LOGIN藤田総研ではやるべきことが多く、優里が仕事を一通り終えた頃には、すでに午後3時を回っていた。優里は少し考えてから、再び和真に電話をかけた。和真は優里からの着信を見て、一瞬ためらったが、やはり電話に出た。「もしもし?」「智昭は会社にいる?」和真は一瞬間を置いてから、「申し訳ありませんが、そちらはお伝えできかねます」と答えた。優里はすぐに理解した。これは智昭が会社にいるという意味だと。もし不在なら、和真はすでにそう伝えているはずだった。優里は軽く礼を言ってから電話を切った。その後、優里は車のキーを手にして藤田総研を出た。ほどなくして、彼女は藤田グループの前に到着した。優里は藤田グループの正面玄関を見上げ、車の中でしばらく座っていた。マスクを着けてから、ようやくドアを開けて車を降りた。この時間、藤田グループの1階には人影もほとんどなかった。優里が正面玄関から入ると、マスクをしていたにもかかわらず、受付は一目で彼女だと気づいた。これまで優里が藤田グループを訪れる際、マスクをしていたことは一度もなかった。受付の人たちも分かっていた。優里がマスクをしているのは、誰かに気づかれるのを避けるためだと……自分が今でも、何の連絡もなく藤田グループに入れることを確認して、優里はほっと胸を撫で下ろした。智昭のオフィスがある階に着くと、優里はマスクを外し、智昭のオフィスの前まで歩いていって、ドアを軽くノックした。しかし、誰も応答しなかった。優里がドアノブを回すと、反応する間もなく、慎也の声が聞こえてきた。「大森さん?」優里は淡々と頷き、慎也に尋ねた。「智昭は?」「藤田社長は用事があって、さっき出ていきました」優里は一瞬間を置いてから聞いた。「出かけた?いつ出かけたの?」「10分前です」優里は唇を引き結び、尋ねた。「じゃあ、今日は戻ってくる?」「申し訳ありません。藤田社長からは何も聞いていません」と慎也は答えた。そう言うと、彼は優里を見て、丁寧に尋ねた。「大森さん、応接室はあちらです。よろしければ、そちらで少しお待ちになりますか?」慎也は、優里がここで智昭を待つつもりなのか、それとなく探っているのだった。優里は慎也の問いには答えず、「分かった。それと、悪いけど智昭に電話してもらえる?」と言った。
大森家と遠山家の人たちは、まだ1階にいて眠っていなかった。徹が階下に降りてきたのを見ると、佳子が声をかけた。「こんな夜中に、そんなに慌ててどう……」徹は足を止め、みんなを見つめた。彼は目を赤くしながら、佳子の言葉を遮って口を開いた。「ネットに出てる情報って……本当なの?」佳子は言いかけた言葉を飲み込んだ。他の人たちも一瞬沈黙した。正雄はすっかり疲れ切っていた。だが、今この状況で、正雄が答えるのが一番適切だった。正雄は前に出て、口を開いた。「徹、私と彼女は前から性格が合わなかったんだ。彼女は頑固で、人の忠告も聞かず、ずっと離婚しようとしなかった。私が彼女と別れたのは、お前の母さんのせいじゃない」大森おばあさんは、孫の徹のことをとても大切に思っていた。そう聞くと、彼女は優しく声をかけた。「そうよ、徹。男女のことなんて、簡単に割り切れるものじゃないわ。よその人が言っていることを、何でも鵜呑みにしちゃいけないわよ」徹はそれを聞いて一瞬言葉に詰まり、それから視線を優里へと向けた。優里は伏し目がちに、淡々とした表情を浮かべたまま、徹を見ようともしなかった。大森おばあさんは、智昭と優里のことについても、徹がきっと尋ねてくるだろうと分かっていた。大森おばあさんは優里を一瞥してから、続けた。「それに、あなたのお姉ちゃんとお義兄さんのことなんて、もっと誤解されているのよ。智昭が最初に玲奈と結婚したのだって、そもそも彼女がせこい手段を使ったからなのよ。智昭はお姉ちゃんと知り合ってから、ずっと玲奈と離婚したいと思っていたのに、彼女がずっと離婚を拒んで、しがみついていただけなの。智昭が愛しているのは、最初から最後まで、お姉ちゃん一人だけよ。智昭がお姉ちゃんをどれだけ大切にしてきたか、あなたも知っているでしょう?それに、あの日、智昭がパーティーの席で前言を撤回したのも、子供の顔を立てるためだっただけよ」徹はそれを聞いても、何も言わなかった。だが、その視線は遠山おばあさんと佳子へと向けられた。徹は思った。もしみんなの言っていることがすべて本当なら、青木家が遠山家にしてくれた恩はどうなるのだろう?よその人たちが言っている、遠山家の人たちが青木家の恩を仇で返したという話も……何か誤解があるのかもしれない。しかし……
