INICIAR SESIÓN夜が終わらない。
時計の針は二時を指したまま、微動だにしない。 民宿の外は、風すら止んでいた。 まるで、この村だけが世界から切り離されてしまったように。 「怜央くん……どこに行ったの……」 莉央がかすれた声でつぶやく。 その横顔を見つめながら、私は唇を噛んだ。 泣いている妹の頬を撫でる指先が震える。 この子を守りたい。 だけど――心の奥で、別の痛みが蠢く。 怜央が消えたと聞いた時、胸の奥に一瞬、安堵のような影が走ったのを私は知っている。 「お姉ちゃん……私、怖い」 「大丈夫。私がいる」 そう言いながらも、声が震えていた。 怖いのは幽霊でも、恩返しの呪いでもない。 “自分の心”だった。 囲炉裏の火が、ふいに揺れた。 外から誰かの足音がする。 思わず立ち上がり、襖を開ける。 そこに立っていたのは――怜央だった。 「怜央っ……!」 駆け寄ると、冷たい夜気と一緒に彼の匂いが胸に広がる。 無事だったという安堵に、身体が勝手に震えた。 怜央は静かに笑って、私の頬に触れた。 「ごめん。遅くなった。少し、見たんだ……例の祠を」 「祠?」 「白い羽が、山の奥まで続いてた。導かれるように……それで――」 彼の瞳が揺れる。 そこに、言葉にならない恐怖と、何かを隠している影が見えた。 怜央は何かを見た。けれど、それを言えない。 その沈黙が、逆に胸をざわつかせる。 「怜央、怖かった?」 「怖いのは……澪がいなくなることだよ」 一瞬、息が止まった。 心臓の音が、自分の声よりも大きく聞こえる。 冗談めかした笑い方なのに、瞳はまっすぐだった。 そのまま、怜央の手が私の頬から髪へとすべる。 ――抱きしめられる寸前、私は後ろへ一歩下がった。 「……ごめん。莉央が、見てる」 怜央は一瞬、表情を固め、そして笑った。 「そうだな。……俺、たぶん嫉妬してる」 「嫉妬?」 「お前の中で、まだ“誰か”を探してる目をしてる。……父さんか、母さんか、真央か……誰でもいい、けど俺の知らない誰かを見てる顔だ」 図星だった。 言葉が出ない。 胸の奥に、絡まった糸のような感情が溢れる。 恋と、恐怖と、罪悪感。 その全部が、白い羽のように絡み合って、離れなくなっていく。 ――コン。 障子の外から、また鈴の音が響いた。 音は一度、二度……そして止む。 怜央と目を合わせた瞬間、羽がひとひら、床に落ちた。 濡れている。 血ではない。――涙のように、透明だった。 「……澪。恩返しって、何だと思う?」 「助けてもらったことを返すこと、でしょ」 「違うさ。恩を返すってことは、相手に“愛を返す”ってことだ。 でも返し方を間違えると、愛は呪いになる」 その言葉が、不思議と胸に刺さる。 まるで、怜央がもうこの世の人じゃないみたいに。 私は彼の腕を掴んだ。 「怜央、どこにも行かないで」 「行かないよ。……でももし俺が消えたら、莉央を守れ」 ――鈴が、また鳴った。 その音に、怜央の姿がかき消える。 白い羽が残り香のように舞う。 手の中に残った温もりだけが、彼が“確かにここにいた”証拠だった。 私は唇を噛んで、涙をこらえた。 守る。――この村が何を奪おうとしても。 たとえ、愛そのものが呪いだったとしても。雪の道の先で、光が爆ぜた。氷の回廊が崩れ、眩しいほどの白が私たちを包む。その中から、父と母の姿が現れた。生きている――息をして、私たちを見ている。「お父さん……!」「澪、莉央……大きくなったな」声が重なる。震える手を伸ばすと、温もりがあった。現実感のないほど柔らかい、けれど確かなぬくもり。私は泣きながら母に抱きつき、莉央も父の胸に飛び込んだ。凍っていた記憶が溶けていくようだった。「ここを……出よう。もう、この村には夜しかない」父の声は静かで、それでも強かった。その足元には、怜央と真央が倒れていた。二人とも気を失っているが、呼吸はある。私は怜央の手を握り、胸の奥で強く祈った。――もう誰も失わせない。その瞬間、祠の奥で鈴の音が鳴った。白い狐の青年が姿を現す。その背後には、雪女将――氷の巫女――そして村の青年が並んで立っていた。「門が、開く」村の青年が手にしていた古びた鍵を掲げた。「俺の祖父が“門番”だった。