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第5話

Author: 喜々(きき)
まさかと思った。

西園寺家の揉め事が、こんなふうに凛也の目に触れることになるなんて。

気づけば、視線が突き刺さるのを感じた。何もなかった顔でひと呼吸を置き、わざと足音を立てた。

そばにいる凛也の目つきが、さらに一段暗くなった気がした。

……

西園寺の会長、西園寺誠司(さいおんじ せいじ)は、婿入りでのし上がった男だ。

三十年前。

西園寺家のひとり娘だった西園寺静江(さいおんじ しずえ)が、貧しい青年に惚れ込んで、周囲の反対を押し切って彼を婿に迎えた。

しかし、それを恋だと思っていたのは、静江だけ。

「いい人」だと信じていたのに、誠司にとって彼女は「近道」でしかなかった。

誠司は演じるのが上手かった。

何十年も、いい夫の仮面を被り続けてきた。

その間に、老いた当主から株の半分を奪い取り、静江についてきた腹心も全部追い払った。

そしてようやく、誠司は尻尾を出した。

気づいたときには、もう遅い。

会社の中で、彼の足場はすでに固まっていた。

……

いちばん早く澪たちに気づいたのは、神崎家の家政婦だった。

視線ひとつで合図を送ると、凛也の母、神崎絹代(かんざき きぬよ)が襖をさっと引き開いた。

一瞬、空気が固まった。けれど絹代は立ち上がり、ため息をついて、意を決したように口を開いた。

「……聞こえちゃったわよね」

澪は浅く笑って、無言で返す。

わざわざお義母さんの顔を潰す必要はない。

絹代は澪の手を取って、その上に自分の手をそっと添えた。

温かかった。

「大丈夫よ。たいしたことじゃない。神崎家も、あなたの味方だから」

澪は小さくうなずく。

「ありがとうございます、お義母さん」

「礼などいらないわ。私たち、家族なんだから」

そう言い切ってから、絹代の視線が凛也へ飛ぶ。表情は穏やかなままなのに、声だけが妙にとげる。

「……ねえ?凛也」

凛也はちょうど、座布団を出しているところだった。名指しされても、目だけを上げた。

「うん」

返事はそれだけだった。

夕食の席では、凛也の両親が澪に次々と言葉を投げた。

困ったことがあったら言いなさい、と。

こちらで何とかする、と。

澪はそのたび丁寧に返す。けれど心底では、本気にしていない。

この世界は、情より先に風向きが変わる。政略結婚も、愛情ではなく利害の釣り合いで成り立っている。

しかも自分たちは、もう離婚の話をしている。離婚が成立したら、なおさらだ。

世代をまたぐ付き合いがあっても、利益の前では、人は簡単に変わる。

食後。

澪はいつもの流れでこの屋敷で泊まり、早めに自分の部屋へ引き上げた。

庭先で、凛也が黙々とたばこを吸っている。

半分ほど燃えたところで、ショールを羽織った絹代が姿を現した。

「なんで部屋に戻らないの」

凛也は灰を落として、気だるく返す。

「夜景見てるんだよ」

絹代は鼻で笑った。

「そう?後ろめたくて、戻れないんじゃないの?」

「……」

「なに、その顔。演技、疲れるでしょ」

たばこをくわえたまま、凛也は口元だけで笑った。

「で?何が言いたい?」

絹代は屋内をちらりと見て、澪がいないのを確かめた。それから一歩詰めて、低く吐き捨てた。

「離婚する度胸はあるくせに、家には言えないの?」

たばこのフィルターは噛み潰された。

「最初からそう思ってたわよ。あんたたち、長くはもたないって。あんたみたいな性格、元々孤独死コースだもの」

息子相手でも、その言い方にはまったく容赦がない。

フィルターを噛みしめたまま、凛也は黙り込んだ。綿のにおいとヤニの苦みが、口の中にじわっと広がる。

絹代は肩をすくめて、追い打ちをかけた。

「正直に言うけど、あんたが息子じゃなかったら、澪ちゃんに釣り合わないと思ってるわ」

「……」

親の一言だから、いちばん刺さる。

しばらくの沈黙のあと、凛也はたばこを外し、火をもみ消した。

「母さん」

腕を組んでいる絹代は、余裕たっぷりに彼を見下ろす。

「なに?口を慎めとでも?」

凛也は眉間を押さえ、顔を上げた。その表情が笑っているのか呆れているのか、まったく分からなかった。

「……恋というのはさ。無理しても、結果が出ないんだよ」

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