Masukファミレスに入ると、眠そうな女性店員が席に案内してくれた。
「何食べようかなぁ」 ご機嫌な優奈は、メニュー表をパラパラとめくる。 「何か軽いもの……」 食い気より眠気な千聖は、軽食を探す。 「千聖、決まった?」 「うん、決まった。モーニングトーストで」 千聖の返事を聞いた優奈は、呼び鈴を押した。すると目の下に濃いクマを作った男性店員が、注文を聞きに来る。 「チキンドリアとモーニングトースト。ドリンクバーふたつと、いちごパフェください」 優奈は千聖の分まで注文してくれる。男性店員は虚ろな目で注文を繰り返すと、厨房に消えた。 「さ、何飲む?」 「んー……あったかいお茶がいい……」 「お茶ね、オッケー」 優奈は軽い足取りで、ドリンクバーへ行く。飲食店に来た時、こうして積極的に動いてくれるのは彼女の美点だと、千聖は勝手に思っている。 「ふわぁ……ねっむ……。しっかしまぁ、朝っぱらからよくドリアやらパフェやら食べられるわね……」 千聖は優奈の注文を思い出し、呆れ返った。 「お待たせ」 優奈はメロンソーダと珈琲カップを持ってきた。カップの中にはティーバッグの煎茶が入っている。 「ありがと」 千聖はティーバッグを上下させ、抽出を急かす。 (今日は睡眠で潰れそ……) テーブルに突っ伏したいのを我慢しながら、千聖はゆっくりと煎茶を口に流し込む。煎茶特有の優しい味と香りに、頬が緩む。 (そういえば優奈、ヤケに静かね……) 喋っていないと死んでしまうんではないかというほどよく喋る優奈の静寂に疑問を覚え、ふと顔を上げると、いつになく真剣な顔でスマホを見ている。 「優奈、なにしてんの?」 千聖が声をかけると優奈は肩を揺らし、顔を上げた。 「合コンのセッティング準備」 優奈は短く答えると、また食い入るようにスマホを見る。 (まったく、次から次へと……) 恋愛に興味のない千聖は、うんざりしながら煎茶を飲む。「な、なに……?」「時間になっただけだよ」紅玲はサイドテーブルのスマホを手繰り寄せると、アラーム画面を見せた。そこには“契約終了”の文字が並んでいる。千聖はアラームを止めると、スマホをソファの上に投げた。「契約なんて、もう知らない……。ねぇ、愛して? いつもみたいに、愛してるって言って!」「愛してるよ、チサちゃんだけをね」紅玲が千聖を抱きしめて唇を押し当てると、どちらからともなく舌を絡ませた。水音と吐息が、淫靡に響き渡る。「んっ……ふ、ぁ……は、んんっ……」唇が離れると、千聖は紅玲の首に腕を回す。「愛してるわ、紅玲。ずっと、そばにいてね」「チサちゃんに愛されるだなんて、オレは幸せ者だなぁ」紅玲は千聖を押し倒すと、首筋に舌を這わせる。「あぁ……! お願いよ、私はあなたのものだって、痕をつけて」「いくらでもつけたげるよ」紅玲は千聖の首筋を甘噛みすると、思いっきり吸い上げた。鈍い痛みさえも千聖は愛情と快楽に捉える。「いっ……んはぁ……! ちゃんとついた?」「うん、綺麗についたよ。もっとつけようか」「嬉しい……」紅玲は再び首筋に顔を埋め、いくつもの所有印をつけていく。それは首筋だけにとどまらず、胸元にまで彩りを添えていく。「ああっ! んぅ、ゃ……あぁんっ! 紅玲……ひぅっ、んんっ……好きよ、愛してるの……」千聖は熱にうなされたように、愛の言葉を口にする。「オレもチサちゃんのこと、愛してるよ」紅玲は耳元で囁くと、深い口づけをした。ふたりは明け方近くまで愛を口にしながら求め合い、チェックアウトギリギリまでホテルに滞在した。数日後、仕事を終えた千聖は1等地に建ててある一軒家の玄関を開けた。「ただいま」「おかえり、チサちゃん。今日もお疲れ様」紅玲は千聖を出迎えて抱きしめると、色白の細い首に真っ赤な首輪を付けた。(あぁ、ようやく紅玲を独り占めできる……。独り占めしてもらえるんだ……)千聖は仕事用のカバンなどは乱雑に隅に投げ、紅玲の首に腕を回し、キスをした。
