登入「……玉ちゃん、彩音があの鬼を解放してしまってから今まで、僕はあの鬼女の手がかりひとつ掴めなかったのに……なんで今頃になって動き出したんだろう」
二十年近くもの間、その
帝太郎の至極当然な問いに、玉郎はしばし宙を仰ぐ。
「さぁな。そいつは俺にも分からねぇよ。でも、もしかしたら封じの玉のせいかも知れねぇな」「どういう、こと?」「壊れちまってたけど俺たちが卓上に置かれた自分の玉を、巾着ごと手に取る玉郎。昨日の今日なので、さすがにその紐はまだ修復されていなかった。
そうして封印を解かれた鬼は、仕えるべき玉封師が死すまで、その者以外の主人を持つことが出来なくなってしまう。 帝太郎の生家にはこの玉を安置した御霊屋という、お堂によく似た建物が存在している。 その中には何十本もの蝋燭に照らされて、何百もの封じの玉が安置されているのだ。 玉郎の玉のように念を清められ、和歌が浮かび上がった玉もいくつかあるが、その大半は未だ想いを消し切れていない不安定なものが占めている。 玉は浄化されると祭壇に祭られ、鬱念を断ち切れずにいる封じの鬼たちを見張る結界となる。 歴代の玉封師たちは清浄化された玉とともに不安定な封じの玉の封印が解けぬよう監視し、また、文字が現れた玉の中から自分に合ったものをひとつだけ見繕い、その鬼を使役して人に仇なす異形たちを封じてきた。 裏返せば、玉封師が封じの玉を手に取るのは普通、物心ついてからということになる。 しかし、その高い能力を見込まれてか、帝太郎は赤子の折から玉郎の玉を持たされて育った。 これは帝太郎が生まれたその日から、玉郎の玉が何度も祭壇の上から転がり落ちたのが原因なのだが、帝太郎の父は、それを見て息子とこの鬼が引き合っている、と判断したらしい。 父との軋轢からその玉の持つ意味は何も聞かされぬまま、ただお守りのように身につけ家を飛び出してしまった帝太郎。 しかし図らずも、二十歳の誕生日にバースデーケーキの上を彩る蝋燭の明かりに封じの玉をかざしたことがきっかけで、このからくりに気付いてしまった。 その上、玉中に揺らめく和歌を何の気なしに口にしたのだから大変だ。その瞬間、玉郎の封印は解けた。 最初、歌意は理解していなかったと思う。しかし何度かつぶやいている内にぼんやりと内容が理解出来てしまったのが運のつきだった。 ランプの魔人よろしくいきなり湧き出た男に仁王立ちで「理由はどうあれ封じを解いた以上主人になってもらわねぇと困るんだ!」と詰め寄られてしまった。 当時玉封師になるのが嫌で家を飛び出してい
---------------------「蠱に多種ありて、備さに知るべからざる。 あるいは緒蠱を集め合せて、之を一器の内に置き、久しく相食ませ、緒蠱皆悉く尽き、若し蛇あれば蛇蠱と為すの類なり」 『名例律』より抜粋--------------------- 春。桜の花が咲き乱れる季節。一年のうちで別れ、出会いの二つを司る目まぐるしい季節。 それはここ『つくしんぼクラブ』においても例外ではなかった。一年契約で預けられていた幾名かの子供たちが幼稚園、保育園、あるいは小学校へと巣立ち、入れ替わるように新たなメンバーが加わったのだ。「春って何だか複雑な気分ですよね」 新しく作り直した名簿を見つめながら、菜奈子がつぶやく。 ショートカットの艶やかな髪と、理知的な瞳が印象的な可愛らしい女性。 前髪をピンで二つ分けにしているせいで年齢より幾分下に見える彼女だが、実際は二十三という年齢よりかなりしっかりしている。