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第467話
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碓氷先生、奥様はもう戻らないと 第471話
南渓館に着いた綾は、中に入らず彩に電話をした。彩は、冷却シートを額に貼った安人を抱っこして出てきた。音々も一緒にいた。綾は彩から息子を受け取った。息子の頬を触ると、まだ少し熱があった。「安人、辛いの？」彼女は心配そうに息子を見つめた。安人は静かに首を横に振った。「母さん、心配しないで。お医者さんが、薬を飲めば治るって言ってたよ」息子が素直なだけに、綾は胸が締め付けられた。彼女は「お母さんと家に帰る？」と優しく尋ねた。安人は頷いた。「うん」綾は音々を見た。だが綾が切り出すのよりも早く、音々が先に口を開いた。「二宮さん、今週お忙しくなければ、安人くんを預かって頂けますか？」綾は願ってもない申し出だったが、音々の言葉に少し引っかかるものを感じた。「私は安人の母親ですから、彼の面倒を見るのは当然なので、特に面倒くさいってことはありません」それを聞いて、音々は微笑んだ。「誤解しないでください。ただ、あなたにもお仕事があるでしょう。誠也と私は、お預けする前に相談すべきだと思ったまでです」まるで女主人のような口ぶりだった。綾は音々を見ながら、文子があの日言っていた言葉を思い出した。この様子だと、どうやら、音々が息子の義理の母になるのは決まりのようだ。綾は少し複雑な気持ちだった。誠也と音々はまだ若い。結婚すれば、きっと自分たちの子供もできるだろう。それなのに、彼は何故安人にこだわるのだろうか。しかし、今はそんなことを考えている場合ではない。息子が病気なのだ。まずは息子の容態を第一に考えなければ。「私は安人の母親です。彼のためなら、いつでも時間を作れます」そう言うと、綾は安人を抱きかかえ、自分の車へと向かった。音々は綾の後についてきて、後部座席のドアを開けてくれた。綾は毎日優希を幼稚園に送迎しているので、車には常にチャイルドシートが設置してある。綾は安人をチャイルドシートに乗せると、シートベルトを締めてあげた。「二宮さん、少々お待ちください。安人くんの薬をお持ちします」と音々は言った。綾は軽く返事した。音々はくるりと背を向け、急いで中へと戻っていった。車の横に立っていた綾は、ふと視線を向けると、一階の大きな窓際に立っている男性の姿を見かけた。男性は黒いスーツ
碓氷先生、奥様はもう戻らないと 第470話
克哉は眉をひそめた。悠人の泣き声がますます大きくなった。克哉は悠人を見ながら、目覚まし時計に映る航平の明るく端正な顔が頭に浮かんだ。「克哉、いい知らせがある。俺、父親になるんだ！」「なんだよ、その顔は？俺が若くして父親になるのが羨ましいのか？ああ、今回の任務が終わったら、遥にプロポーズするんだ！」「おい、克哉、なんだその顔、気に食わないのか？なあ、子供が生まれたら、名付け親になってくれよ！いいだろ？」克哉は目を閉じ、込み上げてくる感情を抑え込んだ。そして、彼はベッドの脇に腰を下ろし、悠人の胸を優しく叩いた。「いい子だ、お父さんはここにいるぞ」悠人の泣き声が徐々に小さくなった。その夜、克哉は悠人のそばに付き添った。空が白み始めた頃、悠人は喉の渇きで目を覚ました。目を開けると、克哉が自分のベッドの脇でうたた寝しているのを見て、驚いた。ベッドからの気配を感じ、克哉は眉をひそめ、目を開けた。すると、二人の視線が思わず合った。悠人は少し怖がりながら、「おじ......おじさん」と言った。克哉は立ち上がり、無表情で悠人を見た。「ひ弱だな。君のお父さんは昔、五人の敵を相手に一滴の涙も流さなかったんだぞ。君は昨夜、一晩中泣いていたそうじゃないか。恥ずかしくないのか」悠人は尋ねた。「......おじさん、お父さんと友達なの？」「誠也のことか？」悠人は頷いた。「よく聞け、彼は君のお父さんではない。今日から、君は碓氷ではなく、俺の姓である綾辻を名乗るんだ」悠人は呆然と彼を見つめた。克哉は彼の鈍感な様子が気に入らなかったが、航平の息子だと考えると、どうにか我慢して言った。「君のお父さんは森山航平というとても強くて、素晴らしい人なんだ。だから、君も彼の息子として、もっと強く、勇敢になれ。彼に恥をかかせるな！俺は彼と親友だった。だから、君を実の息子のように思い、最高の暮らしをさせてやる。これから俺を義理の父だと思ってくれていいよ」悠人の胸が締め付けられた。柚に言われた言葉を思い出した。自分の父親は、本当は彼らがいうあの人ではないのだ。しかし、これは秘密だ。悠人は、穏便に暮らしたかったら、この秘密をなんとしても隠して通さなければならないことを知っていた。彼は克哉を見て、素直に言った。「
