共有

第158話

作者: 雲間探
茜が部屋を出たあと、玲奈は自分の本を見つけたが、部屋には戻らず、それを持って二階の窓辺に腰を下ろし読み始めた。

三十分ほど経って、藤田おばあさんが煎じた漢方薬を運んできた。「玲奈、ここにいたのね」

玲奈は本を置いて立ち上がり、受け取りながら言った。「おばあさま、わざわざ運んでこなくても。誰かに呼んでもらえばよかったのに」

「体が弱ってるんだから、あまり動き回らない方がいいのよ」老夫人は別のソファに腰を下ろし、不機嫌そうに続けた。「本当は智昭に持って行かせようと思ったのに、書斎でカタカタやってるのよ。週末なのに、何がそんなに忙しいのかしらね」

さっき食堂で、智昭は優里にプロジェクトの話をしていた。玲奈は、きっとパソコンで説明した方が効率がいいと思って書斎に移ったのだろうと考えた。

玲奈はそんなことを思いながら、無言で碗を持ち上げて薬を飲み始めた。

今は寒い季節だから、薬もあまり熱くなかった。玲奈は碗を抱えてぐいぐい飲み干してしまい、それを見た藤田おばあさんは思わず眉をひそめた。「そんなに苦い薬、ゆっくり飲みなさいよ、玲奈」

玲奈は碗を置きながら言った。「大丈夫、そんなに苦くなかった」

口直しにと水を勧め、さらに老夫人はキャンディーも手渡した。

玲奈はそれを受け取らなかった。

夕飯の支度がもうすぐ整うころだったが、玲奈はすでに食事を済ませており、これ以上は食べられなかった。

藤田おばあさんはそのまま食事のために階下へ降りていった。

それから三十分ほどして、藤田おばあさんと茜が戻ってきたが、二人ともあまりいい顔をしていなかった。

老夫人は顔をしかめて言った。「こんな時間になっても、智昭はまだ会社に行くんだって。いくらなんでも無理しすぎじゃない!」

玲奈は読書に没頭していて、外で車の音がしていたことにも気づかなかった。

こんな夜遅くに智昭が出かけたのは、おそらく優里側のプロジェクトで何か問題が起きて、それを手伝いに行ったのだろう。

茜は玲奈の膝に顔を乗せて口をとがらせた。「パパ、私を連れてってくれなかった」

智昭が彼女を連れて行くはずがない。

もし智昭が彼女を連れて行ったら、藤田総研の誰もが彼に妻子がいること、しかも娘がこんなに大きいことを知ってしまう。

それじゃ優里の立場がない。

智昭が優里に批判の目が向くようなことを、許すはずがな
この本を無料で読み続ける
コードをスキャンしてアプリをダウンロード
ロックされたチャプター

最新チャプター

  • 社長夫人はずっと離婚を考えていた   第189話

    茜の体を洗って髪を乾かした後、玲奈もようやく自分の身支度をしようと思った。茜の部屋には自分のものがなかったため、彼女は主寝室へと向かった。主寝室は真っ暗で、智昭の姿もなかった。灯をつけた瞬間、思わず立ち止まり、ここは自分の知っている部屋なのかと一瞬疑った。この部屋で七年間暮らしてきた。だから、隅から隅まで見慣れているはずだった。それなのに今、目に映るすべてが、どこかよそよそしく感じられた。それもそのはず、部屋の中がすっかり変わっていたのだ。全部とは言えない。少なくとも床だけはそのままだった。けれど床以外は、シャンデリアも、カーテンも、ベッドも、ナイトテーブルも、窓辺の小さな丸テーブルも、ソファも、ローテーブルも、ラグマットさえも。そしてウォーターサーバーや湯のみまでもが、新しくなっていた。さらには、彼女がいつも使っていたドレッサーの姿もなかった。そこに並んでいた愛用の化粧品類も、影も形もなかった。ここまで変わっているのなら、この部屋から自分の痕跡はすべて消されたのだろうと悟った。まあ、そうよね。もうすぐ正式に離婚が成立するのだから。優里が彼を庇って怪我をしたと聞いたその日、智昭は帰ってくるなり、真っ先に新しい離婚協議書を差し出してきた。彼がどれだけ早く離婚を成立させて、優里に正式な立場を与えたがっているかは、一目瞭然だった。まだ離婚届が完全に処理されたわけでもないのに。それなのに、もう彼の中では自分の存在を消す準備は整っていたというの?玲奈が一歩後ずさりし、電気を消して部屋を出ようとしたそのとき、背後から田代さんの声が響いた。「奥さま」玲奈が振り返ると、田代さんがトレイを持って立っていた。その上には蒸し料理が一つあった。「田代さん」田代さんは微笑みながら言った。「これは、前におばあさまがお見えになったときに置いていかれた補品です。お時間のある時に、奥さまに煮て差し上げるようにと仰ってましたので」玲奈が言った。「うん、わざわざありがとう」「とんでもないです」そう言った後、田代さんは少し間を置いて口を開いた。「奥さまの私物は……月初めに、藤田さまのご指示で三階に移させていただきました。もし何かご入り用でしたら、私がすぐ取りに参りますけど、それとも……」彼女と智昭が離婚協議書にサインし

