とわこはすぐさま和夫の番号を探し出し、発信した。「おかけになった電話は電源が入っていないか、電波の届かない場所にあるため、かかりません」スマホの画面を見つめたまま、とわこは茫然と立ち尽くした。画面には、驚きと困惑の表情を浮かべた彼女自身の顔が映っていた。和夫は黒介を連れて姿を消したの?まさか、日本を離れたんじゃ?もし、ただ身を潜めているだけなら厄介なことになる!あの狡猾で陰湿な性格の和夫のことだ。どこかで密かに、また何か悪巧みを仕掛けているかもしれない。レストラン。悟は和夫に何杯も酒を勧め、顔が赤くなってきた頃を見計らって、切り出した。「和夫、お前どうやってそんなに金持ちになったんだ?さっきうちの息子が電話で言ってたんだ。お前の息子は日本の有名人だって、だけど、俺は今まで一度も、お前や息子の話なんて聞いたことがないぞ」和夫は鼻で笑い、尊大な態度で言った。「それもそのはず。俺が帰国したの、まだほんの数日前だからな!息子が大物でなかったら、気軽に2億円も小遣いにくれるわけないだろうが」「お前の息子って、本当にそんなにスゴいのか?」悟はわざと羨ましげな表情で尋ねた。「ちゃんとした仕事してんのか?」挑発にまんまと乗せられた和夫は、胸を張って答えた。「当たり前だろうが!うちの息子は正真正銘、まっとうなビジネスマンだ」「そうか。それなら、俺も名前ぐらい聞いたことあるかもな」悟はお世辞を言いながら、さらに話を引き出そうとした。「もちろんだ!息子の名前なんて、日本じゃ誰もが知ってる」「名前は?」「そいつはな」和夫は口を開きかけたが、次の瞬間に我に返った。「これはうちのプライベートなことだ。教えるわけないだろ!でも覚えておけよ、今の俺はお前よりはるかに上だ。これからは和夫さんと呼べ」悟は鼻で笑った。「息子の名前も言えねえのに、そんな話信じるわけねぇだろ」「じゃあ聞くが、俺の2億円はどこから来たんだ?」和夫が胸を張って言う。「2億なんて大したことねぇよ。俺は20億持ってるぞ」悟が言い返す。「お前の息子、それぐらいあるのか」「はははは!バカ言ってんじゃねぇよ」和夫は笑いすぎて涙を流し、テーブルを叩いて言った。「20億?うちの息子にとっちゃ、そんなもん屁みたいなもんだ!はははっ!」悟のプライドは、地面に叩きつけられ
和夫の顔は怒りで真っ赤に染まり、「お前の叔父こそ、俺の息子だ!」という言葉が喉元まで上がってきた。もう少しで叫んでしまうところだった。そのとき、哲也が肘で父親の脇腹を突いた。「常盤さん、父は短気なんで、これ以上言い合いしない方がいいよ。これ以上やると、手が出るかも。ケンカなら、父は相当強いから」哲也はあくまで善意で弥に忠告した。「信じられないなら、父親に聞いてみてください」弥の心はざわついた。今の彼には奏の後ろ盾がない。だから、外で誰かと揉め事を起こしても、守ってくれる人はいない。もし殴られても、自分で耐えるしかないのだ。弥は悔しそうに不動産屋を出ると、スマホを取り出して父親に電話をかけた。悟は息子がかつて常盤家で働いていた運転手に侮辱されたと知り、怒りで血が沸き立った。「そいつにそこにいろって伝えろ!今すぐ行ってやる」そう言い放つと、悟は電話を切った。弥は再び不動産屋に戻り、唇を噛みしめながら、和夫が目の前で自分の気に入った物件をカードで購入する姿を見ていた。契約が完了した直後、悟が現場に到着した。「父さん、あいつだ」弥は怒りを抑えきれず、和夫を指差して言った。「昨日、俺たちが気に入ってた部屋を、横取りして買いやがったんだ」悟の鋭い目が、和夫に向けられた。和夫は契約書を手に、得意げに言い放った。「悟、お前、まさか俺がこんな日を迎えるとは思ってなかったろ?」悟は彼を一目見て、すぐに思い出した。顔色が一気に変わる。「和夫か?一体どこからそんな金を手に入れた?銀行でも襲ったのか?」「はっはっはっはっ」和夫は笑い出した。「銀行強盗?それより今の俺の方が稼げるっての!もう別次元だ」悟は、彼のこの傲慢な態度に、胸が締め付けられるような苦しさを感じた。和夫なんて、かつては常盤家のただの運転手に過ぎなかった。月に数万円しか稼げないような男だったのに、今では堂々と自分の前で吠えている。これが時の運か?どんな強運を引き当てたら、こんな逆転劇が起こるんだ。悟が肩を落とし、黙り込んだ姿を見て、和夫の心は満たされていく。「悟、俺の記憶が正しければ、昔お前、俺を殴ったことがあったよな?」和夫は契約書を息子に渡すと、胸を張って悟の目の前に立った。「そうだ!蹴飛ばしてやったさ」悟は鋭く言い放つ。「お前がうちで
