Masuk夜明けの気配はまだ遠い。
祠の前で、私は怜央の体を抱き起こした。脈はある。けれど目は閉じたまま、白い羽の粉だけが髪に降り積もっている。 「怜央くん……」 莉央が震える声で名を呼ぶ。真央は私たちの背に立ち、周囲へ視線を走らせた。山の気配が変わっている。静かすぎる。 鈴の音が、ひとつ。 風のない空間に、雪が生まれるようにふわりと漂った。祠の石段の上に、白い影が形をとる。 「――来てしまったのね」 旅館の女将。けれど今日は暖簾の姿ではない。氷の光をまとう“巫女”の装束に、長い白髪が揺れた。雪明かりのような瞳が、私たちを一人ずつ撫でていく。 「あなた…女将さん?」 「この村を見守る者。多くを救えず、ただ“残す”ことだけを選んだ者。人々は私を雪女と呼ぶ」 背筋が冷たくなる。女将は祠に手を添え、戸口の紙垂を鳴らした。 「恩返しは贈り物ではない。贖いの形だわ。与えられた愛を、間違えずに返すための“秤”。重さを違えれば、人は雪に埋もれる」 「両親は、どこ?」私は一歩、踏み出した。 女将のまつげが震える。「ここにいる。まだ、完全には失われていない」 その声に重なるように、白い狐の尾が雪面を掃いた。 赤い紐を襟に結んだ白装束の青年が、祠の影から現れる。肌は冬の月のように青白く、目元には笑みとも諦めともつかぬ影。 「やっと会えたね、澪」 「……誰?」 「稲荷の眷属。人の恋慕に火がつくと、時に里が燃える。俺は、その火の行方を見張る役目だ。君たちの父と母の“借り”も」 青年の指先が弾くと、雪が舞い、祠の奥で氷が割れる音がした。 薄氷の向こうに、人影が二つ。 「――お父さん?」 声が喉に突き刺さる。氷の幕越しに、父が笑った。若い頃のままの顔だ。 『澪、莉央。来るなといったのに、君たちはいつも強情だ』 音にならない唇の動きが、確かにそう告げた。 女将がそっと目を伏せる。「取材者はこの村の“裂け目”を見た。助けると言い、境界を越えた。愛は尊い。けれど規を破れば、雪が罰を与える」 「罰じゃない」 白狐の青年が首を振る。「秤だよ。――返す相手を間違えたのさ」 氷片が柔く光り、もうひとつの影が揺れた。長い髪、細い肩。 『……ごめんね』 母の声が、雪の中から滲み出る。次の瞬間、女将の胸元に同じ光が宿り、彼女の頬を一筋の涙が伝った。 「私の中に、あなたの母の半分が眠っている」 女将の声は、ひどく人間のそれだった。 「彼女は“返す相手”を迷ってしまった。夫に、子に、村に――愛は分け合えるのに、儀は一つしか許さない。だから、私が凍らせた。欠けた魂は、私のうちで雪となった」 「返す相手を、選べってこと?」莉央が小さくつぶやく。 白狐の目が、細く笑う。「選ばなければ、誰の手にも戻らない。だから毎年“白い羽”が舞う。誰かが誰かのために消える夜が、繰り返されてきた」 私は怜央の手を握った。冷たい指が、かすかに応えた気がする。 「じゃあ、怜央は?」 「彼は、君を庇って“秤”に触れた。選ばれかけている。でも、まだ間に合う」 白狐の青年が祠の奥を顎で示す。「鍵は“渡す”こと。奪うでも、捧げるでもない。愛をひとつの場所から、べつの場所へ運ぶ。それができるのは――選ばれし者ではない、“選ぶ者”だ」 鈴が、時間の中心で鳴った。 雪が止まり、音も風も色も、一度だけ世界から消える。 石段の裾で、藁の草履を履いた小さな影がこちらを振り仰いでいた。 瞳の奥で、春の野が揺れている。 「わらしべ……?」 子どもの声は澄んでいた。 「時を少しだけ止めたよ。選べるようにね。――澪、あなたは“渡す人”?“抱え込む人”?」 喉が乾く。私は妹を振り返った。 莉央は強く頷く。「お姉ちゃんは、ずっと渡してきた人だよ。私に、勇気を。怜央くんに、まっすぐを」 「真央は?」 呼ぶと、彼は一歩前に出る。 「俺は莉央を連れて現世に戻る。守りながら“待つ”。戻る道を開く役は、俺に向いてる」 短く、迷いのない声。胸の奥が少し熱くなる。 女将が袖を払うと、雪は細い道を描きながら祠の奥へ吸い込まれた。 