白色の別荘。 マイクは「おい、お前は誰に会いに行くつもりだ?ここはアメリカだぞ。ここについてそんなに詳しいのか?」と言った。奏は「金さえあれば、鬼にでも手伝わせられる。この言葉は世界共通だ。俺が金を惜しまなければ、命を懸けて働いてくれる奴はいくらでもいる!」と答えた。奏のその自信満々な態度に、マイクは圧倒され、しぶしぶ運転席を降りた。しかし口を滑らせることは忘れなかった。「そういえば、空港でとわこが無視したとき、泣いたんじゃないか?どうせ泣いただろ?あの瞬間を撮影しておくべきだった……」「黙れ!」奏は冷ややかな視線をマイクに送り、ドアを力強く閉めた。 ...... 白い豪邸の中で、とわこが目を覚ますと、真の診断報告を渡された。 報告書には真の全身の傷が何ページにもわたって詳細に記載されていた。とわこはしばらく目を通し、ようやく最後まで読み終えた。 「三千院さん、彼は死んでないわ。しばらく休めば治るでしょう」とわこを監視する女性が横で嫌味を言った。確かに真は命を取り留めたが、彼の体はもう元には戻らない。 断ち切られた指は二度と元通りにはならず、視力も失われる可能性が高い。それに、数多くの傷が醜い傷跡となって残るだろう。とわこは泣きたくても涙が出てこない。涙はもう枯れ果てていた。 「三千院さん、そんな苦しそうな顔してたら、男に嫌われるわよ。ここでやっていきたいなら、銀王の機嫌を伺うことを覚えたほうがいいわ」 とわこはまるで冗談を聞かされているかのように感じた。 「やっていく?誰がここに留まるって言ったの?」彼女は椅子から立ち上がり、「銀王に会わせて!」と女性に言った。彼女は、銀王が治療を頼んでいる相手がどれほど重い病気にかかっているのかを確かめたかった。もし治せるのであれば、早く治してこの地獄のような場所から抜け出したかったのだ。女性は微笑み、案内を始めた。 この豪邸は迷宮のように造られており、彼女に続いていくうちにとわこは頭が少しクラクラしてきた。「着いたわ」女性が扉の前で立ち止まり、とわこに声をかけた。「銀王は中にいるわ」 とわこは大股で部屋へと入った。部屋は金色で華やかだった。 「三千院さん、昨夜はよく眠れたかね?」銀王は笑みを浮かべながら彼女の前
とわこは全身が凍りつくような寒気を覚えた。 彼女は銀王に完全に騙されたことに気付いた。たとえ彼女が名医でも、すでに亡くなった人を救うことはできない。 「三千院さん、彼女は俺の娘で、この世で最も美しい女性なんだ」銀王の声が彼女の耳元に響き、どこか皮肉と狂気が混じっていた。「君が彼女を治せるなら、何でも君にあげよう!」とわこの目は赤くなり、彼を強く突き飛ばした。「あなた、正気なの?彼女はすでに死んでいる。どうやって治せっていうの?私は生きた人間しか治せないわ。私の医術が蘇生までできると一言でも言った覚えはない!」「誰かが教えてくれたんだ、君は羽鳥教授の最後の学生で、羽鳥教授よりも医術が優れているってね!君が試さないでどうしてできないとわかるんだ?!」銀王は彼女の腕を掴み、立ち去らせようとしなかった。「三千院さん、どこへ行こうとしているんだ?ここが君の新しい家だよ!」とわこは心が冷え切るような感じに襲われた。彼女は、病気なのは氷棺の中の死人ではなく、目の前の男であることに気付いたのだ。この男は完全に正気ではない。彼女は彼の手中に落ちてしまい、彼の娘を生き返らせるか、彼に殺されるかの選択肢しか残されていない。前者は不可能だ。命を捧げたところで彼の娘を救うことはできない。 なら、待ち受けているのは死だけなのか? それは嫌だ…… 「私をここから出して!あなたが望むだけのお金を支払うから……お願い、ここから出して!」とわこは恐怖で涙ぐみながら訴えた。今朝は涙が枯れたと思ったが、間違っていた。まだ彼女を刺激するものが足りなかったのだ。今、彼女はここから逃れることができないと確信し、絶望が覆いかぶさってきた。 理性が飛び、全力で彼の束縛から逃れようとしたが、やはり男と女の体力差は圧倒的で、彼女はすぐに力尽き、床に倒れこんでしまった。「娘を救えないなんて残念だね」銀王は顔に失望の表情を浮かべながら彼女のそばにしゃがみ、施しを与えるように続けた。「これから俺のそばにいて、忠実に仕えるなら、君を殺さずに済ませてあげよう」「夢でも見てなさい!」とわこの視線は鋭く、彼を見据えて言葉を紡いだ。「私は、あなたのような狂った人間と一緒にいるなんてあり得ない!」「はは、三千院さん、君は死ぬのが怖くないのか?」銀王は彼女の顎