常盤家。夜の0時15分。奏はシャワーを浴び終えて、バスルームから出てきた。今日は仕事が忙しく、とわこのところには行けなかった。夕方に少し酒を飲んだせいで、頭が少しぼんやりしているが、眠気はなかった。彼は、ゴールデンウィークにとわこにプロポーズしようと決めていた。だが、いまだに会場すら決まっていない。彼はロマンチックなことが得意ではなく、とわこもその点には特にこだわりがなかったため、つい準備を後回しにしてしまったのだった。彼はスマホを手に取り、アルバムを開く。「俺」という名前のフォルダをタップすると、そこには彼が設計した建築物の写真が並んでいた。プロポーズの場所を、自分が設計した建物の中にしたい。その方が、きっとロマンチックになるはずだと考えていた。翌日。ある不動産屋。和夫と長男の哲也が物件を見に来た。彼らは昨晩、それまで借りていた家から引っ越してきて、今はホテル暮らしをしている。だが、ホテル生活は長く続けられるものではない。しかも奏が渡したのはたったの2億だけ、その金額で満足できるような彼らではなかった。これは長期戦になると踏んだ父子は話し合い、一旦家を買って落ち着こうと決めたのだ。営業スタッフの若い女性が彼らを一目見るなり、にこやかに声をかけてきた。「広めのお部屋をお探しですか?ちょうど154平米の広いお部屋が一つだけ残っていますよ。南北に窓があって日当たりも良く、階数もちょうどいい12階なんです」「この広さのお部屋はもうこれが最後です。昨日も別のお客様が見に来られていましたが、いかがですか?一度ご覧になります?」「じゃあ、見せてもらおうか」和夫は早く住まいを決めてしまいたかった。女性が案内を終えて不動産屋に戻ると、もう一人の営業スタッフの男性が慌てた様子で駆け寄ってきた。「木村さん、さっきの154平米の部屋にご案内したんですか?あの部屋、昨日のお客様が契約するって言ってたんですけど」木村と呼ばれた女性スタッフは残念そうな顔をした。「でも、私のお客様もすごく気に入ってくださったんです」「先に案内したのは僕だから、当然僕のお客様に優先権があるでしょ」男性スタッフは強気に言い放った。木村は和夫たちの元に戻り、申し訳なさそうに言った。「和夫様、申し訳ありません。実はあのお部屋
「和夫の身辺に、黒介という男がいるかどうか、調べろ」その声は冷たく、感情の一片もなかった。「もし、いたら」その先の言葉が、喉で止まった。黒介は結菜の双子の兄だ。本来なら常盤家の若様として、たとえ父に愛されなくても、何不自由ない暮らしが約束されていたはずだった。奏は考えてしまう。自分は黒介の名前を奪い、家族を奪い、人生そのものを奪っておいて、今度は彼の存在さえも抹消しようとしている。それはあまりにも、非道ではないか?「社長、もしその男がいた場合、どうしましょう?」電話越しに護衛が問いかける。「ご指示を」奏はしばらく沈黙し、喉仏をごくりと鳴らした。そして冷ややかに言った。「この世界から、消せ」彼は知っている。自分はいずれ、必ず地獄に堕ちるだろう。ならば、この人生くらい、徹底的に自分本位でいい。神は不公平だった。配られた手札は最悪だった。情に流されていては、その劣勢の手札で勝てるはずがない。館山エリアの別荘。とわこはお風呂から出た後、どうにも胸がつかえて落ち着かなかった。確かに、彼女と奏はもうすぐ結婚する。周囲から見れば、何もかも順調で幸せそうに見えるだろう。けれど彼女にはわかる。彼は今でも誰にも屈しない、あの頑なな男のままだ。黒介という存在が、まるで二人の間に刺さった棘のように感じられる。血が出るほど痛むわけではない。けれど確実に、今の甘い関係に微細な変化を生むだろう。彼女は髪をドライヤーで乾かしたあと、鏡の前で大きく息を吐いた。まだ何も起きてないうちから、最悪の結果を想像して、自分を怖がらせても仕方ない。奏が結婚を決めたのなら、話せばきっと、もっと良い解決策が見つかるはず。そう考えると、彼女の中の重苦しさは少し和らいだ。ベッドに入り、スマホを開いて、ゴールデンウィークにどこへ行こうかと検索を始める。国内の人気観光地をいくつか見たが、どうにも興味が湧かない。どこへ行こうとも、間違いなく人混みでごった返すだろう。奏は人の多い場所を嫌う。もし彼をそういう場所に連れて行ったら、たとえ表面上は平気そうでも、内心は不機嫌になるに違いない。とわこは検索欄にこう打ち込んだ。「国内の穴場観光地」人の少ない場所の方が、きっと彼もリラックスできるし、景色なんて二の次、ただ二人で過ごせる時間が欲しいのだ。
