تسجيل الدخول時間は、そのまま生存の可能性を意味していた。引き揚げに時間がかかればかかるほど、生還の望みは薄れていく。救急車の運転手も医療スタッフも全員救助され、病院へ同行していた警察官までもが無事に岸へ上がった。それなのに――素羽だけが、ただ素羽だけが、生きた姿も、遺体すらも見つからなかった。痕跡は何一つ残されていなかった。最初のうちは、司野も岩治の説得にどうにか耳を傾けていた。だが時間が経つにつれ、彼はまるで追い詰められた猛獣のようになり、誰が何を言おうと、どれだけなだめようと、一切耳を貸さなくなっていった。誰もが心のどこかで理解していた。素羽が生きている可能性は限りなく低く、この状況を楽観視できる者など誰一人いない。ただ一人、司野だけがその現実を認めようとしなかった。認められないからこそ激しく取り乱し、自ら川へ飛び込んで捜索しようと必死にもがいていた。こんな状態の彼を、岩治が川へ向かわせられるはずがない。素羽が見つからないどころか、司野まで命を落としてしまいかねなかった。しかし、司野の凄まじい力を前に、岩治一人ではもう抑えきれなかった。最後は、幸雄が手配した者たちによって強引に取り押さえられ、その場で気絶させられて運び去られた。幸雄は杖を突きながら、崩れ落ちたガードレールのそばに立っていた。風が吹き荒れる中、底知れぬ闇をたたえた川面をじっと見つめるその瞳は、ひどく濁り、何を考えているのか読み取れなかった。やがて彼は静かに命じる。「素羽の葬儀は、盛大に執り行え」その言葉に、岩治は息を呑んだ。胸の奥が重く塞がる。これで、すべてが終わったというのか。まだ引き揚げられていない。だから、死んだと決まったわけではない――そう言いたかった。だが、その言葉は結局、喉の奥で飲み込むしかなかった。本当は、自分でも分かっていたからだ。素羽の結末は、もう決まってしまったも同然だと。今日この日をもって、この世から「素羽」という人間は消えたのだ。岩治の胸には、言葉では言い尽くせない苦しみが渦巻いていた。何年も顔を合わせてきた人が、どうしてこんなにもあっけなく、この世から消えてしまうのだろう。悔しさもある。やるせなさもある。だが何よりも、素羽という一人の女性の運命が悲しくて
阪田高速道路。司野が現場に到着した頃には、まだ夜明け前だというのに、そこは幾重にも人だかりができていた。投光器のまばゆい光が高速道路を照らしている。それなのに司野の目には、世界のすべてが漆黒の闇に沈んでいるようにしか映らなかった。前方の道さえ見失うほどの、深い闇だった。司野は行く手を阻む野次馬たちを乱暴にかき分けながら、一歩、また一歩と事故現場へ向かっていく。「どけ……!全員、どけ!」突き飛ばされた人々は文句を言おうと口を開きかけたが、魂が抜け落ちたように取り乱した司野の様子を目の当たりにすると、誰もが言葉を失い、自ら道を譲った。崩れ落ちたガードレールへ近づこうとしたその時、現場を規制していた警察官が彼の前に立ちはだかった。「下がってください。ここは立入禁止です」「どけと言ってるだろう!」司野は警察官など眼中になく、その身体を突き飛ばして強引に中へ入ろうとした。警察官が取り押さえようとした、その瞬間――「社長、落ち着いてください!」岩治が慌てて駆けつけた。彼は司野を必死になだめながら、警察官に自分たちの身分を説明する。厳しい表情だった警察官も司野の身元を知ると多少態度を和らげたが、それでも目を離さず、救助活動の妨げにならないよう岩治へ厳しく念を押した。岩治は何度も頭を下げ、必ず目を離さないと約束した。だが、その約束に意味はなかった。司野の耳には何一つ届いていなかった。今の彼の頭にあるのは、ただ一つ。――素羽が川へ落ちた。俺が助けなければ。岩治は、暴れ狂う猛牛のような司野をもう止めきれなかった。パンッ――!乾いた平手打ちの音が、静まり返った夜気を鋭く切り裂いた。司野の顔が横へ弾かれる。岩治は痺れるような痛みが残る掌をぎゅっと握り締め、喉を鳴らしながら唾を飲み込んだ。司野はゆっくりと首を巡らせ、岩治を見据えた。その漆黒の瞳には、思わず背筋が凍るほどの凄まじい光が宿っていた。岩治はその眼差しに思わず身をすくませた。それでも背筋を伸ばし、必死に平静を装いながら訴える。「社長、救助隊が今も引き揚げ作業を続けています。今飛び込めば救助の邪魔になるだけです。それでは素羽さんの救出が遅れてしまいます。どうか落ち着いてください。彼女はきっと無事です」岩治は司野より先