「ここはアメリカだ。日本の法律なんて俺には関係ないさ」銀王は冷笑を浮かべた。 「そうは言っても、今や誰かが我々のスキャンダルをネタにして、彼女を解放するよう脅してきている!今すぐ彼女を放すんだ!」「放さない」銀王の声は揺るぎない。「彼女には命を延ばしてもらうつもりだ。彼女は医学の天才だ。必ずや長寿の方法を考え出せるだろう」「確かか?」 「ああ、確かだ」銀王は頷いた。 「では、手を出すな……必ず彼女の命は守れ」議員は言った。「こちらでもう少し交渉してみる。できればその女が自発的に君のそばに留まるようにしろ。そうすれば余計な噂も立たずに済む」「分かっている!」銀王の顔から笑みが消え、冷たい表情に変わった。 どうすればとわこを自発的に留まらせることができるのだろうか? …… 午後、マイクはある謎めいた特殊なボディーガード会社で奏を見つけた。 マイクは、奏が人脈だけでなく、行動力もずば抜けていることに驚いた。銀王の居所があるのは山頂の邸宅だったが、彼らはすでに作戦指令室で詳細な地形図と粗略な作戦計画を立てていたのだ。「奏、お前、本当に大したものだな!俺の知る限り、この会社は普通の人間には開放されていないはずだ」マイクは奏を端に引き寄せ、こっそり話し込んだ。「俺が普通の人間に見えるか?」奏は厳然たる表情で言った。 「いや……でもさ、この会社は、普通の金持ちには門を開かないんだぞ!」マイクは興奮気味に話し続けた。「ここは、元参謀総長が裏で運営していて、表向きはボディーガードと言ってるが、実際にはプロの暗殺者集団だ」「お前の目には、俺が普通の金持ちに見えるのか?」奏は軽い疑いの色を浮かべて聞いた。「じゃあ、普通じゃない金持ちの基準って何だ?参考までに教えてくれ」 「……」 ふざけるな!せっかく真面目に話していたのに、自慢された気分だ! 「俺は言ったはずだ。金さえあれば、命を懸けて働く者はいる」奏の目には鋭い光が宿り、「明日の夜明け前に、必ずとわこを救い出す」 「火器を使うなら、彼女に危害が及ばないように注意しろよ!」 「俺が自ら向かう」奏は落ち着いた口調で言い切り、指令室に戻っていった。 マイクは彼のことを少し見直した。ここまで命を懸けて救出に向かうのは、愛以外の何
「とわこ!」彼女の名前を叫びながら、奏の声は裂けるように響いた。彼の顔つきに、今や凄まじい殺気が漂っていた。彼は今すぐ彼女を救いたい。しかし、彼らはこんなに近くにいるのに、まるで手の届かないほど遠い。彼は彼女の息遣いの重さ、恐怖に震える目元が手に取るように分かるが、それでも何もできないのだ。彼の血が瞬時に沸き立つ。彼女を傷つけた男を、骨まで削り取ってやりたい。 画面の向こう側で、とわこは息を呑んだ。奏の声だ!その場で凍りつくような冷たさが彼女を襲った。まさか、銀王が密かに奏にビデオ通話を繋いでいたとは――! 「奏!見ないで!」とわこの目に涙が溢れた。「お願い……見ないで!」 奏は無力で悲しい彼女の姿を目にし、心が砕けるような感覚に襲われた。彼の手は携帯をしっかりと握りしめ、その目には復讐の恨みが宿っている。 「今すぐ助けに行く!とわこ、今から君を救いに行く!」そう言った瞬間、彼の涙がこぼれ、唇の端を伝っていった。その涙は苦かった。奏はこれまでに経験したことのない痛みを味わっていた。愛する人が他の男に辱められる様子を目の当たりにするなんて、生き地獄のような苦しみだ。 奏は携帯を強く握りしめたまま、部屋の中へと走り込んだ。その様子を見たマイクが大股で近づいてきて、彼とぶつかった。 「どうした?!」マイクは痛みを抑えながら、奏の赤く充血した目と涙に気づき、何か大変なことが起きていると察した。その時、携帯のスピーカーから再びとわこの悲鳴が聞こえた。「ビデオを切って!お願いだから……切って!」マイクは奏の携帯を取り上げ、画面を見て、とわこが押さえつけられている場面に唇を引き締めた。「とわこ……俺たちは君に約束した。助けに行く、でも、今じゃない!」そう言うと、マイクは決断してビデオ通話を切った。「今すぐ彼女を助けに行くんだ!待てない、今すぐ出発だ!」奏はマイクの言葉に怒りをあらわにした。「お前、正気に戻れ!」マイクは奏に怒鳴り返した。「今突っ込んで行って、手当たり次第に爆破して、あの野郎どもを一掃したら、とわこまで巻き添えにして殺してしまうだろうが!」奏は拳を振りかざして、マイクの顔面を殴りつけた。マイクも口元の血を舐めて、すぐに反撃し、二人はバルコニーで激しく殴り合