「行きなさい。父の鎖は“未練”。母の鎖は“罪”。それをほどく言葉は、娘にしか持てない」 私は怜央の額に触れ、囁く。「待ってて。必ず戻るから」 彼の睫毛が震えた。ほんの少し、呼吸が深くなる。 白狐が微笑み、私と莉央の間に白い羽を一枚ずつ置いた。 「渡す橋は二つ。どちらかがどちらかへ、愛を運ぶ。片方だけでは崩れる。――姉妹で行け」 わらしべの少女が手を叩く。止まっていた空気が動き、時間が戻る。 私は莉央の手を握り、雪の道へ踏み出した。 背後で真央が叫ぶ。「必ず帰ってこい! 俺は出口を守る!」 女将の声がかぶさる。「秤はすぐ傾く。迷えば、雪になる」 祠の奥は、湖底のように青暗かった。 氷の壁に触れるたび、幼い日の記憶が泡のように浮かび、弾ける。 父の背、母の手、四人で見上げた白い月。 ――そのどれもが、私たちを前へ押した。 やがて、氷の中心に辿り着く。 父と母の影が、ゆっくりとこちらを向いた。 「お父さん……」 私が呼ぶと、氷越しに唇が動く。 『澪。“返す”な。“繋げ”』 母の影が笑った。女将の頬を流れた涙と同じ、少し痛い笑顔だった。 私は白い羽を胸に当て、深く息を吸う。 「――渡すよ。私の愛を、あなたたちへ。そして、あなたたちの愛を、怜央へ、莉央へ、真央へ。ここで途切れないように」 羽が光となって走り、氷の鎖に亀裂が走る。 重い響き。崩れ落ちる気配。 背後で雪が荒れ、遠くの地上で鈴が激しく鳴った。 女将の声が最後に届く。 「よく、選んだわ。あとは――“門”が開くかどうか」 白狐が振り返り、遠い鳥居の方角を見た。 「門番が要る。現世とこちらを繋ぐ、人の“志”が」 白い闇が、ぱっとほどける。 私たちは手を取り合ったまま、崩れゆく氷の回廊を駆け抜けた。 向こう側で、朝の色がかすかに揺れている。 ――恩返しの夜は、まだ終わっていない。 けれど、渡すべきものはもう、私たちの手の中にあった。車のドアを閉める音が、やけに大きく響いた。 もう、引き返さない。 そう決めたはずなのに、 体のどこかが、まだそれを疑っている。 「準備いい?」 運転席から、怜央が振り返る。 「うん」 澪は短く答える。 その声は、思ったよりも落ち着いていた。 隣では、莉央がシートベルトを締めている。 後部座席には、真央。 いつもと同じ配置。 変わらないはずの距離。 なのに、 全部が少しずつ違って見えた。 エンジンがかかる。 振動が、足元から伝わる。 車はゆっくりと走り出した。 見慣れた道。 見慣れた景色。 それなのに、 どこか遠い。 色が、少しだけ薄い。 「……静かだね」 莉央が言う。 窓の外を見ながら。 「そうだな」 真央が軽く返す。 でも、 その声も、少しだけ遠く聞こえた。 「澪、怖い?」 莉央が振り向く。 不安そうに笑う。 その顔を見て、 少しだけ、息が整う。 「……少しだけ」 正直に答える。 隠す意味は、もうない。 莉央は、小さく頷いた。 「私も」 それだけで、 十分だった。 前を向く。 山の影が、少しずつ近づいてくる。 あの場所。 全部が始まった場所。 「――はいっ」 唐突に、 明るい声が響く。 莉央だった。 「ミネラルウォーター! 炭酸ダメなんでしょ?」 ペットボトルを差し出す。 その仕草が、 どこか懐かしい。 「……ありがと」 受け取る。 その瞬間、 ほんの少しだけ、 時間が重なった気がした。 前にも、あった。 同じやり取り。 同じ声。 同じ距離。 でも―― 今は、違う。 私は知っている。 この先で、 何が起きるのかを。 それでも、 進むと決めた。 車は、山道へ入る。 カーブが増える。 森が深くなる。 音が、減っていく。 風の音だけが残る。 「……なんか、静かすぎない?」 真央が呟く。 その言葉に、 誰もすぐには答えなかった。
