LOGIN愛していたはずの夫に、最後まで愛されることはなかった——。冷え切った結婚の末、彼女は離婚届を置いて去る。夫にとっては取るに足らない別れのはずだった。だが彼はまだ知らない。静かに去った元妻が、日本屈指の財閥を率いるCEOになることを。再会した彼女は手の届かない存在となり、今さら後悔してももう遅い。失ったのはただの妻ではなく人生そのものだと彼は気づく。捨てた男が愛を知り、頂点に立った女が過去と向き合う切ない離婚後ロマンス。今さら愛していると言われても、もう遅いのよ。それでもあなたは彼を許しますか?すべてを失った彼の愛は、彼女に届くのか——。運命が再び二人を引き寄せる。衝撃の再愛譚。必読。話題作!
View More道路に立ち尽くしている赤いポストに、真っ白な封筒を投函した。
あれほど愛していたのに、もうどうでもよかった。 ポストの奥で、コトンと小さな音が聞こえた瞬間、雨宮真澄は自由になった気がした。
これを受け取った後、彼がどう処理するかなんて、もう真澄には関係ない。
ポストから離れ、一歩、また一歩と後退する。濡れたアスファルトが靴裏に張りつくような感触を返してくる。この雨も、もうすぐ雪に変わるだろう。そう、彼に、心を奪われた夜の、あの大雪の日のように……振り返ればまだ赤い色が視界の端にあるのに、真澄はもう戻らないと決めていた。
たった2年間の結婚生活。
幸せだった時間は確かにあった。出会った頃の黒瀬司は穏やかで、彼女の話を楽しそうに聞いてくれる人だった。だが社長としての責務が重くなり、離婚した妻が、自分の友人と親しくしていることを知ってから、彼は「離婚した妻と残してきた子供たち」への未練や「血筋」や「未来の相続」という言葉を、悪気もなく会話の端々に混ぜるようになっていった。まるで真澄自身ではなく、彼の人生計画の一部として彼女たちが存在しているかのようだった。それでも、真澄は彼を愛していた。
今、目の前にある、その優しさが本心から来るものでないと気づきながらも、司の笑顔を見るたびに「まだ修復できる」と自分に言い聞かせてきた。転機は妊娠だった。
子供を身ごもったとわかった日、真澄は震えるほど喜んだ。新しい命は、二人の関係を結び直す糸になると思っていた。だが、その話をする前に、司の口からでてくるのは、二人の未来ではなく、「元の妻との子供たち」の話だけだった。その瞬間、真澄の胸の奥で何かが砕けた。胎内の鼓動を感じる前に、現実の重さだけが覆いかぶさった。仲がうまくいっていなかったのも事実だ。
仕事が忙しいと言っては、家に帰って来ない日が増えた。司は「会社に泊まった」「急な仕事で遠方に行った」などと、その都度言い訳をしていた。同じ家にいても食卓の会話は短く、寝室での距離は遠く、互いの沈黙は気まずさで埋まっていた。真澄が話そうとすると司に掛かってきた電話で遮られ、司が語る未来にはいつも「前の家族のため」が主語だった。だから彼女は決断した。
誰にも相談せず、ひとりで病院の予約を入れ、手術台に上がった。手術前の問診票に署名するとき、彼女は涙も迷いもすでに使い果たしていた。医師には「年齢が年齢なので、次に妊娠できる可能性が、限りなく低くなりますよ」と言われ、看護師には「お相手の男性ではなく、あなたの子供として、よく考えてください」と言われた。しかし真澄には、結婚したいほど愛している、司にも話していない、ある“事情”があった。それには、司の血を引く、自分との子どもを産むことはできなかった。真澄は、「母になるため」ではなく「自分でいるため」に選んだ初めての決断だった。
手術後、鏡に映った自分の顔はひどく青白かったが、心は不思議と静かだった。その静けさの中で、司に向けた手紙を書いた。便箋は一枚。インクは黒。文面は淡々としているのに、書き終えた瞬間、指が震えて止まらなかった。それは未練ではなく、長く抑え込んでいた自分自身の声が身体を通って外にあふれた反動だった。
雨は投函前から降っていた。
冬の雨は重く、あの日と同じ雪に変わりそうだった。だが、真澄は傘をささなかった。濡れた髪の先から滴る雫が、これまでの自分を洗い流してくれているような気さえした。
手紙の一部を、彼女は声に出さず唇だけでなぞる。
―この手紙を投函したら、私はあなたの世界から出ていきます。 責めるつもりも、憎むつもりもありません。 あなたはあなたの人生を、私は私の人生を、生きるだけです。
白い封筒はポストの中でもう濡れない。
だが彼女自身は、濡れたまま立っていた。最後にひとつだけ。 あなたを愛した時間は本物でした。 でも、あなたの愛を待ち続けた私はもういません。 私は自由になります。あなたも、どうかあなた自身のために生きてください。
赤いポストの前で、真澄は小さく息を吸い込んだ。
