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第92話:王座なき議会

last update Last Updated: 2025-08-07 20:15:22

──仮設政庁は、まだ板の香りがする。

それでも人々はそこに集い、声を交わしていた。

王座が消えた今、この場所が「国家」と「未来」の中心になると信じて。

天幕の下では、昨日まで敵同士だったはずの兵士たちが、椅子を並べ、記録用の羊皮紙を用意していた。

瓦礫の向こうで子どもたちが笑っていた。

焼け落ちた街に、新しい風が吹き始めていた。

だが──全てが順調、というわけではなかった。

「……ヴァルドの兵士が、市場の通行証まで管理してるって?」

「治安維持はありがたいけど、ずっとこのままなら、支配されたも同じじゃないか?」

人々の間に、小さな不満が芽を出していた。

恐れというより、戸惑いに近い。

“支援”と“介入”の境界線を見失いかけていた。

その声は、政庁にも届いていた。

「……市民から、軍の駐留についての懸念が出ている。『ヴァルドによる占領だ』という声も一部にあるようです」

ヴァルドの連絡官が報告すると、会議室に微かな緊張が走る。

その中で、カイル・ヴァルドは静かに立ち上がった。

軍服の肩章は外され、ただ一人の“来訪者”として、彼はそこにいた。

「そう思われても、仕方がないだろう」

率直な言葉に、一瞬、場がざわめく。

「我々はクラウディアの神官たちとは違い、どうしても軍服で動いている。硬い部分も否めない」

カイルの口元には小さな苦笑が浮かんでいた。

だがカイルは続けた。

言葉を選ばず、まっすぐに。

「だが誤解がないように言っておく。ヴァルドはこの地を“占領”するために軍を送ったのではない。支援が済めば、必要以上に干渉することはない。ここはあくまで──“共同統治”の地だ」

「共同統治……」

誰かがそう呟いた。

カイルは頷く。

「アルヴァレスをひとつの“自治領”とし、クラウディアとヴァルドの双方が、それぞれの支援と責任を分担する。だが主導権を握るつもりはない。民の声を中心に据え、文民による政治体制を築く。俺はその下支えをするために、ここにいる」

それは命令ではなかった。

けれど、その言葉には重みがあった。

そして、もう一人。

その言葉を補うように、リリウスが立ち上がった。

「クラウディアからも、再建使節団が来ています。この街で生きる人々と一緒に、新しい仕組みを作るために──誰かの支配のためじゃない」

扉が開き、広場から数人の人影が現れる。

ヴェイル・アランディス。

クラウディ
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