Mag-log inその様子に、紗友里は片腕で光雅の首を抱き寄せ、もう一方の手で部屋を指さした。「……寝室は、あっち」その先へ視線を向けた光雅は、彼女を抱えたまま迷わずそちらへと足を進めた。光雅自身、思いも寄らない展開だった。こんな真夜中に所用で警察署を訪れ、まさか紗友里と鉢合わせして身元引受の書類にサインし、連れ出すことになろうとは。やはり自分と彼女の間には、不思議な縁があるのかもしれない。寝室へと運び込み、ベッドへどさりと下ろすと、紗友里の身体は柔らかな寝具へと深く沈み込んだ。投げ出された両手が、すぐさま光雅の首へ再び絡みつく。その熱を帯びた反応に、光雅は覆いかぶさって唇を塞ぎ、手慣れた仕草で彼女の服を脱がせていった。直近で顔を合わせた2回は、あれほど頑なに距離を保っていたはずだった。だが今夜は、彼女の側も自制がきかなくなっていた。以前彼に言い放った拒絶の言葉など、とうに忘れ去っていた。2度の衝突と、このところの空白が火に油を注いだのか、2人は飢えた獣のようにベッドの上で激しく乱れ合い、どれほど体を重ねても互いを求め足りないままだった。*午前6時を回った頃。互いに体があまりの疲労できしむほどになり、息も絶え絶えになって、ようやく2人は離れてベッドの上に倒れ込んだ。シーツに突っ伏した紗友里の背中に、光雅はだらりと腕を乗せる。横を向いたまま、後頭部しか見せてくれない彼女の姿に、光雅の瞳は思わず陰った。すっかり手懐けたつもりでいたが、今の状況を見る限り、彼女にとって自分は単なる身体の欲求を満たす相手にすぎないのではないか。事を終えてしまえば、もう見向きもしてくれない。伸ばした右手を、肩から腕へと滑らせて顎を挟み、軽くつまんでみた。まどろみの中でその指先に気づいた紗友里は、目も開けずにその手を邪険に払いのけた。昔からずっと、そういう性分なのだ。自分の目的を果たしさえすれば、何の気兼ねもなく、心ゆくまで泥のように眠り続ける。「……」光雅は呆れて言葉を失った。丸まった後頭部を、それから長いあいだじっと見つめ続けていたが、やがて部屋の照明を消し、寄り添うようにして眠りに落ちた。この部屋で夜を明かすつもりなど毛頭なかった。だが、先ほどまで激しく体を重ねすぎたのは確かで、さすがに疲弊しきっ
こんな真夜中に、本格的な茶器を並べる気など毛頭ない。形だけ繕えれば十分だった。紗友里がお湯を沸かしにキッチンへ向かうと、光雅は両手をポケットに突っ込み、部屋の内装をゆっくりと眺め渡した。認めざるを得ないが、紗友里は実に趣味がいい。このタワーマンションの設えには洗練された美意識が息づいており、上品で落ち着いた空間に仕上がっていた。ほどなくして、紗友里がキッチンから湯沸かしポットを手に戻ってきた。さらにせわしなく急須と茶葉を運んでくると、お茶を淹れながら口を開いた。「滅多に来ない部屋だから、大したものはないの。これで我慢して」言いながら、湯呑みに注いだ澄んだ緑茶を差し出した。光雅はその手元をじっと見つめてから、器を受け取る。こんな時間まで連れ込んで、律儀にお茶を淹れるとは。口をつけ、喉を潤した光雅は、改めて部屋を見渡した。「いい趣味だ。空間作りのセンスがある」普段から妥協を許さず、他人に甘い言葉をかけることなど滅多にない男だ。その彼が素直に褒めたのだから、心からの評価に違いなかった。光雅の褒め言葉を耳にした紗友里は、途端に表情をほころばせ、いそいそと彼に自分の内装コンセプトを説明し始めた。このタワーマンションの設えはクラシックモダンをベースにしながらも、そこに彼女独自の感性を散りばめたことで、いっそう一味違った趣に仕上がっている。楽しそうに話す彼女を、光雅は無言で見つめる。出会った頃の無邪気さ、警戒心もなく自分に笑いかけていた日々の面影が、ふと重なった。射抜くような視線に気づき、紗友里はぴたりと言葉を止めた。まじまじと見つめ返したあと、居心地悪そうに頬を緩める。「……ちょっと、喋りすぎたかしら」「いや」光雅は即座に否定した。「そういうところ、可愛いよ」素直な賛辞に、紗友里の強張っていた口元が自然とほぐれる。だが、その一瞬で室内の空気が濃密に変わった。視線が絡み合い、紗友里が手元の湯呑みをテーブルへ置こうとした、その時だった。光雅が器を置き、彼女の顎をすらりとした指先で掬い上げた。身を屈め、逃げる間も与えずに唇を塞ぐ。唐突な口づけに、紗友里の身体が硬直した。両手を上げ、反射的に胸元を押しのけようとしたが、指先がスーツの布地に触れた瞬間、動きが止まる。結局
