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第8話

Auteur: やまごま
出張三日目、楓のSNS更新が一気に増えた。

涼しげな服装の甲板ショット、美しい風景の登山写真、上品なレストランでの食事写真……

変わらないのは、どの写真の隅にも必ず諒の姿が写っていることだった。

最新の投稿では、彼女は堂々と彼の腕に手を回し、諒の横顔がはっきりと映っている。まるで新婚夫婦のように。

投稿文には「上司と有給旅行中、邪魔しないでね」と書かれていた。

愛乃の親指が画面の上で一瞬止まり、うっかり「いいね」を押してしまった。

三秒も経たないうちにスマホが震え、画面に諒の名前が表示された。

「今夜は嵐になるらしい」

受話口からは、彼の声と共に波の音がはっきりと聞こえた。

「戸締りはちゃんとして、雷が鳴っても怖がるな」

窓の外では、雨がガラスを絶え間なく叩き続けていた。

昔、彼女が一番怖がっていたのは雷雨の夜だった。

その頃の諒は必ず予定を早めて帰宅し、氷のように冷たい彼女の足をそっと抱きしめて温めてくれた。

その腕の中にいれば、世界は静まり返った。

今、嵐に向き合うのは彼女一人だった。

諒がまだ何かを話していたが、愛乃にはよく聞き取れなかった。

そのとき、突然、澄んだ女性の声が割り込んできた。

「諒!早く!花火が始まるよ!」

「えっ、私の名前になってる!」

「これ、私へのサプライズ?」

「もう、すっごく嬉しい!」

その喜びの声を聞きながら、愛乃の頭に海辺ではしゃぐ楓の姿が浮かんだ。

受話器の向こうで衣擦れの音がし、諒は短く「早く寝ろよ」と言って電話を切った。

無機質な「ツーツー」の音と雷鳴が重なり合い、やがて稲光が夜空を裂いたとき、彼女の涙は窓の外の雨と一緒にこぼれ落ちた。

夜が明けると、雨は止んでいた。

愛乃が窓を開けると、庭は荒れ果てていた。

結婚の際に諒と共に植えた薔薇はすべて風雨に打ち砕かれ、花びらが地面に散っていた。

昔なら、きっと長い間心を痛めただろう。

しかし、別れが迫った今は、彼女は自分に言い聞かせた。

「留められないものは、無理に掴もうとしなくていい」と。

愛乃はスーツケースを広げ、自分の持ち物を整理し、持っていけないものはひとつひとつ壊して捨てた。

彼女は自分の存在を示すものを、この家から丁寧に取り除いていった。

再びスマホが震え、また諒からのメッセージだった。

十数枚のジュエリーの写真と共に、

【ここ数日、俺の態度が悪くてごめん】

【全部君のために選んだプレゼントだ。気に入ってる?】

【なんで返事をしないんだ?もうすぐ家に着く。会いたかった】

彼女は写真を開かずチャットを閉じた。

そして、あの日のオフィスと宴会での監視映像を保存した。

――証明するためだった。

自分は変わっていない。

この関係を壊したのは彼自身なのだと。

突然、雲の合間から陽が差し込み、部屋を照らした。

愛乃は三年過ごした部屋を最後に見回した。

去り際、彼女は婚約指輪とスマホをリビングのテーブルに置いた。

それ以外には何も残さなかった。

ふと思った。

三年前に彼が仕組んだ離婚のおかげで、去る前の面倒なことがずいぶん減ったのだと。

玄関の棚に鍵を置き、ドアを閉めた。

荒れた庭を歩く愛乃の足取りは軽かった。

それから先、二人はきっと春の花と冬の雪のように、二度と交わることはなかった。

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