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第17話

Author: 佐藤 月汐夜
 お互いに譲り合わない二人はすぐに乱闘となった。通りかかる人々の注目を集め、やがて店は人々に囲まれてしまった。

店側もすぐに警備員を呼んできた。駆けつけてきた警備員は二人をすぐに引き離した。

 小林夢は幼い頃から甘やかされてきたため、日向桃の相手にはならなかった。結局、日向桃にさんざんと殴られる憂き目に遭った。

 人々が集まってくるのを見た小林夢は、あるアイデアを頭に浮かべた。彼女は傷だらけの顔を見せながら大声で泣き始めた。「みなさん、この極悪の女をよく見てください。この人は高校時代から下品な男らと付き合い、今はどこかのお金持ちに囲われています。人を踏み付けにするほど非常に傲慢な人なんです。こんな恥知らずの女がまさかこの世にいるなんて!」

 これらの「罪状」を認めない日向桃は、「あくどい言葉で人を中傷するのも違法よ」とすぐに反発した。

 「中傷って?」小林夢は渡部俊介を指差しながら言った。「俊介、彼女はあなたと同じ学科だった。他の人は知らないかもしれないけど、あなたは彼女のことをよく知っているでしょ?今まで、これほど贅沢にお金を使うのを見たことがありますか?」

 それを聞いて、渡部俊介は心が乱れた。確かに、当時の日向桃は貧乏そうに見えた。そのため、彼は日向桃を諦めて、その代わりに小林夢を選んだ。

 何と言っても、小林夢の家柄も自分によい機会を提供してくれるのだ。そこまで考えると、彼はそばで相づちを打った。「先輩として、今のあなたを見ると、心が本当につらいです」

 渡部俊介の話を聞いて、日向桃は何も言うことがなかった。以前、彼女はこの男を拒否したことで少し後ろめたさを感じていたが、今はただのひも男に過ぎないと思った。

 渡部俊介ははっきりと言わなかったが、その裏の意味は誰もが理解した。だから、周りの人は小林夢のほうに傾き始めた。

 「このひとは清らかできれいに見えますが、実際はこんなに下品なひとなんです」

 「ああ、今社会の気風が日に日に悪くなってしまった。でも、囲われる女としてここまで思い上がるとは。珍しいね」

 「ちゃんと罰を与えるべきだ。さもないと、彼女のような女がいっそう図々しくなるだろう。警察に通報して、このような人を逮捕し、反省させるべきだ」

 周りから応援の声を聞いた小林夢は得意げな顔を見せた。彼女は日向桃を見ながら、「聞いた?みんなお前のような人間を気持ち悪く感じているのよ。まあ、知り合いだったし、一度チャンスをあげるわ。今、ひざまずいて私が悪かったって謝ってくれれば許してあげるわ」と言った。

 「ひざまずく」という言葉を聞いて日向桃は表情を曇らせた。周りの人々は皮肉の笑みを浮かべながら彼女を見つめた。さらにスマホを手に、この場面を録画しようとする人もいた。

 日向桃は当然小林夢にひざまずくわけがなかった。彼女は何も言わずに固く口を閉ざした。

 周りの人は彼女がただ怖がっていると思っていた。その時、後ろに立つ見物人の一人が手を伸ばして、彼女を無理やりひざまずかせるように押さえつけた。

 日向桃が歯を食いしばって体を支えているとき、清々しい声が外から響いてきた。

 「奥様、何が起こったのですか?若旦那様は外でずっとお待ちですよ」

 日向桃からなかなか電話がかかってこないため、伊川海は探しにやってきた。しかし、目に映ったのはこのような光景だった。

 奥様?若旦那様?

