LOGIN「その必要はないけどね」桜は言った。「過ぎたことはもういいの。今で十分幸せだから」それを聞いて、寧々は唇を尖らせて言った。「それで、何時に帰るの?」「岡崎さんはもう帰ったの?」と桜は尋ねた。「岡崎さんなら、もう朝早くに出発したよ。8時ごろかな、挨拶に来てくれたんだ。でも、あなたがまだ寝てたから、よろしく伝えてって言ってた」桜は頷いた。「じゃあ私、荷物をまとめてくるね。あなたは飛行機のチケット取って。早く帰って安人に会いたくなっちゃった」寧々は眉を上げてニヤリとした。「あらあら、たった二日会ってないだけなのに、もう恋しくなっちゃった?」桜は軽く彼女を睨んだ。「ここにいても退屈じゃない!」「はいはい、そうでしょうね。碓氷さんがいないと、そりゃ退屈で時間も長く感じてしまうよね」そう言われると、桜は返す言葉が見つからなかった。……午後2時、飛行機は北城空港に到着した。ネットのトレンドになっていた件もあり、輝星エンターテイメントは桜の移動がバレないよう、迎えに専用車を手配してくれた。車に乗ると、桜はマスクを外した。「このままWVTechに行きたいんだけど」寧々は一瞬きょとんとして、振り返って彼女を見て言った。「そんなに急いで会いたいの?」桜は彼女の肩をポンと叩いた。「だって、旦那さんが働いてるところ、まだ見たことないんだから。どうせ時間あるし、ちょっと見に行きたいなって!」それを聞いて、夏帆がスマホを取り出した。「それじゃあ、碓氷さんに連絡しますね」「待って!」桜は慌てて彼女を止めた。「言っちゃダメ!」夏帆は一瞬戸惑ったが、すぐに察した。「碓氷さんを驚かせたいんですね?」桜は頷いて、言った。「でも、どうやったら安人にバレずに、こっそりオフィスまで行けるかな?」「簡単ですよ!」夏帆は笑った。「新太さんに下まで迎えに来てもらえばいいんです!」……一方、夏帆から電話がかかってきた時、新太は会議室にいた。ちょうど役員会議の真っ最中で、安人は議長席に座っていた。新太はスマホを手に、会議室の外へ出て電話に出た。桜が来ると聞いて新太は少し驚いたが、それが安人へのサプライズだと知った途端、一瞬にして興奮してきた!これは社長夫人に恩を売る絶好のチャンスだ!それに、社長夫人が社長にサプライズを
一方、ネットでそんな騒ぎになっているなんて、桜は知る由もなかった。彼女はその夜は、ひたすらぐっすり眠っていた。目が覚めると、外はもうすっかり明るくなっていた。激しい雨もすっかりやんでいる。桜はベッドから体を起こして時間を確認した。すると、なんと午前10時を回っていた。桜は頭を揉みながら、昨日の夜のことを思い出そうとした。悠翔と赤ワインを飲んだことは覚えている。確か、そのあと安人とビデオ通話をしたような気がする。記憶が飛んでいるわけじゃなかった。むしろ、少し考えただけで昨日の自分が言ったことや、したことがはっきりと思い出せた。それに、安人に話したあの甘ったるい声のことも……桜は思わず手で顔を覆った。最悪……あの時、寧々と夏帆もいたのに……もうお酒は飲まないようにしよう。お酒に弱い上に、酔うと本当にタチが悪いんだから。そう思いながら、桜は布団をめくると、スリッパを履いて部屋を出た。ドアは開けっぱなしになっていた。寧々と夏帆はソファに座り、スマホを手に顔を寄せ合って話している。「宮田のガチ恋ファン、今日はショックで倒れてるかもね!」夏帆が頷く。「自業自得よ。桜さんを甘く見たらどうなるか、思い知らせないとね」寧々は口元を隠して笑った。「さすが碓氷さんよね。あっという間に宮田のスキャンダルを全部暴露しちゃうんだから!実は昨日、現場で彼のこと少しおかしいと思ってたの。何度も桜さんに話しかけてきて。でも、コーラスのことで打ち合わせしたいって言うから、あまり気にしなかったんだけどね」「それにしても、彼がそこまで浅はかだとは思わなかったわ。桜さんはもう、誰でも売名行為に利用できるような人じゃないのにね。それに、桜さんは今や輝星エンターテイメントがイチオシのタレントだってこと、宮田は分かってなかったのかしら!」「そうよね。桜さんと碓氷さんの関係がまだ公になっていなくても、後ろには輝星エンターテイメントがついてるんだから。ちょっかいを出してくるなんて、よほどのバカじゃないとしないわよ!」そこへ、桜は二人に近づきながら尋ねた。「誰がバカだって?」桜の声に、二人は同時に振り返った。「桜、起きたのね!」寧々はすぐにスマホを置いて立ち上がった。そして桜の前に立つと、彼女の顔をのぞきこんで言った。「気分はどう?頭は痛く