「俺たちは飛行機の中で約束したんだ。向こうの電力が落ちれば、それが彼女からの救援のサインだって。彼女はその時、混乱に乗じて身を隠す場所を見つける。そして、俺たちが突入して敵を一掃すれば、無事に救出できるはずだ!」「もし電力を遮断して内部を混乱にしなければ、彼らはきっと彼女を人質に取って俺たちを脅してくる!」…… 別荘の中。 ビデオ通話が切れ、とわこの声も途絶えた。彼女がもはや抵抗もせず、叫び声を上げなくなったことで、銀王は興味を失いかけていた。彼がこうした行為に及んだのは、彼女を「自分のもの」に変えるため。彼の女にしてしまえば、彼女も自ら進んで傍に留まるだろうと考えたのだ。そして奏にビデオを繋いだのも、とわこの男が奏であると知っていたから。奏が彼女の姿を見れば、もう彼女を受け入れることはないだろうと踏んでいた。 「どうして叫ばないんだ?まさかあの男が本当に助けに来ると思ってるのか?」銀王は冷笑しながら彼女の冷たい顔を軽く叩いた。「俺の別荘の下にある森には何人の兵士が隠れているか知っているか?俺の許可なしに、この別荘に踏み込むことは誰にもできない!」「あなたの娘は何年前に亡くなったの?」とわこは冷ややかに彼を見つめ、この問いをぶつけた。彼女の頭の中には、奏の声が絶えず響いていた。彼の姿は見えなかったが、その涙混じりの声は確かに耳に届いていたのだ。彼女は当初、辱めを受けた後、自ら命を絶つつもりだった。しかし今、考えが変わった。銀王は彼女の問いに驚きつつも少し考え、「今年で十三年になる」と答えた。 「彼女を蘇らせることができるわ」彼女は冷静な目で彼を見つめ、世間を驚かせるような言葉を放った。「ある秘薬があるの。それを試してみたらいいわ。100%成功するとは言えないけど、かなりの確率で可能性がある」銀王は彼女が嘘をついていると直感し、驚きと怒りの表情を見せた。「朝はそんなこと一言も言わなかったじゃないか!」「何を怖がっているの?奏が来たところで、どうせ死ぬだけでしょ?それとも、さっき言ってたことは全部口先だけ?」彼女は挑発的に言い放った。「もし娘を蘇らせることができなければ、あなたの元で過ごしても構わない」 銀王はその言葉に驚きながらも、彼女の体を品定めするように冷やかに見下ろした。「
マイクは両手で顔を覆い、崩れるように泣き出した。「後悔してるよ!どうしてあんな酷いことを言っちゃったんだろう!」 奏は昨夜のことを思い出し、目頭が熱くなった。 「彼女はあの時、どれだけ怖くて、どれだけ無力だったか......すぐに助けに行けなかったとしても、言うべきじゃなかったんだ!あんな言葉を聞かせたら、彼女はもっと絶望するだろう......」マイクは罪悪感で感情を抑えきれなかった。 奏は喉を鳴らし、かすれた声で言った。「もう泣くな!解析はまだ終わってないのか?」 マイクは涙をぬぐい、パソコン画面を確認した。「もう少し......今日の昼前には絶対終わるよ。でも、頭が痛い。もしとわこが本当にいなくなったら、俺はどうすればいいんだ?」 奏はそんな想像すらしたくなかった。 「一度家に帰って、シャワーでも浴びてきたらどうだ?」マイクは彼の顎に伸びた青い髭に気づき、もしかしたら自分以上に彼が苦しんでいるのかもしれないと思った。 とわこのお腹には、彼の子供がいるのだから。 彼はその場に立ち尽くし、マイクの言葉が耳に入らないかのようだった。 「家に帰って、二人の子供たちと結菜の様子を見てやれよ」とマイクが声を上げた。 彼はようやく反応し、「ああ」と短く答えた。 彼がドアに向かうと、マイクはため息をつき、「銃を持ったまま帰るつもりか?奏、とわこはきっと生きてるさ!彼女はあれほど強い人だ、銀王なんて奴がくたばるまでは絶対に死なない!」 奏はその言葉に、手にしていた銃を机に置き、大股で部屋を出て行った。 ...... とわこがアメリカで所有する別荘は、市中心部の高級住宅地にある。 とわこがこの家をここに買ったのは、自分の財産を誇示するためではなく、この地区の治安が良かったからだ。 奏は住宅街の門で止められ、マイクに電話をかけると、マイクは蓮に電話をかけた。 しばらくして、蓮がレラの手を引き、彼を迎えに来た。 奏の胸には複雑な感情が湧き上がってきた。もしとわこが本当にいなくなったら......この二人の子供たちはどうなるのだろう? もちろん彼が二人を養うつもりだが、しかし、とわこがいないなら、この二人は自分を必要としないかもしれない。 「お兄ちゃん、彼、とっても悲し
「まだご飯を食べていませんよね?すぐに昼食を作りますね」と千代は言い、大股でキッチンへ向かった。 奏は家の中を見渡し、シンプルなインテリアと見通しの良いレイアウトに目を留めた。 レラは彼が部屋を探していると思い、急いで客室に走り、道案内をした。「ここで寝てね!」 奏は「わかった」と返事をしたが、目は棚に置かれた写真立てに吸い寄せられていた。 写真立てには、美香ととわこが、それぞれ赤ちゃんを抱いて一緒に写っている家族写真が収められている。 奏は棚に近づき、写真立てを手に取り、じっと見つめた。 写真の右下には「一歳になりました」と書かれている。 つまり、この写真に写る二人の子供は一歳の時のものらしい。 一人は小さなスーツを着て、もう一人は白いプリンセスドレスに小さな王冠を被っている。明らかに男の子と女の子だ。 ということは、これは蓮とレラなのか? 「早く来てよ!」