LOGIN18歳の時、母親の治療費のために、鹿野寧々(しかの ねね)は10歳年上の男・御堂雅臣(みどう まさおみ)に自分を売り渡した。 後になって知ったことだが、雅臣はあの御堂グループの社長だった。仕事では冷酷で誰もが恐れる存在なのに、寧々にだけは、信じられないほど優しかったのだ。 雅臣はどこまでも彼女を甘やかした。それは、自分は愛されているのだと寧々に錯覚させてしまうほどだった。 寧々が「南区にあるスイーツが好き」と何気なく言うと、翌日にはそのお店ごと雅臣に買い取られた。そして、寧々だけのためにスイーツを作らせるようになった。 寧々が夜中に熱を出した時、雅臣は大切な国際会議を抜け出し、一晩かけて飛行機で戻ってきた。そしてベッドサイドで付き添い、何度も冷たいタオルを取り替えてくれた。 寧々の20歳の誕生日に、雅臣は彼女をオーロラを見るために連れて行ってくれた。美しくきらめく光景の中で、寧々の指先に口づけを落とし、「寧々、これからは毎年の誕生日を一緒に過ごそう」と微笑みかけた。 寧々はその言葉を本気で信じていた。
View More奏多のコンクールの日が、だんだんと近づいてきた。どういうわけか、寧々の方が奏多よりハラハラしていた。彼女はアトリエにこもり、鉛筆をせわしなく動かして、紙にスケッチを描きなぐっていた。奏多の晴れ舞台のために、世界に一着だけの特別な衣装を作ろうと決心していたのだ。衣装全体のデザインはほぼ仕上がっていた。けれど寧々は、さらにもう一つ、遊び心のある工夫をプラスして、誰の目にもとまる特別な一着にしたいと考えていた。「そうだ、ここの銀色の刺繍に、メッセージを縫い込むのはどう?」寧々は独り言をつぶやきながら、図面の襟元を指先でなぞった。背後から静かに誰かが近づいていることには、まったく気づいていない。「何を描いているんだい?」奏多がかがみ込み、その吐息が寧々の耳元をかすめた。寧々はびくっとして、慌てて図面を隠した。「ひ、秘密よ!見ちゃダメ!」うさぎのように慌てる寧々がおかしくて、奏多はふっと吹き出した。すると、彼は寧々のおでこに優しくキスをした。「分かったよ、見ない。夜食を届けに来たんだ。こんな遅くまで残っているから、体が心配だよ。これを食べたら、早く一緒に帰ろう。いいね?」その優しい言葉に、寧々は頷いた。さっそく包みを開けて、奏多と一緒に夜食を楽しんだ。食べ終わって寧々が片付けをしている時、奏多はデスクの隅にあるデザイン画を見つけた。そして、寧々が油断した隙にサッと奪い取った。「ずるい!」見られまいと手を伸ばす寧々だったが、デザイン画は奏多に高く掲げられて届かなかった。奏多はそのまま寧々を自分の胸に抱き寄せ、いたずらっぽく楽しそうに笑った。「どれどれ……おや?これは……」彼の声がぴたっと止まった。図面には、美しい仕立てのタキシードが描かれていた。袖口には、さりげなく小さな音符が刺繍されている。そして裏地にはF国語の文字が隠れるように刺繍されており、それは【私の大好きなピアニスト】という意味だった。隠しておいたメッセージを見つけられ、寧々は真っ赤になって俯いた。「だから見ないでって言ったのに……」彼女は素早くそのデザイン画を奪い返し、赤くなった耳を隠そうとした。だが次の瞬間、寧々は奏多の胸へ引き寄せられ、後頭部に手を当てられて、深く口づけを交わした。コンクール当日、F国にあ
「今すぐ探し出せ!汐梨がどこに行ったか調べろ!警察には裏で手を回しておけ。絶対に騒ぎになる前に捕まえるんだ!!」電話を乱暴に切ると、雅臣は手にしていたスマホを力任せに壁へ投げつけた。昨夜はどうしてあんなに油断してしまったんだ。あの女を逃がすなんて。雅臣は書斎で絶え間なくタバコを吸い続けた。灰皿にはまたたく間に、吸い殻の山ができた。苛立ちながら報告を待つ雅臣の耳に、突然、圭太からの着信音が響いた。「社長、動きがありました!海上警察が他国との境界に近い海域で、血痕の付着した上着を回収しました。椎名さんが逃げるときに着ていたものです!椎名さんはパスポートを持っていませんので、密航を試みたのでしょう。社長、ご安心ください。ああいう身元不明同然の人間なら、消えたところで誰も気にしません」冷酷な報告を聞いた雅臣は、汐梨が傷だらけの体を引きずって逃げていく防犯カメラの映像を、無表情のまま消去した。