  • 社長夫人はずっと離婚を考えていた   第188話

    「それならよかった」辰也は少し安心したようで、それ以上は何も聞かなかった。玲奈は礼二にも軽く声をかけてから、会社を後にした。別荘に着き、茜の部屋に入ると、智昭は机に向かって仕事をしていた。彼女に気づくと、顔を上げて言った。「帰ってきたのか」玲奈は小さく答えた。「……うん」彼女はバッグを置いて、ベッドの方へ向かい茜の様子を見た。茜はまだ点滴中で、眠気に勝てなかったのか、小さな眉を寄せたまま眠っていた。玲奈は起こさずに、智昭に訊ねた。「様子は?」「俺が戻った時はまだ痛がってたけど、今はだいぶマシみたいだ」「……そっか」玲奈は傍のソファに腰を下ろし、本を取り出して読みながら、茜が目を覚ますのを待つことにした。そんな彼女を見て、智昭が訊ねた。「何か食べたか?」玲奈が「まだ」と言った。智昭が何か言いかけたところで、茜が目を覚ました。玲奈の姿を見て、嬉しそうに目を見開いて言った。「ママ?帰ってきてくれたの?」「うん」玲奈は本を閉じて立ち上がり、ベッドの傍に座ったが、言葉を発する前に茜が起き上がり、首にぎゅっと抱きついた。「ママ、やっと帰ってきてくれた」その柔らかな体に抱きつかれて、玲奈は一瞬動きを止めたが、そっと茜を抱き返した。針が刺さっている腕に触れないように気をつけながら。点滴をほとんど終えた茜は、顔色も良くなり、お腹が空いたようだった。「ママ、お腹すいた」智昭は椅子に座ったまま、体を向けて聞いた。「何か持って来させようか?」茜は玲奈の胸元に顔をうずめたまま、顔を覗かせて言った。「やだ、ママのごはんがいい」玲奈は答えた。「先に何か食べよう、今度ママが作ってあげる。今日は間に合わないから」「……うん」彼女はまたねだった。「じゃあ、ママも一緒に食べて」「いいよ」玲奈の顔を見ただけで、茜の表情ははっきり分かるほど明るくなった。点滴がほぼ終わり、智昭が針を抜いてくれると、茜は玲奈に「だっこして」と甘えて、夕食を食べに一緒に階下へ向かった。玲奈が茜を抱き上げた瞬間、思ったより重くなっていて、少し背も伸びたように感じた。たった二十日ほど会っていなかっただけなのに、もうこんなに成長してるなんて。「ママ?」玲奈がどこか思いつめたような顔をしていたせいか、茜はそっと手を伸ば

