初恋を手放した先に、人生のパートナーを見つけた。
View More番外編養父母に引き取られたとき、俺はようやく自分にも家というものを持てたと思った。彼らは俺の姓を変えようとはしなかった。「そんなこと、気にしていない」と言っていた。だが後になって気づいた――彼らが本当に欲していたのは息子ではなく、婿養子だったのだと。出世の道は険しく、養父母の絶え間ない督促は背中に刺さる棘のようで、俺の息を詰まらせた。もし結衣に出会っていなければ、俺は本当に莉子との結婚を受け入れていたかもしれない。けれど結衣はあまりにも純粋で、俺がふと手を差し伸べただけなのに、冷淡さも無情さも顧みず、二年間もひたむきに追いかけていたのだ。結衣の熱い想いが、長いあいだ胸の奥に潜んでいた劣等感をことごとく消し去っていった。そのとき俺は、ようやく自分も愛される価値のある人間だと気づかされたのだ。三年目、ついに抑えきれなくなった心に従い、俺は彼女と付き合い始めた。その日、結衣の笑顔は、俺の暗闇だった心を明るく照らした。胸の鼓動は激しくなり、飛び出してしまいそうだった。俺はひそかに誓う。これからのすべてで彼女を愛し抜き、一生、幸せにすると。結衣は何もかも受け入れてくれた。細やかに世話を焼き、いつも支えてくれた。このまま一生を共に歩むのだと信じていたし、必ず結婚するのだと思っていた。いったいいつからだろう、俺が結衣を最優先にしなくなってしまったのは。おそらく養父母の突然の死で、俺が会社のトップに立ち、莉子までもが俺の顔色をうかがいながら生きるようになった、その頃から俺は変わってしまったのだろう。長年押し殺してきた劣等と屈辱は、やがて獣のような形を取り、俺を食い荒らし始めた。名声も富も手に入れたつもりで、結衣の想いをいいことに、俺は彼女の愛情を遠慮なく食い潰していた。自分が薄情な人間ではないと示すために、結衣の傷ついた眼差しを何度も見て見ぬふりをし、莉子をまるで小さな姫のように守り立てていたのだ。結衣は気にしないだろう――俺はそう思っていた。だって俺は彼女を愛している。ただ一人、彼女だけを。莉子はただの妹。義姉として、多少のわがままを許すのは、当たり前のことじゃないかと勝手に思い込んでいた。けれど俺は忘れていたのだ。結衣もまた、俺が命をかけて守ると誓った、大切な存在だったのだ。何度も彼女の異変に気づい
莉子は腫れ上がった頬を押さえ、狂気をにじませて言い募った。「もしあなたが、彼女がいなくなってから毎日私を責め苛まなければ、私はこうはならなかった!私はあなたを愛してる。それのどこが悪いの?こんな仕打ちを受けても、私はあなたのそばを離れなかったのに。あの水島結衣なんて何さ、あなたは彼女にあんなに優しくしてたのに、裏では他の男といちゃついてたじゃない!お兄ちゃん、見てよ、私こそがいちばんあなたを愛してる!」晃は莉子の身体を押し退け、結衣の前へと進み出て、謝る。「結衣、ごめん。傷つけるつもりはなかった。俺は本気で、もう一度やり直したかった……」結衣は無表情のまま晃を見返す。「晃、私たちはもう一年前に終わっているの」ふたりが抱き合う姿を見て、晃はようやくその言葉の意味を理解したかのように、乾いた笑い声を上げ、それがすすり泣きに崩れた。「ははは、終わった?全部終わったのか?悪いのは全部俺だ。俺が間違ってた。ううっ……」圭吾は結衣を抱き上げ、古びた倉庫を後にする。莉子はまだ動こうとしたが、体を追う赤い光点を目にして、結局は身をすくめて動きを止めた。結衣は圭吾に連れられて病院で検査を受け、軽い脳しんとうと全身に打撲痕があると診断が下った。圭吾は目を赤く潤ませ、結衣の体に薬をそっと塗っていく。その顔に、これまで見せたことのない険しさが刻まれた。「……あいつは許せない。あの女も、あの男も、みんな死んでしまえばいい」結衣は圭吾の手をそっと握った。「もういいの。二人はもう警察に連れていかれたから」圭吾は何も言わず、黙って薬を塗り続けた。結衣は決心して、そっと身を寄せ、圭吾の唇にひとつ口づけを落とす。圭吾の表情がぱっと明るくなり、驚きと喜びに目を見開いたまま結衣を見つめた。あまりの衝撃に声が震え、どもりながら言う。「結衣、い、今の、もう一度、いい?」結衣は頬を染め、目を閉じて小さくうなずいた。圭吾はそっと身を屈め、結衣の唇に丁寧な口づけを落とした。その仕草は、かけがえのない宝物を抱くかのように慎重で優しかった。結衣が退院したのは一か月後のことだった。篠原グループはすでに跡形もなく、朝倉グループに呑み込まれていた。莉子は罪を犯したことで逮捕され、晃もまた傷害の罪で収監された。彼の罪は重くなかったため、数年で出
