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第1247話

Author: 夏目八月
さくらは皇后からの召喚を受け、首を傾げた。

帝師との対面を命じられるとは……何か腑に落ちない。もし咎め立てが目的なら、宮中への召喚で済むはず。なぜわざわざ斎藤邸まで足を運ばねばならないのか。

今や重篤な病状の帝師に詰られても、さくらとしては反論もままならない。もし自分の目の前で息を引き取られでもしたら、どれだけ弁明しても疑いの目は免れまい。

「帝師は水も食事も受け付けていないそうよ。まるで油の尽きかけた灯明のよう。これ以上刺激を与えれば……」紫乃は最近得た情報を伝えながら、言葉を濁した。

「まさか、あなたに看取られたいとでも?あの老狐、最期まで意地の悪い考えを」あかりは事の経緯を知っているだけに、いつもの毒舌ぶりを遺憾なく発揮した。帝師がさくらを詰っていたことも知っていたため、容赦のない物言いだ。

「行かなければいいさ。皇后の仰せなら、従わなくても」饅頭も横から口を挟んだ。「陛下の詔じゃないんだから」

だが紫乃は冷静に諭した。「皇后の意向を退けるのは賢明ではないわ。表立っては何も仰らないでしょうが、陛下だってお心の中では不快に思われるはず。仏の顔も三度までとはよく言ったもの。陛下のご意向も汲んで、行くべきだわ。最期を看取れば善行にもなる。これも何かの巡り合わせよ」

紫乃は天皇の性格をよく理解していた。普段は何も言わないが、一度気に障ることがあれば決して忘れない方だ。しかも直接咎めることはせず、不機嫌な態度を見せたり、時折意地悪な仕打ちをしたりする。さくらも南風楼の一件で、そのような仕打ちを受けたばかりだった。

つまるところ、帝も皇后も扱いづらい御方なのだ。

「さくら、私も一緒に行くわ」

紫乃が申し出たが、さくらは少し考え込んだ。事がここまで大きくなった以上、自分への不満は避けられない。とはいえ、羅刹国の密偵を捕らえた功績もある。行くべきなのだろう。

「ありがとう。でも私一人で大丈夫よ。丹治先生に付き添っていただくわ。それに、斎藤家の奥方にも同席をお願いするつもり」

斎藤家にも一線があるはず──そうさくらは考えていた。もし皇后が罠を仕掛けているのなら、今回逃げおおせたところで、後々帝師の死を材料に攻めてくるに違いない。それなら証人を伴って自ら出向く方が得策だろう。

はっきりとした冤罪の方が、何も知らずに罠に嵌められるよりはマシ。覚悟を決めて向
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