 妙に感じた小林夢は伊川海を見つめた。「あなた彼女を何と呼んだの?奥様って?囲われている愛人ではないの?」

 このおかしい言葉に当惑した伊川海は、横目で彼女を一瞥した。「誹謗中傷が違法であることをまさか知らないのですか?」

 菊池雅彦の側近である伊川海は話し方が上品で、一見してただの人ではないとわかる。彼が姿を見せると、先ほど集まった人々は一斉に道を開けた。

 日向桃は小林夢との論争を続ける気はなく、伊川海と一緒にその場を去った。

 驚愕の中でしばらく呆然とした小林夢は、気づいたら、急いで彼らを追いかけていった。

 彼女は日向桃が一体どういう人物に関わっているのか見てみたいと思ったのだ。

 外に出て、遠くから日向桃が車に乗り込んでいったのを見た。そして、後部座席には座っているもう一人の男が微かに見えた。

 ここからは遠いが、その男のただならぬ気品を一目見て、貴公子かお金持ちだとわかった。

 果たして毛虫から蝶へと生まれ変わったのか?

 ここまで考えると、小林夢は憎悪と羨望と嫉妬に満ちた感情に駆られて、顔まで歪んで見えた。

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    数日後、予定通り、晩餐会の夜がやって来た。雅彦と桃も、少し早めに会場に姿を現した。いまや二人はどこに現れても注目の的。まるで光の中心に立っているかのような存在感で、これまで常に脚光を浴びていたジュリーでさえ、今日はどこか影が薄かった。彼女の傍らにいたのは、今日一緒に連れてきた一人の少女――アイリーナ。表向きにはジュリーは彼女のことを「従妹」だと紹介し、社交の場に慣れさせるために連れてきたのだと説明していた。あれほど「親友」だと言っていた名家のお嬢様たちが、今では揃って桃のまわりに群がり、少しでも菊池家に取り入ろうと必死になっている。そんな光景を見せられて、何も感じないと言えば嘘になる。ジュリーの目にいつの間にか、鋭い憎しみの色が宿っていた。まったく、打算ばかりの連中ね。桃は人々の注目を浴びながらも、どこか居心地が悪そうだった。以前の彼女なら、こうした場では隅で食事をして、静かに過ごしていただろう。だが今はもう、目立たない存在ではいられない。仕方なく笑顔を作りながら、周囲とほどほどに付き合っていた。そのとき、どこか不快な視線を感じ、思わず振り返ると、そこにはジュリーの姿があった。ジュリーは一瞬、顔を強張らせた。まさか、こちらの視線に気づかれるとは思わなかったのだ。しかし、ここで動揺するわけにはいかない。今回の目的は、会場に来ているウェンデルという人物の弱みを握ること。桃相手に時間を費やしている余裕などない。ジュリーはすぐに笑みを作り、桃にワイングラスを掲げて軽く会釈してみせた。まるで、なにもなかったかのような態度で。桃もにっこりと笑い返し、その視線をアイリーナに向けた。アイリーナは、わずかに頷く――ごく自然な動作の中で、密かな合図が交わされた。そんな見えない駆け引きの中、晩餐会は静かに始まった。ジュリーはすぐに動かず、周囲の様子をうかがっていた。前回のように大ごとにするつもりはなかったため、今回はマスコミなども呼んでいない。ターゲットはただ一人――プロジェクトの責任者・ウェンデル。彼の弱みを握って味方につけることができれば、それでいい。グラスの音が響き、会場が賑わい始めたころには、ほとんどの人が赤ワインやシャンパンで頬を赤らめ始めていた。そのタイミングで、ジュリーはウェンデルにさりげなく近づき、後ろにいた