「嬉しいような悲しいような……そんな感じがしません?」 つくしんぼクラブは託児所なので幼稚園などのように入園式とか卒園式とか、そういった類いの儀式めいた区切りはないのだが、徐々に、といった形でメンバーが入れ替わっていく。「そうだね」 淡く微笑んで相槌を打ったのはここのオーナー、二条院帝太郎。 トレーナーにジーンズというラフな格好に、ここの唯一の制服とも言えるほんわかタッチのアヒル柄がプリントされたエプロンを付けている。そのエプロンの上に乗っかるようにして、首から提げた小さな巾着袋が揺れていた。中にはお守りでも入っているのだろうか? 彼ならばそんな年寄りめいた信心深さも違和感なくうなずけてしまいそうな気がする。 のほほん、と春風が服をまとったような帝太郎だが、こう見えて彼、玉に悪鬼を封じ込める「玉封師
「……玉ちゃん、彩音があの鬼を解放してしまってから今まで、僕はあの鬼女の手がかりひとつ掴めなかったのに……なんで今頃になって動き出したんだろう」 二十年近くもの間、その片鱗さえ見せなかった鬼が、どうして今頃になって現れたのか。 帝太郎の至極当然な問いに、玉郎はしばし宙を仰ぐ。「さぁな。そいつは俺にも分からねぇよ。でも、もしかしたら封じの玉のせいかも知れねぇな」「どういう、こと?」「壊れちまってたけど俺たちが霊屋から持ち出した封じの玉にゃ“文字”が浮かんでいた。いくら厳重に施錠された空間の中にあったとはいえ、あの玉は一応現玉封師の長の近くにあったんだ。文字が浮かび上がるだろうことを意図して祭壇に祭ってあったんなら尚更長期間それに気付かないはずはねぇ」 卓上に置かれた自分の玉を、巾着ごと手に取る玉郎。昨日の今日なので、さすがにその紐はまだ修復されていなかった。「つまりはあの玉に文字が浮かび上がったのは、父さんも気付かないくらいごく最近のできごとだったってこと?」「だろうな」 隆親は、開放してしまった鬼を捕らえるべく、封じの玉に残存していた鬼の念を長期間かけて増大させたのだろう。そうすれば、いくら用心深く鳴りを潜めていた鬼でも、その玉に危機感を高め、いずれは玉を持つものに接触を図ってくると考えたのだ。「こことお前の生家とはさして離れちゃいない。二十年近くも尻尾を出さなかったような鬼だ。以前自分が封じられていた霊屋の近くに潜伏していたとは思えねぇ」「もしかして……最初のうちは、玉ちゃんのその玉と、自分の玉とを間違えてこの付近に出没してた……?」「多分な」「そんなときに……僕らが本物の玉を鼻先にぶら下げちゃったんだね……」「ま、あくまで推測に過ぎねえがな」 自分も鬼だから、帝太郎よりはあの鬼
「玉ちゃん、凄い、凄い、凄いよ!」 巾着の中を覗き込んでいた帝太郎が、満面の笑みを浮かべてそう叫ぶもんだから、玉郎はますます不安になってしまった。「ほら、見て、これ!」 口から下げるための糸こそ千切れてしまっていたが、まだしっかりと袋状になっている巾着の中には、玉がひとつ、入っていた。 封じの玉が、巾着の中に入っていることのどこが凄いのだろう? 玉郎の頭は混乱するばかりだ。「僕、悪鬼を封じるとき、玉を巾着から出したもの!」「は?」 言われてみればそうだ。悪鬼を封じ込めた玉は、どこかへ転がって行ったりしないようにと、こたつの上に置いてある。「ほら、見て?」 はしゃいで部屋の明かりをつける帝太郎。 美紀は毒気に当てられたためか、電気をつけたくらいのことでは目を覚まさなかった。 光に透かした玉の中に見えたものは――。