Masuk警察もまともに取り合おうとはしなかった。「私にそんなことを言われても困ります。下ろせないものは下ろせません」そう突き放されると、史恵は再び喚き散らし始めた。「ああ、神様!本当にあんたは見る目がないね!どうして三智子なんて薄情な死に損ないを、うちに寄越したんだい!生きている間は親孝行もせず、一人で隠れていい思いをしやがって。死んでからも家族を苦しめるなんて、この恩知らずが……」口を突いて出るのは罵詈雑言の嵐で、まるで三智子が実の娘ではなく、不倶戴天の敵であるかのようだった。素羽はその光景を、冷めた目で見つめていた。三智子を知る者であれば、知性的で優雅だった彼女と、この下品で行儀の悪い婦人が親子だとは、とても信じられないだろう。素羽は暗い眼差しを向けたまま、静かに思索に沈んでいく。同じ頃、少し離れた場所には一台の車が停まっていた。司野は車内から、素羽と清人が並んで出てくるのを、そしてそのまま二人で車に乗り込むのを、外に出ることなく静かに見守っていた。運転席の岩治は、いつ暴走するか分からない司野に全神経を張り詰めていた。再び血塗れの彼を担いで病院へ駆け込むなど、もう御免だった。幸いにも、司野は動かなかった。素羽たちの車が去った後も、司野はその場を離れようとしなかった。ふと、何もしたくないという無力感が、彼を包み込む。三智子の件については、岩治が様子を探りに行っていた。戻ってきた岩治は、三智子の死と、その身勝手な家族の様子を一通り報告した。彼もまた三智子とは面識があった。最初に手配をしたのが彼だったからだ。あのような両親がいるとは、素羽と同じく、どうしても信じがたかった。彼女の言動は、とてもあの家庭で育った者のそれとは思えなかったからだ。報告を終えてから半刻が過ぎても、司野はどこか上の空のままだった。岩治は振り返り、問いかける。「社長、これからどうなさいますか」司野の指先では煙草が燃えていた。再び吸い始めている――しかも、以前よりも遥かに激しく。彼は虚ろな声でぽつりと漏らした。「……なぜ素羽は、俺を呼んでくれないんだ」岩治は一瞬、言葉に詰まった。「はい?」「……俺のことは、もう信じていないのか」ようやく、司野が何を言っているのか理解する。相手が社長でなければ、白目を剥いてやりたいとこ
「三智子が亡くなりました」その知らせを耳にした瞬間、素羽の身体は凍りつき、瞳に驚愕の色が走った。あの人が、死んだ――?それは予想外でありながら、どこか腑に落ちる結末でもあった。根こそぎ断ち切る。いかにも美宜がやりそうなやり口だ。だが素羽は、彼女の冷酷さを甘く見ていた。人の命を奪うことさえ、これほど平然とやってのけるとは。素羽は低く問いかけた。「……どうやって見つかったんですか」道理からすれば、美宜が人を殺したのなら、死体は遺棄され、証拠は徹底的に隠滅されるはずだ。これほど早く発見されるのは不自然だった。清人は、知っている限りの経緯を包み隠さず語った。それは美宜の運が悪かったのか、それとも三智子の運が良かったのか。三智子は石を括りつけられ、海に沈められていた。本来なら、二度と陽の目を見ることはなかったはずだ。だが不運にも、いや幸運にも、石を縛っていた縄が何らかの理由で切れ、遺体が海面へと浮上した。そこを海釣りに来ていた者が発見し、通報したのだという。素羽は警察署へ赴き、事実を確認した。三智子の遺体とも対面したが、死因は鋭利な刃物による外傷だった。海水に浸かり、変形してしまった遺体を前にしても、素羽の穏やかな表情に大きな動揺はなかった。ただ、どのような感情で彼女の死を受け止めるべきか――それが分からなかった。三智子がどのようにして美宜と知り合ったのか。なぜ彼女が美宜に加担し、自分にあのような仕打ちをしたのか。取引だったのか、それとも恨みがあったのか。しかし、三智子との間に確執があった覚えは一切ない。恨まれる理由も思い当たらず、美宜と結託してまで自分を陥れる動機が見当たらなかった。最も可能性が高いのは、二人の間で何らかの密約が交わされていたということだろう。本来なら本人を見つけ出し、真相を問い詰めるつもりだった。だが、三智子の死によって、その手がかりは完全に断たれてしまった。警察官が言った。「真犯人は現在追跡中です。新たな情報が入り次第、すぐにご連絡します」素羽はすでに、美宜が主犯である可能性を警察に伝えていた。警察も彼女を取り調べたが、美宜は事件当時、病院にいたという完璧な記録を提示してみせた。確たる証拠がない以上、警察も即座に逮捕することはできない。すべては
