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第99話

Author: 雲間探
ロビーを通ってエレベーターへ向かう途中、スタッフは智昭たちに出くわした。

清司が尋ねた。「その食事は……」

スタッフはすぐに答えた。「奥様のご注文です」

スタッフが「奥様」と呼ぶ相手といえば、もちろん玲奈のことだった。

誰もスタッフを止めることなく、そのまま料理を届けに行かせた。

だが、スタッフが去ったあと、彼は笑いながら言った。「どうやら、彼女を食事に誘う必要はなさそうだな」

智昭は淡々と言った。「いや、やはり呼んでおこう」

その言葉に、優里は少し驚いて唇を噛み、智昭の方を見た。

辰也も清司も、思わず目を見開いた。

だが、清司はすぐに笑って言った。「まあそうだな。おばあさんはお前に彼女のことをちゃんと面倒見ろって言ってたし。俺たちだけで食べたなんて知られたら怒られるぞ」

ここは藤田家のプライベートな山荘だから、老夫人の目がどこにあってもおかしくない。

ちょっとしたことでも、すぐに老夫人に知られてしまうだろう。

それを聞いた優里は、きゅっと結んでいた唇をそっと緩めた。

藤田家のおばあさんの仲介で、智昭が本当に玲奈に気持ちが戻ったのかと思ったが……

けれど清司の言葉で、自分の考えすぎだったことに気づいた。

辰也も清司の言葉を聞いて、視線を逸らした。

その時、茜が戻ってきて、智昭は彼女の頭を撫でながら言った。「ママを呼んできて、一緒に食べよう」

それを聞いた茜は驚いたように目を見開き、戸惑いながら尋ねた。「ママも一緒に食べるの?」

「うん」

茜は口を開きかけ、眉をひそめてから優里の方を見た。

彼女はお母さんが一緒に食事をするのを望んでいなかった。

お母さんが一緒だと、きっと優里おばさんに当たり散らして、場の雰囲気が悪くなるに決まっている。

優里はやわらかく笑いながら優しく言った。「行っておいで」

茜は少し躊躇してから、階段を上がっていった。

茜がインターホンを鳴らした時、玲奈はすでに部屋で食事をしていた。

テレビに映ったモニターで、ドアの外に立っているのが茜だとわかり、玲奈は箸を置いて立ち上がり、ドアを開けた。「茜ちゃん?」

茜は唇を噛み、玲奈を見上げて言った。「ママ、パパが呼んでるの。一緒にご飯食べようって」

玲奈はすぐに断った。「ママはもう食べてるから、あなたたちで食べて」

茜はほっとしたように言った。「うん、
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