莉子は泣いたり笑ったりを繰り返しながら、晃に向かってかすれた声で叫んだ。「あなたは私のもの。両親が私のためにあなたを婿養子として育てたのに、どうして他の女を好きになれるの?そんな資格、あなたにはない!」莉子の言葉に、今にも意識を失いかけていた結衣がはっと目を見開いた。養子じゃなかったの?どうして婿養子なんて話になるの?晃は結衣の驚いた様子を見て、自分が裸にされて街中を引き回されているような恥辱を感じ、表情はますます険しくなった。「莉子、もう一度言う。お前は、いつまでも俺の妹だ」莉子は耳をふさぎ、必死に首を振る。「違う!あなたの名前だって私がつけたのよ。パパとママは、私が帰国したら結婚させるって言ってた。事故さえなければ、私たちはとっくに夫婦になったはず。あなた、昔は一番私のことが好きだったじゃない?どうして拒むの!」晃は一歩、また一歩と莉子に近づき、抑えた声で言う。「たとえ両親が生きていたとしても、俺はお前と結婚しない。俺はお前を愛していない。莉子、落ち着け」莉子は声を限りに叫ぶ。「聞きたくない!あなたが私を愛していないなんて、あり得ない!誰を愛してるっていうの?言いなさいよ、誰なの!」突然、彼女の声が途絶えた。ゆっくりと振り返り、冷ややかな視線を床に倒れている結衣に向ける。唇を震わせながらつぶやく。「そうだ……あなたは彼女を愛してるのね。このあばずれを愛してるのよね。だったら殺してやる。殺せば、あなたは私を愛してくれる」莉子は木棒をふり上げ、結衣の頭めがけてまた振り下ろそうとする。「やめろ!俺は彼女を愛していない!結婚する、莉子、俺たち結婚しよう!」晃の叫びが、追い詰められた嘘を滲ませる。莉子の虚ろな瞳がぐるりと回り、口端に不気味な笑みが浮かぶ。「結婚?いいわ。でも、結衣は生かしておけない。彼女が生きている限り、いつかあなたを奪い返しに来る。だから、死んでもらうの」莉子は高らかに笑い、木棒を勢いよく振り下ろした。結衣は観念したように目を固く閉じる。脳裏によぎったのは、今日、圭吾に「僕は君の彼氏になれるか?」と問われたあの瞬間。もっと早く頷いていればよかった。悔しさだけが胸を締めつけた。「やめろ!」晃の声はかすれ、裏返った。彼は飛び込み、莉子を抱き倒した。木棒はやっと彼女の手から離れて転
圭吾は母に電話を入れたが、応答はない。結衣は不安が喉元までせり上がり、握り合う手には細かな汗まで滲んだ。会議室の扉が開き、中の様子を確かめる間もなく、クラッカーが一斉に弾け、結衣は思わず身をすくめた。「サプライズ!」流行りののミンクのロングコートをまとった圭吾の母が、株主たちを引き連れて立っている。全員がクラッカーを手に、二人に向かって一斉に噴きかけた。圭吾はすべてを悟り、安堵の息をつき、諦めたように呼んだ。「……母さん」結衣も遅れて事情を飲み込み、すべては圭吾の母たちの仕掛けだ。朝倉グループが無事だと分かった途端、膝から力が抜け、結衣は崩れ落ちそうになった。圭吾が素早く彼女を抱き留める。結衣はその胸に身を預け、圭吾の母に拗ねるように言う。「おばさん、もうびっくりしましたよ……」圭吾の母がケラケラ笑う。「あなたたちにサプライズを用意しただけよ。どう、私たちの演技、悪くなかったよね?みんな見事に引っかかったわね」「結衣、僕は君の彼氏になれるか?」まだ気持ちの整理もつかないうちに、圭吾が低く問いかけてきた。それは、この一年で何度も聞かされた言葉だった。その言葉を聞くたび、かつての結衣は喜びよりも恐れのほうが大きかった。また同じ過ちを繰り返すのではないかと、不安が胸を支配していた。けれど今は違う。胸いっぱいに喜びが満ちていく。自分では大声で答えたつもりだったが、実際には圭吾にしか届かないほどの小さな声で囁く。「いいよ」それで十分だ。圭吾に届けば、それでいい。圭吾は感極まり、結衣をお姫様抱っこで抱き上げ、その場でくるりと回る。会議室は歓声と笑い声で満ちた。とはいえ社内の後始末は残っている。結衣は、付き合い始めたばかりの彼からの誘いをやんわり断り、そっと一人で会社を出た。親友に会って、この一年間のことをじっくり話すつもりだった。結衣が歩道に差しかかったそのとき、一台のワゴン車が突然現れた。異変を感じ取った結衣は、すぐに背を向けて走り出そうとした。だが、車内の連中の動きは彼女よりも早かった。結衣の口元は薬品を染み込ませた布で覆われる。意識が闇に沈む刹那、こちらへ全力で駆け寄ってくる圭吾の姿が最後に映った。激しい頭痛とともに目を覚ますと、そこは古びた倉庫だった。手足は固く縛られ、周囲には廃材の木が