冷たい空気が肺に刺さる。それでも苦しくはなかった。今の彼女は、未来を誰かに託す人間ではなく、自分で未来を選び直す人間だったからだ。コトン という音は確かに終わりだった。
でも同時に始まりでもあった。さようなら。 雨宮 真澄
彼女はゆっくりと歩き出す。
信号は赤だったが、心はもう青になっていた。 踏み出す足取りは静かだが確固としている。濡れた路面に残る足跡はすぐ雨で消える。それでいい、と真澄は思った。消えるものに、もう縋らない。
残すべきは足跡ではなく、自分の人生そのものなのだから。事務所のドアが開いたとき、 最初に気づいたのは、莉子だった。「……あ」 思わず、声が漏れる。 視線の先にいたのは、司――そして、その隣に立つ真澄だった。 胸が、どくんと鳴る。 ずっと、どこかで分かっていた。 こういう日が来るかもしれないと。 けれど実際にその瞬間が訪れると、言葉が出なかった。 真澄は、少し緊張したような顔で立っている。 以前と変わらないようでいて、どこか違う。 強くなったのに、柔らかい。 そんな印象だった。 莉子は、一瞬だけ視線を落とす。 ――もしかしたら。 胸の奥に、ずっと引っかかっていた思いが浮かぶ。 自分たちがいたから、二人はうまくいかなかったんじゃないか。 自分たちがいたから、父は逃げたんじゃないか。 あの頃、ぶつけた言葉。 ぶつけてしまった感情。 間違っていたとは思っていない。 でも、それがすべて正しかったとも言い切れない。 子どもだった自分たちは、守られる側でいるしかなかった。 けれど―― 今は違う。 だからこそ、今日、この瞬間にどう向き合うかが、自分たちの答えになる。 その隣で、湊が、ゆっくりと立ち上がる。「……こんにちは」 落ち着いた声だった。 以前のような尖りはない。 ただ、まっすぐに相手を見る目。 真澄は、小さく頭を下げた。「こんにちは。お久しぶり……ですね」 その言葉に、湊はわずかに頷く。 久しぶり――確かにそうだ。 父と一緒に居る真澄に、ちゃんと向き合うのは、これが初めてなのだから。 湊は、ちらりと司を見る。 父の背中。 昔は、大きくて、遠かった。 そして、一度、信じられなくなった背中。 けれど今は違う。 逃げなかった。 向き合った。 何度もぶつかって、それでも踏みとどまった。 その姿を、ずっと見てきた。 だからこそ―― ここで曖昧にはしたくなかった。 男として。 一人の人間として。 きちんと区切りをつけるべきだと思った。 莉子は、一瞬だけ司を見る。「……パパ」 その呼びかけに、司は何も言わず、ただ頷いた。 それで、全部伝わった。 言葉なんていらない。 この場に立っていること自体が、答えだった。 莉子は、ふっと息を吐くと、真澄に向き直った。「真澄さん……」 その呼び方に、真澄の肩が少し揺れる。 莉子は、その
その連絡は、あまりにも簡潔だった。『少しだけ、時間をもらえないか』 差出人の名前を見た瞬間、真澄の指先が止まった。 司――。 画面を見つめたまま、しばらく動けない。 あれから、どれくらい経っただろう。 互いに距離を保ち、会うこともなく、それぞれの時間を歩いてきた。 仕事に没頭する日々。 自分の足で立ち、自分の意思で選び、進む毎日。 その中で、司の存在は消えたわけではなかった。 ただ、胸の奥の静かな場所に置かれていた。 触れれば揺れると分かっているからこそ、触れずにいた。 それなのに―― また、こうして呼び出されている。 真澄は一度、スマホを伏せた。 応じるべきか。 行くべきか。 それとも、このまま何もなかったことにするべきか。 答えは、すぐには出なかった。 だが、心の奥ではもう決まっていることにも、気づいていた。 ――逃げないって、決めたのは私だ。 小さく息を吐き、再びスマホを手に取る。『……わかりました』 短く、それだけを返した。 場所と時間はすぐに送られてきた。 夜の川沿い。 理由は書かれていない。 けれど、司らしいと思った。 飾らず、説明もしない。 ただ「来るかどうか」を委ねてくる。 真澄は、そのメッセージを見つめながら、ほんのわずかに笑った。 ――本当に、変わらない人。 そして同時に、少しだけ変わった人。 その両方を感じながら、静かに立ち上がった。 約束の場所は、夜の川沿いだった。 街の灯りが水面に揺れ、風はまだ少し冷たい。 真澄は、先に着いていた。 コートの襟を軽く押さえながら、川の向こうを見つめている。 時間には、少し早い。 だが、落ち着かなくて、じっとしていられなかった。 心が、妙に静かで――そして、少しだけ騒がしい。 ――来る。 理由はない。 でも、そう確信していた。 来なかったことは、これまでに何度もあった。 約束が守られなかったことも、一度や二度ではない。 それでも今は、不思議と疑いがなかった。 足音が、近づく。 気配が、背後に止まる。「……真澄」 背後から、聞き慣れた声がした。 振り返ると、司が立っていた。 数歩離れた位置で、足を止めている。 近づきたいのに、足が動かない。 その距離が、二人の過去そのものだった。 言葉にできなかった