碓氷先生、奥様はもう戻らないと 第469話
音々は彼の様子を見て、全てを察した。そして安人に「お父さんのところへ行っておいで」と優しく声をかけた。安人は頷くと、自分でドアを開けて部屋に入った。丈はドアを閉めた。「彼の様子はどう？」音々は尋ねた。丈はため息をつき、首を横に振った。音々は眉をひそめた。丈は時計を見て、「私はもう帰るよ。あなたからもう一度彼を説得してみてくれ。また明日来る」と言った。「うん」と音々は答えた。丈が帰ると、音々はドアを開けて部屋に入った。誠也はベッドに横たわり、左手を布団の下に入れ、右手には点滴の針が刺さっていた。安人は彼の傍らに座り、静かにパズルで遊んでいた。小さな姿がとてもかわいらしかった。誠也は息子を優しい眼差しで見つめていた。その光景は、見ているだけで心が温まるようだった。音々はベッドの脇まで行き、「佐藤先生もう帰ったよ」と静かに告げた。誠也は小さく返事をすると、息子の頭を撫でた。「安人」安人は顔を上げて誠也を見た。「こちらは中島おばさんだ。お父さんが信頼している人だから、これから言うことをよく聞くんだぞ」安人は素直に頷いた。音々は誠也に話したいことがあったが、安人の前では話しづらかった。そこで彩に頼んで、安人を階下に連れて行ってもらった。寝室には誠也と音々だけが残った。誠也は数回咳き込んだ。音々は帰り道で起こった出来事を誠也に話した。話を聞いた誠也は、真剣な表情で言った。「桜井グループは最近、かなり大胆な動きをしているな。柏さんの後ろにいる人物が、焦り始めているんだろう」「森山さんが残した手がかりはあんまりにも少なくて」音々も真剣な面持ちで言った。「でも、最近の柏さんの動きから見ると、もうあの和平部隊で行った『グレーミッション』にあなたも関わっていたことを知っているようね。あなたがずっと恐れていたことが、ついに起きてしまったのね」それを聞くと誠也も眉をひそめた。音々は彼を見ながら、考え込むように言った。「もしかして、克哉があなたを裏切ったんじゃないかしら？」「彼はそんなことはしない」誠也は視線を自分の左手に向けた。「確かに彼は恨みを持っているし、俺への仕返しを考えているかもしれない。だが、彼は軽はずみな行動はしないはずだ」それを聞いて、音々は額を抑えた。「敵は
碓氷先生、奥様はもう戻らないと 第468話
それを聞いて、綾は軽く頷いた。「分かりました」「安人くん、こっちにおいで」音々は安人に手招きした。安人は素直に音々のそばまで行った。音々は安人の頭を撫でた。「あなたのお母さんとおじいさん、おばあさんにバイバイして」安人は手を上げた。「母さん、おじいさん、おばあさん、おじさん、バイバイ」別れを告げると、大人たちは音々が安人を連れて行くのを見送った。音々は誠也の車で来ていた。後部座席のドアを開けると、チャイルドシートが設置されていた。音々は安人をチャイルドシートに座らせ、シートベルトを締めてあげた。そして、ドアを閉めて振り返り、玄関に立っている綾たちに軽く会釈すると、運転席側へ回り込んでドアを開け、車に乗り込んだ。間もなく、マイバッハは、Uターンして走り去った。文子は車が遠くまで走り去り見えなくなるまで見送ってから、綾の方を向いた。「この中島さんは碓氷先生と親密そうね？それに安人くんも彼女に懐いているみたいだけど？」しかし、綾はそんなこと構わなかったようだ。「安人によくしてくれれば、それでいい」「もう、一体どういうことなのよ！」文子は不満そうに言った。「碓氷先生は離婚を渋っていたから、てっきりあなたに未練があるのかと思っていたのに！離婚した途端、すぐに新しい女が現れるなんて。しかも、どう見てもあの女、安人くんの義理の母になるつもりみたいじゃない！」「少し黙っていろ」史也は妻を脇に連れて行った。「綾をこれ以上心配させるな」「私も安人くんが心配なのよ。碓氷先生の周りの女が、今までどんな人たちだったか考えてもみて。安人くんが意地悪な女に虐められないか、心配で仕方ないんだよ！」「彼も、さすがに実の息子をないがしろにするような真似はしないだろう」「もういい。男には、女の気持ちなんて永遠に分からないのね！ふん！」文子は史也を睨みつけると、綾の手を引いて家の中に入った。......音々が安人を連れて帰る途中、3台の乗用車に囲まれて停車させられた。そこは人気のない場所で、悪いことをするにはもってこいの場所だった。音々はシートベルトを外し、後部座席の安人に言った。「ちょっと彼たちと話をしてくるから、いい子で待っていてね」安人は頷いた。音々は童謡チャンネルをつけ、音量を上げてから、車のドアを