  • 社長夫人はずっと離婚を考えていた   第187話

    優里の話が終わると、玲奈は尋ねた。「藤田グループの方は?」その話になると、礼二は鼻をかいて言った。「知ってるだろ、藤田智昭ってこの業界出身だし、技術にも相当詳しいからさ」藤田グループは資金も潤沢だ。傘下の技術者たちも、業界で引く手あまたの人材ばかりだしな。しかも智昭自身がエンジニア顔負けに詳しいとなれば。彼が持ってきたプランは、悪いどころか……比べものにならないほど完成度が高い。たぶん、智昭があれだけ余裕をかまして、今になってようやく交渉に出てきた理由もそこにある。玲奈はそれを聞いても、特に驚いた様子はなかった。彼女は言った。「最終判断を下す時は、感情抜きで判断して」質の高いチームと組めば、余計な心配は減るから。智昭との個人的なことなんて、プロジェクトの前では取るに足らない。午後には、淳一も長墨ソフトに現れた。だが今回は、礼二は彼に会わなかった。淳一は相手にされないと分かると、あっさり引き上げた。淳一が離れた後に、辰也がやって来た。礼二と玲奈はそろって彼に会いに行った。辰也の新しい提案を読み終えたあと、礼二と玲奈は視線を交わした。考えが一致しているのを確認すると、玲奈はすぐに言った。「辰也さん、これからよろしくお願いします」彼女が長墨ソフトの決定権を持っていると察した辰也は、視線を彼女と礼二の間でさりげなく動かし、立ち上がって彼女、そして礼二と握手した。「よろしく頼みます」その場で、契約の細かな部分について話し始めた。外はだんだんと暗くなり、契約の大筋がまとまりかけた頃、玲奈のスマホが鳴った。発信者は茜だった。彼女は立て続けに二回かけてきた。玲奈はどちらも無視して切った。それきり、茜からの着信はなかった。その頃。智昭の方では、電話を取っていた。三十分後、彼は家に戻ってきた。茜はベッドに横たわり、点滴を受けながら、しおれた青菜のように弱々しく声をかけた。「パパ……」智昭はベッドの傍らに腰を下ろし、額に滲む冷や汗を見て、ハンカチを取り出して丁寧に拭いてやりながら尋ねた。「まだお腹痛いか?」「少しはマシになった……」だいぶ良くなったとはいえ、まだかなり辛かった。智昭は彼女を責めることなく、体調だけでなく気分も優れない様子を見て、優しく聞いた。「パ

  • 社長夫人はずっと離婚を考えていた   第186話

    優里はそれを聞いて「そう」と言い、鋭い視線で玲奈を見つめながら続けた。「では青木さん、私のこのプランのどこに問題があるのか教えてくれませんか?そちらのやり方を参考にして、改善させていただきますから」玲奈はその言葉を聞いて、優里が自分に難癖をつけていると思っているのだと気づいた。玲奈はふっと笑い、「大森さん、プランに問題があるのはそちらの責任です。自分たちで問題点を見つけようともせず、こちらに聞いてくるなんて、それっておかしくないですか?私たちは別に、必ずあなたと組まなきゃいけないわけじゃないんです。そんな質問をしてくるなんて、つまり私たちと組みたいのに、うちの会社が何を求めてるかすら把握していないってことですよね?それなら、そちらが私たちの基準にまったく届いていないってこと、ますます確信できました」優里は本当に玲奈がわざと難癖をつけてきたと思って、ああ言ったのだった。さっきの発言は、玲奈が自分のプランの問題を指摘できないと確信したうえで、わざと罠を仕掛けたのだ。もし玲奈が問題点を挙げたら、すぐにでも反論するつもりだった。だが意外だったのは、玲奈はその罠にまったく引っかからず、逆にそれを利用して、さらに大きな罠を仕掛けてきたことだった。心の中ではそう思いながらも、優里は表情を崩さずに言った。「青木さん、誤解ですよ。私が言いたかったのは、協力はお互いの利益になるものです。問題があるなら、きちんと話し合って一緒に改善すれば、双方にとってプラスになると思いませんか?」玲奈は水を飲む手を止め、少し驚いたように彼女を見た。彼女は言った。「大森さん、人とビジネスの話をするのは初めてですか?」優里は眉をひそめ、なぜそんなことを聞かれたのか分からずにいた。玲奈は彼女の返答を待たず、微笑みを浮かべながら静かに言った。「話し合って一緒に改善するなんて、それは家庭や学校の話です。商人は利益があるから集まり、なければ離れるもの。より良い選択肢があるのに、どうしてわざわざ遠回りをする必要があるんでしょう?」玲奈の口調は柔らかく、微笑さえ含んでいた。だがそれを聞いた優里は、内心でゾクリとした。玲奈を見つめながら、彼女は自分が玲奈を甘く見すぎていたと悟った。玲奈は湯呑みを優里の方にすっと押しやり、微笑みながら言った。「大森さん、お茶をどう

