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第0850話

Auteur: 十六子
瑠璃の問いかけに、瞬は一瞬、沈黙の深い迷いの中へと引きずり込まれた。

心の奥に、言葉にならない動揺が走る。彼は無意識のうちに、手首に巻いたままのヘアゴムを指で強く握りしめた。

——遥。

夜はすっかり更けていた。

隼人の手術がどれほど長く続いたのか、瑠璃も同じだけ手術室の外で待ち続けていた。

張り裂けそうな不安は、ようやく医師から「危険な山は越えた」と知らされたとき、ほんの少しだけ和らいだ。

彼が撃たれたのは、自分をかばってのこと。

あの男は、いつも冷たく突き放すような態度を取りながらも、心の奥底では、彼女のことをどれほど大切に想っていたか――痛いほど伝わってくる。

彼と春奈との婚約も、きっと彼なりの意地や怒りの表れだったのだろう。

……けれど春奈、あの女性――なぜあんなにも既視感があるのだろう?

瑠璃は手術室の外で、そのまま眠ってしまったことにも気づかず、目を覚ましたのは翌朝だった。身体には毛布がかけられ、近くには護衛が二人ついていた。

彼女は勢いよく起き上がる。

「隼人は!?隼人はどこ!?」

「目黒様が責任を持って彼の手配をしています、奥様はご心配なさらず、お屋敷にお戻りください」

その言葉に、瑠璃の目が鋭く細められる。瞬がきちんと手配などするわけがない。

「瞬は彼をどこに連れて行ったの?答えて!」

「……奥様が屋敷に戻られれば、目黒様ご自身がお話しになるかと」

これ以上問い詰めても意味がないと判断し、瑠璃は即座に屋敷へと戻った。

瞬は書斎におり、資料に目を通していた。

「隼人はどこ?」彼女は扉を開けてすぐ、ストレートに切り出した。

瞬の手が止まる。

「君があれほどまでに気にかけるなら……それは奴を再び危険に晒すということでもある」

「今度は、何をする気?」

「このF国の上流社会において、君——碓氷千璃は、俺の目黒夫人なんだ。そして、俺の心でも……最も大切な女だ」

瞬はゆっくり立ち上がった。

「君が隼人に想いを向ければ向けるほど、俺は排除したくなる」

「瞬……」

「でも安心しろ。死なせはしない。君は胎児のことだけ考えていればいい。陽菜も呼んで、君のそばにいさせる」

その言葉を終えるかのように、彼のスマホが鳴った。

電話に出た瞬の唇が、不気味な笑みを浮かべる。

「……そうか。やっぱり、彼女は生きていたんだな
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