かねてより琴子は、事の真相を問い質そうと考えていた。だが、司野が頑なに口を割ろうとしないため、彼女はその矛先を岩治へと向けた。「あの子が話さないというのなら、あなたが言いなさい」岩治はちらりと司野を窺ったが、彼もまた真実を死守すべく、固く心を閉ざすことに決めていた。「……存じ上げません」もし琴子が、自分の嫁――いや、元嫁が息子を二度も刺し殺そうとしたなどと知れば、あの過保護な性格だ。間違いなく素羽のもとへ乗り込み、さらなる波風を立てるに違いない。もともとこちらに非があるのだ。これ以上、不毛な火種を増やすわけにはいかなかった。琴子が目を剥いて威圧しても、岩治は徹底してしらを切り通した。司野が語らぬ以上、自分もまた、たとえ死んでも口外はすまい。琴子を呼んだのは、あくまで司野を看病してもらうためであり、自分を監視させるためではないのだ。岩治は適当な口実を設けると、逃げるようにその場を後にした。「社長、会社で急ぎ処理すべき件がございますので、これにて失礼いたします。奥様、病院の方はよろしくお願いいたします」そう言い残し、岩治は足早に去っていった。ベッドの傍らに座る琴子の顔にも、隠しようのない窶れが色濃く滲んでいた。「……言わなくても分かるわ。どうせ素羽が絡んでいるのでしょう」孫を失ったと知らされてからというもの、琴子もまた満足に休息を取れずにいた。ようやく眠りに落ちても、夢の中では色白でふっくらとした赤ん坊が「おばあちゃん、おばあちゃん」と呼びながら駆け寄ってくるのだ。愛おしさに両腕を広げて抱きしめようとすると、そこにあるはずの柔らかで甘い香りのする赤ん坊の姿は消え、腕の中には正体も知れぬ血塗れの肉塊が横たわっている。そのあまりの恐ろしさに、琴子はいつも飛び起きるのだった。そのたびに激しい動悸に襲われ、夜通し眠れなくなる。この数日間についた溜息の数は、これまでの半生を合わせたよりも多いのではないかとさえ思えた。――どうして、こんなことになってしまったのか。司野は母の言葉を聞いても、やはり重苦しい沈黙を貫いたままだった。琴子は、息子を諭しにここへ来たわけではなかった。幸雄でさえ成し得なかったことを、自分がどうこうできるはずもない。彼女にとっての最優先事項は、ただ息子の体を回復させること、そ
司野の貌には、筆舌に尽くしがたいほどの落胆が色濃く滲んでいた。対照的に、清人の表情には、抑えきれないほどの歓喜が溢れ出している。素羽は清人の手を引くようにして、病室へ戻ろうとした。その背中に向けて、司野は掠れた声を振り絞る。「……素羽」しかし、素羽は一顧だにすることなく、病室のドアを冷淡に閉ざした。まるで彼という存在を、外の世界へと完全に切り捨てるかのように。司野が名を呼ぶ声は止まなかったが、室内の二人はそれを背景の雑音であるかのように聞き流した。その時、戸外で「ドサッ」という重量感のある鈍い音が響き、何かが床に崩れ落ちる気配がした。それでもなお、病室の中には何の反応もなかった。岩治は床に頽れた司野に駆け寄り、その腹部から滲み出す鮮血を見て、愕然として頭を抱えた。また傷口が裂けたのか……この傷は、一生完治しないのではないか?岩治は祈るような思いでドアを叩き、司野の代わりに叫んだ。「奥様、社長が……血が止まりません!」その悲痛な叫びがようやく功を奏し、素羽の応答が返ってきた。しかし、その氷のように冷徹な言葉は、沈黙よりもなお深く司野を打ちのめすものだった。「死んだのなら葬儀社へ、生きているのなら速やかにお引き取りなさい」「……」岩治は言葉を失った。素羽は、完全に決別を選んだのだ。それも道理だろう。素羽の立場に置かれれば、誰であっても同じ態度を取ったに違いない。