「おまたせ、チサちゃん」紅玲はヘッドホンを取ると、千聖をベッドの上に運んだ。その間千聖はずっと口を動かしているが、声は出ていない。「喋ろうとしない方がいいって言ったのに……」紅玲は茶色の小瓶をカバンから出すと、再び口移しで飲ませた。「少ししたら喋れるようになると思うから、無理しないでね」紅玲は千聖の髪をひと撫ですると、ベルトを外していく。「紅玲、あなた……げほっ、ごほっ……」紅玲の言葉を無視して言葉を発すると、声は出たが未だに残る閉塞感で咳き込んでしまう。「まったく、無理しないでって言ったそばから……」紅玲は拘束具を外すと、千聖を抱きしめた。「ひどい……げほっ……あなたは、ひどい人よ……」涙ながらに訴える千聖の背中をさすり、頬にキスを落とす。「うん、ごめんね? お水でも飲む?」紅玲がコンビニボックスへ行こうと千聖から手を離すと、千聖はその手を力強く握った。「チサちゃん?」「ダメ、行かせない……。あんな女のところには……」そこまで言って、千聖は再び咳き込む。「大丈夫、お水持ってくるだけだから。この部屋からは出ないよ?」紅玲は子供をあやす様に、千聖に言い聞かせる。「本当に……? ここにいる?」「いるって。すぐそこだから」紅玲がコンビニボックスを指さすと、千聖はようやく手を離した。紅玲はミネラルウォーターを購入すると、キャップを外して千聖に渡した。千聖は半分近く飲むと、ペットボトルを投げ捨てて紅玲に抱きつく。「嫌よ……。あなたは誰にも渡さないんだから……。ミチルなんかに、渡すものですか……」(あぁ、やっぱりあの時ミチルが怒鳴ってたのは、チサちゃんだったか……。あとでお礼しなきゃなぁ)千聖の言葉に、紅玲はミチルに再会した日のことを思い出した。そのことを確かめるのを兼ねて、ミチルと特徴が似ているデリヘル嬢を呼んだのだ。「チサちゃんは、オレのこと好き?」「えぇ好きよ、愛してるの……。もう変な意地張らないから、どこにも行かないで……。私のそばにいて……」紅玲は自分にすがる千聖を抱きしめると、そっと唇を重ねた。同時に、紅玲のスマホがけたたましく鳴る。
紅玲は熱っぽい目で女性を見ながら、何度も口を動かす。千聖にはそれが愛を囁いているようにしか見えず、嫉妬にかられる。(私のこと好きって、愛してるって何度も言ってたのに! 紅玲はそんな女を選ぶの? 嫌よ、そんなの……。あんな女に、紅玲は渡さない!)千聖の中で嫉妬の炎が燃えたぎる中、ふたりはおかまいなしに互いの躯に触れる。女性は紅玲のペニスを咥え、頭を上下に動かす。紅玲は気持ちよさそうな顔をしながらゆるゆると腰を振り、女性の髪を撫でる。ふと、紅玲はなにか思い出すような顔をすると、こちらに向かって妖艶な笑みを浮かべる。だがすぐに視線を女性に戻し、彼女の髪を撫で続ける。(ひどい……! なんで私にこんなの見せつけるのよ!? 紅玲から離れなさいよ、このアバズレ! 紅玲は私のものなのに……)嫉妬や戸惑い、更には独占欲でぐちゃぐちゃした感情が渦巻き、千聖は今にも気が狂いそうになる。目頭が熱くなり、涙が溢れる。薬のことなど関係無しに、千聖は叫んだ。声が出ていようがいまいが、関係ない。叫ばずにはいられなかった。「私の紅玲よ! どうせお金が目的でしょ!? 離れなさい、このろくでなし! 紅玲も紅玲よ……。私のこと愛してるなら、そんな女いらないでしょ!? 