レラが客室のドアの前で奏を呼んだ。「私が用意したベッドを見て!」 奏は写真を棚に戻し、急いでレラの元へ向かった。 客室は一階の南向きで、横には大きな窓があり、昼間は外の景色が見渡せる。 この時、彼はいつの間にか空が曇り始めていたことに気づいた。 「見て、このピンクのウサギ枕、好き?これ、ママが買ってくれたの。二つあるんだけど、兄は好きじゃないから、あなたに使わせてあげる!」とレラはウサギの形をした枕を誇らしげに見せた。 奏は子供の心遣いに心が温まり、微笑んで「ありがとう、レラ」と言った。 レラは顔を赤らめた。なぜか今日はパパに抱かれることに抵抗がなく、むしろ高く抱き上げられる感覚が心地よかった。 「じゃあ、ちょっとシャワーを浴びてくるね」と奏は顔が赤くなり、照れながら言った。 「うん、行ってきて!」レラはベッドに伏せ、くるくると目を輝かせて彼を見つめた。「なんで泣いてたの?ママに会いたいんでしょ?」 「そうだね」と奏はスーツケースを開け、日用品と着替えを取り出した。 「夜になったらママを迎えに行くって言ってたよね?」レラは不思議そうに問いかけた。「もうすぐ夜だよ。しっかりしてね!」 「うん」と奏はレラに背を向け、顔に浮かぶ苦しみを隠さなかった。 ...... 白い別荘。
時間が過ぎ、外は目に見えて暗くなり始めた。窓の外には雨が降り出した。激しい雨ではないが、不安を誘うような静かな雨音が響いた。 「三千院さん、薬湯が冷めました」と声が聞こえた。 とわこは我に返り、木桶に近づいて薬湯に手を浸し、温度を確認した。 「遺体を入れて」と言った。 「えっと……ただ入れるだけでは、遺体が腐りませんか?」と銀王の助手が疑問を口にした。「三千院さん、本当に死者を蘇らせられるんですか?」 とわこは冷ややかな目で彼を見据えた。「私を疑っているの?」 「ただの好奇心です」 とわこは真剣な顔で答えた。「これは秘伝の薬湯なので、腐ることはない」 助手は彼女の真剣な態度に言い返せず、数人のボディガードが女性の遺体を担いで木桶に入れた。 彼らの顔には緊張が浮かんでいた。10年以上前の遺体でいくら美しくても、その美しさを称賛する人間などいない。 死者自体は怖くないが、未知の恐怖は人を怯えさせる。 「三千院さん、次はどうするんですか?」助手が尋ねた。 「待つのよ」とわこは淡々と答えた。 助手は驚いた顔で「何を待つんです?」と聞いた。 「彼女が生き返るのを待つの」その言葉を口にした後、とわこは心の底から恐怖を感じ、思わず窓の外を見た。「ここ、少し暗くないの?明かりをつけて」 助手は彼女が少しおかしなことを言っていると感じながらも、ボディガードに目配せした。 ボディガードがライトのスイッチを押したが、天井の照明は点かなかった。 とわこはこの状況を見て、心に希望が出た。 「どうしたんだ?」助手がスイッチを再度押したが、天井の照明は反応しないままだった。 「ここで見張っていろ!私は電気室を見に行く!」助手は厳しい口調で言い、足早に立ち去った。 その頃、銀王の頭上のライトも消えていた。 彼はVIPルームでお客を迎えていたが、灯りが突然消え、視界が暗くなった。 当初は単なる電球の故障かと思ったが、助手が急いで駆け寄り「停電です!」と告げた。 銀王は耳を疑った。生まれてから一度も停電を経験したことがないのだ。別荘にはいくつもの予備電源が備えられているはずだった。 「技術者が点検しています。すぐに治すでしょう」と助手は銀王に報告し
蓮が通っている天才クラスは、普通の小学校とは違う。たとえとわこにどれほどのお金があっても、レラをそのクラスに入れることは不可能だった。それに、レラ自身も天才クラスには行きたくないと思っていた。蓮が勉強していることは、彼女には全く理解できないし、興味もわかない。朝、マイクはレラを連れて別荘から出てきた。すると、目の前に黒いロールスロイスが停まっているのに気づき、二人ともその場で固まってしまった。常盤家の運転手が後部トランクを開け、そこから三浦の荷物を取り出していたのだ。マイクはレラの手を握りながら、大股で車の方へ向かった。「これは三浦さんの荷物です。常盤家を辞められたので、社長に言われてここに運んできたんです」運転手は言った。マイクは少し眉をひそめた。「それで、わざわざロールスロイスで運んできたの?」その言葉に、運転手は少し気まずそうに黙り込み、数秒後に苦笑して答えた。「実は社長が車に乗ってまして。朝ごはんを食べに行く、ついでに、ってことで」マイクは皮肉な笑みを浮かべた。レラの手を放すと、車の後部座席の窓に歩み寄り、コンコンと軽くノックした。その瞬間、ウィーンという音とともに窓がスッと下がり、奏の整った冷たい顔立ちが現れた。マイクはにやりと笑って、からかうように言った。「まだ朝の7時半だぞ?