深夜の通りは、しんと静まり返っている。見渡す限り、アスファルトの上を滑る自分たちの車以外、走る影すらない。車内のアンビエントライトが温かみのある光を灯すなか、紗友里は今夜の騒動を思い返していた。我ながら呆れるほど馬鹿げた一晩だ。長い沈黙のあと、ふと思い出したように助手席から声をかけた。「……今夜のこと、助かったわ。ありがとう」光雅は前を向いたまま、素っ気なく返す。「礼を言われるほどのことじゃない」言葉が途切れると、再び静寂が車内を満たした。互いに、あの夜の過ちや、肌を重ねた関係については一言も触れようとしない。ルームミラーに映る顔と乱れた服を見下ろし、紗友里はぽつりと告げた。「この格好で実家に戻るわけにはいかないの。ヴァンクラッセまで送ってくれる?あそこに部屋があるから」「わかった。ヴァンクラッセだな」光雅は頷き、カーナビの画面をタップして目的地を再設定した。東都市に拠点を構えて数か月になるが、まだ土地勘があるとは言えない。どこへ行くにもナビに頼る必要があった。車が高層タワーマンション、ヴァンクラッセの車寄せに着いたのは、午前3時を回った頃だった。紗友里がドアを開けて降りると、光雅もエンジンを止めて外へ出た。見送るつもりのようだ。見上げたタワーの上層階は、まばらに灯りがともるばかりで、大半の住人は深い眠りについている。視線を戻すと、ちょうど光雅と目が合った。「今日は本当にありがとう。じゃあ、部屋に戻るわね」紗友里の挨拶に、光雅は両手をスラックスのポケットへ突っ込んだまま、さらりと言った。「上がってお茶でも飲ませてくれないのか?」その問いかけに、引き戻したばかりの視線を跳ね上げ、紗友里は思わず彼を見上げた。まさか光雅がそんなことを言い出すとは思いもしなかった。道中の2人の会話は、至って真面目なものだったのだから。冬の冷気が肌を刺す。街灯と月明かりが路面を白く照らし、吐き出す息が白く尾を引いた。しばらく彼の顔を見つめていた紗友里は、思案の末、静かに息を吸った。「……温かいお茶くらいなら、淹れられるけど」深夜の心細さか、それとも今夜の窮地を救われた恩義か。目の前の男に対して、わずかに心が揺らいだのは事実だった。結局、彼の誘い水に乗る形で折れた。少し照
聞き覚えのある低い声に、紗友里は弾かれたように顔を上げた。開いたドアの隙間から、見知った長身の男が入ってくる。光雅だ。こんな時間、こんな場所で鉢合わせるなど想像すらしていなかった。紗友里は目を丸くしたまま固まる。数秒間、瞬きも忘れて凝視したあと、ようやく我に返って口を開いた。「……どうしてここに?」光雅はその問いにすぐには答えなかった。調書を取っていた警察官へと視線を移し、スーツの内ポケットから名刺を取り出して差し出す。「彼女の身元引受人です。手続きに来ました。サインする書類はどれですか」警察官は名刺を受け取り、記載された肩書を確かめる。東央システムズ社長。東都市でいくつもの投資案件を抱え、興衆実業との共同事業も手がける大物実業家だ。これだけの人物が身元保証人に立つなら、何一つ申し分ない。手続きは滞りなく進み、ほどなくして紗友里は署の外へと連れ出された。*取調室のドアを出てから階段を下りるまで、光雅は一言も発しなかった。彼が無言を貫く以上、紗友里から口を開く気にもなれない。見栄を捨てきれないプライドが、まだ胸の奥にくすぶっていた。助手席に押し込まれ、車が静かに走り出したところで、ようやく光雅が横目で視線を向けてきた。気のない口調で、皮肉っぽく呟く。「最近、ずいぶん血の気が多いな。行く先々で喧嘩でも売ってるのか?」前回の衝突を引き合いに出した当てこすりだと、すぐに察しがついた。だが、紗友里は言い訳などしない。理解してくれる相手に弁解は要らないし、理解する気のない相手になら、言葉を尽くすだけ無駄だ。その皮肉を受け流し、感情を乱すこともなく、紗友里は涼しい顔で訊ねた。「こんな夜更けに、警察署に何の用だったの?」自分がここにいた理由より、彼が居合わせたことのほうがよほど不可解だった。ハンドルに両手を添えたまま、光雅は淡々と返す。「野暮用を片付けに来ただけだ。まさかお前と出くわすとは思わなかったがね」光雅の言葉に偽りはなかった。実際、私用を片付けに来ただけであり、こんなところで彼女に出くわすとは思いも寄らなかった。それ以上踏み込んだ説明がないため、紗友里も追及はしなかった。「ふうん」と短く相槌を打ち、再び前方の闇へ視線を戻す。横目で彼女を盗み