司野の顔からは、瞬く間に血の気が失せ、死人のような蒼白に染まった。「……社長、行きましょう」岩治は力を込め、司野を強引に抱え上げた。たとえ素羽が見捨てようとも、自分まで彼を見殺しにすることはできない。これほど傷口の破裂を繰り返せば、感染症を併発し、命取りになりかねない。わずかな時間のうちに、司野の衣服は赤黒く染まっていた。岩治は主人の抗弁を許さず、力ずくで医者の元へと連れて行った。司野はなおも抗おうとしたが、衰弱しきった今の体では、岩治の腕から逃れる術はなかった。「……放せ」司野が弱々しく命じるが、岩治は必死に彼を支えたまま、それを聞き流した。「社長、たとえ哀れみを誘って同情を買いたいのだとしても、命を削りすぎです」自分がどれだけ出血しているか分かっているのか。それとも、己の体が不死身だとでも過信しているのか。
美宜の表情は険しさを帯び、布団の下で密かに拳を握りしめた。――司野さん、何かに気づいたの?まさか。後始末は完璧にこなしたはずだわ。病院の階下、停車した車内。岩治はバックミラー越しに司野の様子を伺い、静かに問いかけた。「社長、やはり美宜さんの仕業だと思われますか」もし本当に彼女の差し金だとしたら、自分は彼女をひどく甘く見ていたことになる。以前は「冴えない女」だと侮っていたが、もしこれが事実なら、「冴えない」どころか「底の知れない」恐ろしい女だ。司野は答えなかった。指に挟まれた煙草が音もなく燃え進み、火種が暗闇の中で赤々と明滅する。車内には、重苦しいニコチンの匂いが充満していた。「あいつをしっかり監視しろ。三智子の方も、引き続き捜索を続けろ」岩治は短く頷き、承諾した。顔色の優れない司野を再び盗み見て、彼は言葉を添えた。「社長、病院へお送りしましょうか」だが、司野はその申し出を拒絶した。「……素羽のところへ連れて行け」岩治は心の中で、「今このタイミングで行けば、火に油を注ぎに行くようなものだ」と危惧したが、自分の進言が聞き入れられないこともまた、痛いほど分かっていた。素羽はまだ、眠りから覚めていなかった。精神的にも肉体的にも、彼女は限界まで擦り切れていた。楓華は処理すべき急件があり、一時的に席を外している。今、静まり返った病室を守っているのは清人だった。清人は、現れた司野を冷淡に門前払いした。司野は目の前の男を鋭く睨みつけ、低く沈んだ声で威圧した。「……どけ」しかし、清人は微塵も退く気配を見せず、司野の前に立ちはだかって釘を刺した。「須藤さん。あなたが見舞うべきは翁坂さんであって、『元妻』ではないはずですよ」「元妻」という二文字に、彼は残酷なまでの力を込めた。司野の瞳に、瞬時にして殺気が宿る。「……失せろ。俺たちのことに口出しするな!」吐き捨てるなり、彼は力任せに清人を突き飛ばそうとした。その刹那、清人の拳が司野の腹部を鋭く貫いた。司野の顔が苦悶に歪み、呻きとともにその体が折れ曲がる。彼はたまらず二、三歩後退した。清人の端正な顔は、今や冷徹な怒りに支配されていた。彼は司野を真っ直ぐに射抜き、言葉を叩きつけた。「よくもまあ、どの面を下げて素羽の前に現れたものですね」先日の芳枝
降り続いた雨は夜のうちに上がり、翌朝は抜けるような晴天が広がっていた。潮の香が濃く漂う寂れた漁村に、再び男たちの一団が姿を現した。見慣れぬ風貌の彼らは、司野が放った追手であった。男たちは三智子が潜伏していたあばら屋へと辿り着き、錆びついた扉を荒々しく押し開ける。だが、一歩及ばなかった。部屋の中は既にもぬけの殻であり、主を失った空間だけが残されていた。男たちは疾風のごとくその場を去り、三智子が失踪したという凶報は直ちに司野のもとへと届けられた。その頃、司野は病室のベッドに横たわり、激しく咽び返っていた。高熱に浮かされた顔は、咳き込むたびに赤みを増していく。墓地を後にしてからというもの、彼は熾烈な熱に冒されていた。ここ数日の心身を削るような出来事に加え、刃物で数箇所を刺されたその体は、いかに鋼の精神を宿していようとも限界に達していた。司野は荒い呼吸をどうにか整えると、深淵のような光を湛えた瞳を傍らに向けた。