社長って、この時間はベッドで優雅に寝てるもんじゃないのか? どこの社長がこんな時間に朝食なんて食べに出るんだ?まさか、昨夜ご飯食べてなかったとか?」奏「......」「ハッキリ言えよ。お前、ウチの朝ごはん食べに来たんだろ?残り物のおにぎりとか味噌汁とかあるぞ?食う気あるなら」マイクが言い終わる前に、奏は無言で車のドアを開けて、車から降りてきた。今度は、マイクが言葉に詰まる番だった。まさか、本気で朝ごはんを食べに来たとか? そのとき、レラが奏の姿を見て、眉をしかめた。すぐにマイクの後ろへ走り寄り、彼の手をぎゅっと握りしめて引っ張った。「奏!もう車に戻れ!レラを泣かせたら、夜にとわこにビデオ電話して告げ口するからな!」マイクが警告するように叫んだ。奏の足がピタリと止まった。彼は、子どもたちに会いたくて仕方がなかった。たとえ、一目見るだけでもいいと思った。レラはマイクの後ろに隠れて、奏を見ようともせず
その言葉は、ただの冗談のつもりだった。だが、三浦はどこかぎこちない表情を見せた。一瞬ぼんやりしたあと、ぎこちない笑顔を浮かべて言った。「たぶん、結菜だけじゃなくて、あの方のことも恋しくなってるからじゃない?今の仕事も一段落したし、そろそろ帰国してもいいと思うわ」とわこは、まだすぐに帰国する気にはなれなかった。蓮とレラはもう学校に通っていて、あまり手がかからない。それに、ここ数日、手術続きで心身ともにかなり消耗していた。もう少し休んでから、帰国のことを考えたかった。このまま帰っても、どうせ家で寝込むだけだ。「もし疲れてるなら、ゆっくり休んで。私は急いで帰る必要ないから」三浦はすぐに空気を読んで、やさしく続けた。「ただ、ちょっと、蓮とレラに会いたくなっちゃって。一日でも顔を見ないと、心がスースーして落ち着かなくなるの」「うん、私も二人に会いたい、でも今は本当に疲れすぎてて。二日くらい休んで、それから帰国しようと思う」とわこは、ようやくそう決めた。奏を避けるために、永遠に帰らないわけにはいかない。「わかったわ。とわこさん、スープ煮ておいたの。飲んだらすぐ寝てね。この数日で痩せちゃったみたいよ」三浦は蒼をベビーベッドに寝かせてから、キッチンへ向かった。蒼はとてもお利口だった。ベビーベッドに一人でいても、全然泣かない。抱っこに慣れている子ほど、離すと泣きやすいのに。「ねえ、蒼。お兄ちゃんとお姉ちゃんに会いたい?」とわこはベビーベッドのそばに立ち、話しかけた。「もうすぐ一緒に帰ろうね?ごはんいっぱい食べたかな?ママに抱っこしてほしいの?」疲れ切っていたはずの彼女も、蒼を見ているうちに自然と笑顔になり、思わず抱き上げてしまった。そのとき、三浦がスープを持って戻ってきた。「やっぱり、蒼を見たら抱っこしたくなっちゃうんでしょ?」「うん。あまりにお利口さんすぎて、なんだか、話が通じてる気がするんだよね」とわこは蒼を抱いてソファに座りながら微笑んだ。「だって、泣かないし、騒がないし、ママが話しかけると、ずっと目を合わせてくれるの。まるで、天使みたい」三浦はスープをテーブルに置いた。「さ、まずはスープを飲んでね」「うん」蒼を三浦に預けて、とわこはスープを口に運んだ。「そういえば、私が今朝病院に行ってる間に、レラから電話
「黒介!俺の息子よ!」黒介の父親が大股で病室に入ってくると、とわこをぐいっと押しのけた。とわこは、この男から自分への尊重を一切感じなかった。まるで、自分をこの病室から叩き出したいかのようだった。彼女はその横顔を見つめ、何か言おうとしたが、理性がそれを止めた。たとえどれだけ黒介を気にかけていても、自分はただの主治医で、彼と血の繋がりもない。ただ手術を請け負っただけの存在。もし彼の家族が手術の結果に満足しているなら、自分の仕事はそれで終わりだ。「三千院先生、さっきは疑ってすみません!」父親はすぐに振り返り、興奮気味に言った。「黒介が俺の声に反応した、これだけでも大きな進歩だ!先生、残りの手術費用は3日以内に口座に振り込む。それ以降、特に問題がなければ、もう連絡はしない」とわこは一瞬、呆然とした。つまり、「お金は払うけど、あとはもう関わらないでくれ」ということ?彼女としては、黒介の術後の回復状況をずっと見守りたかった。それも、医師として当然の責任だった。「白鳥さん、お金はいただかなくて構いません。ただ、術後の経過を見たいんです。それが医師の習慣というか職業倫理なので」とわこは丁寧に申し出た。「三千院先生は、すべての患者にここまで責任を持つのか?」彼は意味ありげな笑みを浮かべた。「もし連絡をもらったら、ちゃんと出るよ。ただ、忙しかったら電話に出られないかも。その時は、責めないでね」とわこは、彼の顔の笑みにどこか不気味さを感じた。普段、人を悪く思ったりはしない方だが、彼の態度はどうしても受け入れがたかった。その言い方は「どうせ電話してきても、出る気なんてないよ」と言っているように聞こえた。本当に黒介を大切に思っているなら、主治医に対してこのような態度をとるはずがない。彼女は怒りに震えたが、ふと視線を横にずらすと、病床の黒介が目に入った。その姿を見て、彼女は怒りを飲み込み、黙った。仕方ない。白鳥の住所はわかっている。いざとなれば、直接家に訪ねればいい。病院を出てから、30分も経たないうちに、彼女のスマホに銀行からのメッセージが届いた。白鳥から、お金が振り込まれていた。その通知を見ながら、とわこは拳をぎゅっと握った。なんて変な家族なんだろう。手術の前は、まるで神様のように彼女を持ち上げ、何を言ってもすぐに