  • 植物人間の社長がパパになった   第855話

    あのときの裏切りは、ジュリーにとって初めてのことだった。これまで彼女の手駒になっていた少女たちは、いずれも貧しい家庭の出身で、誰ひとりとして逆らう者はいなかった。黙って彼女の指示に従うだけだったのだ。それなのに、自らが仕掛けた駒によって背中を刺されることになろうとは。今回の件で、今後はより慎重に行動すべきだと痛感した。この子たちの弱みをしっかりと握っておかなければ、安全は保証できない。「彼女の家族のもとにはすでに人を送ってあります。本人はまだ何も知らないので、そうそう余計なことを考える余裕はないはずです」「それなら、急いで晩餐会の準備を進めて。今回は絶対に失敗できないわ」そう言って指示を出すと、ジュリーの瞳には陰りを含んだ光が走った。今回の危機を無事に乗り越えたら、そのときこそ、雅彦にこの借りをきっちり返させてやる。……ジュリーが慈善晩餐会を開くというニュースは、すぐに雅彦の耳にも届いた。ちょうど書類に目を通していた雅彦は、海の報告を聞くと、口元にうっすらと笑みを浮かべた。ここまでの日々を経て、やはりジュリーも我慢の限界に達したようだ。このタイミングで突然表に出てきたということはきっと、ただでは済まないだろう。「準備はもう整っているか?」雅彦は淡々と問いかけた。「ジュリーが送り込んだ人間は、すでにこちらでマーク済みです。あの少女も協力する意思を見せてくれていて、あとはジュリーが自ら罠に飛び込んでくるのを待つだけです」雅彦はうなずき、目を細めた。ここまで時間をかけてきた計画――ようやく、結果が出るときが来た。雅彦は、この情報を桃にも伝えた。ついに行動開始だと知った桃は、抑えきれないほどの興奮を見せ、自ら晩餐会への同行を申し出た。現場で直接様子を見たいというのだ。もちろん、雅彦がそれを断るはずもなく、具体的な日時と場所を伝え、「家で準備して待っていてくれれば、迎えに行く」とだけ伝えた。電話を切ったあとも、桃の顔から興奮の色は消えなかった。普段はそういう賑やかな場に行くタイプではないが、今回は別だった。こんな一大イベントに、自分も関われるとなれば、そりゃあ、気分も高まるというものだ。想像するだけでも楽しくて仕方がなく、機嫌よくしていたそのときだった。ふいに、止まらない咳に襲われた。ちょうど水を取りに出てき

  • 植物人間の社長がパパになった   第854話

    最近の雅彦が絶好調なのに対して、ジュリーのほうはまるでうまくいっていなかった。いつ動画を公開されるかわからないという不安から、ジュリーは社交の場をすべてキャンセルし、急いで一流のPR会社を雇って、今回の危機への対応を進めていた。だが、肝心の雅彦はまったく動こうとしなかった。それがかえってジュリーの不安を煽り、ますます身動きが取れなくなっていた。家にこもっていたところで、メディアからの情報攻撃は止まらない。画面の中で、雅彦が桃と並んで堂々とイベントに出席している様子を目にするたびに、ジュリーは歯が砕けそうになるほど奥歯を噛みしめた。特に、桃が幸せそうに笑っている姿を見ると、胸が締めつけられるような嫉妬に襲われる。まるで、無数の蟻が心臓の中を這い回っているかのような気分だった。あの女、なにもできないくせに、ただ雅彦に取り入っただけで、こんなに羨望を集めてる。いったい何様のつもりなの?ジュリーは、桃のような女は、いずれ男に捨てられたときに悲惨な末路を辿るに決まっていると思っていた。それなのに、今はこうして堂々と幸せを見せつけられ、何一つ手が出せない自分がいた。精神的なプレッシャーは、いつも冷静だったジュリーの性格まで変えてしまっていた。ここ最近、家で使用人が何かを運んでくるたび、少しでも気に入らなければ手で払いのけ、床に叩き落とす始末だった。そんな彼女を刺激しないよう、屋敷の者たちはみな細心の注意を払いながら動いていた。その日も、ジュリーは無理やりにでも本を読もうとしていたが、そこへ一本の電話がかかってきた。相手は、父親だった。「最近、お前はいったい何をしてるんだ?会社がずっと目をつけていたあの土地、今雅彦がそれを落札すると公言してるんだぞ。なのに、お前は何の手も打っていないのか?」「……え?」ジュリーはその言葉に眉をひそめた。ここ数日、彼女は無理にでも世間の情報を遮断して、読書に集中しようと努めていた。くだらないニュースに心を乱されるのが嫌だったのだ。だが、その隙を突いて、雅彦は本格的に動いていたのだ。その土地は、立地条件が極めて良く、しかも都市開発の方針により価格も手頃で、政策上の優遇も多く、手に入れることができればほぼ確実に利益を出せる――まさに勝ち確の物件だった。もしもそれを菊池グループが獲得してしま