今すぐ追い出してよ!」のどは相変わらず閉塞感で満たされ、聴覚も奪われている。それでも普段使わない罵詈雑言を女性に浴びせ、紅玲は自分のものだと叫び続けた。紅玲は絶頂を迎えたらしく、ベッドに寝そべる。女性はティッシュに紅玲の欲を吐き出すと、うがいしに消えた。「なんてもったいないことするの!? 信じられない!」千聖の言葉が途切れたタイミングで紅玲は起き上がり、笑顔でこちらに手を振った。「紅玲、あなた最低よ! 私がいるのにあんな女と! 許さないんだから!」実際にはこれらの声はふたりに届いていない。だが怒り狂った千聖には、そんなことは頭の片隅にすら残っていない。女性が戻ってくると紅玲は彼女にお金を渡し、女性はそれを受け取って部屋から出ていった。「結局金だけじゃないの! 紅玲、あなたいつまでこんな女に騙され続けるつもりなの!?」画面から紅玲が消え、トイレのドアが開けられる。千聖は潤んだ瞳で紅玲を睨みつけた。
「ちょっと待っててね」紅玲はトイレから出ていく。(怖い……。私、どうなっちゃうの? 殺されたりとか、しないわよね……?)まったく読めない紅玲の行動に恐怖を感じ、悪い方へ思考を回す。「おまたせ。これがあれば退屈しないと思うんだ」戻ってきた紅玲は、洋式トイレの蓋を閉め、その上に小型テレビを置いた。テレビには、先程までいたベッドが映っている。(何をする気なの……?)不安になって紅玲を見上げると、彼は優しく微笑んで髪を撫でる。「そんな不安そうな顔しないで? オレがチサちゃんに、酷いことするわけないでしょ? だって、こんなに愛してるんだから」紅玲は千聖の頬にキスをすると、今度はヘッドホンをつけた。大音量でジャズが流れる。紅玲は口を動かすが、何を言っているのか聞こえない。自由と声、そして聴覚を奪われて怯える千聖にキスをすると、紅玲はトイレから出ていった。小型テレビを見ると、紅玲はベッドに腰掛け、電話をしている。電話が終わると、こちらに向かって手を振った。(もう、なんなの!? なんで私がこんな目に合わなきゃなんないのよ!)千聖の叫びは誰にも届くことはない。10分もすると紅玲はベッドから立ち上がり、画面から消えた。すぐに戻ってきたが、女性と一緒だ。女性はウェーブのかかった髪に、シフォンスカートをはいている。ふたりは笑顔で話をしながら、ベッドを素通りして画面から消える。その先にあるのは、浴室だ。(今の女……。もしかして、ミチル!?)以前ぶつかった女性と同じ特徴を持つ女性に、千聖の胸がざわつく。例の女性がミチルと確認したわけでもなければ、画面に映った女性と同一人物というわけでもない。それでも混乱に陥った千聖は、例の女性と画面の女性がミチルだと思い込んでしまった。シャワーをすませたふたりが、ベッドの上に戻ってくる。ふたりは情熱的なキスを何度も交わしながら、バスローブを脱がせ合う。紅玲は愛おしげな目を女性に向けながら押し倒し、貧相な女性の胸を貪る。(なんで? どうして私じゃない女をあんな目で見たの? なんでそんな女に夢中になるの? その女は、あなたを金づるだとしか思ってないのよ?)千聖の中で、疑問と怒りがふつふつと沸き上がる。
