琴音の傷はあまりにも深手だった。棒太郎が彼女を背負ったときには、すでに虫の息で、途切れ途切れに言葉を絞り出すのがやっとだった。「たす……けて……死に、たくない……」一行は例の廃屋へ戻ると、まず守の止血に取り掛かった。彼にはまだ、助かる望みがある。だが、琴音の状態は絶望的だった。大量に出血し、内臓にまで達した傷。ここまで持ちこたえたこと自体が奇跡と言えた。彼女の瞳には絶望の色が浮かんでいた。それでも、ありったけの力でさくらの袖を固く掴み、唇を動かして「助けて」と言おうとするが、もはや声にはならず、口からは血が溢れるばかりだった。その視線はすでに焦点を失いつつあったが、必死に誰かを探している。誰もが彼女が守を探しているのだと思った。だが、今、饅頭が守の左肩の経穴を封じて出血を止め、傷の手当てに付きっきりになっている。さくらは琴音の傷を診ながら止血の薬を振りかけたが、明らかに効果はなかった。やがて、彼女の瞳がかろうじて焦点を結び、紫乃を捉えた。その眼差しには、怨みと無念が滲んでいる。だが、もはや息も絶え絶えで、言葉を発することはできない。さくらは彼女が言いたいことを察し、静かに告げた。「言ったはずよ。援軍などいない、作戦を実行するのは私たちだけだと。あなたは引き返すべきではなかった」琴音の蒼白な顔に、皮肉な笑みが浮かんだ。それはさくらを嘲るものか、あるいは自分自身を嘲笑しているのか。「手柄を立てることが、自分の命より大事なわけ?」紫乃は思わず口にした。「手柄」という言葉が琴音を刺激したのだろう。彼女は静かに目を閉じ、目尻から涙が滑り落ちた。手柄は大事。でも、命より大事なものなどない。残念ながら、その言葉を彼女が口にすることは、もうなかった。守は傷の手当てを終えたものの、動くことはできず、ただ地面に横たわっていた。失った腕の激痛に耐えながら、片腕を失ったという事実を受け入れられず、その顔は凄惨なまでに青白い。彼の心もまた、琴音を責めていた。もし彼女が引き返しさえしなければ、自分たちは無事に撤退できていたはずだと。だから、這ってでも琴音の最期を見届けることはできたはずなのに、彼はそうしなかった。琴音は、まもなく息を引き取った。ただ、その目は固く閉じられることなく、無念を宿したまま大きく見開かれていた。誰もが、ここが長
あかりと饅頭は、二人を逃がした後、さくらを助けるためにすぐさま引き返してきた。琴音が死に急ぐようにこっそり戻ってこなければ、そして彼女のせいでさくらが逃げ遅れることを恐れなければ、彼らが戻ってくることもなかっただろう。守は琴音を背負い、当て所もなく逃げ惑うばかりで、とても敵に応戦できる状態ではなかった。琴音は地面に叩きつけられ、体勢を立て直す間もなく、衛兵の刃がその脚に振り下ろされた。悲鳴が穀物倉の上空に木霊した。必死に攻撃を凌ぎながら守が振り返ると、その顔からさっと血の気が引く。琴音の左脚は一太刀のもとに斬り裂かれ、どくどくと血が溢れ出ていた。「守さん、助けてぇっ……!」 琴音は金切り声を上げた。その顔にはもはや血の気は一切なく、痛みからか恐怖からか、全身がわなわなと震えている。衛兵たちは、彼女を生け捕りにするつもりらしい。それ以上の追い打ちはかけなかった。刃が首筋に突きつけられ、琴音は乱暴に引きずり起こされる。怒り狂った衛兵が何事かを叫ぶと、別の者が縄を手に、彼女を縛り上げようと近づいてきた。その時だった。土埃にまみれた数人の兵を引き連れた、一人の若い将軍が姿を現した。長旅の疲れを滲ませながらも、その涼やかな顔つきと佇まいには、隠しようもない気品が漂っている。只者ではない、と誰もが一目で悟った。守備兵のうち二人が、その姿を認めるや否や、はっとその場に跪いた。琴音はその光景に、男の身分が並々ならぬものであることを察した。首筋の刃も忘れ、守に向かって叫ぶ。「守さん!あの男を捕らえて!あの男を人質にすれば、私たちは助かるわ!」若い将軍は、その言葉を理解したようだった。ふいにその眼差しが、氷のような冷たさを帯びた。守はもはや、まともに戦える状態ではなかった。思考能力のほとんどを失い、琴音の叫びを聞くと、ただ無意識にその将軍へと飛びかかった。剣光が一閃し、守が振り上げた腕が斬り落とされて地に落ちる。鮮血が噴水のごとく湧き上がった。「守さん……っ」琴音は悲鳴を上げたが、首筋に刃を突きつけられていては身動き一つできない。ただ全身を震わせ、懇願するような瞳でその若き将軍を見つめるだけだった。若き将軍は彼女を冷ややかに一瞥し、平安京の言葉で命じた。「女を殺せ。男の方は生かしておけ」琴音には平安京の言葉は分からなかった。だ