  • 植物人間の社長がパパになった   第853話

    「私にも、手伝えることがあるの?」桃はその一言で、すぐに興味を引かれた。もちろん彼女も、雅彦の力になりたいと思っていた。しかし、これまで彼はあまり仕事のことに彼女を関わらせてくれなかったのだ。「ここしばらく、いくつかのイベントやパーティーに一緒に顔を出すこと。それだけやってくれればいい」桃は少しがっかりしたように「ああ」と声を漏らした。てっきり、雅彦が自分に変装でもさせて、ジュリーの拠点に潜入させるつもりなのかと思っていたのに、言われたのはそんな退屈な任務。まるでからかわれているような気さえしてきた。その表情を見て、雅彦は彼女が何を考えているのかすぐに察した。「バカなことは言うな。ジュリーって女は、そんな簡単な相手じゃない。あいつのやり口は、決して正攻法だけじゃないんだ。おまえが自分から危ない場所に飛び込んだら、俺の一番の弱点を差し出すようなもんだろ」「……そうなんだ。でも、その作戦にどんな意味があるの?」本当は「自分だってそんなに弱くない」と言いたかったし、最近は射撃の腕もかなり上達している。でも、ジュリーという相手がどれほど陰険で狡猾かを考えると――もし捕まったら、かえって足を引っ張るだけかもしれない。そう思って、口をつぐんだ。「今のところ、あの映像をすぐに公開するつもりはない。ジュリーは、中心街にある一等地を狙ってる。その土地、俺もずっと欲しかったところなんだ。だから、今あいつが評判を気にして動けない間に、先に手を打つ。そうすれば、ジュリーも焦るだろう。それに、おまえが毎日人前に出るようになれば、間違いなくあいつのメンタルは崩れていく。そのうち隙ができる。ミスをしたその瞬間を捉えれば、もう立ち直れなくなるくらいの決定打になるはずだ」桃は目を見開いた。正直言って、この作戦はかなり巧妙だ。ジュリーと真正面からぶつかるのではなく、心理戦を仕掛けることで、余計な衝突を避けつつも、最大の効果を狙っている。「なるほど、つまり、向こうが自滅するのを待つってわけね。そんなに時間はかからなさそう」そう言うと、雅彦は立ち上がり、使い終わった濡れたタオルを横に置いた。以前、ジュリーは自分の仕掛けがばれた直後、わざわざ桃に電話をかけてきた。あのときの目的は、彼女が崩れる姿を見ること――ただそれだけ。つまり、ジュリーは小さな恨みも忘れない

