Masuk「俺を裏切ったらどうなるか想像も出来ないのか。」
射殺すような視線で睨みつけてくる暁春の顔を直視出来ず、優希は青くなった顔をうつむかせる。 再会してからずっと優希が大事だと愛を語ってきた彼の口から、その彼女を馬鹿にしたような言葉を吐き出されたことに動揺していた。 「あいつと連絡を取り合うのは許さない。もしそんなことをしたら、あの男は二度と日の下を歩けないだろう。」 「そしてお前は…一生後悔することになる。」 そう吐き捨てると、暁春は背を向けてキッチンを出ていった。 着替えに行ったのだろう、足音は階段を登っていた。 暁春の足音が遠ざかると、優希の足の力が抜け、くずれるように床に座り込んだ。 彼女の顔は血の気が引いて真っ白く、手は見てわかるほど震えていた。手持ち無沙汰になった優希は、ベッドに座り新しい携帯を見る。 隆一から、来週末に時間があるかとのメッセージが来ていた。 すぐに大丈夫と打ち、少し迷った後に三滝家を訪問すると追加して送信した。 今はもう有美の実家だが、出発前に生まれ育った家をもう一度見たかったのだ。 隆一から帰ってきたOKのスタンプに、拒否されない嬉しさで優希の胸が温かくなった。 吐き気も落ち着いたため、その後は移住先の国の制度や暮らしについて調べ始める。 優希が行く国は、福祉制度が充実している北欧だ。 その国の言葉は高校と大学時代に授業を選択していたので、読み書きやリスニングは出来た。 しかし話すことは苦手だった。 そのため優希は看護師資格の勉強の他、スピーキングの勉強もしなければいけないが、目標を持って忙しくすることが嬉しかった。 夢中で動画サイトを見ながら壁に向かって話していると、スーツケースの上に置いた鞄から振動音がすることに気づく。 急いで手に取ると暁春からの電話で、優希は慌てて電話に出る。 「なぜ返事を返さない。」 暁春の声は不機嫌で、優希は新しい携帯に夢中になりすぎたと苦い顔になった。 「気持ち悪くて休んでたの。気づかなかったわ、ごめんね。」 「……体調は?」 不機嫌で素っ気ないが、気遣ってくれるのかと優希は意外に思った。 今は落ち着いていることを伝えると「そうか。」とだけ言
ぎこちない笑顔で玄関前の男に挨拶した優希だが、返事は無い。 「警護中は私語が禁止されているので、話しかけても雑談の返事は帰ってきません。」 「そうなの…。じゃあ…玄関を開けてもいいかしら?」 悟の言葉に戸惑いながらそう言うと、男は素早くカードキーをかざして扉を開けた。 「鍵は暗証番号や指紋認証はなくなり、カードキーのみとなります。」 それを聞いて優希は男に手を差し出して鍵を受け取ろうとするが、それも反応が無い。 「失くすと再発行手続きに時間がかかるため、奥様の鍵は失くさないようにボディガードがお持ちします。」 「私、鍵を失くしたことないわ!」 「無くしてからでは遅いので。」 思わず声を荒らげた優希にも動じず、悟は淡々と説明する。 暁春がそう指示をしたなら何を言っても覆ることはないと悟り、優希はため息をつくと無言で家に入った。 玄関扉が閉まると扉の外で悟が車に乗る音が聞こえ、その後エンジン音が遠くなってようやく優希は動き出す。 あの衝撃の夜に見たままの靴箱と、濃くなったように感じる甘い匂い。 匂いを嗅いだ瞬間、突然感じた吐き気に優希は急いでトイレに駆け込んだ。 美味しかった朝食を全部吐き出した優希は、青い顔でトイレから出ると洗面台の蛇口を捻る。 気持ち悪い口を濯ぐと、ふと洗面台に茶色の長い髪が付着していることに気づいた。 よく見ると床にも落ちている。 ゆっくり洗面所の中を見渡してみると、洗面台の上には使用済みのピンクの歯ブラシと見慣れないヘアオイル。 洗濯カゴには白いレースの下着が入っており、優希が不在の間、有美が生活していたことがわかる。 口の中に酸味を感じてもう一度トイレに戻った優希は、このままでは家の中を動けないと思い、厚手のタオルを鼻に当てなが
最終決定した下請け会社は、井竜家と昔から付き合いのある鳥居家となっている。 しかし昔は知らないが、現在の鳥居コーポレーションは井竜財閥の援助で持ちこたえているようなもので、井竜側にはなんのメリットもないのだ。 今回の下請け契約についても、鳥居社長の母親が老人と暁春に頼み込んで渋々決定したようなものだった。 「言った通りの仕事が出来ればそれでいい。もし井竜に損害を与える真似をしたら、その時は切り捨てる。」 淡々と言う暁春に悟はそれ以上何も言えず、自分のデスクに戻るとパソコンを開く。 その日の社長室と秘書室は遅くまで明かりが着いていた。 - 優希は朝8時頃に目を覚ました。 昨晩は布団をかける前に寝てしまったが、空調がしっかりしていたおかげで寒さを感じず、とても質のいい睡眠が取れた。 顔を洗いに洗面所に行くと、タオルの上に置かれた携帯に気づく。 そういえば有美からの通知が煩くてここに置いていたんだと思い出し、電源ボタンを押すも黒い画面のまま反応が無い。 鳴り止まない通知に、とうとう電池が切れたようである。 一応暁春からの連絡をまだ無視することが出来ないので、充電コードに差し込んでおく。 昨日の夕食は起きたばかりだからとお粥だけだったが、朝食からは前回と同じように選択できると聞いている。 優希は鳴り響くお腹の音に1人笑いながら、退院の準備をしていった。 悟は11時に迎えに来た。 確実に暁春と有美のことを知っていただろう悟に、優希はどう接したらいいか分からず表情が固くなる。 しか