もし本当に黒介のことを愛しているのなら、「バカ」なんて言わないはずだ。奏は一度も結菜を「バカ」だなんて言ったことはない。むしろ、誰かがそんなふうに結菜のことを言おうものなら、彼は本気で怒っていた。それが、愛していない人と、愛している人との違いなのだ。「黒介さんのご家族も、本当は彼を愛してると思いますよ。そうでなければ、あれだけお金と労力をかけて治療を受けさせようとは思わないでしょうし」とわこは水を一口飲み、気持ちを整えながら言った。「それはそうかもしれませんね。でも、だからってあなたに八つ当たりしていいわけじゃない」看護師が静かに頷いた。「私の方こそ、手術前にちゃんと説明しておくべきでした。私の言葉で、黒介さんが普通に戻れるって誤解させてしまったのかもしれません」とわこは視線を病床の黒介に落とした。「そんなの、ただの思い込みですよ。彼の症状が少しでも改善されたら、それでもう十分成功ですって」看護師はとわこを励ますように続けた。「それに、先生…手術代の残り、ちゃんと請求してくださいね?」とわこが受け取ったのは、前払いで支払われた内金だけだった。残金は、手術後に支払うという約束だったが、黒介の家族の態度を見て、とわこはもう残りの金額を受け取るつもりはなかった。彼女がこの手術を引き受けたのは、必ずしもお金のためだけではない。結菜のことがあったからだ。病室でしばらく座っていると、病床の彼が突然、目を開けた。とわこはスマートフォンから目を離し、その目と視線が合った。「黒介さん、気分はどう?」彼女はスマホを置き、優しく問いかけた。「頭が少し痛むかもしれないけど、それは正常な反応よ。私の声、聞こえる?」黒介は彼女の顔をじっと見つめ、すぐに反応を示した。頷いただけでなく、喉の奥からかすかな「うん」という声も漏れた。とわこは、その目の動きも表情も、まったく「バカ」だなんて思わなかった。彼の様子は、結菜が手術後に目を覚ましたときと、とてもよく似ていた。彼女は、奏と口論になった時にだけ、結菜の病を使って彼を怒らせようと「バカ」なんて言ったことがあったが、それ以外では一度もそんなふうに思ったことはなかった。「私はあなたの主治医で、名前はとわこ」彼に自己紹介をしたのは、結菜の時にはそれができなかったからだ。もし時間を巻き
なので、とわこは身動きが取れず、マイクと二人の子どもを先に帰国させるしかなかった。黒介の家族は、術後の彼の反応にあまり満足していなかったが、とわこに文句を言うようなことはなかった。手術前、両者は契約書にサインしていた。とわこは黒介の治療を引き受けるが、手術の完全な成功は保証できないという内容だった。手術から三日目の昼、彼女のスマホが鳴った。着信音が鳴ると同時に、とわこは手早く子どものおむつを替え、すぐにスマホを手に取って通話ボタンを押した。「三千院先生、黒介が目を覚ました。今回は声にも反応してるし、ちゃんと聞こえてるみたいだ」と電話の向こうで話していたのは、黒介の父親だった。とわこは思わず安堵の息を漏らした。「すぐに病院に向かいます」電話を切ると、子どもを三浦さんに託し、車を走らせて病院へと急いだ。病室に着くなり、とわこは足早に中へと入った。「先生、また寝ちゃいました」と黒介の父親は眉をひそめ、不満そうに言った。「これって、まだ手術直後で体力がないから?このままずっとこんな風に寝てばかりなら、手術する前の方がまだマシだったんじゃないか」とわこは真剣な表情で答えた。「大きな手術を受けたこと、ありますか?どんな手術であれ、術後一週間は最も体力が落ちる時期なんです」「いや、怒らないで、三千院先生、あなたを疑ってるわけじゃない。彼がまだバカだ」黒介の父親は手をこすりながら、どうにも腑に落ちない様子だった。その様子に、とわこの神経はピンと張り詰めた。「外で少し、お話ししましょうか」二人で病室を出ると、とわこは静かに語り始めた。「以前、黒介さんと同じ病気の患者さんを診ました。その方は二度の手術を経て、やっと日常生活で自立できるレベルまで回復したんです。しかもそれは術後すぐにできたわけじゃありません。家族の忍耐強い支えと愛情があって、ようやく少しずつ回復できたんです。あなたが黒介さんを心配しているのは分かります。でも、彼を『バカ』扱いするような態度はやめていただけますか?はっきり言いますが、黒介さんが完全に健常者レベルに戻る可能性は、極めて低いです」黒介の父親の目に、失望の色が浮かんだ。「君のこと、名医だと思ってたのになぁ。前の患者はほとんど普通に戻れたって聞いてたけど」「私は神様じゃありません。そんなこと言った