“限りなき雲ゐのよそにわかるとも 人を心におくらさむやは”「俺の……玉?」「そう! 玉ちゃんの玉だよ!」 何がどうなったらそんなことになるんだ? すっかりパニックの玉郎である。そんな玉郎に、帝太郎はさっきこたつの中で拾った封じの玉の話をした。「つまり……俺はお前のいい加減さに助けられったってえわけか?」 帝太郎の言葉を黙って聞いていた玉郎であったが、彼が話し終わると同時に皮肉たっぷりの声音でそう告げる。「あぁ、うん……まぁ、そう言う、こと……かな?」 冷や汗たらたら。玉郎に怒られることは多分間違いないだろう。そう思って身構えながらも、帝太郎はどこか嬉しくてたまらない。「馬鹿野郎……」 しかし、玉郎は帝太郎をぐいっと抱き寄せると、嬉しそうに微笑んだのだ。「俺、これからも、お前と一緒にいられるってことだよな?」 抱きしめられる手に力がこもる。 帝太郎は、何だか最近玉郎に抱きしめられてばかりの
目を開いた途端、いの一番に心配そうな顔をした玉郎の顔が視界に飛び込んできた。 「玉郎?」 外が暗いことから考えて、まだ、日が昇っていないことが分かる。 「大丈夫か?」 優しく微笑みながら玉郎が問い掛ける。 「うん、何とか。ところで、美紀ちゃんは?」 「無事だ」 玉郎の言葉にホッと胸を撫で下ろす帝太郎。 「あっ! 玉ちゃん、あの鬼と……彩音は!?」 「玉ん中に封じられたよ」 鬼だけでなく、彩音も封じてしまったんだと思うと、手放しには喜べない帝太郎だったけれど……あれが最良の方法だったのだと、自分に言い聞かせる。 「そっか……」 ぼそりとつぶやくと、身体のあちこちがぎしぎしと痛むのを実感した。その痛みに耐えながら身体を起こすと、帝太郎は部屋の中を見回す。かなりのものがあっちこっちへ散らばってしまっているが、その中に埋もれるようにして、美紀が見える。 「ずっと……あの調子?」 一度も目覚めていないの? 言外にそう含ませる。 「ああ。あれから一時間と経ってねえしな」 ということは、まだ十二時にもなっていないということだ。 「玉ちゃんも休んだ方が……」 そこまで告げたところでハッとする。 「玉ちゃんの、玉……」 確か、朦朧とした意識の中で、自分が悪鬼に向けてかざしたのは玉郎の玉ではなかったか。 「気にすんな」 言ってから、玉郎が優しく微笑む。 「気にするなって……玉郎。玉がないと……」 「多分、消えちまうだろうな」 玉郎がいとも簡単にそう告げるのが帝太郎には信じられなくて。“玉封じの鬼は、二十四時間以上おのれが入るべき玉との接触を立つことは出来ない。存在自体が消えてしまうからだ” 常識のように頭に刷り込まれている文言が頭に蘇って、帝太郎は呆然とする。「そんなっ!」 「だから気にすんなって言ってんだろ? 自分の主人を護って消えるなんて、最高にかっこいいじゃねえか。俺は後悔してないぞ?」 言って、また玉郎が微笑む。 玉郎は、どうしてこんなにも冷静でいられるんだろう? 二度と会えなくなるかも知れないのに! 考えると、帝太郎は頭が混乱し