徹は我に返ると、「愛人の家系に生まれた」なんて表現は、きっとそのクラスメートが打ち間違えたのだろうと思った。徹は笑みを浮かべ、相手が打ち間違えたのかと尋ねようと文字を打ちかけた。だが、もう一度相手のメッセージを読み返すと、顔に浮かんでいた笑みが少しずつ消えていった。たとえ相手が打ち間違えただけだったとしても、あれほど刺々しい口調なのだから、もともと打とうとしていた言葉も、決して穏やかなものではなかったのだろう。ただ、徹はどうにも釈然としなかった。学校にいた頃は、みんなとの関係もそれなりに良好だったはずなのに、どうして急にこんな刺々しい口調で自分に話しかけてくるのか、徹にはさっぱり分からなかった。徹は、自分は相手の気に障るようなことをしたのだろうかと考えていると、また別の誰かがグループチャットにメッセージを送ってきた。【あいつの家は、代々愛人を輩出してる家系なんだから、普通の人と同じような厚かましさじゃ済まないだろ?以前、あいつは俺たちの前で自分の姉ちゃんと母親を散々持ち上げて、毎日のように「藤田社長が僕のお義兄さんなんだ」なんて自慢してたじゃん。俺はてっきり、あいつの姉ちゃんが藤田社長のれっきとした恋人なんだと思ってたよ。まさか、姉ちゃんも母親も、金と地位のためにわざと愛人になって、成り上がろうとしてるような性悪女だったなんてな。それなのに、あの藤田社長をまるで自分の本当の義兄みたいに、ことあるごとに口にしてたんだからな。この厚かましさは、誰にでも真似できるもんじゃないよ!】徹はスマホを強く握りしめ、勢いよくベッドから起き上がった。さすがに今となっては、いくら鈍い徹でも、クラスメートが打ち間違えたなどとは思わなかった。徹はスマホに表示されたメッセージを睨みつけ、怒りに任せてすぐに返信を送った。【君たち、何をデタラメ言ってるんだ!僕が何かお前らの気に障ることをしたなら、僕に直接言えばいいだろ。母さんや姉ちゃんのことを勝手にでっち上げて、それでも男かよ!】徹がメッセージを送ると、相手からすぐに返信が返ってきた。【お前んちが金を使ってネット上の情報を揉み消したからって、何事もなかったことにできると思うなよ?自分でやったくせに、認める度胸もねーのか?それに、俺のことを男じゃないって言うけど、お前はどうなんだよ?母親が人
執事も、優里が茜に電話をかける可能性はあると考えていた。そして優里から電話がかかってきた時、茜はちょうど入浴中だった。執事は優里からの電話を躊躇なく切った。茜がなかなか電話に出ないのを見て、優里はさらにメッセージを送った。【茜ちゃんに会いに来たの。下まで降りてきて、ドアを開けてくれる?】執事はメッセージを見て、そのまま削除した。執事はもうしばらく待った。優里から再び電話がかかってこないのを確認すると、ようやくほっとした。優里は、茜から相変わらず何の反応もなかったことを受け、唇をぎゅっと噛みしめた。彼女はその場でさらに長いこと待った。やがて日付が変わる頃になっても、智昭の車は依然として姿を見せなかった。優里は時間を見ると、これ以上待たずに車で去って行った。優里が家に戻ると、大森家と遠山家の人たちはまだ眠らず、皆彼女からの連絡を待っていた。彼女が帰ってきたのを見ると、結菜が真っ先に立ち上がった。「お姉ちゃん――」優里は結菜を見ず、自分の方を見ているほかの者たちに目を向け、それから静かに首を横に振った。正雄と佳子は、胸が重く沈んだ。結菜も優里の意図を察した。「お姉ちゃん……やっぱり、智昭義兄さんには会えなかったの?」大森家や遠山家も、ここ数日ずっと優里がなんとかして智昭に1度会おうとしていることは知っていた。だが、優里が何度も智昭に連絡を取り、彼の家で何度も待っていたにもかかわらず、それでも本人に会えなかったとは、誰も思っていなかった。この時、結菜もようやく気づいた。「智昭義兄さんって……お姉ちゃんを避けてるの?」結菜でさえ気づいたのだから、ほかの者たちが気づかないはずもなかった。智昭が気持ちを整理するために静かに過ごしたくて、優里に会いたくないというのなら、大森家や遠山家も理解できた。世間の騒ぎが収まれば、2人はきっとすぐに元の関係に戻れると、彼らは信じていた。智昭が優里に別れを告げることもなく、それでいて会おうともしないことを考えると、おそらくそういうことなのだろう。もし会社に何も問題が起きていなければ、彼らも当然、焦らず気長に待つことができた。だが今は、会社がこんな事態に陥っている……「こんな遅い時間なのに、どうしてみんなまだ寝てないの?」その時、徹が2階から降りてきた。みんながまだ起きているのを見て、さすがに驚いた様子だ