さくらは、仲間たちが無事に離脱したのを見届けると、火の手が勢いを増すのを待って、軽身功で穀物倉へと飛んだ。大半の兵は消火に向かったものの、穀物倉は最重要拠点であるため、十数名の衛兵がまだその場に残っていた。彼らは山民のなりをしたさくらを見つけ、問いただそうと歩み寄る。さくらは即座に油樽を掲げ、平安京の言葉で大声に叫んだ。「消火だ、火を消すんだ……!」彼女はそう叫びながら、あたかも消火に駆けつけるかのように、東側の炎へと走っていった。時を同じくして、近隣の民百姓も次々と消火に駆けつけてきた。その先頭を駆けるさくらの姿も、不自然には映らなかった。火事は凄まじい混乱を極めていた。厚い布で火を叩く者、桶を手に水を汲みに行く者、鋤で砂をかける者、考えつく限りの方法が繰り出されている。しかし、材木が燃え上がった炎の勢いはあまりに強く、穀物倉への延焼を食い止めるのは容易ではなかった。さくらは油樽を提げたまま混乱に紛れて走り回り、衛兵の目を掻い潜る隙を見つけると、穀物倉の中へと忍び込んだ。麻袋に詰められた食糧が山と積まれ、倉庫の隅々まで埋め尽くさんばかりだ。スーランキーが関ヶ原を陥落させようとする決意のほどが窺える。さくらは麻袋に油を浴びせかけ、火種に息を吹きかけて投げつけようとした、その瞬間。背後で足音が響き、鋭い声が飛んだ。「止まれ!」さくらの心臓がどきりと跳ねた。こんなに早く見つかるなんて……?火がすでに燃え移ったのを見て、彼女はもはや構っていられず、脱兎のごとく外へ向かって駆け出した。衛兵と一戦交えてでも活路を見出す覚悟を決め、まずは鞭をその手に握りしめた。しかし、二、三歩も走らないうちに、彼女が目にしたのは、慌てふためく琴音を衛兵たちが追い立てて、この穀物倉へとなだれ込んでくる光景だった。さくらは愕然とした。彼らは皆、逃げ延びたのではなかったのか?追い返されたというのか?さっと視線を走らせるが、琴音以外の仲間は見当たらない。それどころか、十数人の衛兵が中に入ってきていた。彼女は疾風のごとく前に出ると、手にした鞭を衛兵たちに叩きつけ、琴音に向かって叫んだ。「逃げて!なぜ戻ってきたの!」「援軍は?どうしてあなた一人なの?」琴音は燃え始めた穀物倉を一瞥したが、そこには他の誰の姿もなく、明らかに狼狽していた。彼女
琴音はその言葉を受ける勇気はなく、ぐっと息を呑んで守の方を向いた。「守さん、私はあなたと同じ組がいいわ」守は感情の読めない瞳でさくらを一瞥すると、言った。「俺たちは指揮に従おう。手柄を立てるかどうかは重要じゃない。任務を完遂し、無事に生きて帰ることこそが肝要だ」もちろん、彼もさくらが一人で穀物倉に乗り込むなどとは信じていなかった。周囲の材木が燃え上がれば、穀物倉は最も危険な場所と化す。その上、彼女自身が穀物倉の中で火を放つというのだ。燃え盛る炎の中、どうやって逃げ出すというのか。だから、おそらく自分たちが周囲に火を放つ頃には、穀物倉に潜んでいた者たちがすでに火を放っているのだろう。さくらの役目は、ただ形だけのことなのだと、彼は推測していた。当初、守の心は不平で満たされていた。そして、このような官僚社会の現実に悲哀を感じた。名門貴族はその地位を代々受け継ぎ、祖先や父祖の後ろ盾さえあれば、たやすく出世の階段を駆け上がり、功績を立て、一族の栄華を永続させることができる。だが、ふと考えを巡らせた。己の父は凡庸な男だった。もし祖父の戦功がなければ、官職を得ることすらできず、ましてやこの将軍邸を守り抜くことなど到底不可能だったろう。そして自分が今、奮闘している意味も、まさにそこにあるのではないか。己の子や孫が、自分の遺した恩恵を受け、北條の家名をさらに輝かせてくれることを願って。それに、さくらの武芸が優れているのは紛れもない事実だ。彼女には、確かな実力がある。父祖の威光という恩恵を受け、なおかつ本人に実力がある。そこに誰かの後押しが加われば、成功は必然だろう。たとえ、それが女であっても。そこまで考えが至ると、守の心のもやは晴れた。今の自分の身分と能力では、このおこぼれに与れるだけでも御の字だ。油樽を背負い、一行は夜の闇へと出発した。鹿背田城では申の刻から夜明けまで夜間外出が禁じられている。今はまさにその時間帯であり、慎重に行動せざるを得なかった。彼らは軽身功を使わなかった。鹿背田城には物見台があり、そこには達人級の監視役がいる。下手に軽身功を使えば、かえって動きを察知されやすい。ただ疾く歩を進めるしかなかった。壁があれば、壁に身を寄せて進む。壁がなければ、素早く駆け抜ける。空には星々が瞬き、上弦の月が時折顔を覗かせ、ま