「大丈夫か?」 力はあっても、今まで実践には使ったことがなかったので、帝太郎はかなり体力を消耗している。それが分かるから、思わず玉郎は自らが張った結界から出てしまいそうになって。「まだ完、全に終わってないのに……結界を壊す気かっ!?」 珍しく声を荒げて叱咤する帝太郎に、玉郎が慌ててその動きを止めた。 玉郎が結界を破れば、その中に護られている美紀が危険に晒されるのは必至。 現に、先ほど帝太郎が九字を切って少し場の空気を清浄にしたとはいえ、実際は今、目の前にいる帝太郎のように、ほんの少し何かをしただけで呼吸するのさえ困難に感じられてしまうのだ。術者である帝太郎ですらこの状態だ。美紀に耐えられるものではない。 玉郎に、結界を破らせるわにはいかないのだ。 日頃はのほほんとしているくせに、自分以外の誰かが傷つくかも知れないという事態には驚くほど反応する帝太郎。 いつもとは違ったきつい口調に、玉郎が一瞬ビクッとする。「すまん、迂闊だった」 しかし、どう考えても今のは自分が悪い。玉封師をサポートする玉封じの鬼としては失格と言える行動だった。 うなだれて謝罪すると、玉郎は乗り出しかけていた身体を引っ込める。「僕こそ、ごめん……。大声だして……」 しゅんとしてしまった玉郎に、帝太郎が声を和らげる。「玉郎はそこで美紀ちゃんを護っていて」 封じの玉を手に、帝太郎が立ち上がる。縛した鬼に、この封じの玉をかざせば、全てが終わる。 まだ完全に回復していないのか、よろよろとした足取りで歩を進めていく帝太郎に、内心オロオロの玉郎である。“お兄……ちゃん……苦しい” 帝太郎が封じの玉を彩音と鈴丸にかざそうとした、ちょうどその瞬間。鈴丸が、彩音の声でつぶやいた。「彩……音…&h
「瑠璃、子供たちの姿が見当たらんようだが」 薄暗い部屋の中から、逞しい体躯の男が姿を現す。落ち着いた声音に見合う、厳格な面持ちの美丈夫だった。 声が発せられるまで彼の気配が感じられなかったのは、何も勝色の単姿のためばかりではないだろう。 三十代そこそことは思えない重厚な雰囲気を帯びた彼の胸元には、首からさげた小さな巾着袋。着物との色合を考えてか、黒の生地で作られたそれは、違和感なく単に馴染んでいる。 この男こそが現二条院家の長、隆親である。 縁側に佇む女性に近付きながらそう告げると、雨に煙る庭の一角を見つ
困ったなぁ……と呟きながら頭をかく帝太郎に、今まで彼の様子を遠巻きに伺っていた玉郎が、足音を轟かせながら大股で歩み寄って来た。「貸せ!」 帝太郎から半ば強引に受話器を奪い取ると、「悠長に兄弟喧嘩してる場合じゃねぇんだよ、このアホが! ったく、今更言うまでもねえだろーけど、一応お前の兄貴は玉封師なんだよ、俺の主人のな! その玉封師様がわざわざしたくもない電話まで掛けてんだ。いい加減ことの重大さを察しやがれっ!」 珍しく恐ろしい剣幕で怒鳴り散らした。 普段から言
『はい、二条院です』 電話から聞こえてきた声音に、ホッと安堵の溜め息を漏らす帝太郎。「佐太郎……だよね?」『……? もしかして……兄さん?』「うん、……久しぶり」 受話器の向こうで弟が息を飲む気配が伝わってくる。 無理もない。 帝太郎のほうから実家に電話をかけるのは、実に七年ぶりなのだから。「父さんが電話に出たら切っちゃおうって思ってたんだ。|佐太《さ
相沢圭吾が娘――美紀――を伴って『つくしんぼクラブ』を訪れたのは、翌日木曜日のことだった。 圭吾に連れられた美紀を見て、思わず息を呑む帝太郎。 (……似てる) 美紀には昔帝太郎が失ってしまったある人物にどことなく重なる部分があって……一瞬その子がそこに居るかのような錯覚を覚えてしまった。 (でも……そんなはずない……) 彼女を失ったのはもう二十年以上前の話。だから眼前の少女とは年齢が噛み合わない。 そう思い直してよく見れば、やっぱり別人だ。 たまたま美紀と、自分の知る少女とが身にまとうオーラが似ていたからちょっと戸惑ってしまっただけ。この子とあの子は同一人物じゃない