写真の中の桜は、ある男性タレントと親密そうにしていた。その男性タレントは宮田拓真(みやた たくま)という。彼はアイドルグループ出身で、今はソロで活動している人気アイドルだ。彼のガチ恋ファンは、一人ひとりの攻撃力が半端ないことで有名だった。暴露記事が出るやいなや、拓真のガチ恋ファンがすぐに、有無を言わさぬ勢いで桜を叩き始めた。拓真のファン:【これ、桜じゃん!拓真、あんた何やってんのよ】拓真のファン:【これは拓真のせいじゃない。桜が売名行為をする常習犯だっていうのは、この業界じゃ有名な話じゃない。共演した俳優はみんな彼女の炎上商法に利用されるのよ。この写真だって、どうせ桜が仕組んで撮らせたに決まってる!ああ、むかつく!輝星エンターテイメントも、もっといいタレントがいるのに、なんで芸能界の厄介者みたいな桜と契約したわけ?弱みでも握られてるの!】拓真のファン:【桜のファンはさ、彼女が前売れなかったのは全部事務所のせいだとか言って必死に擁護してたよね?『枕営業を断ったから炎上キャラに仕立て上げられた』とか言ってなかった?じゃあ今はどうなの?事務所は輝星エンターテイメントに変わった。業界で一番まともで評判のいい事務所なのに、やってることは前と一緒じゃん。男を見ればすぐに飛び掛かって!本当に気持ち悪い!桜ファンは、これでもまだ擁護するつもり?】……こうして、拓真のガチ恋ファンたちは勢いづいて、桜のツイッターにまで乗り込んで罵詈雑言を浴びせ始めた。桜のファンたちも、もちろんこれを黙って見ていられるはずがない。ここまで言われて、言い返さなかったら、なめられてしまう!桜ファン:【ファンは推しに似るって言うけど、本当に口が悪いわね!妄想癖を棚に上げて、よくも人のせいにできるわね。うちの桜りんは、今や輝星エンターテイメント所属よ。仕事なんていくらでもあるのに、あんたたちの知名度を利用する必要ある?】桜ファン:【拓真のガチ恋ファンがヤバいって噂は聞いてたけど、百聞は一見に如かずだね。すごいわ。その調子で頑張ってね。あんたたちのトップアイドル拓真様の人気は、親愛なるガチ恋ファンのおかげなんだから】桜ファン:【頭おかしいんじゃないの。たった数枚の写真で、うちの桜りんが売名目的で拓真を利用したって決めつけるわけ?今の桜りんに、あんたたちを利用する
悠翔が帰った後、桜はすぐに安人にビデオ通話をした。時刻は、夜の9時過ぎだった。桜はソファに体をうずめて、両手でスマホを掲げていた。画面に映る彼女の頬はほんのり赤くて、それがはっきりと見えた。安人は彼女の顔をじっと見て、少し眉をひそめた。「お酒、飲んだのか?」「うんうん!」桜は頷いた。瞳はうるんでいて、口調もいつもより少し甘えた感じだ。「岡崎さんが、結婚祝いだからって、どうしても飲めって言うから!」安人は一瞬黙ったあと言った。「あの野郎、帰ってきたら覚えてろよ」「やめてよ!」桜は唇を尖らせた。「岡崎さん、ご祝儀までくれたんだよ。受け取ってよかったのかしら?」「遠慮するな。もらっておけ」桜はぱちくりと瞬きした。「でも、まだ結婚式もしてないのに。入籍しただけなのにご祝儀をもらうなんて、いいのかな?私の地元じゃ、そんなのあり得ないよ」「他人だったらそうかもしれないけど、悠翔は違うだろ。あいつは身内みたいなものだから、そんなに気にしなくていい。それに、くれたっていうことは、心から受け取ってほしいってことなんだよ。断るほうが、かえって他人行儀に思われて、あいつ拗ねちゃうよ」桜は酔っていて、頭の回転が少し鈍くなっている。しばらくして、彼女はやっと頷いた。「うん、わかった。じゃあ、心置きなく受け取っておくね」そんな彼女を見て、安人は聞いた。「どれくらい飲んだんだ?」