自分の力だけで逃げ切れたのなら、過去は水に流して生き残る機会を与えてやろうと考えたのだ。汐梨がいなくなってからというもの、雅臣の私生活は破滅に向かった。心は乾ききり、ただ苦しみを紛らわせるためだけに毎日バーに通い詰めた。出会う女性たちを文字通り日替わりで取っ替え引っ替えし、一番高いシャンパンタワーを気前よく注文しては、大勢の女性たちからお気に入りの人を見繕った。「御堂社長、ご希望通りの子を集めました」雅臣の前に若くて麗しい女性たちが一列に並んだ。スタッフはあらかじめ預かっていた写真を基準に、店内から寧々に顔立ちが似ている女性を集めていた。すっかり泥酔していた雅臣は、朦朧とした目で一番似ている少女を一人残すと、残りはすべて追い払った。選ばれた女は狂喜乱舞した。御堂グループの社長には、長年付き添った固定のパートナーがいると言われていたからだ。今まで誰も近づくチャンスなどなかったのだ。しかし、その恋人が不慮の事情で姿を消したことで、多くの女性がいつ雅臣に見初められるかと血眼になってチャンスをうかがっていたのだ。彼女は猫のように雅臣の隣に座り、意識の混濁する彼をかいがいしく世話した。「御堂社長、私もお隣でお酌しますね」「寧々……やっぱりお前なのか……本当に、許してくれたのか?」隣の女を見て、雅臣は感極まったように抱き
飛行機は定刻通りに着陸し、雅臣は迎えに来た圭太の車に乗り込んだ。車は慣れ親しんだ街並みを静かに進んだが、雅臣の心はちっとも晴れなかった。この街の至る所に、寧々との思い出が残っている。街角にある高級レストランは、数年前の寧々の誕生日に、二人で食事をした場所だ。喧騒に囲まれてキスを交わしたことが、昨日のことのように思い出される。川沿いの大きな橋は、よく散歩した場所だった。冬になると、雅臣は寧々の手を自分のポケットに入れて温め、寧々は嬉しそうに彼の頬にキスをした。付き合っていた頃の記憶はどれも雅臣の胸に深く刻み込まれており、どうあがいても消すことなどできなかった。過去の思い出に浸っているうちに、車は自宅の前に到着した。ここに帰るのは本当に久しぶりだった。寧々の痕跡は、とうに消し去られてしまったからだ。久しぶりに倉庫のドアを開けると、カビの臭いと薄暗い庫内の生臭さが鼻をついた。暗闇の中からカサコソと物音が聞こえ、誰かが独り言を呟いているようだった。部屋の隅で、うごめく黒い影が床を這いずりながら、貪るように何かを食べている。雅臣がたまらず照明をつけると、一気に部屋が明るくなった。雅臣が留守にする間、誰も汐梨の食事など気にしていなかった。飢えに耐えかねた彼女は、倉庫にあった期限切れのミネラルウォーターと備蓄用の缶詰で何とか生き延びていたのだ。汐梨は見る影もなく痩せ細り、雅臣が足首に巻きつけた鉄のチェーンが食い込み、痛々しい血の跡を刻んでいた。明かりと物音に、汐梨は怯えたように顔を上げた。その顔には、血の気が全くなかった。狭く暗いこの場所に長期間監禁されていた汐梨は、かつての傲慢な態度など微塵も残っておらず、ただ呆然と、魂の抜けたような様子だった。彼女はまだ、クラブにいたときの体にぴったりとしたワンピースを着ていた。しかし今は骨と皮ばかりに痩せこけており、かつての色気など全くなかった。「雅臣……雅臣……お願い、ここから出して……」ガラガラに枯れ果てた、まるで別人のような声で呻きながら、汐梨は必死に雅臣の足元へ這いつくばって近づいてきた。だが、薄暗がりに立つ雅臣の瞳は氷のように冷たく、まるでゴミクズでも見つめるかのようだった。「お願い……許して……もう二度と逆らわないから……お願いだからここから出して…
朝学校で雅臣と出会ってから、寧々は一日中、上の空だった。何をするにも集中できず、デザイン画を描いていても、鉛筆の芯が3回も折れて線がガタガタになってしまった。学内の自販機で淹れたてのコーヒーを買おうとしたときには、危うく火傷しそうになった。幸い、奏多がすぐに気づいてくれたおかげで、怪我をせずに済んだ。「ねえ寧々、このあと、どこかにご飯でも食べに行く?」隣から奏多に声をかけられても、寧々はボーッとして気づかない。「寧々?」奏多が目の前で手をひらひらと振って、寧々はハッと我に返った。「ごめん、ちょっと考え事をしてたの」寧々の落ち込みようがあまりにひどくて、奏多の心は痛むばかりだった。