静かだった。 誰も、すぐには何も言わなかった。 “行くしかない” その一言で、 全部が決まってしまった気がしたから。 戻る、という選択肢は、 もう残っていない。 「……行くんだよね」 莉央が小さく言う。 確認するような声。 でも、 その目は、もう決まっていた。 「うん」 澪は頷く。 迷いはあった。 怖さも、ちゃんとある。 でも、 それ以上に、 放っておけなかった。 「お父さんと、お母さんを」 言葉にする。 それだけで、 少しだけ足元が固まる気がした。 「助ける」 はっきりと言う。 その声は、 思っていたよりも震えていなかった。 「……そっか」 莉央が頷く。 それだけで、 少しだけ空気が緩む。 「じゃあ、私も行く」 当たり前みたいに言う。 その言い方に、 少しだけ胸が痛くなる。 「危ないかもしれないよ」 思わず言う。 止めるつもりはないのに、 言葉が先に出た。 莉央は、少しだけ笑った。 「一人で行かせるわけないでしょ」 軽い口調。 でも、 その目は、真剣だった。 「私たち、双子なんだから」 その一言で、 何も言えなくなる。 昔から、そうだった。 どこまでも、 一緒に来る。 「……ありがとう」 小さく言う。 莉央は、少しだけ照れたように笑った。 その隣で、 真央が一歩前に出る。 「俺も行くよ」 短く言う。 迷いがない。 「莉央を一人で行かせるわけないし」 当たり前みたいに。 その言葉に、 莉央が少しだけ顔を赤くする。 「……ありがとう」 小さく返す。 その距離が、 自然に近い。 見ていると、 少しだけ、 胸の奥がざわつく。 ――でも。 もう、分かっている。 それをどうするかも。 視線を逸らす。 代わりに、 もうひとつの気配を見る。 怜央。 壁にもたれて、 黙ったままこちらを見ている。 「……来ないの?」 聞くと、 怜央は少しだけ笑った。 「行くに決
外に出ると、空気が少しだけ軽くなった。 茶室の中にあった重さが、 まだ体に残っている。 「……何あれ」 莉央が小さく言う。 声が、まだ震えている。 「雪女って……本当に?」 答えられなかった。 さっき見たものを、 どう言葉にすればいいのか分からない。 ただ、 現実じゃないとも言い切れなかった。 「信じるしかないっしょ」 真央が言う。 いつもより少しだけ強い口調。 無理にでも、現実にしようとしているのが分かる。 「でもさ」 続けようとして、 言葉を止める。 そのとき。 「全部は言ってないですよ」 声が落ちた。 振り返る。 まひろが立っていた。 さっきまでいなかった場所に。 「……いつからいたの」 「最初から」 軽く言う。 でも、 その目は笑っていない。 「聞いてた?」 「まあ、それなりに」 曖昧な返事。 でも、 隠すつもりはないらしい。 「……じゃあ、教えて」 澪が言う。 「全部」 逃げ場を作らない言い方。 まひろは、少しだけ考えるように目を細めた。 「全部は無理っすね」 あっさりと返す。 「でも、大事なとこだけなら」 そのまま、ゆっくりと視線を上げる。 「“向こう側”っていうのは、別の世界ってわけじゃないです」 静かな声。 「重なってるんですよ、こっちと」 その言葉に、 背筋が冷たくなる。 「境目があって」 まひろが続ける。 「そこを越えた人間は、戻るか、残るか、選ばされる」 「……選ばされるって」 莉央が呟く。 まひろは、小さく頷いた。 「自分で決めてるようで、そうじゃない」 「秤、みたいなもんです」 過去の言葉が、頭をよぎる。 恩返し。 選択。 全部が、繋がっていく。 「……両親は?」 澪が聞く。 まひろの視線が、少しだけ揺れる。 「境目を越えてる」 短い答え。 「戻るには、“選び直す”しかない」 その言い方が、 妙に重い。 「誰が?」 「本人か、近い人間か」 まひろが答える。 「だから、あなたたちなんですよ」 はっきりと。 逃げ道のない言い方で。 「……私たちが?」