一郎はすぐに察した。「奏、しばらくゆっくり休んだほうがいいよ」彼は空のグラスを手に取り、ワインを注ぎながら続けた。「最近、本当に多くを背負いすぎた」奏はグラスを受け取り、かすれた声で答えた。「別に、俺は何も背負ってない」本当につらいのは、とわこと子どもたちだった。自分が代わりに苦しむべきだったのに。「何を思ってるか、僕には分かるよ。でもな、今の彼女はきっとまだ怒りが収まってない。そんなときに無理に会いに行ったら、逆効果になるだけだ」一郎は真剣に言った。「ちなみに、裕之の結婚式は4月1日。彼女も招待されてる。きっと来ると思う。その日がチャンスだ」だが、奏は何も返さなかった。本当に、その日まで待てるのだろうか。一ヶ月あまりの時間は、長いようで短い。その間に何が変わるか、誰にも分からない。「蓮とレラ、もうすぐ新学期だろ?彼女もきっとすぐ帰国するはずだ」一郎は落ち込む奏を励まそうと、必死に言葉を探した。もし早く帰国するなら、望みはある。でも、もし彼女がずっと戻ってこないなら、それは少し厄介だ。「彼女、アメリカで手術を引き受けたんだ」奏は思い出したように言った。「患者の病状が、結菜と似てる」「えっ、そんな偶然あるのか?」一郎は驚いた。「ってことは、しばらくは帰ってこない感じか。残念だけど、彼女がその手術を引き受けたってことは、結菜のことをまだ大切に思ってる証拠だな」結菜の死から、そう長くは経っていない。とわこが彼女のことを忘れているはずがなかった。二日後。マイクはレラと蓮を連れて帰国した。空港には子遠が迎えに来ていた。子どもたちを見つけると、彼はそれぞれにプレゼントを渡した。「ありがとう、子遠おじさん」レラは嬉しそうに受け取った。だが蓮はそっぽを向いて受け取らなかった。彼は知っている。この男は、奏の側近だと。「レラ、代わりにお兄ちゃんの分も持っててくれる?大した物じゃないから」子遠はすぐに「とわこと蒼は、いつ戻ってくるんだ?」とマイクに尋ねた。「まだ分からないよ。出発の時点では、彼女の患者がちょうど目を覚ましたところだったから」マイクはレラを抱っこしながら答えた。「とりあえず、先に帰ってから考えるよ。ねえ、家にご飯ある?それとも外で食べてから帰る?」「簡単な家庭料理だけど、少し作っておいたよ。
瞳「とわこ、私は奏を責めてないよ。だって、私のことは彼に関係ないし。それに今回は、直美が手を貸したからこそ、奏はあれだけスムーズに大事なものを取り返せたわけでしょ?私はちゃんと分かってるよ」とわこ「でも、あんまり割り切りすぎると、自分が傷つくこともあるよ」瞳「なんで私がここまで割り切れるか、分かる?寛大な人間だからじゃないの。直美、顔がもう元には戻らないんだって。あのひどい顔で一生生きていくしかないのよ。もし私があんな姿になったら、一秒たりとも生きていけないわ。あの子、今どんな気持ちでいるか想像できる?」とわこ「自業自得ってやつよ」瞳「そうそう!あ、さっき一郎からメッセージきて、『今度、裕之の結婚式、絶対来いよ』だって。どういうつもりなんだと思う?」とわこ「行きたいなら行けばいいし、行きたくないなら無理しなくていい。彼の言葉に振り回されないで」瞳「本当は行こうと思ってたけど、今日あんな仕打ち受けて、もう気分最悪、行く気失せた」とわこ「じゃあ今は決めなくていいよ。気持ちが落ち着いてから、また考えよう」瞳「うん。ところでとわこ、いつ帰国するの?蓮とレラ、もうすぐ新学期じゃない?」とわこ「そうね、術後の患者さんの様子を見てから決めるわ。子どもたちはマイクに先に送ってもらうつもり。学業には影響させたくないし」瞳「帰国日決まったら、必ず教えてね」とわこ「分かった」スマホを置いたとわこは、痛む目元を指で軽くマッサージした。「誰とメッセージしてたんだ?そんな真剣な顔してさ」マイクがからかうように聞いてきた。「瞳よ、他に誰がいるのよ?」とわこは目を閉じたまま、シートにもたれかかった。「へぇ、ところでさ、奏から連絡あった?」マイクは興味津々で続けた。「今回、彼は裏切ったってわけじゃないよな?直美とは結局結婚しなかったし、脅されてたわけでしょ?その理由ももう分かってるし......」「彼を庇うつもり?」とわこは目を見開いて、鋭くにらんだ。「事実を言ってるだけじゃん!」マイクは肩をすくめた。「誓って言うけど、誰にも頼まれてないから。ただ、彼の立場になって考えてみたんだよ。あいつ、プライド高いからさ、自分の過去が暴かれるなんて絶対に許せなかったんだと思う」「その通りね」とわこは皮肉気味にうなずいた。「だからこそ、私や子