この村が現世とつながる最後の道を、今、開く」白狐の青年が微笑む。「俺たちはここまでだ。お前たちが愛を“渡した”時点で、秤は止まった。もう、贖いは終わりだ」「行け。生きる場所に戻れ」雪女将の声は、凍るようで、どこまでも優しい。彼女の頬を一筋の涙が伝うと、それは雪になって消えた。「女将さん……」「私は、ここに残る。罪を見届けるために。けれど、もう孤独じゃない。あなたたちの母が、私の中にいるから」母が一歩、彼女のそばに立つ。二人の影が重なり、雪の光になって溶けていく。「お母さん……!」「澪。莉央。生きて。“恩返し”は、もういらないわ。生きることが、それ以上の贈り物だから」涙が頬を伝う。母の声が風になり、雪を押しのけていく。その瞬間、白狐が私の肩に手を置いた。「もう一度、会える日が来る。その時、お前はもう迷わないだろう」「あなたは?」「俺は、ここで終わる。けれど“導き”は、お前たちの中に残る」微笑む白狐の姿が風に散る。村の青年も最後にうなずき、鍵を地面に突き立てた。轟音。鳥居が光り、裂けるように空が開いた。「走れ!」真央が莉央の手を取り、怜央を担ぎ上げた。私は父と並んで走る。光の向こうに、確かに空があった。夜ではない、朝の色だ。駆け抜ける瞬間、背後で女将の声が響いた。
夜明けの気配はまだ遠い。祠の前で、私は怜央の体を抱き起こした。脈はある。けれど目は閉じたまま、白い羽の粉だけが髪に降り積もっている。「怜央くん……」莉央が震える声で名を呼ぶ。真央は私たちの背に立ち、周囲へ視線を走らせた。山の気配が変わっている。静かすぎる。鈴の音が、ひとつ。風のない空間に、雪が生まれるようにふわりと漂った。祠の石段の上に、白い影が形をとる。「――来てしまったのね」旅館の女将。けれど今日は暖簾の姿ではない。氷の光をまとう“巫女”の装束に、長い白髪が揺れた。雪明かりのような瞳が、私たちを一人ずつ撫でていく。「あなた…女将さん?」「この村を見守る者。多くを救えず、ただ“残す”ことだけを選んだ者。人々は私を雪女と呼ぶ」背筋が冷たくなる。女将は祠に手を添え、戸口の紙垂を鳴らした。「恩返しは贈り物ではない。贖いの形だわ。与えられた愛を、間違えずに返すための“秤”。重さを違えれば、人は雪に埋もれる」「両親は、どこ?」私は一歩、踏み出した。女将のまつげが震える。「ここにいる。まだ、完全には失われていない」その声に重なるように、白い狐の尾が雪面を掃いた。赤い紐を襟に結んだ白装束の青年が、祠の影から現れる。肌は冬の月のように青白く、目元には笑みとも諦めともつかぬ影。「やっと会えたね、澪」「……誰?」「稲荷の眷属。人の恋慕に火がつくと、時に里が燃える。俺は、その火の行方を見張る役目だ。君たちの父と母の“借り”も」青年の指先が弾くと、雪が舞い、祠の奥で氷が割れる音がした。薄氷の向こうに、人影が二つ。「――お父さん?」声が喉に突き刺さる。氷の幕越しに、父が笑った。若い頃のままの顔だ。『澪、莉央。来るなといったのに、君たちはいつも強情だ』音にならない唇の動きが、確かにそう告げた。女将がそっと目を伏せる。「取材者はこの村の“裂け目”を見た。助けると言い、境界を越えた。愛は尊い。けれど規を破れば、雪が罰を与える」「罰じゃない」白狐の青年が首を振る。「秤だよ。――返す相手を間違えたのさ」氷片が柔く光り、もうひとつの影が揺れた。長い髪、細い肩。『……ごめんね』母の声が、雪の中から滲み出る。次の瞬間、女将の胸元に同じ光が宿り、彼女の頬を一筋の涙が伝った。「私の中に、あなたの母の半分が眠っている」女将の声は、ひどく人間のそれ