茶室の空気は、やけに静かだった。 畳の匂い。 湯の立つ音。 それだけが、はっきりと聞こえる。 「……来ると思っていたわ」 声が落ちる。 正面に座る女性――絵里奈が、 静かにこちらを見ていた。 いつもと同じはずの姿。 なのに、 どこか違う。 「先生……」 莉央が小さく呼ぶ。 絵里奈は微笑んだ。 けれど、 その目だけが、冷たい。 「真耶さんのことね」 言い当てられる。 息が、詰まる。 「……どこにいるの」 澪が問う。 絵里奈は、少しだけ目を伏せた。 「すぐには、戻れない場所よ」 曖昧な言い方。 でも、 それが嘘ではないことだけは分かる。 「どういう意味」 声が強くなる。 「説明して」 静かな沈黙が落ちる。 湯の音だけが、間を埋める。 「……あなたのお母さんはね」 ゆっくりと、言葉が紡がれる。 「とても優しい人だった」 当たり前のこと。 でも、 その言い方が、どこか遠い。 「誰にでも手を差し出して、全部守ろうとして」 絵里奈の視線が、 ほんの一瞬だけ揺れる。 「……選べなかったの」 その言葉が、静かに落ちる。 「夫か、子か、それとも――」 言いかけて、 止まる。 「全部を守ろうとした」 「それの何がいけないの」 思わず言う。 正しいことのはずだ。 間違っているはずがない。 絵里奈は、ゆっくりと首を振った。 「“向こう側”では、それは許されない」 その一言で、 空気が変わる。 冷たくなる。 「……向こう側って」 知っている言葉。 でも、 まだ繋がらない。 「境目の向こう」 絵里奈が静かに言う。 「あなたたちが、もう触れてしまった場所」 羽のことを思い出す。 影のことを思い出す。 全部が、一本に繋がる。 「……先生、何なの」 問いかける。 逃げないように。 目を逸らさないように。 絵里奈は、少しだけ微笑んだ。 「私はね」 ゆっくりと、 言葉を選ぶように。 「選ばせる側の人間
影は、確かにそこにあった。 廊下の奥。 光の届かない場所に、濃く沈んでいる。 ただの暗がり―― そう言い切れればよかった。 でも、 それは“形”を持っていた。 「……誰?」 もう一度、声をかける。 喉が、少しだけ乾く。 返事はない。 代わりに、 羽がひとつ、ふわりと浮かび上がった。 落ちない。 空気に溶けるみたいに、 その場で揺れている。 「澪……やめよ」 莉央が袖を引く。 その手が、震えている。 「近づかないほうがいい」 そう言われて、 足が止まる。 でも、 視線は外せなかった。 見てはいけないものほど、 目が離せなくなる。 「……あれ」 小さく呟く。 影の中に、 何かが混ざっている。 白いもの。 羽じゃない。 もっと細い、 線のような―― 「……髪?」 言葉にした瞬間、 影が、わずかに揺れた。 まるで、 気づかれたことに反応するみたいに。 「っ……」 息を飲む。 莉央の指が、 ぎゅっと強くなる。 「澪、戻ろ」 小さな声。 でも、 その言葉は、届かなかった。 影の奥で、 何かがゆっくりと持ち上がる。 形が、変わる。 人のように。 でも、 どこか歪んでいる。 輪郭が、はっきりしない。 顔が、見えない。 「……来る」 誰の声か分からなかった。 ただ、 そう思った瞬間、 影が、一歩、前に出た。 音はしない。 床も軋まない。 なのに、 距離だけが、確実に縮まる。 「澪!」 莉央が引く。 その力で、ようやく体が動く。 後ろへ下がる。 心臓の音が、やけに大きい。 「何なのこれ……」 言葉にすると、 余計に現実になる。 影が、また一歩進む。 そのたびに、 周りの羽が浮かび上がる。 集まる。 まとわりつく。 まるで、 それを形作っているみたいに。 「……やめて」 思わず言う。 何に対してかも分からないまま。 そのとき。 「それ以上、近づかない