「ちょっとだけ!ほんの一杯!」桜は手でジェスチャーした。「ワイングラスに半分もなかったよ。赤ワインって、そのまま飲むと美味しくないね。酸っぱいし渋いし。なんでみんなこれが美味しいって思うんだろう?」「俺もあまり好きじゃないな」安人は口元を緩めた。「好きじゃないなら、もう無理して飲むなよ」「私はやっぱり甘いお酒が好きだな」桜はそう言うと、目を細めて笑った。「あなたが作ってくれるのが一番好き!」「なら、帰ったらまた作ってやるよ」「うん!」桜は手で口をおさえ、あくびをした。「早く家に帰りたいな。外はまだすごい雨だし……もし明日も雨がやまなかったら、どうしよう?」「大丈夫だよ。おとなしく寝なさい。朝、目が覚めたら、きっと良い天気になってる」「ほんと?」酔っぱらった桜は、甘え始めた。「嘘はダメだよ!」「嘘はつかないさ」安人は酔ってうとうとしている桜を見
悠翔はスマホを桜に返しながら、彼女の顔を見て言った。「この前ネットのニュース見たよ。すごく心配になって、安人さんにも電話したんだ。でも、安人さんは何も教えてくれなくてさ。『彼女とは上手くいってる』って言うだけ。でも本当は、あの時なにかあったんだろ?」そう言われ、桜はぴたりと動きを止めて、悠翔のことをしばらく見つめた。あの浦豊町での一件から、もう2週間ほど経っていた。桜も、自分からあの時のことを思い出すことは、ほとんどなくなっていた。でも、こうして悠翔に聞かれて思い出すと、なんだかずっと昔のことのように感じられた。「うん、確かに色々ありました。でも、安人が私を助けてくれたんです。あの経験は本当に怖かったけど、今思うと、神様が与えてくれた試練だったのかもしれないですね。私はそれで救われました。もしあの出来事がなかったら、私はきっと、ずっと臆病なまま逃げ続けていたと思います」悠翔は桜を見て言った。「詳しいことは分からないけど、前に会った時と比べて、すごく変わったと思う。前の君は、いつでも安人さんと別れる準備ができているように見えた。でも今回は、もうすっかり覚悟が決まった顔をしてる」桜は少し驚いた。「そんなに分かりやすかったですか?」「ああ。自分じゃ気づかないものさ」桜は少し恥ずかしそうにうつむいた。「岡崎さんは、やっぱり鋭いですね」悠翔は眉を上げた。「じゃあ、もう決心したんだ。二度と安人さんとは別れないって?」「別れるわけないじゃないですか!」隣にいた寧々が、ついに我慢できずに口を挟んだ。「桜さんはもう、碓氷さんと入籍したんですから!」そこで、夏帆も付け加えるようにして言った。「入籍しただけじゃないですよ。ご両親にも挨拶済みで、今や桜さんはもう名実ともに碓氷家の若奥様なんです」それを聞いた、悠翔は「はっ?!」と驚いた。待てよ、なんで俺には誰も言ってくれてなかったんだ?桜は、目を丸くする悠翔を見て、思わず笑ってしまった。「岡崎さん、わざと隠してたわけじゃないんです。ただ、まだ公にするつもりがなくて……」「公表しないにしても、俺には一言くらいあってもいいだろ?」悠翔は怒った。「桜さん!俺はあんたの大ファンなんだぞ!それに、安人さんとは兄弟みたいなもんなんだ!入籍なんて一大事を、俺に一言も言わないなんてどういうことだよ
悠翔はスーツ姿で、髪も少し短くしていた。どことなくビジネスマンらしい雰囲気をまとっていた。「俺は出張でね」悠翔は桜を見て言った。「君はどうしてここに?」「音楽番組の撮影です」桜はあたりを見回した。「急な豪雨で帰れなくなって、ロケ班が部屋をおさえてくれたんですけど、安人がどうしてもこのフロアの部屋がいいって言うから……」「いかにも彼らしいな」悠翔は笑った。「安人さんは、君のこと、目の中に入れても痛くないくらい大事にしてるからね」桜は頬に手を当てた。「他のタレントさんに見られて、特別扱いされてるって思われちゃうから困ってます」「自腹で部屋を変えたんだから、文句を言われる筋合いはないさ」悠翔は少し間をおいて言った。「俺も今日、星城市に帰る予定だったけど、この豪雨じゃあ仕方ない。もう一泊するしかないよ。せっかくだから、今夜は俺が奢る。ルームサービスにする?