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第8話

Author: 二ノ舞
柚葉は必死にもがき、説明しようとした。しかし口はガムテープでしっかりと塞がれ、体中はきつく縛られて動けなかった。

鷹真は鞭を手に取り、目の前でもがく女性を見つめていた。彼女の呻き声と必死の抵抗に、なぜか一瞬、まぶたがピクリと跳ねた。

薄暗い個室の中で、ふと頭をよぎった。彼女は、柚葉に似ている。

「あなた……ありがとう。私の仇を討ってくれて。このオーナー……本当に私を酷く拷問したの……ううっ……」

染花が涙ながらに鷹真の腰にしがみついた。それで彼の疑念はすっかり払拭された。

柚葉は普段、ドレスなど着たことがなかった。髪も、彼が好きな長いストレートを大切にしていた。今、目の前にいるこの短髪でドレス姿の女――どう考えても、彼が愛する柚葉ではない。

そう思い込んだ瞬間、鷹真の瞳からすべての情が消えた。代わりに、残虐な狂気が宿った。

「俺の妻を傷つけた罰、千倍万倍にして返してやる!」

「バシッ!」

鞭が空気を裂き、女の背中に叩きつけられた。

一発目――柚葉の背筋が跳ね、逆剥けた皮膚から血がにじんだ。叫び声をあげたが、口は塞がれ、声にならなかった。

二発目――瞳孔が一気に収縮し、傷口は焼けたように熱く、呼吸が詰まった。

三発目――唇を噛み切り、体が痙攣しながら丸まり、痛みが骨にまで染み渡った。

……

九十九回目の鞭が終わる頃には、彼女の意識は朦朧とし、全身血まみれ、もはや抵抗の力すら残っていなかった。ただ震え、無意識に痙攣していた。

朦朧とした意識の中で彼女は思い出した。鷹真はかつて、染花を罰すると言っていた彼女を縛り、鞭打つと。けれど、彼は約束を破った。

今、彼の手によって縛られ、鞭打たれ、地獄を見ているのは、柚葉なのだ!

その時、鷹真の声が聞こえた。「染花、あのオーナーは何人の男をお前にいじめさせた?」

「……十人」

「よし。じゃあ、この女には十倍返しだ」彼は冷酷に部下に命じた。「一番汚い乞食を百人集めろ。あと、この女に薬を飲ませろ」

そして、彼女の顎を靴で蹴り上げた。「俺の妻を傷つけるとはな……この世に生まれたことを後悔させてやる!」

仮面が床に叩きつけられ、外れた。

「鷹真……」

柚葉は最後の力を振り絞って叫んだ。

「もし傷つけた相手が私だったと知ったら、あなたは後悔するのか……」

けれど、血で濡れた言葉は、ただのすすり泣きにしか聞こえなかった。

鷹真はすでに背を向け、染花の手を引いて立ち去っていた。

「染花、これ以上見る必要はないよ。汚れるだけだ。これから数日、ずっとそばにいるから……」

彼の声は次第に遠ざかった。その後、誰かが部屋に入ってきて、柚葉の縄を解き、無理やり薬を口に押し込んだ。

彼女の心は氷のように冷え切っていたが、体は次第に熱を帯びていった。

そして、ドアの外から次々と汚れた乞食たちが押し寄せてきた。悪臭が立ち込め、彼らの目はいやらしく、膿を垂らす灰色の爪が彼女の体に触れてきた。

柚葉の心は吐き気に襲われながらも、恐ろしいことに、体は薬のせいで羞恥の快感すら感じ始めていた。

息は乱れ、顔は異様に紅潮し、目からは屈辱の涙があふれた――このままでは、彼女は本当に壊れてしまう!

柚葉は必死に花瓶を手に取り、床に叩きつけて割った。そして、その破片を自分の太ももに突き刺した。

血が噴き出し、痛みで意識が少し戻った。目前に迫る乞食たちに逃げ道はなかった。最後の決意で彼女は後ろの窓を見つめ――跳んだ。

もしかして運命が味方したのか。三階の窓の下には、柔らかな芝生が広がっており、すぐ近くにナイトクラブの裏口が開いていた。

柚葉は傷だらけの体を引きずりながら、狂ったように走って逃げ出した。

スマホが何度も震えた。一通は鷹真からだった。

【柚葉、こっちのプロジェクトはあと数日かかりそう。おとなしく家で待ってて。愛してる】

柚葉は皮肉な笑みを浮かべた。

もう一通は、役所からだった。

【あなたの「戸籍抹消手続き」が完了しました。この身分でのすべての証明書は無効となります】

今回は、本心から笑えた。

ようやく、鷹真から自由になれたのだ。

彼女は別荘に戻り、急いで荷物をまとめた。

彼が保管していた「柚葉」の証明書はもう必要ない。この世に、柚葉という人間は、もう存在しないのだから。

持ち出したのは、自身のデザインと必要最低限の生活用品だけ。

そして、血まみれの指輪を外し、空っぽの机の上にそっと置いた。

鷹真が少しでも見てくれれば、自分がどんな地獄をくぐってきたか、何を彼にされたか、すべて分かるだろう。

本来なら、染花に直接復讐したかった。けれど、彼女は知ってる――この指輪一つで、鷹真自身が自分の「復讐の道具」になってくれる、と。

別荘を出た時は、すでに夜になっていた。

真夏の夜。空は青いベルベットのように深く、美しかった。ただし、都会の空気汚染のせいで、星たちはどれも鈍く霞んでいた。

けれど、星はどんなに霞んでいても、いつか必ず、光を放つ。

柚葉は新しい身分で、セレーヌ行きのチケットを手に入れた。飛行機が雲を突き抜けたとき、彼女は思った。「星に、一歩近づけた」と。

鷹真、さようなら。もう二度と、会いたくない。
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