「そっかぁ、この1ヶ月で好きになってもらおうと、オレなりに努力したけど、ダメだったか。それは残念」残念というわりには、不自然な笑顔は張り付いたままだ。紅玲は千聖を片手で抱きしめ直しながら、カバンから茶色の小瓶を取り出す。千聖は音だけで紅玲がなにかを取り出したのを察し、彼の胸板を押して見上げた。「何をしようっていうの?」「面白いこと」紅玲はそう言って千聖の頬にキスをすると、小瓶の中身を一気にあおった。「紅玲、それは……んんっ!?」紅玲は千聖を押し倒し、唇を重ねる。舌を千聖の口内に侵入させると、先程の液体を流し込み、彼女の可愛らしい小鼻をつまんだ。(なにこれ、甘い……苦しい……!)千聖が大きくのどを鳴らして薬を飲み込むと、紅玲はようやく彼女の口と鼻を解放した。千聖は大きく肩で息をしながら、紅玲を睨みつける。「何を飲ませたのよ?」「そのうち分かるんじゃない?」紅玲はニヤつきながら、千聖の躯に指先を這わせる。「んぅ……あ、や……あぁ……!」小さな快楽に時折躯を小さく跳ねさせながら、吐息と共に悩ましい声が零れる。「チサちゃんの感じてる可愛い顔も、今日で見納めかぁ……。寂しいな」紅玲は相変わらず言葉と一致しない顔をしながら、千聖の乳首をつまみ上げる。「ひうぅ……! ん、ああっ……! や、やだ……! なんか、……っ!?」千聖は感じながら、自分の躯に違和感を覚えた。躯はダルくなり、のどに閉塞感がじわりと押し寄せてきた。「即効性とはいえ、こうもはやく効くとはね」嬉しそうに言う紅玲に説明を求めようとするが、声が出ない。「しばらくは声を出せないはずだよ、無理して喋ろうとしない方がいい」紅玲はカバンから黒い寝袋のような拘束具を出すと、ロクに動けない千聖を入れて、複数あるベルトを次々と締めていく。(嫌、やめて! やめてよ!)千聖は心の中で悲痛な声を上げるが、紅玲に届くはずもなく……。「できた」紅玲は満足げに千聖を見下す。顔以外、寝袋のような拘束具におおわれた千聖は、芋虫のような有様だ。紅玲はそんな千聖を抱えてトイレに行くと、便器と向かい合うようなかたちで、壁によりかからせて座らせる。
「そりゃね……。そもそも隠しようがないでしょうよ……」「まぁ隠す気もないんだけどね。今日が最後だから、思い出の地を巡ろうってだけ」「本当にそれだけ?」どうしても裏があるように思えてならない千聖は、さらに問いただす。「もしかして、サプライズに婚約指輪でも用意したほうがよかった?」「茶化さないでよ」千聖がそう言いながら睨みつけると、紅玲はわざとらしく怖がってみせる。「チサちゃん怖いよ。本当だって、チサちゃん考えすぎ。オレがなにか企んでるっていう根拠があるなら、話は別だけど」そう言われると、千聖は黙るしかない。「今日は笑って終わろうよ、最後なんだからさ」紅玲は穏やかに微笑みながら言う。その笑みが、千聖の不安にも似た感情を掻き立てる。(運命だなんだって言ってたわりには、ずいぶん落ち着いてるのね……)しばらくすると料理が運ばれ、ふたりは他愛のない話をしながら食事をした。紅玲は終始寂しさや未練を感じさせず、楽しそうに会話をしていた。食事を終えると、ふたりはホテルへ行く。「22時半か……」紅玲はスマホを見ながら、ぽつりと呟く。「なにか用事でもあるのかしら?」「いや、なんでもないよ」紅玲は貼り付いたような笑顔で答えると、ベッドの上にカバンを置いた。「ずっと気になってたけど、それはなんなの?」「これ? ヒミツ。シャワー浴びよっか」紅玲は千聖の肩を抱き、浴室へ行く。髪や躯を洗い合って浴室から出ると、ベッドの上で向かい合うように座る。紅玲は千聖を抱きしめると、触れるだけのキスをした。「好き、愛してるよ、チサちゃん。チサちゃんは? オレのこと、どう思ってる?」愛を求める紅玲に、千聖はげんなりする。「すごい人だとは思うけど、好意は抱いてないわ。契約期間が終わったら、会うつもりはないもの」千聖がきっぱり言うと、紅玲はニィッと口角を上げた。(なんなのよ……?)紅玲の不自然な笑顔に、得体の知れない恐怖がこみ上げてくる。