それとも下のレストランの個室で食べるかい?」「エレベーターで他のタレントさんと会うかもしれないから、ルームサービスにしません?」桜は言った。「岡崎さん、もしよかったら私の部屋で食べるのはいかがですか?」「いいね。君は今や超人気者なんだから、外では確かに気をつけないとね!」「では、どうぞ!」桜は笑顔で悠翔を部屋に招き入れた。悠翔はにこりと笑って、桜のあとについて部屋に入った。……一方、安人は会議を終えてオフィスに戻ったところ、個人のスマホのライン電話が鳴った。桜専用に設定している着信音だ。安人はスマホを取り出すと、オフィスのドアを閉め、ロックを解除してビデオ通話に出た。「やあ、久しぶりだね、安人さん」画面の向こうに、悠翔の整った顔が大きく映し出された。それを見た、安人は一瞬黙ったあと言った。「なんでお前なんだ?」安人はデスクの前に座ると、眉をひそめ、あからさまに嫌な顔をした。「お前の顔なんて見たくない。俺の奥さんにスマホを返せ」「ひどいな、奥さんができたら、こっちはもう用済みかよ!」悠翔は皮肉たっぷりに言った。「前に桜さんのことをよろしくって頼んできたときは、そんな態度じゃなかったくせに!」安人は冷めた表情で悠翔の言葉を無視し、ただ尋ねた。「桜はどこだ?」「ここにいるよ!」悠翔は呆れたように言い、安人のデレデレぶりに我慢ならないという様子で、
そして、蛍はベッドから降りて、バスルームに入った。まもなく、バスルームからシャワーの音が聞こえてきた。冷たい水が頭からつま先まで降り注ぎながら、蛍はシャワーヘッドの下で、唇を固く結び、びくともせずに立っていた。......一方で、二階の主寝室には、小さなベランダがついていて、花梨が詩乃のためにうどんを作って、ちょうど運んできたところだった。詩乃はあまりお腹が空いていなかった。でも、赤ちゃんのためを思うと、食欲がなくても少しは食べなければいけないと思った。彼女は小さなテーブルの前に座って、静かにうどんを食べていると、その隣で浩平が黙って立っていた。そんな彼の背の高いす
それから優希がレストランに着いて、お店に入ったとたん、バッグの中のスマホが鳴った。彼女は足を止め、スマホを取り出した。知らない番号だった。電話に出ようとした、その時だった。窓際の席に座っていた男性が立ち上がり、こちらに手を振っているのが見えた。優希は、それが颯介だとすぐにわかった。チャコールグレーのスーツに身を包んだ、背の高い男性だった。優希がためらっているうちに、着信音は鳴りやんだ。彼女はもう気にせず、スマホをバッグに戻し、颯介の方へ歩いていった。近づくと、優希にも彼の顔がはっきりと見えた。写真とほとんど変わらない。キリっとした眉に、涼しげな目元。落ち
「法律事務所の仕事、また一人でやらされるの?」「どうせあなたは2週間も放っておいたんですし、今さら数日増えたって変わらないでしょう」優希はわざと言った。「でも、年末のボーナスはありませんからね」「ケチ!そうやって勘定が細かいんだから!」志音は笑って手を振った。「まあ、状況を見るわ。本当は帰りたくないんだけど、母が毎日うるさくて。結婚なんてしたくないのに!」「さっきは恋に憧れるって言ってたじゃないですか?」「恋に憧れるのと結婚に憧れるのは別よ」志音は指を折りながら数えた。「今年私たちが受けた案件を見てよ。6割が離婚案件なの。どの案件にも、依頼した女性の血と涙の歴史があるのよ。本当
優希に最後に会ったのは、もう1ヶ月も前のことだった。1ヶ月ぶりに会う優希は、だいぶ顔色が良くなっていて、頬も少しふっくらしたように見えた。哲也はゆっくりと視線を下にずらし、まだ平らな優希のお腹を見つめた。優希は落ち着いた顔で安人を見て言った。「お兄ちゃん、ちょっと外してもらってもいい?」そう言われ安人は眉間にしわを寄せて、不満そうだったが、何も言わずに部屋を出ていった。そして、ドアが閉まると、優希は前に進み出て、哲也に見つめられながら、ゆっくりとソファに腰を下ろした。哲也は、優希が私服に着替えているのを見て尋ねた。「今日、退院するのか?」「ええ」優希は彼を見て言った