ベッドに戻ると、置いていた携帯の画面が光っており、見ると老夫人と和珠から返事が来ていた。 それにスタンプで返事を返した優希は、隆一のアイコンの横にも通知マークが着いていることに気づく。 受取拒否の郵便物を思い出して震える指でタップすると"良かった。"とだけの返信が目に入った。 拒絶じゃなくて良かったという安堵感と、短い返信に寂しく思う気持ちが混ざり、優希の表情は複雑なものになる。 しかし優希が返信するスタンプを選んでいると、隆一から再びメッセージが来た。 "都合が良ければ、会ってゆっくり話がしたい。" その文に優希は思わず両手で携帯を持ち直す。 何度も読み返して読み間違いじゃないことを確認すると、興奮で震える指で了承の返事を送った。 (赤ちゃんたち、出発前におじいちゃんに挨拶できるよ。) ベッドに横になるとお腹に両手を当て、小さな我が子に話しかける。 遠足前の子供の気分で胸は弾み、優希は嬉しさを噛み締めるように目を閉じた。 何を話そうか、どこから話そうかと考えているうちに優希の思考はぼやけ出し、休息を欲していた体はすぐに動かなくなっていった。 センサーが寝息を感知すると、部屋の電気は自動で暗くなり、空調は睡眠に快適な湿度や温度を作り出していく。 いい夢を見ているのか、眠り姫のように静かに眠る優希の口元には、時折小さな笑みが広がった。 -
熱いシャワーが頭皮を流れる気持ちよさに、優希は肺の中の淀んだ空気を全て吐き出した。 全身を洗い、しばらくシャワーのお湯を満喫した後、優希はようやく浴室から出て着替える。 爽やかなボディソープの匂いが気分を良くしてくれ、スキンケアも普段より丁寧になる。 部屋に戻り、清潔なシーツに交換されたベッドに横になると、優希の全身の力が抜けた。 目覚めてからまだ半日。 ずっと起きて動いていたのだから、体は既に疲れていた。 しかし疲れた体とは裏腹に頭は冴え渡っており、優希は眠気を感じなかった。 優希は体を起こすと、スーツケースに置かれた2つの携帯を手に取ってベッドボードに寄りかかる。 先ほど和珠から渡された新しい携帯の電源を入れ、暗証番号を入力した。 明るくなったホーム画面には、メッセージと通話、アドレス帳のアプリのアイコンがだけ表示されている。 アドレス帳を開くと、老夫人と和珠の他、嬉しいことに隆一と将生の連絡先も登録されていた。 優希は少し迷った後、最初に将生の名前をタップしてメッセージ画面を開く。 和珠は命に別状はないと言っていたが、どれだけ酷いのか、後遺症は残るのか、優希は祈る気持ちで"良くなるのを願っています。"と送った。 次に老夫人と和珠にそれぞれお礼のメッセージを送り、そして最後に隆一のメッセージ画面を開く。 老夫人の話を聞いて、この勢いで何かメッセージを送ろ
「ゆうちゃん、国際電話でお家に電話したでしょう?その電話を切った後に、お父さんすぐ私に連絡してきて着信番号を伝えてきたの。あなたを探せないかって。」 「え…でも…。」 想像もしていなかった話に、優希は当時のことを思い出す。 親子の縁は無いと冷たく言って電話を切られたのだ。 そんな自分を探すなんて…。 優希が戸惑いの声をあげると、老夫人は首を振って遮る。 「お父さんの心境は詳しく知らないわ。でも私がゆうちゃんに電話をしたことを知ると、あなたが産まれた時から貯めていたお金だって言って通帳とキャッシュカードを渡してきたの。私からのお金ということにしてって。」 「だから、毎月送っていたお金も進学費用も、結婚祝いも全部ゆうちゃんのお父さんがゆうちゃんのために用意したお金だったの。」 「毎回ゆうちゃんと電話した後、そわそわと私に連絡してきてたのよ。どうですか?って。彼氏が出来たみたいって言った時は複雑そうな声だったわ。」 老夫人が話す内容に優希は呆然とし、ただ一言「どうして…。」とだけ言った。 「父親だからって言ってたわ。」 酷いことを言ってばかりだった自分を、最後まで父親として支えてくれていたのだと知り、優希の目に涙が浮かぶ。 「ね、だから最後にゆっくり話してごらんなさい。ずっと昔から、お父さんはゆうちゃんのことを気にしてたわ。何を思って、何を経験して大きくなっ