とわこは一瞬言葉を失った。「本当に行くの?」三浦はにこやかにうなずいた。「ええ。安心して。蒼のことはしっかり私が見てるわ。絶対に風邪ひかせたりしないから」「でもどうして急に気が変わったの?」とわこは違和感を覚えた。「あなたが蒼を連れて出かけたら、本当に家に私一人だけになっちゃうじゃない」「奏さんを呼べばいいじゃない。もうマイクさんとは話つけてあるのよ」そう言うと、三浦はそのまま立ち去った。とわこは自分の部屋に戻り、奏に電話をかけた。「奏、ゴールデンウィーク、何か予定あるの?」電話の向こうで、奏はまだその件を考えていなかったようで、少し気だるげに答えた。「ゴールデンウィークなんて、まだ先だろ?」「あと二日後よ。マイクは蓮と蒼を連れて旅行に行くって言ってるし、涼太もレラをダイビングに連れてくって。私だけ、まだ何も予定ないのよ」とわこは少し寂しげな声になった。「あなたもまだ何も考えてなかったなんてね。まさか、ゴールデンウィークも結婚式の準備で忙しくするつもり?」奏は答えず、逆に訊いた。「みんな出かけるのか?じゃあ、君ひとりだけ家に残るってことか?」「そうよ!その言い方、なんか哀れんでない?あなたも同じくひとりじゃない?」「どう過ごしたい?俺が付き合うよ」彼はくすっと低く笑った。「うーん。じゃあ、そのときになったら決めましょ。シャワー浴びたら、もうちょっとちゃんと考える」とわこは少し肩の力を抜いて、ぽつりと呟いた。「急に子どもたちが全員いなくなるなんて、なんか変な感じ」奏は何か慰めの言葉を探していた。「でも、めちゃくちゃ嬉しいかも!」とわこは続けて、「やっと子どもたちのこと気にせず、完全に自分だけの時間が過ごせるなんて最高」と言った。奏「......」その時、彼は急に尋ねた。「そうだ、とわこ。あの患者、黒介って男、彼の父親の名前って何だった?」その瞬間、とわこの笑みは消えた。「どうして急にそんなこと聞くの?」「君、彼の家族にあまり良くされていないって言ってただろ?それで会いたいって。なら、彼の家族の情報を俺に教えてくれれば、代わりに探してみるよ」奏は確かめたかったのだ。黒介が、かつて常盤家から連れ去られたあの子なのかどうか。もし違うのなら、それでいい。だが、もし本当に黒介だとしたら彼は何としても
夕方。館山エリアの別荘。夕食の時間。マイクは、自分のゴールデンウィーク旅行計画を細かくとわこに話した。「それを私に言ってどうするの?私、一緒に行くわけじゃないし」とわこは淡々とした口調で言った。「一緒に行かないのは知ってるよ。でも話したのは、蓮を連れて行きたいから」マイクは説明した。「蓮が一緒でもいいかなって」とわこは蓮の方を見た。「あなた、一緒に行きたいの?ゴールデンウィーク、休みあるの?」蓮「もうマイクに行くって言ったよ」とわこ「......」マイクは得意げな顔で言った。「じゃあ異議なしってことで、蓮は俺と旅行だね。レラは涼太と出かけるって言ってたし。蒼も連れて行きたかったけど、三浦さんがダメって」とわこは箸と茶碗を置いて、皆をじろりと見渡した。「つまりどういうこと?私ひとり家に置いてけぼりってわけ?」「だって奏と二人きりの時間を過ごすんでしょ?」マイクがからかうように言った。「喜ぶべきじゃないの?」「言ってみただけよ。あの人と二人きりだなんて、そもそも、奏がゴールデンウィークに時間あるかも分からないし」とわこは、ひとり取り残される想像をして、少し寂しくなった。「じゃあ、彼にどこか連れてってって頼めばいいじゃん。結婚式まであと一ヶ月なんだし、ちょっと遊びに行くくらいいいでしょ」マイクは慰めるようにそう言った。「とにかく蓮のチケットはもう取ったよ。旅行中は毎日ビデオ通話するからさ」とわこはふんっと鼻を鳴らし、また茶碗と箸を手に取った。レラが甘えるように言った。「ママ、じゃあ一緒に涼太おじさんと旅行に行こうよ!涼太おじさん、私をダイビングに連れてってくれるって」「やめておくわ、ママは家でゆっくりしてる」とわこはそう言いながらも、後で奏にゴールデンウィークの予定を聞いてみようと考えた。その時、三浦がスープの入ったお椀を運んできた。「とわこ、マイクさんが蒼を海外に連れて行きたいって言ってたけど、私は反対したわ。蒼はまだ小さいし、免疫も弱いから。とわこが一緒に行かないなら、もし旅行先で病気になったら大変だからね」とわこはうなずいた。「うん。三浦さんはゴールデンウィーク、休み取る予定?私は特に予定もないし、子どもたちの面倒見られるよ」その言葉を聞いた瞬間、マイクが三浦さんに必死で目配せをした。