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第1123話

Author: 楽恩
「由樹!」

清孝はついに、今までの冷静さを完全に投げ捨てた。

「お前、本当にうざいな。そりゃあ妹さんがお前なんか無視したがるわけだ」

元から無表情だった由樹の顔に、さらに険しさが増した。

病室の空気が一気に冷え込む。

紀香は驚き、思わず身を引いた。

その様子が視界に入った清孝は、すぐに由樹を睨みつけ、険しい顔つきになった。

「痛いところを突かれて、少しは加減を覚えろよ」

由樹は無言で背を向け、そのまま病室を出て行った。

ホ清孝は視線を紀香に戻し、柔らかな目元で聞いた。

「驚かせたか?」

紀香は首を振り、病床のそばに腰を下ろした。

ちょうどそのとき、看護師が入ってきて、尿道カテーテルを抜いた。

いくつかの注意事項を紀香に伝え、彼女は一つひとつ丁寧にメモしていた。

看護師が退室した後、紀香は清孝に向き直って言った。

「何かあったら、ちゃんと言って。意地張ったり、恥ずかしがったりしないで。私のこと、ただの介護だと思ってくれていいから」

清孝は喉を鳴らし、少し間を置いてから口を開いた。

「介護なら雇える。部下だってたくさんいる。紀香……君が世話をする必要はない」

目覚めてからずっと、彼は彼女を帰そうとしていた。

それは清孝らしくなかった。

以前の彼なら、どんなに彼女に拒絶されても、執着し、言葉を尽くして引き止めた。

なのに今回に限って、彼女が自ら残ると言ったのに、彼は逆に線を引こうとしている。

紀香は、ここでようやく確信した。

清孝の状態は、彼が言っているよりも深刻だ。

「清孝、気づいてないかもしれないけど……あなたはいつも、物事の主導権を握ろうとする。昔もそうだった。今もそう。

私に対して、一度だって尊重してくれたこと、あった?」

清孝は言葉を失った。どうしてそういう話になるのか、分からなかった。

「あなたが私に優しくしてくれた頃、それは妹としてだった。私が告白したら、あなたは一方的に無視して、関係を壊した。

後になって、自分の気持ちに気づいて、今度は私がもうあなたを好きじゃなくなったのに、勝手に付きまとってきた。私が拒んでも、あなたはどんどんエスカレートして」

紀香の声が詰まりそうになり、一度言葉を止め、必死にこみ上げる感情を飲み込んだ。

「今は、身の回りのこともできないくらいの状態になって、自分のみっともない
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