帰国便の到着した空港で、結衣は久しぶりに晃の姿を見た。彼女は眉をわずかにひそめ、見なかったふりをしようとする。けれど晃は彼女に逃げ場を与えなかった。隣に立つ圭吾の存在などなかったかのように無視し、早足で駆け寄ると、焦りににじむ声を放つ。「結衣、帰ってきたんだな。俺が家へ連れて帰る」圭吾は身をずらして晃の手を遮り、鋭く冷たい声を放つ。「自分の立場をわきまえろ」腕を阻まれても、晃は怒らない。むしろ圭吾を見据え、皮肉げに口を開く。「ずいぶん自分を信じ切っているようだな、朝倉社長。一年も雲隠れして、今の朝倉グループが、まだお前の一存で動くと思うのか?」結衣の表情がかすかに変わり、そっと圭吾の袖を引いた。圭吾は振り返って安心させる視線を返し、そのまま彼女の手を握る。結衣は困ったように目を伏せた。普段の圭吾なら決して一線を越えるようなことはしない。だが晃が現れると、結衣が彼を遠ざけたいと知っているがゆえに、その行動は途端に大胆になるのだ。晃の冷ややかな視線が、二人のつないだ手に落ちる。その口から出た言葉は結衣をさらに怯えさせた。「聞いたぞ、お前の母親が息子の家業を守るために自ら本社へ乗り込んだそうだな。ところが今は大株主たちに押さえ込まれて、会社から出られないらしい。手術を受けたばかりの体で、果たしてもつのかどうか」ついに圭吾の表情が揺らぎ、彼は結衣を見た。結衣の胸はどきりとしたが、あえて軽い調子で言う。「早く行って。お母さまのほうが大事よ」晃は傍らで声を立てて笑った。「結衣、これが俺と別れてまで選んだ男か?結局、俺と何が違う?どうせ誰かのために、お前を捨てるんだろう?」「黙って!」結衣は晃を怒りのこもった目でにらみつけた「結衣、一緒に会社へ行ってくれるか?たとえこの先に奈落が待っていようとも」圭吾が不意に口を開いた。声はいつもどおり柔らかく、不安の色は微塵もない。晃の笑いがぴたりと止まり、信じられないというように圭吾を見つめた。「気でも違ったのか?それじゃみんなに彼女がお前の弱点だと知らせるようなものだ!そんなの、彼女を危険にさらすだけだ!」圭吾は晃を相手にしない。ただ結衣だけをまっすぐに見つめる。結衣は、胸の空白だった部分がようやく満たされていくのを感じた。彼女が恐れていたのは、危険ではない。
晃の心は粉々に砕け散った。彼は慌ててうなずき、結衣に約束した。「わかった。約束する。お前が持ちこたえたら、俺はちゃんと離れる。もう二度と邪魔しない」結衣は弱々しい息の中でも、必死に言葉をつなぐ。「晃、もう私に付きまとわないで。私たちはもう別れたの」晃は泣きじゃくりながら誓いを繰り返し、結衣が救急処置室へ運ばれていくのをただ見つめる。どれほど待っただろう。ついに手術中を示すランプが消え、晃と圭吾は同時に駆け寄り、直樹を取り囲んで、堪えきれずに状況を尋ねた。直樹はマスクを外し、深く息を吐き出した。「手術は成功です。水島さんは大丈夫ですよ」晃は目の前の世界がぐらぐらと揺れるように感じ、安堵する暇もないうちに、圭吾が横で冷ややかに告げる。「さっき結衣と約束したよね。二度と彼女の前に現れない、と」晃の表情から笑みがすっと消え、凍りつくような眼差しで圭吾を射抜く。「これは俺と結衣のことだ。お前みたいな部外者に指図される筋合いはない」「さすがは篠原社長。出まかせだけで会社を回してきたとは、驚くばかりだ」圭吾の皮肉に、晃が反論しかけたそのとき、直樹が割って入った。「篠原さん、いまは患者さんの体が最優先です。手術を終えたばかりで、これ以上心を揺さぶるようなことはさせられません」晃は奥歯をきつく噛みしめ、恨めしげに圭吾をにらみつけた。そしてベッドが運び出されるのを見て、慌てて後ろへ下がり、結衣に見つからないよう身を隠した。結衣の病が再び悪化するのを恐れ、晃はもう彼女に近づけなかった。ただ暗闇から、結衣と圭吾の距離が日に日に縮まっていくのを見つめるしかない。悔しさに胸が爆発しそうになるほどだ。結衣の術後経過は良好で、すっかり回復して退院できたときには、もう翌年の冬になっていた。そのあいだ、付き添っていたのは終始圭吾で、圭吾の母はとうに帰国して静養している。「この一年、本当にありがとう」気まずそうに礼を言う結衣に、圭吾はやわらかく微笑んだ。「じゃあ、そろそろ僕にも、いいかな?」結衣の顔に一瞬ためらいがよぎった。圭吾が十分すぎるほど尽くしてくれたのはわかっている。けれど、心のどこかに越えられない溝がまだ残っていた。結衣が黙ったままなのを見て、圭吾は無理に答えを求めなかった。そっと彼女の耳たぶをつま
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