  • 社長夫人はずっと離婚を考えていた   第185話

    あちらには、礼二が食べたがっていた菓子が並んでいた。彼らもそちらに向かおうとしていたが、再びプロジェクト関連の話で声をかけられ、足を止めることになった。一方その頃、瑛二は優里に挨拶したあと、辰也と清司にも軽く会釈した。「島村さん、村田さん」辰也は軽く頷いた。その時、智昭も電話を終えてこちらへ歩いてきた。先ほど瑛二と玲奈が長い時間踊っていたことを思い出し、清司は鼻に手をやって、軽く咳払いをした。何にせよ、玲奈はまだ智昭の妻だ。これはさすがに……辰也の目もわずかに揺れた。だが、智昭はまったく気にした様子がなかった。瑛二の姿を目にすると、自ら声をかけた。「田渕さん」瑛二も呼び返した。「藤田社長」智昭は彼とグラスを軽く合わせ、一口だけ飲み、「しばらくだな」と言った。瑛二はグラスを指でなぞりながら、「確かに、しばらくだね」と返した。清司「……」まあ、余計な心配だったようだ。彼ら数人はそのまま談笑を始めた。玲奈と礼二は、別の相手に長いこと引き止められていた。二人はその後、智昭たちと顔を合わせることはなかった。時間も遅くなってきたので、主催者に挨拶だけしてその場を後にした。週明けの月曜、礼二が会社に着いたばかりの頃、藤田グループの桜井部長が来社しており、協力について話がしたいとの連絡が入った。その桜井部長と一緒に来ていたのは、優里だった。礼二「……」もしそれが智昭本人だったら、礼二は絶対に会わなかっただろう。だが、藤田グループの桜井部長とは昔から付き合いがある。智昭が桜井部長を通して話を持ちかけてきた以上、無下にはできなかった。さすがと言うべきか、智昭は人の動きを読むのが巧みだった。そのうえ、わざわざ優里まで同行させてきた。礼二のこめかみがずきずきと痛んだ。彼は歯を食いしばり、玲奈のもとへ行き事情を伝えた。玲奈は言った。「優里に会うくらい、別に大したことじゃないわ」会ったからといって、必ずしも契約するとは限らない。「それもそうだな」礼二は頷き、続けて尋ねた。「一緒に行くか?」玲奈は「行こっか」と返した。優里と桜井部長が応接室でしばらく待っていたところへ、ようやく玲奈と礼二が姿を見せた。礼二がドアを開けて入ると、桜井部長と優里が同時に立ち上がり迎え

  • 社長夫人はずっと離婚を考えていた   第184話

    玲奈は一瞬、動きを止めた。瑛二が再び彼女をダンスに誘ったが、彼にはそういう感情がないことは見て取れた。あくまで丁寧な謝意と、礼儀としての友好の証だった。彼が誠意を持って手を差し伸べ、玲奈もそれに応じて手を取った。辰也はすでにダンスフロアから離れていた。玲奈と瑛二が再び踊り始めるのを見て、彼の瞳に陰が落ちた。優里の目にも、瑛二が再び玲奈を誘ったことに一瞬の驚きが走った。智昭もそれを見ていた。彼は眉を上げて含みのある笑みを浮かべると、何事もなかったかのように優里とのダンスを続けた。しばらくして智昭に電話がかかってきて、彼は優里と一緒にダンスフロアを後にした。ちょうど清司もダンスを続ける気分ではなかった。彼は優里と共に、視線をずっと玲奈に向けていた辰也のもとへ歩いていった。玲奈と瑛二はまだダンスフロアにいた。清司はグラスを手に一口飲み、視線を玲奈に向けて言った。「瑛二は彼女に好意を持ってるようだな。でも田渕家の家柄を考えたら、たとえ本人がその気でも、家のほうが絶対に許さないだろう」何しろ玲奈は一度結婚して子供もいて、今の青木家は風前の灯。田渕家がそんな彼女を嫁として迎えるなんて考えにくい。清司はそこまで言葉にしなかったが、優里にはその意図が伝わっていた。首都に来てからというもの、彼女は藤田家、島村家、村田家、田渕家、徳岡家が一流の名門であることを知っていた。以前から彼女は瑛二の出自がただものではないと睨んでいて、もしかすると田渕家の人間ではないかと推測していた。まさか、それが本当に当たっていたとは。ただし、瑛二が玲奈に好意を持っているとしても、それが男女の関係を前提としたものとは限らない。ましてや玲奈が田渕家に嫁ぐなんて、そんな話は現実味がなさすぎる。そんなことを考えていたとき、瑛二と玲奈がダンスフロアを離れるのが見えた。瑛二は玲奈に軽く会釈をして、そのまま背を向けて去っていった。その背中からは、玲奈への未練や名残惜しさは微塵も感じられなかった。優里は小さく笑った。どうやら、彼女の読みは当たっていたらしい。やっぱり玲奈には、瑛二のような男を一目惚れさせるような魅力はないのだと、彼女は確信していた。清司は視線を戻して言った。「ずいぶん長く踊ってたし、小腹も空いてきた。

続きを読む
無料で面白い小説を探して読んでみましょう
GoodNovel アプリで人気小説に無料で!お好きな本をダウンロードして、いつでもどこでも読みましょう!
アプリで無料で本を読む
コードをスキャンしてアプリで読む
DMCA.com Protection Status