夜明け前、静まり返っていた拘置所が、突如として騒然となった。奥の独房の扉が勢いよく開かれ、ほどなくして、顔面蒼白の素羽が担架で運び出され、そのまま救急車へと搬送された。サイレンが拘置所の外に鳴り響き、夜の静寂を切り裂くように鼓膜を打ち震わせる。深夜の景苑。司野は悪夢にうなされ、飛び起きた。秋の冷え切った空気とは裏腹に、背中は冷や汗でぐっしょりと濡れていた。ベッドサイドに置いてあった煙草とライターを手探りで掴み、火をつける。肺へ流し込んだニコチンが、悪夢で乱れた鼓動を少しずつ鎮めていった。司野はヘッドボードにもたれかかり、虚空へと視線を向ける。指先に挟んだ煙草の火だけが、暗闇の中でかすかに明滅していた。どんな夢を見たのかは思い出せない。ただ、夢の中で味わった恐怖と不安だけが、胸にまとわりついて離れなかった。今もなお、鼓動が異様なほど速いことを、自分でもはっきりと感じていた。一本吸い終える頃になって、ようやく胸のざわつきが少しだけ和らいだ。静まり返った寝室に、不意にスマートフォンの着信音が鳴り響く。その甲高い音に、心臓が大きく跳ねた。画面に表示された名前を見た司野は、わずかに眉をひそめる。何もなければ、岩治がこんな深夜に電話をかけてくるはずがない。通話ボタンを押した瞬間、受話器の向こうから切迫した岩治の声が飛び込んできた。「社長、大変です。拘置所から連絡が入りました。素羽さんが突発性の心筋梗塞を起こし、病院へ搬送されたそうです」吸い殻を灰皿へ押しつけようとしていた司野の手が、ぴくりと止まる。赤く燃えた灰が手の甲へ落ちたが、熱さなどまるで感じなかった。全身が硬直し、頭の中が真っ白になる。数秒遅れて、ようやく喉の奥からかすれた声が漏れた。「……なんだと」岩治は焦ったように繰り返す。「素羽さんが心筋梗塞で病院へ運ばれました」煙草を挟んでいた司野の指に力がこもる。まだ火のついた吸い殻を、そのまま掌の中で握り潰した。岩治が悪趣味な冗談を言っているのではないか――そんな考えが一瞬頭をよぎる。昼間に会った時、素羽はあれほど普通だった。心筋梗塞など起こすはずがない。だが同時に、岩治がこんなことで冗談を口にする男ではないことも、司野はよく知っていた。荒く息を吐き出し、低い声で尋ねる
それを見た瞬間、素羽の無表情だった顔に、ほんのわずかな変化が走った。長いまつ毛がかすかに震え、彼女はゆっくりと視線を上げる。「さっさと食え。あとで食器を下げに来る」――早く読め。そんな無言の合図だった。看守が立ち去るのを確認すると、素羽はしゃがみ込み、床に落ちていたメモを拾い上げた。食事を手に取ったものの、口をつけることはせず、先にメモを開く。密かに手紙を寄こした相手は、なんと――幸雄だった。静かな瞳に、わずかな波紋が広がる。やはり幸雄も琴子と同じ考えだった。素羽を、この場所から遠ざけようとしている。本当に、誰も彼も見事なくらい同じ結論にたどり着くものだ。メモをしまい込むと、素羽の表情は再び何事もなかったかのような冷たさを取り戻し、味気ない夕食を機械のように口へ運び始めた。志乃との交渉を終えた司野は、逸る気持ちを抑えきれず、その足で素羽のもとへ向かった。「夕飯は食べたか?傷の手当はちゃんとしたか?」どれだけ気遣う言葉を並べられても、素羽の心は一切動かなかった。むしろ煩わしいだけで、その感情は隠すことなく表情に表れていた。その露骨な拒絶に司野は胸を痛めたが、すぐに気持ちを立て直す。嫌われるのも当然だ。彼女の心を、ここまで傷つけたのは他ならぬ自分なのだから。司野は机の上に置かれた彼女の手へ、そっと手を伸ばした。しかし、指先が触れる寸前、素羽は素早く手を引き、彼を避けた。宙をさまよう自分の手を見つめ、司野の表情に影が差す。それでも無理に笑みを作り、静かに言った。「もう少しだけ我慢してくれ。すぐにここから出してやる」素羽は淡々とした口調のまま問い返す。「用件は、それだけ?」「素羽。言ったはずだ。これからは俺がお前を守るって」もう二度と、あんな悪夢のような出来事は繰り返させない。だが、司野の必死な想いにも、素羽は何の興味も示さなかった。そのまま静かに立ち上がると、一度も振り返ることなく面会室を後にする。司野は去っていくその背中を見つめながら声をかけた。「素羽。明日、迎えに来る。待っていてくれ」返ってきたのは、一度も振り返ることのない冷たい背中だけだった。拘置所の外。岩治が車のドアを開け、司野は身をかがめて車内へ乗り込んだ。煙草に火をつけると、
