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第4話

Autor: 小林
遥は、もうそれ以上聞いていられなかった。必死に口を押さえて、屋上からみじめに逃げ出した。

疲れ果てて階段の踊り場に座り込むと、彼女は胸を押さえ、気持ちを落ち着かせようと大きく息をした。でも、涙は止まることなく流れ続けた。

昨夜、悠斗が自分を放って菫と会っていた。それだけでも胸が張り裂けそうだったのに。でも部屋でのあの光景を直接見てしまったら、もう息もできなかった。

悠斗は子供のころ、家の方針で神社に預けられていた。だから社交界では、真面目で欲のないことで有名だった。自分と付き合う前なんて、女性の手にすら触れたことがなかったのだ。

初めて手をつないだ時、悠斗の手のひらはすごく熱かった。初めてキスをした時、彼の心臓はドキドキと鳴っていた。耳まで真っ赤にして、それ以上、先には進もうとしなかった。

新婚初夜のことも忘れられない。悠斗は宝物のように自分を抱きしめて、かすれた声で言った。「遥、本当に君が好きだ。今までずっと、どんなに我慢してきたか……でも、君がつらいならやめておこう。そばにいてくれるだけで、俺は幸せだから」

彼が自分だけに見せてくれる優しさと純粋さに、自分は胸が熱くなった。これまでの人生の幸運をすべて使い果たして、運命の人に出会えたんだと本気で思っていた。

でも現実は、そんな自分を容赦なく打ちのめした。

息ができなくなるくらい泣いて、遥はしばらく床に座り込んでいた。

一晩中冷たい風に吹かれ、ようやく家にたどりついた。でも、悠斗はまだ帰っていなかった。

ポケットのスマホが震えた。数日前にレビュー写真を送ってきたアカウントからメッセージだ。写っているのは「人魚の涙」をつけた女で、背景は昨夜のあの部屋。床に落ちた男物のネクタイが、やけに目立っていた。

【この部屋、すごくいいね。ベッドも、ソファも、バスルームも……ぜんぶ私の匂いがついちゃった。彼があなたにあげるはずだったネックレスも、今じゃ私のもの。あなたって、邪魔だと思わない?】

心臓をぎゅっとわしづかみにされたような痛みが走り、息もできなくなりかけたその時、玄関のチャイムが鳴った。

誰かがドアの前に箱を置いていったようだ。【遥へ】と書いてある。また悠斗からのプレゼントかと思い、遥は無造作に箱を開けた。

突然、中から何十匹もの蜂が飛び出してきた。舞い上がった大量の花粉が遥の鼻に入り、途端に喉が締まって呼吸が苦しくなった。

「薬、私の薬……」

遥は全身の力が抜け、リビングの救急箱へと這っていった。やっとの思いで指先が届き、最後の力を振り絞って箱を引きずり下ろす。

バンッという音を立て、中身が床に散らばった。

なのに、肝心の喘息の薬だけが見当たらない。

遥の目は苦痛に歪み、顔は赤く充血して、呼吸はどんどん浅く速くなっていく。

最後の望みをかけて、悠斗に電話をかけた。だが、彼女が話し出すより先に、向こうから押し殺したような低い声が聞こえてきた。

「遥、まだ……会議中なんだ。後でかけ直す。

うっ……」

そう言うと、電話はすぐに切れた。

もう死んでもいいと思っていた。でも、まさかこんな形で、自分の家で死ぬことになるなんて。

絶望の涙がひとすじ、目じりを伝って落ちた。息が詰まる苦しみの中、遥はゆっくりと意識を失い、目を閉じた。

目が覚めると、なんと自宅の寝室にいた。そばにいた使用人に聞くと、先ほど澪の指導教員が書類を取りに来て、偶然ぜんそくの発作を起こした自分を見つけ、助けてくれたのだという。

澪の指導教員?

あの遠藤教授?

遥が信じられない気持ちでいると、悠斗が冷たい外気をまとって慌てて帰ってきた。彼は数歩でベッドに駆け寄り、その前にひざまずくと、震える声で言った。

「遥、ごめん、俺が悪かった!もっと早く帰ってくるべきだった!」

悠斗のしわくちゃになったスラックスが目に入った。香水では隠しきれていない、生臭い匂いが鼻をつく。匂いを嗅いだ途端、遥の胃から酸っぱいものがこみ上げ、食道が焼けるように痛んだ。

遥は彼を手で払いのけた。その冷たい態度に、悠斗の心臓がどきりと跳ねる。何か言い訳をしようとした瞬間、遥が手のひらを上にして彼に差し出した。「『人魚の涙』はどこ?昨日、私にくれるって言ったでしょ。今、見たいわ」

「人魚の涙」って……

悠斗の喉がごくりと動いた。昨夜、菫に甘えられて、ついネックレスを彼女にあげてしまったのだ。

遥はしばらく思い出さないだろうから、その間に急いで似たようなものを作らせれば、気づかれないだろうと考えていた。

まさか、彼女がネックレスのことをこんなに気にかけているなんて。

悠斗は苦し紛れに嘘をつくしかなかった。「あのネックレス……なくしちゃったんだ。オークションのカタログを持ってこさせるから、君の好きなものを何でも買ってあげる。それでいいかな?」

それを聞いて、遥は笑った。

世界に同じ「人魚の涙」が二つとないように、愛も一つとして同じものはない。

悠斗が菫のために何度も嘘をつく。それこそ、この男の体だけでなく、心まであの女に傾いている証拠だ。

「もういいわ。いらない」

遥のいつもと違う反応に、悠斗の胸は急に締め付けられた。もしかして何か気づかれたのかと不安になる。でもすぐに思い直した。彼女は少しの裏切りも許せない性格だ。もし本当に浮気に気づいたなら、今もこうして家にいるわけがない。

悠斗は少しだけ安心した。「遥、ネックレスはなくしちゃったけど、君のために建てた星空芸術館が5日後には完成するんだ。ダイヤモンドより意味があるだろう?だから、もう怒らないで、ね?」

彼の愛人が設計したあの芸術館が、自分にとって屈辱と皮肉以外の何になるっていうのだろう?

悠斗の言葉をこれ以上聞きたくなくて、遥は目を閉じ、そっけなく返事をした。

「ええ、その日を楽しみにしてるわ」

悠斗が芸術館でうきうきとパーティーの準備をする。でも迎えているパーティーの主役ではなく、自分の亡骸。遥はその瞬間の彼の顔を、ただ待っていた。
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