「……着替えを用意しろ」岩治は命じられるままに動いた。司野は拘束具のような病衣を脱ぎ捨て、背を向けるようにして病院を後にした。司野が向かった先は、美宜の病室であった。素羽の放ったナイフは美宜の命までを奪うには至らなかったが、深手を負ったことに変わりはない。彼女もまた、同じ病院で療養の身にあった。司野が姿を見せた時、彼女はちょうど患部に薬を塗り終えたところだった。彼の姿を認めるなり、美宜の瞳には歓喜の光が宿り、口角を上げて愛おしげに呼びかけた。「司野さん」だが、すぐさま何かに気づいたように、その笑みは案じるような曇り顔へと移ろった。「お怪我は大丈夫なの?私のところへなんて来なくていいのに……私はもう平気よ。それより、あなたの方が傷が深いんだから。勝手に歩き回ったりしては駄目じゃない」司野は彼女の案じる声を一蹴し、沈痛な眼差しで、瞬きもせず美宜を凝視した。射抜くような視線に晒され続けるうちに、美宜の頬に浮かんでいた笑みは次第に引き攣り、困惑を隠せぬ様子で問いかけた。「司野さん、どうしてそんな風に私を見るの?今の私、そんなに酷い顔をしているかしら」司野の声には抑揚がなく、凪いだ表情からは喜怒の判別さえつかなかった。「……お前か」美宜の動きが一瞬、止まった。「……何が?」司野は飾りのな
司野は途中で行為を止めたが、素羽は少しも驚かなかった。すべて予想通りだったのだ。素羽は背を向け、そのまま布団に身を沈め、体を丸めた。翌日、浴室の鏡の前で。一夜明けても、司野が残したキス痕は薄れるどころか、むしろ色を濃くしていた。素羽はコンシーラーでそれらを丁寧に隠し、そのまま出勤した。会社に着くやいなや、亜綺が自ら近づいてきて声をかけてきた。「あなたもトライアンフのコンテストに申し込んだって聞いたんだけど?」この「も」という一言が、妙に引っかかる。ということは、亜綺自身も参加しているということだろうか。そう考えた瞬間、その推測はすぐに裏づけられた。亜綺は顎をわずかに上げ
楓華は、わざと司野を不快にさせるつもりなのだろう。相手を睨みつけ、挑発するように言い放った。「素羽、あなたが自由になったら、本物の男ってものがどんなものか見せてあげるわ」司野の顔は墨を流したように沈み込み、素羽をじっと見据えたまま低く言った。「来い。俺と家に帰るぞ」楓華は素羽の手を引き、「素羽、もう行こう」と促した。司野は喉を震わせるような声で、「素羽!」と呼び止める。素羽は一瞬だけ足を止めたが、振り返ることはなかった。司野は追いかけようと一歩踏み出し、彼女の腕を引き戻そうとする。そのとき、美宜は彼の目に宿った露骨な独占欲に気づき、瞳を揺らして眉間にしわを寄せた。
二人の会話は、まるで袋小路に迷い込んだかのように行き場を失い、その中でただ堂々巡りを続けていた。素羽は言った。「あなたと美宜がホテルで密会していた写真、持ってるわ。須藤家に影響が出るのを恐れないなら、とことんやりましょうよ」司野は相変わらず淡々とした表情のまま、まるで素羽の言動そのものが滑稽であるかのように彼女を見ていた。その反応のなさを目にし、素羽は心の中で密かに嘲笑する。まさか、自分が証拠を手に入れられないと、そこまで確信しているの?素羽は司野の目の前でスマートフォンを操作し、彼と美宜が写った写真を突きつけた。視線が画面に落ちた瞬間、司野の淡々とした表情に初めて揺ら
場の空気というのは不思議なもので、二人が並んで立つだけで、誰と誰の気が合わないのかが自然と伝わってくる。楓華は亜綺に対して、心の底から良い印象を抱けなかった。美宜と親しげにしている人間が、まともな人物であるはずがない。美宜の頬に残る平手打ちの跡を見た瞬間、亜綺は大げさに声を上げた。「美宜、その顔……誰に殴られたの?素羽、あんたでしょ!」楓華は軽くあしらうように、皮肉をたっぷり込めて言った。「どこの猿が、こんな場所で騒いでいるのかしら」亜綺は怒りに満ちた目で睨みつけ、声を荒らげる。「誰を猿だって言ったの?」楓華は口角を吊り上げ、冷ややかに応じた。「返事をした人