表向き、志乃には子どもはおらず、わが子のように可愛がっている甥が一人いるだけだった。だが、その裏では――彼女には実の息子が一人いた。しかも、その子は代理母出産によって授かった息子だった。成彦には生殖能力がなく、当然、自分の妻が子どもを産むことなど認めるはずがなかった。かつて成彦という強大な後ろ盾を得るため、志乃は自らにあまりにも残酷な決断を下した。彼への覚悟を示すため、自分の卵巣を摘出したのである。そして、自ら二度と子どもを産めないという事実を利用し、兄から資金援助を引き出して自分の道を切り開き、高官の妻という地位を手に入れたのだ。一方で黄瀬家も、その立場を利用して裏金の資金洗浄を進め、成彦の庇護のもとで事業をさらに拡大させていった。生殖能力を失った妹に対し、兄も惜しみなく力を貸した。何しろ、自分の息子こそが志乃にとって唯一の血縁となり、いずれ彼女の築いた財産はすべてその子のものになるはずだったからだ。司野は薄く笑みを浮かべたまま、冷ややかに言った。「もし、あんたの夫や兄が、あんたの息子に黄瀬家の財産と渡辺家の権力を継がせようとしていたことを知ったら……どうなると思う?」志乃は不妊手術を受ける前にあらかじめ卵子を採取し、頃合いを見計らって海外で代理母出産を行っていた。その息子も今では十八歳になっている。彼女はこの事実を徹底的に隠し続けてきた。そして、その秘密を掘り起こすために、司野もまた膨大な時間と労力を費やしていた。志乃の表情が険しく曇る。このことを成彦に知られれば、離婚されるのは間違いない。仮に離婚までは至らなくとも、彼から強く警戒されることは避けられないだろう。成彦には子どもはいないが、弟には息子がいる。自分の築いた権力を託すなら、当然、自分の血筋だ。よその血を引く子どもに継がせるはずがない。黄瀬家についても同じだった。志乃は利行を実の息子同然に可愛がってきたが、甘やかされて堕落した甥など、自分の実の息子と比べれば取るに足らない存在だった。もちろん、兄に対して何度も「利行をきちんと教育しろ」と忠告してきた。しかし兄夫婦は、そのたびに口先だけで頷くだけだった。機会は何度も与えた。それを無駄にしたのは兄夫婦自身なのだ。会社というものは、有能な人間が継いでこそ発展する。利行のような放蕩息子に
いったい、なぜ急に別人のようになってしまったのか。肺に吸い込んだニコチンは、以前のように昂ぶる感情を鎮めてはくれなかった。それどころか、司野の苛立ちをさらに募らせるばかりだった。「もう二度と、あいつを二番目の選択肢にはしたくない」この苛立ちの正体が何なのか、司野自身が一番よく分かっていた。すべては罪悪感だった。素羽に対する後ろめたさだ。夫としての責任も果たせず、父親としての覚悟も足りなかった。彼女たち母子が味わった苦しみも、耐えてきた痛みも、すべては自分の怠慢が招いた結果だった。自分の過ちであり、自分が背負うべき罪だった。幸雄からの一本の電話は、司野を思いとどまらせるどころか、かえって彼の決意をさらに揺るぎないものにした。司野は志乃に会いに行った。だが、会う気がないのは志乃の方だった。拒絶されても、司野は少しも驚かなかった。彼は一つの封筒を取り出すと、玄関前に立つ見張りの男へ手渡し、それを志乃に届けるよう命じた。事件が起きてからというもの、司野も何も手を打っていなかったわけではない。利行の身辺についても、すでに調べを進めていた。退廃した生活を送る人間の身についた汚れは、少し探ればすぐにボロが出る。いくら後始末を繰り返しても、利行が問題を起こす速さには追いつかず、必ずどこかに痕跡が残るものだった。利行は性的暴行だけにとどまらず、女性を弄んで死に追いやったこともあり、強姦をはじめ数え切れないほどの犯罪に手を染めていた。それだけではない。薬物にも手を出し、密輸や麻薬の売買にまで関与していたのだ。まさに歩く刑法典とでも呼ぶべき男で、一歩歩くたびに罪を重ねているような人間だった。男は中へ入ると、ほんの数分で戻ってきた。「こちらへどうぞ」この展開も、司野の予想どおりだった。司野は車を降りて中へ足を踏み入れた。その後に続こうとした岩治の前へ、ボディーガードが立ちはだかった。「お前は入れない」岩治は足を止め、司野へ視線を向けた。すると司野は振り返ることもなく言った。「ついて来い」その言葉は明らかに岩治へ向けたものだった。同時に、それは志乃への意思表示でもあった。自分は決して、彼女の思いどおりに動かされる人間ではない――そう告げていた。個室。司野