「寧々、午後の授業はサボって、一緒に遊園地に行かない?」「遊園地?」どうして急に遊園地なのか分からなかったけれど、寧々は奏多に連れられて、郊外の遊園地へとやってきた。遊園地に着くと、周りは子供連れの家族やカップルばかりだった。「奏多さん、どうしてここに私を連れてきたの?」不思議そうにしている寧々を見て、奏多はシートベルトを外すと、微笑んでその頭をポンポンと撫でた。「そんなふうにずっと元気がないと、僕まで心配になっちゃうからさ」奏多のまっすぐな瞳を見つめていると、さっきまで雅臣へ感じていたモヤモヤが、少し晴れたような気がした。「ありがとう……」奏多は寧々の手を引いて、バイキング、空中ブランコ、フリーフォールといったスリルのある乗り物に次々と乗った。あらゆる刺激的なアトラクションを楽しみ、心臓が跳ね上がる感覚に身を委ねると、悩みが少しずつ吹き飛んでいった。ジェットコースターが最高点に達したとき、手すりを握り締める彼女の耳に奏多の叫び声が響く。「あーーー!!!」「寧々!嫌なこと全部叫んじまえ!過去のことなんて綺麗さっぱり忘れて、新しい人生を始めるんだ!!」一生懸命に叫ぶ奏多を見ていたら、寧々は不意に鼻の奥がツンとして、つられるように大声を上げた。激しく風が喉に吹きつける。寧々は、雅臣へのもどかしい未練も全部吹き飛ばしてしまおうと、固く決意した。その瞬間、彼女は心からの笑みをこぼした。やがて辺りは暗くなり、二人はいつの間にか疲れ果てていた。カフェで適当に食事を済ませたあと、歩いて近くの観覧車の
雅臣の誕生日当日、寧々は朝早くに目を覚ました。空気の入れ替えをしようと窓を開けると、庭で雅臣が友人たちと雑談しているのが見えた。「雅臣、今年の誕生日は汐梨ちゃんが自らプロデュースしたんだって?最近ベッタリだし、誕生日パーティーでヨリを戻したいって言われたらオッケーするのか?」「そんなのイエスに決まってんだろ?」友人たちのからかいに対しても、雅臣はいつものようにクールな表情を崩さなかった。「その時になってみないと分からないな」「お前、ずいぶん自信ありげだな。どうせ今日、汐梨ちゃんから告白されるのを知ってるんだろ?」「でもさ、汐梨ちゃんとヨリを戻したら、鹿野さんはどうすんだ?良
大学に戻ると、あの日クラスの親睦会であった出来事が掲示板に書き込まれ、S大学中で噂になっていた。【どこからあんなピエロが湧いてきたの?御堂社長の名前を出して嘘を吐くだなんて、身の程知らずもいいところ。足元にも及ばないくせに!】【御堂社長といえば東都でも名高い御曹司だぞ。椎名家のご令嬢と一途な仲だなんて有名な話じゃないか。勘違いも甚だしいな】【聞いた話だと、おっさんに取り入って関係を持ってたらしいよ。バレて苦し紛れにそんな嘘ついてるのね。強欲で恥知らず、同じ大学に通ってるだけで汚らわしい!】ネット上の無数の皮肉や悪口を見ていると、寧々の心は重い霧に包まれていくようだった。ルー
退院の日、寧々のルームメイトたちが彼女に付き添って、クラスの親睦会へ行くことになった。会場は若者に大人気のおしゃれなレストランだった。店内に入ると、刺さるような鋭い視線がすぐに寧々へ向けられた。「あら、成績トップの有名人が、よくこんなところに来たわね。寮から何も言わず引っ越したかと思ったら。今日はいつものスポンサーを放っておいて大丈夫なのかしら?」「どうせあのスポンサーに飽きられたんでしょ。清楚なふりをして、腹の底で何を企んでいるか分からないわよ。お金のためにオジサンを選ぶような女だし」「うわ、本当あざとい。私たちにはそんな真似できないわ!」日頃から寧々を疎ましく思っている
寧々の言葉がかすかに聞こえ、雅臣は眉間にしわを寄せた。彼は思わず寧々の前に歩み寄り、じっと彼女を見つめた。「今、なんて言った?後悔してるって、どういう意味だ?」寧々にはもう、答える体力が残っていなかった。そのまま持ちこたえられず、目の前が真っ暗になって意識を失った。気がついた時、寧々は病院のベッドの上にいた。目を開けると、ベッドの脇に雅臣が付き添っていた。彼がそっと手を伸ばし、寧々に触れようとする。「気がついたか。気分はどうだ?」意識を失う前の出来事を思い出し、寧々は震えながら目を閉じた。そして、その差し出す手を拒むように顔を背けた。「私の腕時計はどこなの?雅臣さん
reviews