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第158話

Author: 清水雪代
何度も、何度も考えた末、智美はついに祥衣に切り出した。「……今回の件、黒幕は明らかに私を狙っているわ。私が辞めれば、センターにこれ以上迷惑はかからないはず」

その言葉に、祥衣はカッと目を見開いた。「冗談でしょ!?まだ智美ちゃんの無実も証明できてないのに、辞めるなんて!そんなことしたら、本当にあなたがやったって認めるようなもんじゃない!」

「でも、今は他に方法がないわ……」智美は力なく呟いた。

「とりあえず、辞めちゃダメよ!」祥衣は断固として首を横に振った。

「良い時も悪い時も一緒だって、そう言って始めたじゃない。あなたが大変だからって、見捨てるわけないでしょ!だから、二度とそんなこと言わないで。絶対に認めないから……でも、変な奴に絡まれると危ないから、しばらくは家で休んでて」

「……わかった。何かあったら、必ず連絡して」智美は頷くことしかできなかった。

智美がビルを出た、その時だった。

一台の派手なバイクが、けたたましいエンジン音を響かせながら彼女に向かって突っ込んできた。

後部座席には、いかにも素行の悪そうな、ケバい格好の女の子が跨っている。

智美が何事かと目を見開くよりも早く、女の子は腕を振りかぶり――生ゴミを投げつけてきた。

「泥棒猫、死ねっ!」甲高い罵声が、鼓膜を突き刺す。

智美は咄嗟に身をかわそうとしたが、完全には避けきれない。グチャッ、と鈍い音がして、汚物がコートに飛び散り、酷い悪臭とシミを残した。

バイクは、すでに走り去っている。

智美は汚れたコートを、ただ無力に見下ろした。

どうしようもない無力感が、胸の奥から湧き上がってくる。

彼女は重い足取りで、一歩、また一歩と家に向かう。

道中、すれ違う人々が、奇異なものを見るような視線を向け、指をさし、ひそひそと囁き合った。

しかし、智美にはもう、何も聞こえなかった。ただ、黙々と歩き続ける。

家に着くと、彩乃から電話がかかってきた。その声はひどくおずおずとしていた。

「智美ちゃん、ニュースを見たわ。大丈夫……?」

「平気よ、心配しないで」智美は、無理やり元気な声を作った。

「はぁ……」彩乃は深いため息をついた。「やっぱりあなたが一人で会社をやるなんて、大変すぎると思うの。今またこんなことになって、守ってくれる人もいないし……

祐介くんは確かに間違ったこともしたけど、
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