玲奈はそう言うと、藤田グループのほかの幹部たちにも挨拶をして、そのまま立ち去った。翔太は玲奈の歩調に合わせた。エレベーターに乗ると、翔太の視線は思わず玲奈の方に注がれた。玲奈は翔太の視線に気づき、「どうしたの?」と聞いた。翔太は首を振り、「いや、特に何でもない」と答えた。生田博士のパーティーで、智昭と玲奈のことについては、文音がいろいろと話していた。玲奈が智昭と結婚するために卑劣な手段を使ったという話を、翔太は当然信じていなかった。だが……文音が話していた、玲奈が幼い頃から智昭に片思いしていたことと、智昭が玲奈を好いていなかったこと。この2つについては、翔太も本当なのだろうと思っていた。もしそれが本当なら、玲奈は今はもう智昭と離婚するつもりで、実際に彼と向き合ってもあれほど淡々としている。ということは、玲奈はもう智昭を愛していないということなのだろうか?だが、もし本当に玲奈がもう智昭を愛していないのなら、どうして今になっても、彼女は自分や瑛二、辰也を受け入れようとしないんだ?まさか、本当に自分たち3人が、玲奈の心の中で思い描いていた理想の相手とは違うからなのか?それとも、玲奈は智昭との恋にあまりにも疲れ果てて、今はもう彼を愛していないとしても、その恋が残した影響からまだ完全には抜け出せていないのか。だから、そう簡単には新しい恋を始められないということなのだろうか?こうしたことについては、翔太も分かっていた。たとえ玲奈に尋ねたとしても、彼女はきっと多くを語らないだろう。なので、翔太も尋ねないことにした。翔太は待つつもりだった。玲奈が自分に心を開き、近づいてきてくれるその日まで。きっとその時になれば、すべての答えが分かるはずだ。……一方で。その日の夜、仕事を終えた優里は、再び智昭の自宅へ向かった。優里はマスクを着けていた。警備員から、どの邸宅を訪ねるのか、名前は何かと尋ねられると、少し間を置いてから「大森です」と名乗り、智昭の邸宅の棟番号も伝えた。智昭と玲奈、そして優里の間に起きたことは、この高級住宅街の警備員もみな耳にしていた。優里が自分は「大森」だと名乗った時点で、当直の警備員は優里の正体にほぼ気づいていた。たとえ優里の愛人という立場を快く思っていなかったとしても、当直の警備員はすぐに智昭の自宅へ内線でビデオ通話をつないだ。
玲奈は手を伸ばして智昭と握手を交わした。「藤田社長、ご丁寧にありがとうございます。こちらも今来たばかりです」「そうですか。どうぞ、お掛けになってください」玲奈は頷いて席に着くと、すぐに本題へと話を戻した。2人が真剣な表情で仕事の話に集中し、私的な付き合いなど微塵も感じさせない様子を見て、ほかの者たちは再び顔を見合わせた。智昭と玲奈が仕事の話をする姿を、翔太も当然、初めて見るわけではなかった。しかし、まさか智昭が、玲奈が離婚しようとしている夫その人だったとは。翔太は以前は知らなかったし、夢にも思わなかった。だからこそ、今こうして玲奈と智昭が仕事の話をしている姿を見ていると、翔太は以前とはまるで違う感覚を覚えた。以前、こういう場面では、2人は公私をきっちり分け、互いに淡々としていて、仕事以外のことはほとんど一言も話さなかった。翔太は、それは以前、優里が長墨ソフトと関わった時に、玲奈との間でいざこざがあったせいだと思っていた。だが、改めて今見ると……翔太の視線が、玲奈へと向けられた。この時の玲奈は、智昭と仕事の話をする際、一切ほかのことに気を取られる様子もなく、完全に智昭を取引先として接していた。玲奈は本当に、もう智昭に何の感情も抱いていないのだろうか?そう思うと、翔太は視線を玲奈から智昭へと移した。智昭もまた真剣な面持ちで、集中して玲奈と仕事の話をしていた。玲奈と話す時の態度は穏やかだったが……確かに、彼女に対して恋愛感情を抱いているような様子は微塵も見られなかった。翔太の視線に気づいたのか、智昭が彼の方へ目を向けた。翔太は智昭と視線をぶつけた。その目には、以前と変わらない冷たさが浮かんでいた。智昭はふっと笑みを浮かべ、翔太を一瞥すると軽く頷き、そのまま視線を逸らした。智昭のその態度は、以前、翔太がまだ優里を想っていた頃と何ら変わらなかった。智昭は、優里の心には自分しかいないと分かっていたからなのか、自分を恋敵と見なしている翔太のことなど、これまで一度も気に留めたことがなかった。そして今……以前、智昭が玲奈と協業の話をしていた時、翔太は彼女に対する積極的なアプローチをまったく隠す気がなかった。智昭が、翔太が玲奈のことを追いかけていることに気づいていなかったとは到底思えなかった。智昭は、翔太のアプローチを知っていながら、少しも動







