰らないわ、清孝。今回、無理に私を追い返したら——将来あなたの面倒なんて絶対見ないし、私たちはもう二度と関わらないから」

「……」

清孝の全身は痛みに襲われ、頭はまだ冴えていたはずなのに、今ではそれすら鈍くなっていた。

酸素を吸っても、息苦しさは消えなかった。

最後には折れた。

「……わかった。いてくれ。俺、もう疲れた。寝る」

「うん」

「……」

清孝の瞼は、まるで鉛のように重くなっていた。点滴のせいかもしれない。

しばらくすると、呼吸は穏やかになり——

夢を見ていた。

とても優しい夢だった。

紀香の告白を受け入れて、何年も恋人として過ごし、自然と結婚し、子どもまで授かっていた。

祖父もまだ健在で、曾孫を見て目を輝かせていた。

だが、それはあくまでも夢だった。

紀香は、清孝が眉をひそめたのに気づき、そっと手を伸ばしてその皺をなぞった。

酸素マスクに白い曇りが浮かび、彼が何かをつぶやいているのに気づいて身を寄せた。

「香りん……ごめん……」

頭の中で雷鳴が轟いた。彼女の体が震えた。

……

病室の前では、南が由樹の姿を見て、清孝が目を覚ましたのだと察した。

彼が病室から出てきたタイミン
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