紗友里の表情に険が走ったのを見て、女は慌てて2、3歩後ずさりした。「やましいことがないなら、何を怖がる必要があるわけ?きっちり1000万円振り込んでくれさえすれば、この話は丸く収まるのよ」揃いも揃って開口一番に1000万を要求してくる図々しさに、紗友里は思わず呆れ笑いをこぼした。相手の車に目を向ける。せいぜい2、300万の車で、しかもリアに軽く接触した程度だ。平然と1000万円を吹っかけてくるなど、誰が見ても明らかな言いがかりだった。「1000万円ね」紗友里は鼻先で笑い、ポケットからスマートフォンを取り出した。「警察を呼んで……」言い終わらないうちに、女の手が伸びてスマートフォンをパシッと払い落とした。さらにつま先で思い切り蹴飛ばし、はるか遠くへ転がしてしまう。「何よ!権力を使って揉み消そうってわけ?言っとくけど、1000万払わない限り絶対に許さないからね!」端末を乱暴に払われ、蹴り飛ばされた上に、なおも強欲に1000万円を要求してくる相手に、紗友里の堪忍袋の緒は完全に切れた。そもそも、普段から我慢強い性格などしていない。身勝手な女を冷ややかに見据え、紗友里は右腕を勢いよく振るって相手の手首を激しく払い除けた。物心ついてからこの年になるまで、こんな無礼な扱いを受けたことなど1度もない。自分に手を出してくる人間など皆無だった。紗友里の勝気な本性が、一気に弾け飛んだ。酒の入った女は、一瞬あっけにとられて目を白黒させた。だがすぐに頭へ血が上ったのか、爪を立て、紗友里へつかみかかってきた。すかさず、運転席の女も加勢に入る。元はただの物損事故にすぎなかったはずが、気づけば3人の女が激しくもみ合う乱闘劇へと発展していた。*それから間もなくして、現場に駆けつけた警察官によって、3人は警察署へと連行された。署内に通されると、まずアルコール検査が行われた。紗友里の呼気からは何も検出されなかったが、相手の女2人はどちらも酒気帯びだった。運転手のほうが多少控えめだったというだけの話だ。だが、紗友里が追突したこと、そして3人で取っ組み合いの喧嘩をしたのは紛れもない事実だった。ドライブレコーダーには相手が紗友里をゆすろうとしていた音声がしっかり残っていたものの、紗友里が激しく応戦した記録も
真琴の思いがけないスキンシップに、信行は背中に回した腕に力を込め、いっそう強く抱きしめた。口元に浮かぶ笑みが、さらに深くなった。*その頃、都心の川沿いを通る大通り。紗友里は前を走る車に追突していた。真琴と信行が復縁してからというもの、真琴の仕事も私生活も慌ただしくなり、最近の紗友里はどこへ行くにも1人だった。気を利かせて真琴を誘うのを控えていた。何日もおとなしく家で過ごしていたのに、久しぶりに外へ出た途端にこれだ。エンジンを切り、ドアを開けて外へ出ると、前方の車からも運転手が降りてきた。すさまじい剣幕で詰め寄ってくる相手を前にしても、紗友里はひるむことなく、落ち着き払って声をかけた。「おけがはありませんか?救急車を呼びましょうか」信号の手前だったため、紗友里の車のスピードもそれほど出ていなかった。相手が唐突に急ブレーキを踏みさえしなければ、十分に防げた事故だ。そんな気遣いの言葉など耳に入らないとばかりに、運転席から大股で歩み寄ってきた女は、鼻先へ指を突きつけ、激高した声を張り上げた。「どんな運転してんのよ!納車されたばかりの新車なのよ。いきなりぶつけるなんて、わざとに決まってるじゃない!」紗友里は半歩身を引いて間合いを取り、服の裾を軽く整えながら冷ややかに言い放った。「起きてしまったことは仕方がありませんし、車が接触したのも事実です。そんなふうに取り乱しても、何の解決にもなりませんよ」そして相手のリアバンパーをちらりと見やり、泰然と言葉を継いだ。「車が壊れたなら直せばいいですし、おけががあるなら病院へ行けばいい。こうして車を降りて確認している以上、責任から逃げるつもりはありません。ですから、そうカリカリしないでください。どう解決したいのか、話してください」紗友里の動じない態度に、女はますます逆上した。再び食ってかかってわめき散らす。「何よその態度!ぶつけておいて開き直る気?文句の1つも言わせないつもり?そんなに偉そうにするなら新車ごと弁償しなさいよ。大物ぶってんじゃないわよ!どうせ飲酒運転でしょ。いいわ、今すぐ警察に通報してやる。それでも同じ口が利けるかしらね!」まくしたてる相手に、紗友里は胸の前で腕を組み、冷淡に返した。「どうぞ。呼んでください」紗友里の淡白な反応に