  • 植物人間の社長がパパになった   第852話

    「承知しました」海はすぐにうなずいて答えた。報復を避けるため、海は兄妹を別の都市に移すことに決めた。長年住み慣れた場所を離れると知って、二人は少し名残惜しそうだったが、事情が事情なだけに、特に文句を言うこともなかった。今の状況は、彼らにとって夢にも思わなかったほど恵まれたものだった。「雅彦さんと奥さんのご恩は、一生忘れません。もし機会があれば、必ずお返しします」妹は、救急車に乗せられて転院していく弟を見送りながら、感謝の気持ちを口にした。彼女がまだ未成年の少女だと分かっていた海は、やや穏やかに応じた。「彼らが助けたのは、見返りを求めてるからじゃない。でもジュリーとは完全に敵同士になったわけだ。君、ジュリーとそれなりに一緒にいたんだろ?あの女の秘密、何か知らないか?」「ビジネスに関して、詳しいことは分かりません。でも友だちから聞いた話では、最近ジュリーはある土地に目をつけていて、その土地を競売で扱う役人に『お礼』として女の子を贈ろうとしてるって」ジュリーに集められた少女たちは、同年代で境遇の似た子も多かったこともあり、自然と親しくなった子も多かった。だからこそ、こういった話も内々に共有されることがあったのだ。この情報を聞いた瞬間、海の目が一瞬鋭く光る。これは、利用価値がある――そう直感した。「もし可能なら、その友人とも連絡を取ってみてくれ。ジュリーはその計画にずいぶん力を入れてるらしいし、簡単に手放すとは思えない」「彼女が協力する気があるのなら、もちろん俺たちもできる限り力を貸すさ。結局、彼女を助けるってことは、自分たちのためにもなるからな」海は無理なことは言わず、率直に現実的な考えを伝えた。彼らが動くのは、あくまでも自分たちの利益を見据えた上でのことだった。「きっと協力してくれます。彼女の母も重病で、治療費が必要なんです。それがなければ、あんなことに手を出すような子じゃない。もし連絡が取れたら、話してみてください。どうしても難しければ、彼女に私の番号を渡して。私から説明します」「分かった。約束だな」海はその答えに満足げにうなずき、時間もちょうどよかったため、そのまま兄妹を見送った。彼らを送り出した後、海はすぐに状況を雅彦に報告した。「そうか。じゃあ、まずはその子の素性を調べろ。できれば信頼を得て、内側から崩

  • 植物人間の社長がパパになった   第851話

    雅彦に解放されたのは、一時間経った後のことだった。桃は疲れ果て、両腕すら上がらないほどぐったりしていた。この男が本当に浮気をしているかどうか、今はもう察しがついていた。桃は確信している――この男はあらかじめ罠を仕掛けて、自分がそこへ飛び込むのを待っていたに違いない。なんて狐みたいに狡猾なやつなんだろう。桃は心の中で、雅彦のことをさんざん罵っていた。雅彦は、桃が自分を睨んでいるのに気づき、口元をつり上げた。「どうした?どこか気に入らないところがあるのか?もう一度確かめてみるか?」桃はぎょっとして急いで首を横に振る。すでに身体がバラバラになりそうなほど疲れきっており、これ以上続けられたら本当に気を失いかねない。いったいどうして、この男はこんなに体力が有り余ってるのだろうか……これ以上また暴れられたらたまらないと思った桃は、さっさとベッドを降りようとした。「体がベタベタして気持ち悪い……ちょっとお風呂に入ってくる」そう言ってベッドから下りようとしたものの、足に力が入らず、あやうく転びそうになってしまった。雅彦はそれを見て、呆れたように首を振った。「ここで待ってろ」そう言い残すと、雅彦はバスルームへ行き、湯を張り始めた。準備が全て整うと、彼は戻ってきて桃をひょいと抱き上げた。桃は驚いて何度かもがいたものの、その程度の力では雅彦には効かず、最後には抵抗をやめてしまった。どうせ彼が何をしようと、自分にはどうにもできないのだ。こうして抱えられたまま浴槽へ下ろされると、湯の温かさが全身を包み込み、それまでの不快感が一気に薄れていった。桃は思わず目を細め、束の間の心地よさを堪能した。とはいえ、こんなふうに雅彦に見つめられながら風呂に入るというのは、やはりどこか落ち着かない。桃は目を開けて雅彦を見ると、「一人で大丈夫だから、あなたは出てって」と言った。雅彦は一緒に湯につかりたい気持ちもあったが、桃の白い肌にところどころ散らばる自分の痕跡を見ると、また妙に体が熱くなるのを感じた。もし二人で入れば、再び燃え上がりそうだ。桃は病み上がりで、これ以上ムチャさせるわけにはいかない。そう考えた雅彦は内心の衝動を押さえ、「いいか、あんまりのんびり浸かって寝ちまうなよ。何かあったらすぐ呼べ」とだけ言って、バスルームを出ていった。桃はこくり

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