あの日のレストランを最後に、真澄と司は、直接会うことはなかった。 連絡も、ほとんどない。 約束したわけではない。 だが互いに、今はその距離が必要だと、自然に理解していた。 それでも―― 完全に途切れたわけではなかった。 真澄は、仕事の合間に流れるニュースで、司の名前を目にすることがあった。 「地方運送会社、再建に成功」 小さな記事。 だが、その内容は確かだった。 五台のトラックで始めた会社は、着実に評価を上げているらしい。 安全管理の徹底、ドライバーとの信頼関係。 派手さはないが、堅実な経営。 記事を読み終えた真澄は、スマホを静かに置く。 ――ちゃんと、やってる。 それだけで、胸の奥に、静かな安心が広がった。 一方、司もまた、真澄の姿を別の形で知っていた。 経済誌の特集。 若き女性CEOとしてのインタビュー。 「感情ではなく、意思で選ぶことが大切です」 その一文に、司の手が止まる。 写真に写る真澄は、以前よりもずっと強く、そして穏やかな表情をしていた。 ――ああ、本当に変わったな。 そう思うと同時に、 自分もまた、変わり続けなければならないと、静かに決意する。 同じ頃―― 雨宮家の応接室では、恒一が真澄の祖父母と向き合っていた。「……真澄のことだな」 真澄の祖父・龍堂の低い声に、恒一は頷く。「はい。真澄さんは、もう以前の彼女ではありません。だからこそ、相手も変わっていなければ、並ぶことはできない」 真澄の祖母・静江は、静かに息をついた。「恒一くん、あなたはどう思っているの?」 その問いに、恒一は一瞬だけ言葉を選び、 まっすぐに答えた。「正直に言えば……僕は真澄さんが好きです。」 一度、言葉を切る。「でも、彼女はあの彼を忘れることができません。彼女が泣く顔を見るのは、僕にとって、一番辛いのです」「彼、黒瀬司氏は、変わろうとしています。今の真澄さんと並べる可能性があるとしたら、それは彼しかいないとも思っています」 部屋に、短い沈黙が落ちる。 父はゆっくりと頷いた。「最終的に決めるのは、あの子だ」「はい」 恒一は、迷いなく答えた。 それでいい。 それが、今の真澄にとって一番正しい形だと、誰もが理解していた。 さらに数日後―― 雨宮グループCEOのオフィスに
翌日。 真澄の元に、一通のメッセージが届いた。 朝の会議を終え、次の資料に目を通そうとした、その合間だった。 画面に表示された名前を見た瞬間、指が止まる。 短い文章だった。『昨日は、声をかけられませんでした。でも、会えてよかった』 それだけ。 返事は、求めていないような文面。 言い訳も、謝罪もない。 余計な言葉が、一切ない。 だからこそ――真っ直ぐだった。 真澄は、しばらく画面を見つめてから、スマホを伏せた。 胸の奥に、小さな波が立つ。 ――ずるい。 そう思いながら、胸の奥が、温かくなる。 あの場で何も言わなかったことも、 今、余計なことを言わないことも、 全部、あの人らしいと思ってしまう自分がいる。 返事は、打たなかった。 打てなかった、の方が近い。 まだ、自分の中で答えが出ていないことを、分かっていたからだ。 数日後。 司から、正式な連絡が入った。「……少し、時間をもらえませんか」 電話越しの声は、落ち着いていた。 焦りも、強引さもない。「答えを、急がせるつもりはありません。ただ……ちゃんと、話したいんだ」 その言葉に、真澄は一瞬、目を閉じた。 逃げる理由は、もうなかった。「……わかりました」 短く、そう答えた。 指定されたのは、静かなレストラン。 仕事でも、思い出の場所でもない。 “今の二人”のための場所だった。 席に着いたとき、互いに少しだけ緊張していた。 だが、それを無理に隠そうとはしなかった。 向かい合って座った司は、真澄をまっすぐに見た。「来てくれてありがとう。まずは謝らせてほしい。子どものこと、本当に申し訳なかった」 深く頭を下げた後、顔を上げて真澄を見る目は、逃げないという決意の目だった。「俺は……」 一度、言葉を切る。 考えてきたはずの言葉を、あえて選び直すように。「もう、あなたを守るって言葉を、軽々しく使いたくない」 真澄は、黙って聞いている。 視線を逸らさず、その言葉の重さを受け止める。「一緒にいられなくてもいい。俺を選んでくれなくてもいい」 その一言に、真澄の指先がわずかに動いた。 司は、続ける。「それでも、あなたが笑っていられるなら、俺は、それを一番近くで、見ていたい」 押しつけではない。 願いだった。 真澄の胸が、きゅっと締めつけら
reviews