瞳「とわこ、私もう本当にムカついてるの!裕之ったら、私の前に堂々と婚約者を連れてきたのよ!最低な男!もう一生顔も見たくないわ!」瞳「頭に血が上りすぎて、宴会場から飛び出してきちゃった!本当は奏と直美に一発かましてやろうと思ってたのに......ダメだ、まだ帰れない!ホテルの外で待機してる!」瞳「もうすぐ12時なのに、新郎新婦がまだ来てない......渋滞か、それとも2人とも逃げたの?マジで立ちっぱなしで足がパンパン!ちょっと座れる場所探すわ!」瞳「とわこ、今なにしてるの?こんなにメッセージ送ってるのに返事くれないとか......どうせ泣いてなんかないでしょ?絶対忙しくしてるって分かってる!」マイク「今回の手術、なんでこんなに時間かかったんだ?病院に迎えに来たよ」そのメッセージを見たとたん、とわこは洗面所から慌てて出ていった。マイクは廊下のベンチに座りながらゲームをしていた。とわこは早足で近づき、彼の肩を軽く叩いた。「長いこと待たせちゃったでしょ?でも、あなたが来てなかったら、私から電話するつもりだったよ......もう目が開かないくらい眠いの」マイクはすぐにゲームを閉じて立ち上がった。「手術、うまくいったの?どうしてこんなに時間かかったんだよ?手術室のライトがついてなかったから、誘拐されたかと思ったぞ」「手術が成功したかどうかは、これからの回復次第。でも結菜の時も結構時間かかったからね。ただ、今回は本当に疲れた......」彼女はそう言いながら、あくびをかみ殺した。「三人目産んでから、まともに休んでないもんな」マイクは呆れ顔で言った。「俺だったら、半年は休むわ。君は本当に働き者っていうか、じっとしてられないタイプなんだな」「三人目なんて関係ないよ、年齢的にも体は自然に衰えるもんだし」とわこはさらっと反論した。「で、会社の方はどう?」「ほらまた仕事の話してる。手術終わったばっかりなのに」マイクはあきれつつも、すぐに報告を始めた。「どっちの会社も通常運営中。俺がいるから、何も心配いらない」とわこは感謝のまなざしを向けた。「そんな目で見ないでくれ、鳥肌立つわ」マイクは彼女の顔を押しのけて話題を変えた。「そういえば、奏と直美の結婚、成立しなかったぞ」その一言で、とわこの顔からさっきまでの安らぎが一瞬で消えた。実
その頃、奏のボディーガードチームとヘリコプターが、三木家の屋敷を完全に包囲していた。和彦の部下たちは、現実でこんな異様な光景を目にしたことがなかった。奏はただリビングで一本煙草を吸っていただけだったのに、その間に彼のボディーガードたちは、狙いの品をあっという間に取り返してきたのだ。これは、以前直美が和彦の電話を盗み聞きし、彼がその品を信頼する部下に預けていたことを知っていたからこそできた綿密な計画だった。奏は品物を手に入れると、そのまま何も言わずに立ち去った。直美は悟っていた。今日が、彼と自分の人生における最後の交差点になるのだと。彼は自分のものではない。昔も、今も、そしてこれからも決して。彼からは愛を得られなかった。だが、冷酷さと容赦のなさは彼から学んだ。ホテル。一郎は電話を受けた後、同行していたメンバーに静かに言った。「奏はもう来ない。君たちは先に帰っていい」「え?せめて昼食くらい」裕之はお腹がすいていた。「三木家に異変があった」一郎は声を潜めて言った。「面倒に巻き込まれたくなければ、早めに退散することをすすめる」「じゃあ君はどうする?」裕之はすぐさま帰る決意を固めた。見物したい気持ちはあったが、命が一番大切だ。「僕は残る。死ぬのは怖くない。今の騒動、見届けたくてね」一郎はまさか直美にこれほどの野心があるとは思っていなかったため、彼女が本当に和彦から相続権を奪えるのかを見たくなったのだった。裕之は子遠の腕を引っ張り、ホテルを後にした。二人は、意気投合して、一緒に常盤家へ向かうことにした。奏が問題を解決したからこそ、式は中止になったに違いないと思ったのだ。彼らが外に出たとき、宴会場の入口で、和彦が焦りまくって右往左往しているのが見えた。あの和彦が、奏に勝とうだなんて、自分の器量も知らないで。常盤家、リビング。千代は奏の指示に従い、リビングに暖炉を設置していた。火が灯ると、奏は一枚の折りたたまれた紙を取り出し、視線を落とした後、それを火に投げ入れた。炎が勢いよく燃え上がり、白い紙はたちまち灰となった。千代は黙って見ていたが、何も言えなかった。「これが何か、わかるか?」沈黙を破るように、奏がぽつりと聞いた。彼の手には一枚のDVDが握られていた。千代は首を横に振った。