あかりの言葉に、琴音は激しい怒りを覚えた。だが、自分の武芸が劣るのは事実であり、ここで言い争っても恥をかくだけだ。どのみち見張りをせずに済むのだから、少しばかり癪に障るが我慢できないことではない。棒太郎と饅頭は、自分たち二人で交代すればいいと言い出したが、さくらは皆が疲れていると考えた。五人で交代すれば、その分一人ひとりが少しでも長く休める。さくらが最初の見張りに立った。彼女は鞭を手に、扉に背を預けて座った。壊れた扉は錠を下ろすこともできず、ただ閉ざされているだけだ。外は漆黒の闇に包まれ、万籟声なく静まり返っていた。この廃屋は久しく誰も住んでいなかったとみえ、床は埃だらけだった。しかし、一行は初めから苦労を覚悟の上だった。だから、あの紫乃でさえ文句一つ言わず、床に身を横たえるとすぐに眠りに落ちた。さくらは疲れてはいたが、眠気は全くなかった。頭は冴えわたり、全身で高度な警戒を保っている。平安京の皇太子が、この鹿背田城にいる。城内のどこにいるかまではわからないが、その存在は確かだ。彼とのいかなる接触も避けなければならない。彼の生死に、大和国の人間が少しでも関わるべきではないのだ。平安京の皇太子がここに現れたのは、彼の国の朝廷における派閥争い、すなわち陰謀と策略が絡んだ結果であることを、さくらははっきりと理解していた。下手に干渉すれば、必ずどこかの勢力の恨みを買い、大和国に災いをもたらすことになる。見張りを始めて半時間が経っても、なお眠気は訪れない。さくらは棒太郎を起こさず、そのまま見張りを続けた。そして、頃合いを見計らって、ようやく全員を揺り起こした。「どうして俺たちを起こしてくれなかったんだ?」棒太郎は目を擦りながら、さくらが出発を告げるのを聞いて、彼女が一人で二時間ずっと見張りをしていたことを悟った。「君が全く寝ないなんて、大丈夫なのか?」「眠くなかったの。それに、さっき坐禅を組んで気を練っていたら、疲れも抜けたわ。今はすごく元気よ」とさくらは言った。琴音はあくびを一つすると、白目を剥いて守に小声で囁いた。「本当に意地っ張りね。自分がどれだけ有能か、見せつけたいのかしら」その囁き声は、すぐ隣の守でさえ聞き取れないほど微かで、含みのある言い方だった。だから当然、他の者にも聞こえていないと彼女は思っていた。だが、内
守は後方を歩きながら、琴音に囁いた。「君の言った通りかもしれない。佐藤大将は、やはり彼女を押し上げたいらしい」「どういうこと?」琴音の瞳が輝いた。「誰かが密かに護衛していることに気づいたの?」守は声を潜めた。「穀物倉は鹿背田城にある。道中、どう考えても斥候の巡回に遭遇するはずだ。だが、俺たちは一度も出くわしていない。おまけに、俺たちは山を迂回し、村々を避けて近道ばかり通っている。初めての道のはずなのに、なぜ迷わない?注意深く観察していてわかったんだ。誰かが残した印があった。つまり、誰かが一足先に道を調べ、おそらくは今頃もう穀物倉の近くに潜んでいるんだ」もとより、佐藤大将が実の孫娘の危険を座視するはずがない、きっと何か手配があるはずだと思っていた琴音は、守の言葉でその推測が確信に変わった。そのやり方に内心軽蔑を覚えつつも、自分の勘が当たったことに安堵した。ついてきて幸いだった。このままでは、みすみす手柄を立てる好機を逃すところだった。「先見の明があったのはあなたね。ついてくると言ってくれて、本当によかったわ」琴音は賞賛の言葉を口にした。守は無意識に首を振りかけた。最初は何も知らず、つい先ほど気づいたのだ、と。だが、琴音の瞳に浮かぶ称賛の色を見て、言葉を飲み込み、ただ微笑んでみせた。二人は声を潜めて話しているつもりだったが、その一言一句が、前を歩くさくら達五人の耳に届いているとは知る由もなかった。紫乃がぼそりと呟いた。「本当に功利的ね」さくらが何か手筈を整えているのか、そもそも助けがいるのかどうか、棒太郎たちは何も知らなかった。ただ、さくらに呼ばれたから来た。全力を尽くして、成すべきことを成す。それだけだった。陽が落ちる頃、一行は穀物倉のある町に到着した。宿を取ることはせず、見つけた廃屋の中で休息することにした。守は、その廃屋の外にもツツジの花が一つ捨てられているのを見つけた。やはりこの作戦全体を、誰かが陰で手配しているのだと彼は確信を深めた。その者たちは、きっと作戦決行の際に姿を現すのだろう。さくら達は腰を下ろすと、すぐに携行食を取り出し、腰に提げた革の水筒の水でそれを流し込み始めた。琴音もそれに倣って食事をとった。この作戦には自分たち七人以外にも仲間がいると知り、張り詰めていた心はいくらか和らいでいた。これなら手柄