「怜央くんっ!」夜の山道に、莉央の声が響いた。霧の中、真央が彼女の手を強く握る。「走れ、莉央! 戻るんだ、民宿まで!」「でも――お姉ちゃんたちが!」「澪さんは怜央さんを探してる。俺たちは生きて帰るんだ!」息が白く弾ける。空から降る白い羽が、まるで雪のように視界を奪っていく。一枚、また一枚――触れた羽が、肌の上で溶けるように消えた。「ねえ真央くん、これ……痛い」「羽に……血が混じってる……?」真央は莉央を庇い、羽を払った。指先が切れている。羽が刃物みたいに鋭い。「莉央、何があっても離れるな!」「うん……でも、お姉ちゃんたちが――」その頃。澪は怜央の名を呼びながら、山道を駆け上がっていた。懐中電灯の光が揺れ、倒木の影を映し出す。「怜央っ! お願い、返事して!」耳に届くのは、風でも鳥でもない。――鈴の音。そして、怜央の声。「……澪、戻れ!」声のした方に走ると、そこに怜央が立っていた。白い羽に包まれて、まるで光に溶けていくように。「やっと……見つけた……」「来るな! 俺は――もう、戻れない!」「何言ってるの!? 戻るの! 一緒に!」「違う。……俺、気づいたんだ。恩返しって“命の貸し”なんだよ」「どういうこと……?」怜央の手には、あの祠の封印札。そこには、“多鶴”の文字。「この村の恩返しは、“愛された者”が“愛した者”を救う代償に消える仕組みだ。 俺はもう選ばれた。……たぶん、澪を守るために」「そんなの、ふざけないで!」澪は怜央に駆け寄り、胸ぐらを掴んだ。「勝手に決めないでよ! 私だって――怜央がいない世界なんて要らない!」「バカ、泣くなよ……」怜央が微笑む。指先で澪の涙を拭った瞬間、羽が彼の肩に降り注いだ。――身体が、透けていく。「怜央!!」「澪……俺がいなくても、強く生きろ。お前ならできる。……莉央を、頼む」「嫌だ、そんなの絶対に……!」羽嵐が巻き起こる。風が吹き抜け、視界が真っ白になった。怜央の姿が霧のように崩れていく。その瞬間、莉央の叫びが響いた。「お姉ちゃああん!!!」真央に抱きしめられた莉央が、両手を合わせて祈るように叫ぶ。「お願い……怜央くんを連れて帰って! みんなで帰るの!」涙が地に落ち、白い羽に染み込む。次の瞬間、羽が一斉に燃えるように光り、山の空気が震え
夜が終わらない。時計の針は二時を指したまま、微動だにしない。民宿の外は、風すら止んでいた。まるで、この村だけが世界から切り離されてしまったように。「怜央くん……どこに行ったの……」莉央がかすれた声でつぶやく。その横顔を見つめながら、私は唇を噛んだ。泣いている妹の頬を撫でる指先が震える。この子を守りたい。だけど――心の奥で、別の痛みが蠢く。怜央が消えたと聞いた時、胸の奥に一瞬、安堵のような影が走ったのを私は知っている。「お姉ちゃん……私、怖い」「大丈夫。私がいる」そう言いながらも、声が震えていた。怖いのは幽霊でも、恩返しの呪いでもない。“自分の心”だった。囲炉裏の火が、ふいに揺れた。外から誰かの足音がする。思わず立ち上がり、襖を開ける。そこに立っていたのは――怜央だった。「怜央っ……!」駆け寄ると、冷たい夜気と一緒に彼の匂いが胸に広がる。無事だったという安堵に、身体が勝手に震えた。怜央は静かに笑って、私の頬に触れた。「ごめん。遅くなった。少し、見たんだ……例の祠を」「祠?」「白い羽が、山の奥まで続いてた。導かれるように……それで――」彼の瞳が揺れる。そこに、言葉にならない恐怖と、何かを隠している影が見えた。怜央は何かを見た。けれど、それを言えない。その沈黙が、逆に胸をざわつかせる。「怜央、怖かった?」「怖いのは……澪がいなくなることだよ」一瞬、息が止まった。心臓の音が、自分の声よりも大きく聞こえる。冗談めかした笑い方なのに、瞳はまっすぐだった。そのまま、怜央の手が私の頬から髪へとすべる。――抱きしめられる寸前、私は後ろへ一歩下がった。「……ごめん。莉央が、見てる」怜央は一瞬、表情を固め、そして笑った。「そうだな。……俺、たぶん嫉妬してる」「嫉妬?」「お前の中で、まだ“誰か”を探してる目をしてる。……父さんか、母さんか、真央か……誰でもいい、けど俺の知らない誰かを見てる顔だ」図星だった。言葉が出ない。胸の奥に、絡まった糸のような感情が溢れる。恋と、恐怖と、罪悪感。その全部が、白い羽のように絡み合って、離れなくなっていく。――コン。障子の外から、また鈴の音が響いた。音は一度、二度……そして止む。怜央と目を合わせた瞬間、羽がひとひら、床に落ちた。濡れている。血ではない