碓氷先生、奥様はもう戻らないと 第467話
中島音々？綾は眉をひそめ、音々のそばまで来て、彼女をじっと見つめた。すらりとした長身に、モダンな黒いドレス。無造作にまとめられた長い髪。顔立ちは綺麗だが、派手ではない。白い肌と強いオーラが印象的だ。綾は音々としばらく見つめ合った後、静かに言った。「中島さん、すみません、私はあなたを知りません。安人の母親として、言葉だけで彼をあなたに渡すわけにはいかないんです」音々は軽く微笑んだ。「ええ、分かります」そしてスマホを取り出し、誠也に電話をかけた。スピーカーフォンにして、呼び出し音が二回鳴ったところで電話に出た。低い男の声が聞こえてくる。「音々、安人を迎えに行ったのか？」「誠也、実はね、二宮さんとご家族が私をあまり信用してくれなくて。だから、あなたから直接話してもらえないかしら」「分かった。綾に電話を代わってくれ」音々は綾にスマホを渡した。綾はスマホを見つめ、怒りを少し含んだ声で言った。「誠也、どういうつもりなの？」「安人を迎えに行くよう、音々に頼んだんだ」誠也は落ち着いた声で、まるで何でもないことのように言った。しかし綾にとっては、息子を奪いに来たも同然だった。しかも、見知らぬ女を使って。「柚先生がいなくなって、今度は中島さん？」綾は冷笑した。「誠也、あなたには安人を育てる時間もないんでしょ？だったら彼を私に返して！」「安人の戸籍は既に碓氷家にある以上、彼は碓氷家の未来の後継者だ。だから彼には碓氷家に戻って来てもらわないといけない」誠也は低い声で言った。綾は眉をひそめた。「あなたにとって、彼は財産を継ぐための道具なの？」電話の向こうで、誠也は小さくため息をついた。「綾、そういうことじゃない。子供たちは二人とも俺たちの子供だ。離婚したんだからって、その事実には変わらないから、一人ずつ育てるのは当然のことだろ。優希は少し繊細だから、お前に育ててもらう方が安心だ。安人は、俺が育てたい。もちろん、お前が安人に会いたければそれを制限するつもりはない。いつでも会いに来ていいんだ」綾はスマホを睨みつけ、込み上げる怒りを感じた。だが、彼女もこれ以上話しても無駄だと分かっていた。誠也は常に利益を優先する人間だ。安人を碓氷家の後継者として育てることを決めた以上、今日必ず連れて帰るだろう。綾は安人と離
碓氷先生、奥様はもう戻らないと 第466話
裁判官から見ると、基本的には兄弟不分離を前提としてはいるが、しかしすでに戸籍上別々となっているわけだから、それを覆すのには相当難しいと考えられるでしょう。さらに、誠也の社会的地位を考えると、それが判決を大きく左右することは目に見えているのだ。また、碓氷家には跡取りが必要な点からしても、誠也はそう簡単に諦めないだろう。もちろん、これらは葛城弁護士が長年担当してきた事件から得た大まかなデータ予測だ。法律は変わらなくても、裁判官は人間だ。法に則った上でも、実際に判決を下すのは人間なわけだから、裁判官によっては異なる判決をする可能性だってあるはずだ。それを言われ、綾はようやく納得できた。葛城弁護士の話を要約すると、現実的に安人の戸籍が碓氷家にある上今の彼女には誠也と張り合えるほどの実力もないので、子供二人とも引き取れる可能性は極めて低い、ということだ。しかし、それでも綾はこの裁判を戦わなければならなかった。息子をやっと取り戻せたんだ。4年間も離れ離れになったその分だけの愛情を埋め合わせるのに、彼女は全力を尽くしたいと考えたのだ。......それからの一週間、文子と史也はずっと雲水舎に滞在していた。その間、雲水舎には笑い声が絶えなかった。安人は兄だが、生まれつき体が弱く、優希のように独立心旺盛な性格でもないので、新しい環境に慣れるのに時間がかかっていた。そして、多くの場合、優希に連れられてようやく馴染んでいたのだった。だから、大人たちもあえて二人にどちらが年上かを強調しなかった。生まれて数分しか違わないのだから、どちらが上の子でも問題ないのだ。二人は今の姉弟の関係性にすっかり慣れていたので、大人たちは当面、介入しないことにした。しかし、このことは優希には隠しきれなかった。この頭の回転が速い女の子は、大人たちが話をしている時、そばで遊んでいるように見えて、実は真剣に聞き耳を立てていたのだ。そして、彼女は黙って聞いているうちに、それらのことを心に留めていた。月曜日の朝、綾が優希を幼稚園に送っていく途中、優希は綾にこっそり尋ねた。「母さん、安人くんって、私のお兄ちゃんなの？」綾は驚き、娘の方を見た。優希は綾にウインクして、「母さんとおばあさんの話を、こっそり聞いちゃった！」と言った。綾はため
