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第8話

Author: ひとつの甜菜
「いいわ」

彼女が待ち望んでいたのは、この一言だった。自分が死んだあとも、真也が健康で、幸せに、生き続けてくれること。それだけが望みだった。

真也は俯き、美玲に静かに言った。「美玲、ここで少し待っててくれ。すぐ戻るから」

そして厳かに約束を口にした。「戻ってきたら、俺の心には君だけしかいない。愛するのも、君だけだ」

美玲はその言葉の真剣さを感じ、涙ぐんで頷いた。

「待ってるわ」

真也は晴香を連れて、神原市で一番大きなお菓子屋へと車を走らせた。

「店にある飴を、全部出してくれ」

店員は思わず目を見張り、不安げに問い返す。「お客様……全部でよろしいんですか?」

真也はブラックカードを取り出し、無造作にカウンターへ放った。「そうだ、全部だ」

ほどなくして、倉庫から大袋に詰められた飴が次々と運び出され、二人の前に山のように積み上げられた。

真也はその一袋を抱え、晴香の前で開けた。

「晴香。七歳のとき、お前は俺に一粒の飴をくれた。その瞬間、俺の心はお前に奪われた。今、その心を取り戻すために、千倍、万倍の飴で返そう」

晴香の爪が掌に食い込み、血がにじんだ。押し殺すように声を絞り出す。「……いいわ、真也。これで、私たちももう貸し借りなしね」

「そうだ。これで帳消しだ」

真也はそれ以上彼女を見ようとはせず、きっぱりと背を向けて歩き去った。

その背中が人混みに完全に消えるまで、晴香は目を逸らせなかった。

彼女はしゃがみ込み、袋を破っては飴を口へと押し込んでいった。喉が詰まり、吐き戻すまでやめなかった。

そして地面にうずくまり、声をあげて泣いた。これまでの屈辱も、痛みも、抑えていた真也への想いも、すべてを涙で吐き出すように。

やがて彼女は店員に声をかけ、残りの飴を神原市の孤児院の子どもたちに届けてほしいとお願いした。

翌日。晴香は航空券を手にした。向かう先は、自分で予約しておいた葬儀の場所――南仏プロヴァンス。

選んだのは自然葬。死後、遺灰をラベンダー畑に撒いてほしいと願っていた。

飛行機に乗り込む直前、大画面のニュースに目が吸い寄せられる。

画面に映るのは、事故で無残に潰れた車――それは真也の車だった。

晴香の頭は真っ白になった。次の瞬間には病院へ駆け出していた。

走りながら、彼女は何度も真也に電話をかけた。けれど、応答はなかった。

心の中で神に必死に祈る。――どうか彼が無事でありますように。自分の命などすべて差し出します。

病院にたどり着くと、康太が険しい顔で美玲に告げた。「患者は手術の末、一命は取り留めました。ただ……両目が強い衝撃を受け、角膜が深刻に損傷しています。目覚めても、視力は失われるでしょう」

美玲は衝撃で立ちすくみ、両手で康太の腕を握りしめ必死に訴えた。

「先生、お願いです……どうか彼の目を治してください!彼にとって視力は本当に大事なんです。失明なんて、そんなの……」

康太は静かに首を振った。「治すには角膜移植しかありません。しかし、いま病院に提供者はおりません」

「私が提供します!」

晴香が飛び出し、康太の前で叫んだ。「私の角膜を……今すぐ手術してください!」

康太は眉をひそめる。「晴香さん、角膜は生体からの移植はできません」

晴香は焦りをにじませ、必死に訴えた。「先生も、わかっているでしょう……私、もう残された日が少ないんです」

「たとえ余命わずかであっても、生きている人間から角膜を取ることは法的にも倫理的にも許されません」康太は険しい表情で答えた。

晴香は横のトレイから鋭いメスを掴み取り、自らの喉元へ突きつけた。

「死んでからでないと提供できないのなら――今ここで死んでみせます!」

激しいやりとりの末、彼女が免責同意書に署名することで、病院はついに手術を認めた。

晴香は深く息を吐き、美玲に向き直る。「どうか……真也には伝えないで。角膜を提供したのが私だってことは」

美玲の顔に混乱と疑念が浮かぶ。「どういうこと?あなた……死ぬって、どういう意味なの?」

そしてふいに、テレビで見たドロドロの恋愛ドラマのことを思い出し、声を震わせながら尋ねた。「まさか……あのとき、お金のために真也を裏切ったんじゃないの?」

晴香はふっと笑みを浮かべた。「美玲。これから真也のこと、よろしくね」

それだけ言い残すと、振り返ることもなく手術室へと歩き去った。

手術台には、隣り合う二つのベッド。

晴香は手を伸ばし、真也の掌を握りしめる。指と指を絡めながら、ずっと心の奥に秘めていた想いをそっと口にした。

「……真也。死ぬ前に、最後にあなたのためにできることがあって、嬉しい……」涙が頬を伝い落ちる。「真也、愛してる……」

麻酔が静かに彼女の体を満たし、瞼が重く閉じていく。やがて、その指先も力なくほどけていった。
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