夕食を終えても、私は箸を握ったままぼんやりしていた。囲炉裏の火が小さくパチパチと弾ける。湯気の向こう、怜央は地図を広げ、真央は外を気にしている。「夜の風、なんか変じゃない?」莉央がつぶやいた瞬間、障子がふわりと揺れた。外では、誰かが歩く足音。だが廊下に出ても、誰の姿もない。「……ねえ、羽」真央が指さした先には、白い羽が一枚。廊下の奥から、まるで“誰かが通ったあと”のように、いくつも舞い落ちていた。 どくっん。心臓の音がうるさい。 何、なんだろう、嫌な感じがする。民宿の女将に聞くと、表情を曇らせて首を横に振った。「夜は出ないほうがいいんですけどねぇ……。山から“呼ぶ声”がするんです。恩返しを求める声が……鶴の恩返しって知ってますよね。恩返しって聴こえがいいけど、世話になったんだからそのぶんを未来永劫、返さないといけません。見返りを……」そう言い残して、襖を静かに閉めた。……呼ぶ声? 誰を? 何のために?見返り……?怜央は興味深げに笑い、懐中電灯を手に取った。「うわぁ。怪談話するにしてもやりすぎ……女将さん人が悪いな。どうせ風の音だろ。ちょっと外、見てくる」止める間もなく、彼は玄関の向こうに消えた。十五分。三十分。どれだけ待っても、怜央は戻らない。莉央の顔から血の気が引いていく。「……怜央くん、また取材熱が入っちゃったのかな」その震える声に、私の胸もざわつく。真央と二人で外へ出る。夜の村は静まり返り、空には星もない。ただ、闇の中を流れるような白いもの――羽が、風に乗って道を示していた。「……あの祠の方、行こう」真央の声が低く響く。その背中を追いかける私の足元に、ふと何かが落ちた。羽。 は、羽?!そしてそれは、まさに、濡れていた。赤く――血のように。どくんとまた心臓が強く鳴った気がした。……風が止んだ。聞こえるのは自分の鼓動だけ。空気が重く、世界ごと沈んでいくようだった。闇の奥で、誰かが私の名前を呼んだ気がした。優しい声。それは――母の声に似ていた。「澪……戻っておいで」お母さん?!振り向くと、そこには誰もいなかった。ただ白い羽が、ひとひら、私の頬を撫でて落ちた。涙が伝う。冷たいのに、なぜか温かかった。そんなはずはない。お母さんが居なくなったのは……私が小学生の時だ。
峠をおりて、村の全貌がみえる。看板には「ダム建設予定地」とあって、来年度には湖のそこに、ダムの底に沈むことが決まっている。 もう買収もおわり、きっと今住んでいる人達は、来年度には引っ越していくのだろうけど。 私たちの両親は、この村に取材に来て行方が途絶えた。私たちの両親のことは聞くつもりは無い。……殺されて眠っている可能性もある。 それくらい都市伝説として噂が立つような不気味さもある。ただ、証拠がないのでお手上げなのだ。 現代の科学を、持っても。証拠不十分なんてことあるのか。 まるで村ぐるみで、証拠隠滅をした可能性もある。 生きてて欲しいが、両親が消えて10数年過ぎて、大学生になった私たちが何処まで真相に迫れるのか、という不安もある。 そうこうしているうちに、民宿前まで来て、怜央に先に降りて、と言われ、怜央が車を駐車場に入れている間に 先に民宿の部屋へ行くことにする。 「澪、私、車にスマートフォン置いてきちゃった。真央と二人で先に行ってて」 そう言って、莉央は車に忘れ物を取りに戻ったので 真央くんと澪は、民宿で2人きりになってしまった。 ……き、気まずい。いつも莉央がいたから、こういう時なんて話…… 「澪は、怜央と普段なに話すの?」 ふと顔を上げたら、真央と目が合う。ふわっと子どものように無邪気に笑う。少しあどけない少年っていうか 同い年なのに。4人とも。怜央は年より大人っぽいし。 「あ、うん。怜央は頭もいいし、なんというか俺様、オラオラ系っていうか……私が話さなくてもひとりでずっとウンチク語るし」 「だろうねえ。俺と真逆。俺は……どちらかというと聴く方だから」 「莉央とどんなこと話すの?」 一瞬、間があって。 寂しそうに笑う。 「莉央も聴くほうがいいってあまり話してくれないけど……たまに口開いても推しの怜央様の……君の彼氏の話?するし」 「あー。注意しておく。んもー。真央くん目の前にしてすることじゃ……」 「顔は……似てるのに、全然違うよな」 「え?」 見ると、目が真剣で、瞬きもせずに見つめられてて、ドキッとしたが、先に目を逸らしてしまう。 な、な、なん。なんなの 違うに決まってる。顔だけ似てるけど中身が違う。私は勝気