戻った瞬間、分かった。 さっきまでとは、違う。 空気が、重い。 ただの部屋のはずなのに、 呼吸が少しだけ浅くなる。 「……莉央?」 名前を呼ぶ。 返事がない。 リビングへ足を進める。 床に、白いものが散らばっていた。 羽だった。 数えられないくらい。 「……なんで」 声が、うまく出ない。 踏み込む。 羽が、かすかに沈む。 まるで雪みたいに。 「澪……?」 奥から声がする。 莉央だった。 ソファの近くで立ち尽くしている。 顔色が、少しだけ白い。 「見てたの?」 聞くと、ゆっくり頷く。 「増えたの、急に」 それだけ。 声が震えている。 「さっきまで、こんなになかったよね」 「なかった」 即答だった。 迷いがない分、 余計に現実味が増す。 「……全部、外から入ったのかな」 無理に理由を探す。 でも、 窓は閉まっている。 鍵も、かかっている。 「澪」 莉央が、少しだけ近づいてくる。 「これ……触っても大丈夫かな」 足元を見る。 白い羽。 ひとつ、手を伸ばす。 「やめて」 強く言ってしまった。 自分でも驚くくらいの声。 莉央が、びくっと肩を震わせる。 「……ごめん」 すぐに謝る。 でも、 止めた理由は分からない。 ただ、 触れたら、戻れなくなる気がした。 その感覚だけが、はっきりしていた。 「……ねえ」 莉央が、小さく言う。 「これ、普通じゃないよね」 その言葉に、 何も返せなかった。 返せなかった時点で、 答えは出ていた。 普通じゃない。 もう、とっくに。 「……うん」 やっと、それだけ言う。 声が、少しだけかすれる。 「どうする?」 莉央が聞く。 その問いは、 思ったよりも重かった。 どうする。 何を。 どこから。 分からないことばかりなのに、 選ばなければいけない気がした。 「……怜央たち呼ぶ」 それが一番現実的だった。 ひとりじゃ
雪の道の先で、光が爆ぜた。氷の回廊が崩れ、眩しいほどの白が私たちを包む。その中から、父と母の姿が現れた。生きている――息をして、私たちを見ている。「お父さん……!」「澪、莉央……大きくなったな」声が重なる。震える手を伸ばすと、温もりがあった。現実感のないほど柔らかい、けれど確かなぬくもり。私は泣きながら母に抱きつき、莉央も父の胸に飛び込んだ。凍っていた記憶が溶けていくようだった。「ここを……出よう。もう、この村には夜しかない」父の声は静かで、それでも強かった。その足元には、怜央と真央が倒れていた。二人とも気を失っているが、呼吸はある。私は怜央の手を握り、胸の奥で強
「怜央くんっ!」夜の山道に、莉央の声が響いた。霧の中、真央が彼女の手を強く握る。「走れ、莉央! 戻るんだ、民宿まで!」「でも――お姉ちゃんたちが!」「澪さんは怜央さんを探してる。俺たちは生きて帰るんだ!」息が白く弾ける。空から降る白い羽が、まるで雪のように視界を奪っていく。一枚、また一枚――触れた羽が、肌の上で溶けるように消えた。「ねえ真央くん、これ……痛い」「羽に……血が混じってる……?」真央は莉央を庇い、羽を払った。指先が切れている。羽が刃物みたいに鋭い。「莉央、何があっても離れるな!」「うん……でも、お姉ちゃんたちが――」その頃。澪は怜央の名を呼びながら
夜が終わらない。時計の針は二時を指したまま、微動だにしない。民宿の外は、風すら止んでいた。まるで、この村だけが世界から切り離されてしまったように。「怜央くん……どこに行ったの……」莉央がかすれた声でつぶやく。その横顔を見つめながら、私は唇を噛んだ。泣いている妹の頬を撫でる指先が震える。この子を守りたい。だけど――心の奥で、別の痛みが蠢く。怜央が消えたと聞いた時、胸の奥に一瞬、安堵のような影が走ったのを私は知っている。「お姉ちゃん……私、怖い」「大丈夫。私がいる」そう言いながらも、声が震えていた。怖いのは幽霊でも、恩返しの呪いでもない。“自分の心”だった。囲炉裏
夕食を終えても、私は箸を握ったままぼんやりしていた。囲炉裏の火が小さくパチパチと弾ける。湯気の向こう、怜央は地図を広げ、真央は外を気にしている。「夜の風、なんか変じゃない?」莉央がつぶやいた瞬間、障子がふわりと揺れた。外では、誰かが歩く足音。だが廊下に出ても、誰の姿もない。「……ねえ、羽」真央が指さした先には、白い羽が一枚。廊下の奥から、まるで“誰かが通ったあと”のように、いくつも舞い落ちていた。 どくっん。心臓の音がうるさい。 何、なんだろう、嫌な感じがする。民宿の女将に聞くと、表情を曇らせて首を横に振った。「夜は出ないほうがいいんですけどねぇ……。山から“







